エヴァーツ級護衛駆逐艦

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エヴァーツ級護衛駆逐艦
DE-5 USS Evarts
艦級概観
艦種 護衛駆逐艦
艦名 海軍功労者 一番艦はミロ・エヴァーツに因む
建造数 97隻
運用者  アメリカ海軍
 イギリス海軍
 中華民国海軍
就役期間 アメリカ合衆国の旗 1943年 - 1947年
前級 (テンプトレス級コルベット)
次級 バックレイ級(TE型)
主要諸元例
排水量 基準:1,140トン
満載:1,360トン
全長 88.22 m
全幅 10.69 m
吃水 2.51 m
機関 ディーゼル・エレクトリック方式
GM16-278Aディーゼルエンジン 4基
GM8-268発電機(1,200kW) 4基
電動機(1,500hp 4基
スクリュープロペラ 2軸
速力 21 ノット
航続距離 6,000海里 (12kt巡航時)
乗員 156名(通常時)
198名(戦時)
兵装 Mk.22 3インチ単装緩射砲 3基
40mm連装機銃 1基
20mm単装機銃 9基
ヘッジホッグMk.10対潜迫撃砲 1基
片舷用爆雷投射機(K砲) 8基
Mk.9爆雷投下軌条 2条
GFCS Mk.52 (3インチ砲用) 1基
Mk.51 (40mm機銃用) 1基
レーダー SA 対空捜索用 1基
SLまたはSU 対水上捜索用 1基
ソナー QCまたはQJA 探信儀 1基
電子戦 短波方向探知機 (HF/DF)

エヴァーツ級護衛駆逐艦(エヴァーツきゅうごえいくちくかん、英語: Evarts-class destroyer escorts)は、第二次世界大戦の勃発によりアメリカで建造され、アメリカ海軍およびイギリス海軍により運用された護衛駆逐艦の艦級。主機方式・配置からGMT型(GM Tandem Diesel)とも称される。なお、ネームシップの艦名はミロ・バーネル・エヴァーツに由来する。

アメリカ海軍の護衛駆逐艦の原型として、1943年から運用が開始され、最終的に97隻が建造されて、うち32隻がイギリス海軍に譲渡された。太平洋戦線および大西洋戦線で主に船団護衛や哨戒任務に従事したが、より大型で高速の派生型が多数建造されていたことから、大戦を生き残った艦も1947年までに全艦が除籍された[1]

来歴[編集]

1939年第二次世界大戦勃発直後より、連合国軍の対潜護衛部隊とドイツ海軍Uボートのあいだに大西洋の戦いが展開された。イギリス海軍では、1938年度から1939年度で第一次世界大戦世代のV級駆逐艦W級駆逐艦の計15隻に爆雷など対潜兵器を搭載して護衛艦として改装するとともに、39年度計画では新造によりハント級駆逐艦の整備に着手しており、いわゆる護衛駆逐艦の嚆矢をなすものとなった。しかし第二次大戦劈頭の戦闘で少なからぬ護衛艦が失われるとともに、フランスの失陥によってフランス大西洋岸にUボート基地が設営され、潜水艦脅威は非常に深刻なものとなっていた[2]

これに対応して、まず1940年、駆逐艦・基地協定(Destroyers for Bases Agreement)に基づき、アメリカからイギリス・カナダ海軍に対して、第一次大戦世代駆逐艦50隻(いわゆるタウン級駆逐艦)の貸与が行われた。続いて、より包括的なものとして1941年3月に成立したレンドリース法に基づき、イギリスはアメリカに対して新型の船団護衛用駆逐艦の発注を行った[2]

一方アメリカにおいても、1940年6月、フランクリン・ルーズベルト大統領フランク・ノックス海軍長官に対して、排水量750トンから900トンの2種の護衛駆逐艦建造案の検討を指示した。海軍省艦船局の第1案は同年8月24日に完成し、排水量775トンであったが、1,620トンのベンソン級駆逐艦とほぼ同じ程度の建造費を要したことから、海軍最高会議の承認を得られなかった。その後、1941年2月の時点では、大西洋西部での船団護衛を任務とする護衛艦の設計が行われていた。当初、これは基準1,125トン、蒸気タービン主機、38口径5インチ砲2門搭載の計画であったが、要求を満たしていないとして、5月にはこの建造は中止された。しかし同年6月、レンドリース法に基づきイギリスから護衛艦100隻の建造・引渡し要請が行われると、この設計が見直されることになった。当時、抜群の造船官として知られたアメリカ船級協会(ABS)のコクレーン大佐が滞英中であり、イギリス海軍の支援のもと、ハント級等も参考に、ベンソン級の約半分の建造費で済む1,085トン型護衛駆逐艦の設計を完成した。7月に海軍とギブス&コックス社が設計したイギリス向け護衛駆逐艦(BDE)の案は、主砲を変更した以外はこれらの設計を踏襲したものであった。8月15日、ルーズベルト大統領はBDEの建造を承認し、これにより建造されたのが本級である[3]

