興津 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
イタリア海軍敷設艇レパント(後の興津)
艦歴
発注: Cantieri Navali Riuniti社アンコーナ造船所
起工: 1925年
進水: 1927年5月22日
就役: 1927年5月22日
除籍: 1945年9月30日
性能諸元(()内のデータはイタリア海軍時代のもの)
排水量: 常備:700トン(615トン)
満載:-トン(850トン)
全長: (66.0m
62.2m(垂線間長)
全幅: 8.7m
吃水: 2.6m(2.4m)
機関: ヤーロー重油専焼水管缶2基
+三段膨張型三気筒直立レシプロ機関2軸推進
最大
出力:
1,500hp
最大
速力:
13.7kt(公試時:14ノット)
燃料: 重油:75トン
乗員: 66名
兵装: 三年式 8cm(40口径)単装高角砲1基1門
25mm(60口径)連装機銃2基+同単装機銃4基8門
爆雷36個
(レパント:
10cm(47口径)単装速射砲2基
アームストロング 7.62cm(40口径)単装高角砲1基
口径不明機関銃2丁
爆雷80個

興津(おきつ)は、日本海軍砲艦。本艦の前身はイタリア海軍のオスティア(Ostia)級敷設艦「レパント」で、本艦はこれを接収したものである。艦名は現在の静岡県静岡市清水区の景勝地「興津」にちなんで名づけられた。「オステ」ィアと「おきつ」の音の類似に基づく命名。

艦歴[編集]

「興津」時代の本艦の写真。

イタリア海軍敷設艦「レパント Lepanto」で、太平洋戦争戦利艦(厳密には元同盟国放棄艦艇の再利用)である。イタリアマルケ州アンコーナ県県都アンコーナのリウニーティ造船(Cantieri Navali Riuniti:CNR)で建造。第二次世界大戦でイタリアが降伏したため、1943年9月9日に上海で自沈した。

同艦を大日本帝国海軍第一工作部が引き上げて復旧工事・整備、1944年3月1日軍艦籍に編入して「興津」と命名し、砲艦に類別した。その後は上海高雄間の船団護衛などに従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。

「仙寧 Hsien-Ning」時代の本艦の写真。

終戦時には舟山列島にあった。その後、中華民国に接収され国府海軍の「仙寧 Hsien-Ning」(同音の「咸寧」との説もある)となった。1950年6月に米軍式装備に改装、7.62cm砲3門、40mm機関砲2門、20mm機関砲4門となった。1956年除籍。

参考文献[編集]

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]