珊瑚海海戦

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珊瑚海海戦
Coral Sea Explosion Lexington2.jpg
日本軍の攻撃を受け炎上するアメリカ海軍空母レキシントン
戦争太平洋戦争/大東亜戦争
年月日:1942年5月8日
場所珊瑚海
結果:日本軍の戦術的勝利・アメリカ軍の戦略的勝利
交戦勢力
日本の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オーストラリアの旗 オーストラリア
指揮官
井上成美中将
五藤存知少将
高木武雄少将
原忠一少将
丸茂邦則少将
山田定義少将
F.J.フレッチャー少将
A.W.フィッチ少将
J.G.クレース少将
戦力
空母3
水上機母艦2
重巡7
軽巡2
駆逐艦15
陸上基地航空隊
空母2
重巡7
軽巡2
駆逐艦13
陸上基地航空隊
損害
軽空母1沈没
空母1中破
空母1沈没
駆逐艦1他1沈没
空母1中破
ニューギニアの戦い
珊瑚海海戦

珊瑚海海戦(さんごかいかいせん, Battle of the Coral Sea)は、太平洋戦争大東亜戦争)で大日本帝国海軍(以下日本海軍)と連合国(アメリカ合衆国・オーストラリア)軍のあいだで戦われた主な海戦のひとつ。

1942年5月8日珊瑚海で日本海軍の空母機動部隊アメリカ海軍を主力とする連合国軍の空母部隊が激突し、歴史上初めて航空母艦同士が主力として戦った海戦である。また、この海戦は対抗する両艦隊が互いに相手の艦を視界内に入れないで行われた、歴史上最初の海戦である[1]。連合軍の損害が正規空母1隻沈没・1隻大破なのに対し日本海軍の損害は正規空母1隻大破・軽空母1隻沈没であり、戦術的には日本海軍の勝利であった。しかし、日本海軍も多数の航空機と搭乗員を失い、ポートモレスビー攻略という当初の作戦目標を放棄した。

背景[編集]

1942年1月29日、日本海軍連合艦隊司令部は「大海指47号」にてオーストラリアをアメリカから遮断し孤立させる戦略構想(「米豪遮断作戦」)の一環として、ツラギニューギニア島南東岸にあるポートモレスビーを奇襲攻略することを決定した(「MO作戦」あるいは「モ号作戦」)[2]。ニューギニア島は中央部を東西に山脈が走っているため、北岸からの陸路での攻略には困難が予想され、海路から攻略を行う方針が決まる。同時にソロモン諸島ツラギ島を占領して水上機基地を設営し、珊瑚海の警戒を行うことが決定された。日本海軍の作戦指揮官は第四艦隊司令長官井上成美中将であった。この作戦における海軍の主任務は、陸軍歩兵第一四四連隊、海軍呉特別陸戦隊をのせた11隻の輸送船の護衛である[3]

3月10日、空母「レキシントン」と「ヨークタウン」がラエサラモアに航空攻撃を敢行、日本軍は艦船4隻沈没、中破小破14隻、戦死130名という損害を出した[4]。この攻撃による損害に不安を感じた陸軍南海支隊長堀井富太郎陸軍少将は軽空母「祥鳳」が輸送船団護衛につくだけでは米軍機動部隊出現時に対処できないと判断し、3月20日の電文で有力な日本軍機動部隊の増派を求めた[5]

4月16日、連合艦隊司令部はセイロン沖海戦に勝利して日本に帰還中だった南雲機動部隊より第五航空戦隊(空母翔鶴瑞鶴)を引き抜き、第四艦隊に編入した[6]。第五航空戦隊は4月25日にトラック島に到着した[7]井上成美第四艦隊司令長官は『MO機動部隊は、有力なる敵海上部隊の所在判明せざる場合は、なるべく速やかに、タウンズビル方面の敵飛行場を急襲、所在航空兵力を撃滅すべし』と命令した[8]。これはMO機動部隊が制海権のない珊瑚海に10日もとどまり、敵艦隊攻撃から敵航空基地撃滅まであらゆる任務に投入されることを意味し、連合艦隊司令部は『MO機動部隊の作戦に関し、同隊は敵の機動部隊に対する作戦を第一義とし、豪州要地の空襲については、同隊の兵力並びに豪州北方海域の情況等に鑑み、とくに慎重を用されたし。なお敵陸上基地航空兵力の撃滅には、所要の基地航空隊を集中作戦する如く取り計らわれたし』と第四艦隊の命令を取り消している[9]。井上は、『第五航空戦隊は、珊瑚海方面に敵が出現した場合にのみこれを撃滅せよ』と命令を訂正した[10]。計画では、5月3日に第十九戦隊はソロモン諸島ツラギ島を占領後にナウルオーシャン攻略に参加、MO主隊は第十九戦隊を支援したあと西進して南海支隊を支援、MO機動部隊は米軍攻撃に備えて待機、5月10日にポートモスレビーを攻略するという複雑な予定であった[11]。日本軍の戦力分散と作戦の複雑さについては、戦闘詳報や米海軍大学校も、日本軍苦戦の一因になったと指摘している[12]。また軽空母「祥鳳」は4月18日のドーリットル日本本土空襲で米軍機動部隊迎撃に出動し、それから急遽南下してトラック泊地に進出している。MO攻略部隊・MO機動部隊ともに『間に合わせ部隊』であり、事前の打ち合わせ・訓練もほとんど行っていなかった[13]

