祥鳳 (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
祥鳳
艦歴
起工 1934年12月3日
進水 1935年6月1日
就役 1939年1月15日竣工(潜水母艦)
1942年1月26日就役(航空母艦)
喪失 1942年5月7日
除籍 1942年5月20日
性能諸元 (航空母艦改造時)
排水量 基準:11,200トン
公試:13,100トン
全長 205.50m
全幅 水線幅:18.0m
吃水 6.64m
飛行甲板 長さ:180.0m x 幅:23.0m
エレベーター2基
機関 主缶:ロ号艦本式重油専焼水管缶4基
補助缶:ロ号艦本式重油専焼缶2基
艦本式オール・ギヤード・タービン2基
2軸、52,000馬力
速力 28 ノット(計画)
航続距離 18ノットで7,800カイリ
燃料 重油2,320トン
乗員 竣工時定員787名[1]
兵装 40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm機銃 三連装4基
搭載機 艦上戦闘機18機、艦上攻撃機9機
補用3機(艦戦)
搭載機区別字 シホ[2]
祥鳳艦形図

祥鳳(しょうほう)は、日本海軍航空母艦。元は剣埼型潜水母艦剣埼(つるぎざき)であった。

ロンドン海軍軍縮条約により航空母艦の保有量を制限されていた日本海軍は、後に航空母艦に改造できる艦船を建造することで条約の制限を乗り切ろうとした。そのような意図で建造されたのが祥鳳の前身である「剣埼」であり、当初は高速給油艦として設計されたが、建造中に潜水母艦に変更され、1939年(昭和14年)1月15日横須賀海軍工廠で竣工。1940年(昭和15年)11月から計画通りに航空母艦へ改造されたが、不調のディーゼル機関タービンと交換したため工事に約1年掛かった。

1942年5月7日珊瑚海海戦で撃沈され、太平洋戦争において戦闘で最初に失われた日本海軍の空母となった。

艦歴[編集]

潜水母艦「剣埼」

1934年(昭和9年)11月5日、特務艦「剣埼 (ツルギザキ)」と命名[3]12月3日横須賀海軍工廠にて起工。1935年(昭和10年)6月1日進水1938年(昭和13年)9月15日、潜水母艦への改造に着手。1939年(昭和14年)1月15日 に潜水母艦として竣工し、横須賀鎮守府籍となった。2月5日に第2艦隊第2潜水戦隊に編入、北支や南洋方面で活動。11月15日第1艦隊第2潜水戦隊に編入、翌年に掛けて南支や南洋方面で活動。

1940年(昭和15年)11月15日に横須賀鎮守府第四予備艦となり航空母艦への改造工事に着手。1941年(昭和16年)11月1日、横須賀鎮守府特別役務艦に定められる[4]12月22日、改造完成し「祥鳳 (シヤウホウ[5])」と改名、航空母艦に類別[6]、横須賀鎮守府籍[7]。同時に艦艇類別等級別表の潜水母艦欄から剣埼型が削除された[6]

珊瑚海海戦にて魚雷攻撃を受ける祥鳳

1942年(昭和17年)1月26日、第4航空戦隊所属となる。2月4日横須賀港出港し、トラックへの航空機輸送任務につく。3月7日、ラバウル方面への航空機輸送任務のためトラック出港。

4月18日、敵機動部隊迎撃のため横須賀出港。4月30日、ポート・モレスビー攻略部隊に所属しトラック出港。

5月7日、珊瑚海海戦に参加。この日、偵察機からの空母2、重巡2隻発見との報告を受け、アメリカの空母レキシントンヨークタウンから攻撃隊が発進した[8]。だがその偵察機は空母は発見しておらず、報告の際重巡とするところを誤って空母としてしまったものであった[9]。だが、アメリカ軍は攻撃隊をそのまま攻撃に向かわせた[10]。そして攻撃隊は祥鳳を発見し攻撃に移った。11時20分(現地時間)に最初の爆弾が命中し、また魚雷の命中によって操舵装置が作動しなくなり直進しかできなくなった[11]。最終的に祥鳳には爆弾13発、魚雷7本が命中し[12]、11時35分に沈没した[13]。乗員839名中生存者は203名であり、艦長伊沢石之助大佐も生還した[14]

5月20日除籍。

撃沈に伴う影響[編集]

真珠湾空襲以降、日本軍の攻勢に押されていた連合国軍にとって、航空母艦である祥鳳の撃沈は日本海軍主力艦艇の初の撃沈であり、その戦果は戦意高揚のため大いに宣伝された。

艦載機[編集]

1942年1月30日

1942年4月23日

  • 艦載機20機(零式艦上戦闘機10機+九六式艦上戦闘機+4機+九六式艦上攻撃機6機)

1942年5月7日

  • 艦載機23機(零式艦上戦闘機+7機+九六式艦上戦闘機5機+九七式艦上攻撃機+10機)

歴代艦長[編集]

