飛鷹型航空母艦

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飛鷹型航空母艦
Japanese aircraft carrier Junyo.jpg1945年(昭和20年)9月に撮影された佐世保での隼鷹
艦級概観
艦種 航空母艦
艦名 飛鷹隼鷹
前級
次級
性能諸元 (竣工時)
排水量 基準:24,100t 公試:27,500t
全長 219.3m
全幅 水線幅:26.7m
吃水 8.15m
飛行甲板 210.3m x 27.3m
エレベーター2基
主缶 飛鷹:ラモント式缶6基
隼鷹:三菱式缶6基
機関 飛鷹:川崎式タービン
隼鷹:三菱ツェリー式タービン
2基2軸 56,250hp
最大速力 25.5kt
航続距離 12,251nm / 18kt(飛鷹)
乗員 1,187名(飛鷹)
兵装 40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃8基
搭載機
(常用+補用)
艦上戦闘機12+3機
艦上爆撃機18+2機
艦上攻撃機18+5機
合計48+10機[1]

飛鷹型航空母艦(ひようがたこうくうぼかん)は、かつて大日本帝国海軍に在籍した航空母艦の艦級の一つ。建造途中の民間高速客船を取得し、航空母艦に改装したものである。同型艦は2隻(飛鷹隼鷹)。海軍の公式類別上では隼鷹型である。竣工当初は特設軍艦のうちの特設航空母艦に類別されていたが、後に軍艦に編入され航空母艦に類別された。

概要[編集]

日本海軍は、造船業界の不況対処および戦時の優秀船舶確保のために、一部の民間造船所および建造船舶に補助を与えていた。1938年(昭和13年)より計画が開始された日本郵船の大型高速客船・橿原丸と出雲丸も、建造にあたり大型優秀船建造助成施設を適用されて、日本海軍から建造費用の6割の補助を受けていた。これは有事の際に航空母艦として改装できるような設計をとることが条件となっており、空母の状態から逆算して客船の設計を行っている[2]。当初、九六式艦上戦闘機12機、九六式艦上攻撃機18機、九七式艦上攻撃機18機が予定されていたが、1941年になると零式艦上戦闘機15機(補用3)、九九式艦上爆撃機爆撃機20(補用2)、九七式艦上攻撃機18(甲板10機)、800kg爆弾54発、250kg爆弾198発、60kg爆弾348発、九一式改二魚雷27発搭載に変更となっている[2]

両船とも1939年(昭和14年)に起工したが、1940年(昭和15年)には時局を鑑み、客船としての工事を中止し、空母への改装が開始された。さらに翌年の1941年(昭和16年)には、海軍が日本郵船より買収し、飛鷹・隼鷹と命名された。

原計画が最大24ノットの高速客船であったこともあり、空母改装後は25ノットを出すことができた。25ノットという速力は、航空母艦として高速ではないものの、第一線の航空作戦活動を行うには、竣工当時十分なものであった。ただし大戦中期から登場し始めた新型機の運用には低速ゆえに困難が伴っている。艦載機用カタパルトを実用化できなかった日本海軍にとって大型化しつつあった艦載機(流星艦上攻撃機天山)の発艦問題は深刻であり[3]1944年(昭和19年)8月以降、発艦に補助ロケットを用いたケースがある[3]

艦橋は右舷前よりにあり、欧米の空母では採用されていた艦橋と煙突を一体とした大型上構を、日本海軍としては初めて採用した。ただし、欧米の空母と異なり、排煙の航空機運用への影響を避けるために、煙突は外側へ傾斜していた。飛鷹は竣工時から艦橋に二号一型電探(対空レーダー)を装備している[4]。煙突も、それまでの日本海軍空母の下方排出式と異なり、艦橋に付随した上方・右外側への斜め煙突となっている。これは、排煙による気流の乱れが艦載機の着艦を妨げるのを防ぐため、当時建造中であった正規空母大鳳の事前実験として設置されたものであった。この斜め煙突は、のちに大和型戦艦から改造された空母信濃にも採用された。エレベーターは飛行甲板の前部と後部に一基ずつ設置されている。

太平洋戦争においては、飛鷹・隼鷹の両艦により第二航空戦隊を編成、ミッドウェー海戦以降の空母機動部隊を支える中核戦力として活躍した。大戦後半の搭載機は零戦21、彗星18(9機は甲板)、天山9だったという[4]