一方、暗号解読により日本海軍の動きを察知したアメリカ海軍は、第11任務部隊(空母レキシントン基幹)と第17任務部隊(ヨークタウン基幹)を派遣し、日本海軍の作戦を阻止することとした[14]。空母「エンタープライズ」と「ホーネット」はドーリットル空襲のため日本本土に接近した関係で、珊瑚海に派遣することは出来なかった[15]

経過[編集]

日本軍のツラギ攻略と米軍機動部隊の反撃[編集]

日本軍の戦闘詳報における時間は東京時間を基準としているため、現地時間とは2時間の差がある。参考文献は著者によってどちらか一方を採用しており、本記事でも午前/午後○○時○○分を戦闘詳報の東京時間、(○○:○○分)を現地時間とする。

1942年4月30日、ツラギ攻略部隊の第十九戦隊(司令官志摩清英少将、旗艦:敷設艦沖島)がラバウルを出発した。5月3日、第十九戦隊は軽空母「祥鳳」と特設水上機母艦「神川丸」艦載機支援のもとツラギ島、ガブツ島、タナンボコ島へ上陸したが、連合国軍は殆ど撤収しており、小競り合いが起きた程度で日本軍の上陸作戦は成功した[16]。日本軍は水上機基地の設営を開始、同日夕方までに設営完了となる[17]。MO作戦第一段階完了にともない、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将)の軽巡洋艦天龍」、五藤少将の第六戦隊は次々に反転、ブカ島クインカロラで補給の後、南海支隊と合流することになっていた[18]

MO機動部隊は5月1日、トラック諸島を出航した[19]。機動部隊司令官は高木武雄少将で、原忠一少将は第五航空戦隊司令官として高木の指揮下にある[20]。第五航空戦隊の航空戦力は空母1隻につき零式艦上戦闘機18、九九式艦上爆撃機18、九七式艦上攻撃機18、第五戦隊重巡洋艦妙高」「羽黒」は各艦零式水上偵察機1機、九五式水上偵察機2機を搭載している[21]。MO機動部隊はラバウルに第二十五航空戦隊の零戦9機を輸送するため寄り道したが、悪天候により2度にわたり引き返したため、5月3日に輸送の中止を決定した[22]

MO攻略部隊には軽空母「祥鳳」(零式艦上戦闘機10→5/2事故で9機、九六式艦上戦闘機4、九七式艦上攻撃機6)が護衛についていたが、作戦会議で公然と反対した杉山利一(祥鳳飛行長)のように多くの者が軽空母1隻の護衛には限界があると感じていた[23]。もっとも、日本軍は先のニューギニア沖海戦において、空母「レキシントン」を既に撃沈したか本国修理中であると推定しており、仮に珊瑚海に米空母が出現するとしても空母「サラトガ」1隻と判断している[24]

日本海軍のツラギ上陸を察知したフランク・J・フレッチャー少将は艦隊を北上させ、4日朝、空母「ヨークタウン」からツラギに向け攻撃隊が発進した。この日「ヨークタウン」からは4波による攻撃がなされ「軽巡洋艦1隻、水上機母艦1、駆逐艦2、輸送船2、砲艦4隻」を攻撃して「駆逐艦2隻、貨物船1を撃沈、軽巡洋艦1隻大破着底、水上機母艦1、駆逐艦、貨物船1隻が損傷」と報告した[25]。実際の戦果は、駆逐艦「菊月」および掃海艇3隻を撃沈、敷設艦「沖島」と駆逐艦「夕月」が至近弾と機銃掃射によって小破、「神川丸」の零式観測機2機を喪失[26]F4Fワイルドキャット戦闘機2機不時着・TBDデバステーター雷撃機1機を失い、SBDドーントレス急降下爆撃機6機、TBD雷撃機2機が損傷した[27]。この他に「神川丸」の戦闘詳報によれば、零式観測機がPBYカタリナ飛行艇を撃墜したが、索敵中の水上偵察機2機を喪失した[28]。第四艦隊司令部はMO機動部隊に「為し得れば速にツラギの掩護機を出すべし」と催促したが、ラバウル空輸で時間を浪費したため南方へ向かう「ヨークタウン」を捕捉することは不可能だった[29]。だが、連合艦隊司令部はミッドウェー作戦の検討で多忙であり、第四艦隊も作戦計画を再検討する必要性を認識しておらず、5月4日にMO攻略部隊をラバウルから出撃させた[30]。MO機動部隊や陸上基地から発進した陸上攻撃機や飛行艇が米軍機動部隊を索敵したが発見できず、日本軍は米空母が南方に避退したと考え始めた[31]。だが5日には横浜海軍航空隊九七式飛行艇(浦田大尉機)が「ヨークタウン」戦闘機隊によって撃墜されている[32]。さらに悪天候のため、「妙高」と「羽黒」の零式水上偵察機の回収に失敗、2機とも使用不能になった[33]