※脚注無き限り『艦長たちの軍艦史』65-66頁に基づく。

剣埼艤装員長
  1. 山下知彦 大佐:1935年6月1日[15] - 1935年10月7日[16]
  2. 大塚幹 大佐:1935年10月7日[16] - 1936年12月1日[17]
  3. 樋口曠 大佐:1936年12月1日[17] - 1937年5月20日[18]
  4. (兼)柿本権一郎 大佐:1937年5月20日[18] - 1937年6月15日[19] (本務:高崎艤装員長)
  5. 橋本愛次 大佐:1937年6月15日[19] - 1938年9月20日[20]
剣埼艦長/祥鳳艦長
  1. 橋本愛次 大佐:1938年9月20日[20] - 1938年11月20日[21]
  2. (兼)橋本愛次 大佐:1938年11月20日[21] - 1938年12月15日[22] (本務:五十鈴艦長)
  3. 福沢常吉 大佐:1938年12月15日[22] - 1939年11月15日[23]
  4. 伊藤尉太郎 大佐:1939年11月15日[23] - 1940年11月15日[24]
  5. (兼)城島高次 大佐:1940年11月15日[24] - 1941年4月17日[25] (本務:翔鶴艤装員長)
  6. (兼)城島高次 大佐:1941年4月17日[25] - 1941年8月8日[26] (本務:翔鶴艦長)
  7. (兼)小畑長左衛門 大佐:1941年8月8日[26] - 1941年10月1日[27] (本務:山城艦長)
  8. 伊沢石之助 大佐:1941年10月1日[27] - 祥鳳艦長 1941年12月22日 - 1942年5月20日[28]

同型艦[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 海軍定員令 「第52表ノ3 航空母艦定員表其ノ6」、昭和16年7月10日付 内令第784号改正分、および昭和16年12月22日付 内令第1708号改正分。士官44、特務士官18、准士官25、下士官206、兵494。この数字は航空関係要員を含み、特修兵は含まない。
    昭和16年7月10日付 内令第784号(瑞鳳の定員2名増)はアジア歴史資料センター レファレンスコード C12070157500 で閲覧可能。昭和16年12月22日付 内令第1708号(「第52表ノ3 航空母艦定員表其ノ6」に祥鳳を追加)はアジア歴史資料センター レファレンスコード C12070159700 で閲覧可能。
  2. ^ 昭和17年2月16日付 内令兵第12号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070227200 で閲覧可能。
  3. ^ 昭和9年11月5日付 海軍達 第191号。「剣」の字は、正しくは「劍」。
  4. ^ 昭和16年11月1日付 内令第1346号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070154100 で閲覧可能。
  5. ^ 昭和16年12月22日 達第396号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070113700 で閲覧可能。
  6. ^ a b 昭和16年12月22日 内令第1710号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070154800 で閲覧可能。
  7. ^ 昭和16年12月22日 内令第1707号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070154800 で閲覧可能。
  8. ^ 暁の珊瑚海、115、120ページ
  9. ^ 暁の珊瑚海、161ページ
  10. ^ 暁の珊瑚海、162-163ページ
  11. ^ 暁の珊瑚海、171ページ
  12. ^ 暁の珊瑚海、173ページ
  13. ^ 暁の珊瑚海、175ページ
  14. ^ 暁の珊瑚海、175-176ページ
  15. ^ 昭和10年6月3日付 官報第2523号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1935年06月03日」 で閲覧可能。
  16. ^ a b 昭和10年10月8日付 官報第2631号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1935年10月08日」 で閲覧可能。
  17. ^ a b 昭和11年12月2日付 官報 第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1936年12月02日」 で閲覧可能。
  18. ^ a b 昭和12年5月21日付 官報第3112号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1937年05月21日」 で閲覧可能。
  19. ^ a b 昭和12年6月16日付 官報第3134号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1937年06月16日」 で閲覧可能。
  20. ^ a b 昭和13年9月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第241号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072074300 で閲覧可能。
  21. ^ a b 昭和13年11月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第264号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072074600 で閲覧可能。
  22. ^ a b 昭和13年12月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第273号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072074800 で閲覧可能。
  23. ^ a b 昭和14年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第402号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072076700 で閲覧可能。
  24. ^ a b 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第555号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072079400 で閲覧可能。
  25. ^ a b 昭和16年4月17日付 海軍辞令公報 (部内限) 第622号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072080800 で閲覧可能。
  26. ^ a b 昭和16年8月8日付 海軍辞令公報 (部内限) 第686号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081700 で閲覧可能。
  27. ^ a b 昭和16年10月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第721号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072082600 で閲覧可能。
  28. ^ 昭和17年5月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第863号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072085500 で閲覧可能。

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0454-7
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0463-6
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』(グランプリ出版、1997年) ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』(KKベストセラーズ、1982年) ISBN 4-584-17023-1
  • 森史郎、『暁の珊瑚海』、光人社、2005年、ISBN 4-7698-1228-0
  • 官報
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030580500 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030580700 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030580900 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030581200 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030581300 『昭和16年12月1日~昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(9)』。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]