設計[編集]

本級の設計はイギリスの要望を強く反映したものとはいえ、基本的にはアメリカ海軍の駆逐艦を簡素化するかたちで進められており、船型も、米海軍駆逐艦で多用された平甲板型とされた。また、先行する英海軍のフラワー級コルベット捕鯨船など民間船をモデルとしていたのに対し、駆逐艦の簡易版という性格から、本級を含む護衛駆逐艦はいずれも軍艦構造を採用している[4]

当初の設計案では艦隊駆逐艦と同様の蒸気タービン主機関の採用が計画されていたものの、歯車減速機の歯切り能力不足のために護衛駆逐艦への供給が間に合わないことが判明し、これを使用しないディーゼル・エレクトリック方式に変更された。またディーゼルエンジンについても、潜水艦揚陸艦への供給が優先されたことから、当初計画の半数のみ装備するよう計画変更し、速力は24ノットから21ノットへと妥協された。この結果、主機構成としては、4基のゼネラルモーターズ社製2ストロークV型16気筒ディーゼルエンジンが、それぞれ直結されたGM8-268発電機(出力1,200kW直流)を駆動して発電するものとされている。推進軸は2軸、それぞれに2基の電動機が串型に装備されている[5]

装備[編集]

主に供給上の問題により、主砲としては、最初期計画の38口径5インチ砲にかえて、50口径3インチ緩射砲が用いられており、艦首甲板と前部甲板室上に背負式に1基ずつ、また艦尾甲板にも1基と、計3基を備えている。また高角機銃としては、当初は大戦初期の米海軍で標準的だった28mm 4連装機銃を1基、後部上部構造物上に備えていたが、のちには新しい標準となった40mm連装機銃に換装された。射撃指揮装置(FCS)としては、主方位盤が艦橋上に、また副方位盤が高角機銃座の前方に設置されており、当初は3インチ砲用の主方位盤がMk.51、28mm機銃用の副方位盤がMk.44とされることが多かったが、後に主方位盤については測距レーダーを備えたMk.52に、また機銃が40mm口径に変更されるのに伴って副方位盤もMk.51に換装された[6]

対潜兵器としては、後甲板に片舷式爆雷投射機(K砲)を片舷2基ずつの計4基、艦尾に爆雷投下軌条2条を設置した。また、後にはK砲が倍に増備されるとともに、艦首甲板の3インチ砲座の間にヘッジホッグMk.10対潜迫撃砲が追加装備された。これは旋回機構をもたない最初期の対潜前投兵器であるが、非常に優れた対潜火力であった[2]

配備[編集]

1941年度計画で50隻、それ以後の計画で55隻が発注された。当初、41年度計画艦は全艦がイギリス向けの艦(BDE)とされていたが、真珠湾攻撃などに伴って同年にアメリカが第二次世界大戦に参戦したことから護衛艦艇の不足が指摘され、実際には41年度計画艦から6隻、それ以後の計画から26隻の計32隻が引き渡されるに留まった。また1944年に8隻が建造中止となり、アメリカ海軍向けに竣工したのは65隻であった[3]

参考文献[編集]

  1. ^ 阿部安雄「アメリカ護衛艦史」、『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 13-103頁、 NAID 40007060042
  2. ^ a b c 酒井三千生「護衛駆逐艦小史」、『世界の艦船』第279号、海人社、1980年3月、 90-103頁。
  3. ^ a b 阿部安雄「アメリカ護衛艦の歩み」、『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 124-129頁、 NAID 40007060042
  4. ^ 「1.船体 (アメリカ護衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 118-123頁、 NAID 40007060042
  5. ^ 阿部安雄「2. 機関 (アメリカ護衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 124-129頁、 NAID 40007060042
  6. ^ 多田智彦「3. 兵装 (アメリカ護衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 130-135頁、 NAID 40007060042

外部リンク[編集]

関連項目[編集]