日米両軍の索敵[編集]

5月5日、フレッチャー少将と空母「ヨークタウン」は第11任務部隊・空母「レキシントン」と合流、油槽艦「ネオショー」から補給を受ける[34]。その最中、米陸軍機から日本軍機動部隊出現の情報を受け取り、また前述の九七式飛行艇に発見されたため、日没後に北西に転舵した[35]。5月6日午前6時、ショートランド泊地で燃料補給を行った軽空母「祥鳳」と第六戦隊重巡洋艦4隻が出港した[36]。午前10時、横浜海軍航空隊(横浜空)の九七式飛行艇(山口飛曹長機)が第17任務部隊を発見、約4時間にわたって触接を続け「空母1、戦艦1、重巡1、駆逐艦5」という戦力と位置・進行方向を打電した[37]。ラバウルの山田定義少将は横浜空の飛行艇部隊に魚雷を搭載しての雷撃命令を下令し、ブナカナウの陸攻部隊には翌朝の出撃準備を命じた[38]。ただし、横浜空はツラギに進出して時間がなく、出撃することは出来なかった。午後2時、特設水上機母艦神川丸」がデボイネに入泊し、水上機偵察基地の設営を開始した[39]。同基地には「聖川丸」飛行隊も進出した。翌朝までには基地設営は完了し、「神川丸」は第18戦隊とともに北方に避退した[40]。午後5時30分、MO主隊司令官五藤存知少将は「味方機動部隊を偵知せざる敵機動部隊は明日『ルイジアード』南方海面より来襲の算大なり」と通知し、重巡洋艦衣笠」、「古鷹」から九四式水上偵察機各艦2機、第十八戦隊「神川丸」の水上機を索敵に投入した[41]

その頃、MO機動部隊は山口機の米軍機動部隊発見電を午前10時47分に受信、攻撃準備を行いつつ南下していた[42]。しかし索敵の不備から第17任務部隊まで70浬(飛行時間20~30分)地点まで接近しつつ午後8時になって北西に反転、先制攻撃のチャンスを失った[43]。原は、戦後になって「被発見を避けたのと、基地航空部隊の索敵を信頼した」と回想しているが、米海軍大学校研究では『原は自らの安全を優先し、さらに索敵に艦攻を投入して攻撃兵力が減ることを嫌がったからだ』と指摘している[44]。この時、MO機動部隊の重巡洋艦2隻・駆逐艦4隻は燃料補給が充分ではなく、午後4時30分に空母「翔鶴」「瑞鶴」と分離して北上している[45]。原の空母2隻が第17任務部隊と最接近した時、護衛駆逐艦は「有明」と「夕暮」の2隻だけであった[46]。MO機動部隊の接近に全く気付いていなかったフレッチャーは、第17任務部隊から油槽艦「ネオショー」と駆逐艦「スミス」を分離、次の給油点(南緯16度、東経158度)に派遣した[47]

5月7日[編集]

翔鶴偵察機の誤報[編集]

5月7日、第四艦隊司令長官井上成美中将は、水上機部隊に「デボイネ南東165浬にある敵航母に蝕接を確保せよ」と命じ、MO機動部隊には米軍機動部隊の撃滅を下令した[48]。ラバウルの第四海軍航空隊第二十五航空戦隊からは一式陸上攻撃機3機、ツラギから横浜海軍航空隊の九七式飛行艇4機も加わり、珊瑚海の索敵を行った[49]。MO機動部隊では、原少将が航空参謀の西方索敵案を却下し、南方重視の索敵を指示した[50]。午前4時(06:00)、第五航空戦隊「瑞鶴」と「翔鶴」から偵察機12機(九七式艦上攻撃機各艦6機)が発進した[51]。午前5時30分頃(07:30)、「翔鶴」偵察機2機(柴田飛曹長機、大竹 一飛曹機)が米軍空母、油槽艦、重巡洋艦発見を報告する[52]。原少将は、自らの南方重視索敵が的中したことで勝利を確信したという[52]。午前6時15分(08:08)、「瑞鶴」から長嶋崎重少佐率いる37機(零式艦上戦闘機9、九九式艦上爆撃機17、九七式艦上攻撃機11)が発進、「翔鶴」から高橋赫一少佐率いる41機(零戦9、九九艦爆19、九七艦攻13)、両艦合計78機が発進した[53]。ところが翔鶴偵察機の報告はタンカーと空母の艦型を見間違えたことによる誤報であり、午前7時15分(09:15)前後にMO機動部隊第一次攻撃隊が到着した時、実際にいたのは空母ではなく駆逐艦「シムス」と給油艦「ネオショー」であった[54]。日本軍攻撃隊は「ネオショー」を放置し、幻の米軍機動部隊を求めて付近の捜索を行った[55]