特徴[編集]

機関に日本海軍としてはトップクラスの性能のボイラーを採用した。蒸気圧は40気圧で蒸気温度も420度に達し、アメリカ海軍のエセックス級空母に匹敵するスペックであった[5]。一方で、下部格納庫は缶室の真上にあって温度上昇に悩まされ、すのこを敷きつめて解決を図っている[2]。2軸推進であったが、スクリューの直径は日本海軍最大の直径5.5mであった[5]。飛鷹は1942年(昭和17年)10月20日に機関故障を起こし、日本海軍は南太平洋海戦第三次ソロモン海戦を前に貴重な航空戦力の一角を失っている[6]

本型は商船改造空母ではあったが、当初から空母への改造が念頭に置かれていたために、装備された装甲は蒼龍に準する内容(水中防御の装甲は劣る)となっており、商船改造空母としては世界的に見ても異例の防御力を持っていた。弾薬庫甲板、後部舷側、ガソリンタンク甲板が25㎜DS鋼板、機関室舷側のみ20㎜+25㎜DS鋼板で構成されている[2]。機関部分も2重底とされていた[5]。ミッドウェー海戦に連動したアリューシャン作戦直前、佐伯湾に停泊していた隼鷹に転勤した山川兵曹によれば、「変てこな煙突」の空母の艦首に乗っていた内火艇が衝突した。すると隼鷹の外舷が凹んでおり、同乗者と共に不安を抱いている[7]。また珊瑚海海戦で損傷した空母「翔鶴」から「隼鷹」に転勤した河野茂(三等飛行兵曹)は、「いままでに乗ったどの艦よりもゆったりして、優しい感じだった」と述べている[8]

「飛鷹」副長によれば、燃料満載・燃料未載の場合、艦橋が右舷にあるため右舷に7度傾斜した[9]。1943年末に「飛鷹」では副長の主張により、左舷空所にバラストをつめて満載時傾斜が右3度に減っている[9]。また軍艦のように区画が細分化されておらず、被害を受けた際に区画的に防御を行う能力には劣っていた[10]

なお。「隼鷹」の初出撃となったアリューシャン作戦には、軍艦の証である菊御紋章が、まだ取り付けられていなかったという証言がある[11]。軍艦に編入されたのは1942年7月14日であり、上述の作戦時での「隼鷹」の扱いは「特設航空母艦」であった[12]

脚注[編集]

  1. ^ 補用計5機、または7機の資料もある[要出典]
  2. ^ a b c d #川崎戦歴p.72
  3. ^ a b #川崎戦歴p.73
  4. ^ a b #川崎戦歴p.74
  5. ^ a b c 雑誌 丸 2010年11月号 飛鷹型空母特集
  6. ^ #艦爆隊長p.146
  7. ^ #空母艦爆p.98
  8. ^ #証言p.114
  9. ^ a b #飛鷹副長p.152
  10. ^ #飛鷹副長p.145
  11. ^ #証言p.124、#艦爆隊長p.104。ついたのは「飛鷹」竣工後。
  12. ^ 昭和17年7月14日付 内令第1257号、同第1258号、および海軍大臣達第201号。

同型艦[編集]

参考文献[編集]

  • 山川新作 『空母艦爆隊 艦爆搭乗員死闘の記録今日の話題社1985年ISBN 4-87565-118-x
  • 志柿謙吉 『空母「飛鷹」海戦記 「飛鷹」副長の見たマリアナ沖決戦』 光人社、2002年2月。ISBN 4-7698-1040-7
  • 雑誌「丸」編集部、『写真|日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ』(光人社、1989年)
  • 橋本敏男田辺弥八ほか 『証言・ミッドウェー海戦 私は炎の海で戦い生還した!』 光人社、1992年ISBN 4-7698-0606-x
  • 阿部善朗 『艦爆隊長の戦訓 体験的/新説太平洋海空戦』 光人社、1997年ISBN 4-7698-0834-8
  • 長谷川藤一、『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』(グランプリ出版、1997年)
  • モデルアート臨時増刊、『艦船模型スペシャルNo.18-商船改造空母』、(モデルアート社、2005年)
  • 川崎まなぶ 『日本海軍の航空母艦 その生い立ちと戦歴』 大日本絵画、2009年ISBN 978-4-499-23003-2
  • 世界の艦船1月号増刊 日本航空母艦史』(海人社、2010年)

関連項目[編集]