午前6時50分(08:50)、衣笠・古鷹偵察機より翔鶴偵察機の報告位置とは全く違う地点にサラトガ型航空母艦出現の情報が入った[56]。MO機動部隊は、まず南方の米軍機動部隊を撃破し(ネオショーの誤認に気付いていない)、続いて西方の米軍機動部隊(第17任務部隊)を撃破するという方針をたてた[57]。午前8時(10:00)、2機の翔鶴索敵機は自分達が発見した「航空母艦」の正体が「タンカー」であることに気付いた[58]。翔鶴索敵機は午前8時35分(10:35)になって「わが蝕接せるは油槽船の誤り」と報告(第一報より3時間10分、艦爆隊到着より1時間33分後)した[59]。MO機動部隊は恐慌に陥り、攻撃隊に帰投命令を出すと、西方の米軍機動部隊へ変針した[60]。MO機動部隊第一次攻撃隊のうち雷撃隊は攻撃を行わず帰路につき、午前9時30分(11:30)九九式艦上爆撃機36機のみで急降下爆撃を行った[61]。この攻撃で「シムス」は轟沈、「ネオショー」には米軍記録直撃8発・至近弾8発があり、さらに被弾した瑞鶴隊1機が体当たりを行った[62]。航行不能となった「ネオショー」は漂流し、5月11日に駆逐艦「ヘンレー」によって処分された[63]。翔鶴索敵機2機は母艦にたどりつけずインデスペンサブル礁に不時着、搭乗員6名は救助に向かった駆逐艦「有明」に収容された[64]。MO機動部隊は九九艦爆2機、九七艦攻2機を失った。

祥鳳撃沈[編集]

魚雷が命中した空母「祥鳳

アメリカ海軍第17任務部隊では、(04:30)にSBDドーントレス索敵隊10機を発進させ、(06:25)に第17任務部隊から巡洋艦3隻・駆逐艦3隻からなるクレース隊を分離してジョマード水道へ派遣した[65]。クレース隊(重巡洋艦オーストラリア、シカゴ、軽巡洋艦ホバート、駆逐艦パーキンス、ウォーゲ、ファラガット)の任務は、第17任務部隊が敗れた場合、MO攻略部隊を攻撃して輸送船団を撃退することである[66]。午前6時頃(08:00)、北方へ退避する第十八戦隊と水上機母艦「神川丸」がB-17爆撃機の攻撃を受け、「神川丸」が小破した[67]。敷設艦「津軽」に対しても午前5時45分と午前10時30分にB-17少数機による爆撃があったが、損害はなかった[68]

午前7時35分(08:15)、ヨークタウン索敵機が「空母2隻、重巡洋艦4隻、全艦ヨークタウンの北西方向にあり」と報告、続いて周囲の索敵機が日本軍水上偵察機1機・雷撃機1機撃墜を報告した[69]。(09:25)、空母「レキシントン」から50機(F4Fワイルドキャット戦闘機10、 SBDドーントレス急降下爆撃機28、 TBDデバステーター雷撃機12)、空母「ヨークタウン」から42機(F4F 8、SBD 24、TBD 10)、合計92機が発進して日本軍機動部隊に向かい、艦隊には「レキシントン」にF4F8・SBD10、「ヨークタウン」にF4F 9・SBD 1・TBD 2が残された[70]。ところが(10:12)、豪州から飛来したB-17爆撃機2機が「空母1隻、輸送船10、その他艦艇16隻(MO攻略部隊)」の存在を発見、爆撃を行ったのち報告した[71]。つづいて九七式大艇(坂本大尉機)が第17任務部隊に接近し、迎撃に出動したF4Fが撃墜する[72]。直後にヨークタウン索敵機が帰還、先の「空母2隻、巡洋艦4隻」は『巡洋艦2隻、駆逐艦4隻』の送信ミスによる誤報と判明した[73]。フレッチャーは目標をMO攻略部隊に変更するよう指示している[74]。この時、MO攻略部隊は陸軍輸送船団の北北東25浬後方を航行していた[75]。五藤はMO機動部隊から米軍機動部隊発見報告(第五航空戦隊機密第857番電)を受信して空襲を受けることになると判断[76]、軽空母「祥鳳」の戦力(零戦9、九六式艦上戦闘機4、九七艦攻6)では対抗不可能のため、輸送船団司令官梶岡定道少将に北西への避退を指示した[77]。日本軍各隊は、油槽艦「ネオショー」を米空母と錯覚していたため、現段階で米軍機動部隊が2群乃至3群あると判断している[78]

午前9時頃(11:00)、米軍レキシントン攻撃隊は「右舷に小さな艦橋がある大型の翔鶴型航空母艦」(祥鳳の誤認)、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1もしくは駆逐艦1隻のMO攻略部隊を発見し、「祥鳳」も米軍攻撃隊の接近を認めた[79]。上空には旧式の九六式艦上戦闘機3機が直掩にあたっているだけだったが、彼らはSBDドーントレス1機を撃墜した[80]。「祥鳳」はレキシントン隊SBD 28機の急降下爆撃は全て回避したものの(米軍1発命中主張)[81]、空襲中に零式艦上戦闘機3機を発進させた時点でレキシントン雷撃機隊・ヨークタウン攻撃隊の雷爆同時攻撃を受ける[82]。排水量1万3000tの小型空母に爆弾13発・魚雷7本(米軍記録10本)が命中[83]。「祥鳳」は午前9時31分(11:35)に沈没、直掩戦闘機は3機がデボイネ基地に着陸したが、残る3機は行方不明となった[84]。米軍はSBD 3機、F4F 2機を喪失し、「祥鳳」撃沈の他に存在しない重巡洋艦1隻の撃沈も主張している[85]

まず日本軍空母1隻を葬ったフレッチャーだが、撃墜した日本軍飛行艇や、レーダーに映った水上偵察機により第17任務部隊の位置が日本軍に報告されたと判断、他の日本軍機動部隊から空襲を受ける可能性を考慮して残存MO攻略隊の重巡洋艦や輸送船団に米軍第二次攻撃隊を送らなかった[86]。「祥鳳」沈没の速報により、第四艦隊司令部に衝撃が走った。井上成美中将は、日露戦争初期に1日で戦艦2隻を失った東郷平八郎大将の心境を思い浮かべて平静を装ったが、動揺を隠せなかった[注 1][87]。後述する『カルフォルニア型戦艦1隻、重巡洋艦1隻撃沈、ウォースパイト型戦艦大破』の報告が入ると、井上は「しめた!」と叫んだ程である[88]

幻の戦艦撃沈[編集]

第17任務部隊の本当の位置を報告したのは、翔鶴偵察機ではなく衣笠水上偵察機だった。ラバウルの山田定義少将は、第四海軍航空隊元山航空隊に出撃命令を出し、ただちに一式陸上攻撃機12機(小林大尉隊、魚雷搭載)が発進した[89]。続いて九六式陸上攻撃機20機(石原大尉隊、250kg爆弾搭載)発進準備中に一式陸攻索敵機(古関機)から「戦艦2、大巡2、駆逐艦2。ジョマード水道に向かう」との報告が入る[90]。これは重巡洋艦「オーストラリア」を戦艦と誤認したものであった。ニューギニア沖海戦で空母「レキシントン」に護衛機なしの陸攻17機を向かわせ13機を撃墜された日本軍は陸攻に護衛戦闘機をつける必要性を認識し、ラエ基地の台南海軍航空隊から零式艦上戦闘機11機(中島少佐隊)を燃料切れによる不時着救助前提で発進させた[91]。午前7時45分にラエを発進した零戦11機は、午前10時55分に誘導機と接触、米艦隊へと向かった[92]

午前9時(11:00)にブナカナウを発進した元山航空隊九六陸攻20機は、午前11時28分にMO攻略部隊の上空を通過すると米軍機動部隊を索敵した[93]。午前11時45分、「神川丸」水上偵察機が「戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦5隻」の艦隊発見を報告、午前12時25分、九六陸攻1機がエンジン不調で反転した頃、第四海軍航空隊の索敵機が「航空母艦を発見せず。敵兵力は戦艦2、大巡1、駆逐艦3」を打電した[94]。クレース隊の旗艦/豪州重巡洋艦「オーストラリア」を英戦艦ウォースパイト」、米重巡「シカゴ」をカルフォルニア級戦艦と誤認したのである[95]。最初にクレース隊の上空に到達した部隊は台南空の零戦11機で、「戦艦1、巡洋艦2、駆逐艦3」と報告する[96]。零戦に対するクレース隊の砲撃により第二十五航空戦隊の一式陸攻隊は雲下の敵艦隊に気付き、2隊にわかれると挟撃雷撃を行う[97]。対空砲火で小林大尉/指揮官機を含む4機が撃墜され、クレース隊は被弾機の体当たりにより「オーストラリア」で火災が発生したものの、投下された魚雷を全て回避した[98]。四空は、「1隻が火災発生して左に傾斜、マストを水面にのぞかせるだけの艦」を報告し、さらに小関中尉/次席指揮官が「戦艦1隻撃沈」を平文で発信した[99]

クレース隊が一式陸攻雷撃隊に対空砲火を集中したため、午後12時30分頃(14:30)元山空の九六陸攻19機は余裕をもって水平爆撃を行った[100]マレー沖海戦では英国新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦レパルス」に爆弾を命中させた陸攻だが、本海戦の水平爆撃では1発の命中弾もない。彼らは「戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦2隻発見。重巡洋艦オーガスタ爆撃、爆弾2発命中」と報告したが、搭乗員も戦果に確証をもてなかったという[101]。この後、オーストラリアから飛来したB-17爆撃機がクレース隊を誤爆、ダグラス・マッカーサー陸軍大将は米海軍の抗議を黙殺し、誤爆の事実を隠蔽した[102]。午後12時49分(14:49)、デボイネ基地の水上機部隊指揮官は、米艦隊がクレース隊と空母機動部隊の二手に別れていることを掴み、「神川丸」に報告した[103]

日本軍攻撃隊は零戦11機がガスマタに不時着、四空の一式陸攻隊は隊長機を含む4機を喪失、次席指揮官小関中尉機はラエ基地に不時着、別の1機がデボイネ基地に不時着、ブナカナウ基地に到着したのは出撃時の半数6機であった[104]。帰投後の戦果分析で四空と元山空の戦果はさらに水増しされ『カルフォルニア型戦艦1隻轟沈、英重巡キャンベラ型1隻傾斜火災沈没の算大なり、ウォースパイト型戦艦1隻大破停止沈没の算大』となった[105]。四空はクレース隊を8隻と認識しており、元山空は攻撃終了時に6隻残存と明確に報告したため、消えた戦艦2隻が沈没判定とされたのである[106]。山田少将は戦果に疑問を抱いたが、幻の米戦艦撃沈・英戦艦大破という大本営発表を訂正することは出来なかった[107]

日本軍機動部隊航空隊、薄暮攻撃の失敗[編集]

午前11時(13:00)からMO機動部隊は第一次攻撃隊の収容を開始する[108]。「ネオショー」を爆撃した艦爆隊の収容は遅れ、収容完了は午後1時15分(15:15)だったという[109]。午後12時(14:00)、原は各隊に米軍機動部隊の正確な位置情報を求めた。すると各隊から次々に敵情報が入った[110]。情報を検討したMO機動部隊は、敵艦隊まで距離380浬と推定[注 2][111]。午後1時(15:00)距離の関係から7日中の攻撃を行わないと日本軍各隊に発信し[注 3]、井上中将を含め日本軍各部隊を失望させている[112]

日本軍MO機動部隊は第一次攻撃隊を収容すると同時に索敵機4機を放ったが、米軍機動部隊の情報はなかった[113]。すると青葉索敵機より米軍機動部隊が北西方向への航行をやめて反転し、MO機動部隊との距離が縮まったという情報が入った[114]。午後3時20分の神川丸水偵結果[注 4]、午後4時35分の九七式飛行艇偵察結果[注 5]、いずれもクレース隊の位置報告であったが、原は第17任務部隊の空母2隻の位置情報と信じている[115]。午後4時30分(18:30)の時点で米軍機動部隊はMO機動部隊の攻撃圏内に入るが、薄暮攻撃になり帰艦は夜となるため三重野武航空参謀と大谷藤之助通信参謀は慎重論を唱え、山岡三子夫先任参謀は攻撃を主張、原忠一少将は先任参謀の強硬論を採用した[116]下田久夫飛行長が瑞鶴搭乗員に作戦を説明したところ多くの者は出撃に賛同したが、艦攻搭乗員の中には護衛戦闘機のない攻撃に懸念を表す者もいた[117]。攻撃にあたっては、夜間着艦可能な熟練者のみを選抜している[118]。午後2時15分(16:15)、「瑞鶴」から艦攻9機・艦爆6機、「翔鶴」から艦攻6機・艦爆6機、計27機の攻撃隊が発進した[119]

米軍第17任務部隊の周辺海域は雲が多く、しばしば豪雨があり、ツラギ基地を発進した九七式飛行艇(魚雷装備)も悪天候のため引き返している[120]。その天候でも、レーダーは接近する航空機群を探知、空母「レキシントン」からF4Fワイルドキャット9機(哨戒機含む)、「ヨークタウン」からF4F 11機が発進、25浬まで接近したMO機動部隊薄暮攻撃隊の迎撃に向かった[121]。午後4時10分(18:10)から約10分間の戦闘で800kg航空魚雷を搭載した九七式艦上攻撃機16機は「レキシントン」のF4F 2機撃墜と引き換えに艦攻8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、動揺した瑞鶴艦攻隊の佐藤大尉は暗号を組まず『攻撃隊、敵戦闘機のため全滅す。われ索敵中』の第一報を発信した[122]。艦攻隊は四散してMO機動部隊に帰投したが、瑞鶴艦攻1機(横枕機)は第17任務部隊の空母2隻を視認、だが既に魚雷を捨てていたため、見送るしかなかったという[123]。翔鶴艦攻隊の損害には『操縦員戦死、偵察員操縦中』の電文を発信し、「翔鶴」付近で不時着行方不明になった荻原大尉機も含まれている[124]

艦爆隊は約10分間の空戦において損害を受けず、逆に「ヨークタウン」のF4F 1機(ベイカー中尉機)が未帰還となり、日没により帰還不能となることを恐れた米軍戦闘機隊は日本軍艦爆隊を放置して避退した[125]。日没6分後、高橋少佐/艦爆隊長は爆弾を投棄して帰投を命じ、約40分後に空母2隻を発見して「着艦ヨロシキヤ」と信号を送った[126]。「着艦ヨロシイ」の返答があって九九艦爆が「ヨークタウン」と「レキシントン」着艦体勢に入ったところ、日本軍・米軍双方が相手の正体に気付いた[127]。上空には日本軍艦爆隊の他に米軍戦闘機隊も着艦のため空中待機しており、日本軍艦爆隊は母艦へ戻るF4Fを味方機と誤認してついてきたという見解もある[128]。「ヨークタウン」のデイヴィス砲術長は「総員、斬り込み隊に備え」という命令を出したが、既に爆弾を捨てていた日本軍艦爆隊は退避するのが精一杯であった[129]。対空砲火で瑞鶴艦爆1機が撃墜されたが、日本軍艦爆隊は米軍戦闘機の追撃を振り切って帰投した[130]。高橋少佐は着艦すると翔鶴幹部に米軍機動部隊「サラトガ型空母、ヨークタウン型空母、戦艦1隻」が100浬(185km、九七艦攻で30分)で行動していることを訴えている[131]

日本軍MO機動部隊の薄暮攻撃は、艦爆12機中1機(瑞鶴1)、艦攻15機中8機(瑞鶴5、翔鶴3)を喪失、他にも被弾機を出して失敗した[132]。MO機動部隊の使用可能航空戦力は、空母「瑞鶴」(零戦19、艦爆14、艦攻12)、「翔鶴」(零戦18、艦爆19、艦攻14)の合計96機、第17任務部隊は空母「ヨークタウン」(艦戦14、艦爆32、艦攻9)、「レキシントン」(艦戦17、艦爆34、艦攻12)の合計118機となり、航空戦力比で逆転していた[133]。水上偵察機部隊も連日の索敵で消耗し、零式水上偵察機6、零式観測機3、九五式水上偵察機3となっている[134]。MO攻略部隊指揮官五藤存知少将は攻略部隊の北方退避と「祥鳳」生存者の救出を行うことを井上中将に通知した[135]

2つの大失態を犯した原少将は「海軍をやめる」と自責の念にかられている[136]。その一方、井上中将の第四艦隊が「その位置に誤りなきや」と問い合わせてきた際には「敵機動部隊は『サラトガ』型1及び『ヨークタウン』型1、其の他艦船数隻にして、他隊発見のものと別個のものとは認め難き」と返電し、第四艦隊司令部の情報を信用せず独力で索敵を行うことを告げた[137]

午後8時40分、井上は第四艦隊機密第378番電で以下の内容を伝達した[138]

  1. 今夜の夜戦決行を取止む。
  2. 各隊は予定の計画に基き「ポートモスレビー」攻略作戦を続行すべし。但し「ポートモスレビー」攻略日をX+2に改め、第六戦隊第二小隊(加古・古鷹)をMO機動部隊に加ふ。
  3. MO機動部隊は機宣行動、明八日黎明捕捉撃滅すべし。

米軍第17任務部隊では、空母「レキシントン」のレーダーが帰投する日本軍艦爆隊を追尾、30浬の地点で一つずつ消えていくのを確認した(実際の距離は95浬)[139]。シャーマン艦長は駆逐艦による夜間襲撃を意見具申したがフレッチャーに却下され、第17任務部隊は南東へ向かい、続いて西に向かった[140]。MO機動部隊も北上し、両軍機動部隊は遠ざかっていった[141]。日本軍は艦隊を再編成し、五藤少将の第六戦隊から重巡洋艦「加古」「古鷹」をMO機動部隊に編入、第六戦隊と第十八戦隊が合同することになった[142]

5月8日[編集]

両軍攻撃隊発進[編集]

5月8日、第17任務部隊の上空にあった寒冷前線は北上してMO機動部隊の方向に移動し、第17任務部隊の周辺は晴れ渡った[143]。第17任務部隊は「レキシントン」のSBDドーントレス18機を、MO機動部隊は九七式艦上攻撃機7機(瑞鶴3、翔鶴4)を索敵に投入した[144]。第五戦隊・第六戦隊が現在艦載中の水上偵察機は、悪天候のため使用できないとの連絡が原忠一少将の元に寄せられた[145]デボイネ基地に派遣していた第六戦隊所属機、「神川丸」「聖川丸」の水上偵察機は索敵を実施したが、神川丸所属機1機が米軍戦闘機に撃墜された[146]横浜海軍航空隊からは九七式飛行艇3機が午前4時30分にツラギを発進、第17任務部隊近くでF4Fワイルドキャット戦闘機により1番機が撃墜され、2番機はP-40カーチス戦闘機に攻撃されて退避、3番機は特に発見もなく帰投した[147]。日本軍MO機動部隊からは午前4時20分(07:20)に九七艦攻7機(瑞鶴3、翔鶴4)が発進[148]。午前6時22分(08:25)、翔鶴索敵機(機長菅野兼蔵飛曹長)は米軍機動部隊を発見、正確な位置情報を発信した[149]

翔鶴索敵機が第17任務部隊を発見したのと同時刻、レキシントン索敵機(ジョセフ・G・スミス中尉機)がMO機動部隊を発見、第17任務部隊(米軍機動部隊位置、南緯14度23分、東経154度32分)に日本軍機動部隊の位置を報告する[150]。フレッチャー少将は情報の確実性を求めるため詳細な第2報を待って攻撃隊発進を命じる[151]。(08:48)、空母「ヨークタウン」(F4Fワイルドキャット戦闘機6、SBDドーントレス急降下爆撃機24、TBDデバステーター雷撃機9)、空母「レキシントン」(F4F 9、SBD 22、TBD 12)、合計73機の攻撃隊が発進した[152]。同時にフレッチャーはマッカーサー将軍にも日米双方の位置情報を打電したが、陸軍航空隊の支援は期待できなかった[153]。陸上基地航空隊の支援が期待できなかったのは日本軍も同様であり、第二十五航空戦隊司令官山田定義少将は第四艦隊司令長官井上成美中将の出撃要請を「天候不良にて攻撃中止」の理由で拒否した[154]。山田少将は第十一航空艦隊塚原二四三中将)に所属し、指揮系統の違う第四艦隊と井上は山田に出撃を命令できなかった[154]

午前7時30分(09:30)、空母「瑞鶴」から嶋崎重和少佐率いる31機(九七艦攻8、九九艦爆14、零戦9)、空母「翔鶴」から高橋赫一少佐(攻撃隊隊長)率いる38機(九七艦攻10、九九艦爆19、零戦9)、両空母合計69機(零戦18、艦爆33、艦攻18)の攻撃隊が進軍を開始した[155]。続いて直衛隊(瑞鶴3、翔鶴7)が発進、両空母合計19機の零戦が米軍攻撃隊を待ち受けた[156]。レーダーのないMO機動部隊は、前日の第17任務部隊のように敵機の早期発見・迎撃機の的確な誘導は望めなかった[157]

翔鶴炎上[編集]

爆撃を受ける空母「翔鶴」

米軍攻撃隊は悪天候により戦闘機3、急降下爆撃機18(ウォルドン・L・ハミルトン少佐・レキシントン隊)、雷撃機1が脱落して帰投した[158]。第17任務部隊攻撃隊は途中で日本軍MO機動部隊攻撃隊と遭遇、お互いを無視し、それぞれの母艦を叩くため進撃した[159]。8時30分(10:30)頃、ヨークタウン攻撃隊は空母「瑞鶴」と「翔鶴」を発見、第5爆撃機中隊17機(ウォーレス・C・ショート大尉)と第5哨戒機中隊7機(ビル・バーチ少佐)は魚雷を抱いて速度の出ない第5雷撃隊(ジョー・テイラー少佐)と戦闘序列を組むため、上空を旋回した[160]。この間に「瑞鶴」はスコールの下に入り、「翔鶴」は「瑞鶴」からの旗艦信号がないため独自行動を余儀なくされ、両空母の間は8~9kmも離れた[161]。MO機動部隊の陣形は混乱しており、第五戦隊重巡洋艦「妙高」「羽黒」は空母の前方8km、空母2隻にそれぞれ駆逐艦2隻が護衛につき、合流したばかりの第六戦隊重巡洋艦「加古」「古鷹」は『航空戦隊の後方5キロに続行せよ』の命令に従って離れていた[162]。ヨークタウン攻撃隊はスコールに隠れた「瑞鶴」ではなく、後方の「翔鶴」に狙いを定めた。午前9時(11:00)バーチ隊7機は日本軍直掩戦闘機隊の妨害をふりきって「翔鶴」に急降下爆撃を行うも、命中弾はなかった。離脱するバーチ隊は、戦闘中に「翔鶴」を発艦した安部特務少尉と川西 一飛曹の零戦に攻撃されて全機が被弾・1機が不時着、一方で防御火砲により安部機に損傷を与えて不時着に追い込んだ[163]。バーチ隊は零戦4機撃墜を主張した[164]。続いてショート隊17機は翔鶴戦闘機隊5機、岩本徹三一飛曹率いる瑞鶴戦闘機隊3機に襲われたが、チャールス・R・フェントン少佐のF4F 6機が突入して混戦となった[165]。乱戦を抜け出したショート隊はバーチ隊に続いて急降下爆撃を行い、SBD 2機喪失と引き換えに「翔鶴」に450kg爆弾2発命中という戦果をあげた[166]。それに加えて、ショート隊は零戦5機撃墜を主張した[167]。「翔鶴」はエレベーターの陥没や飛行甲板の破壊により、艦載機の運用が不可能となった[168]。特に艦首前甲板左舷に命中した1発はガソリン庫に引火し、黒煙が全艦を包み込んだ[169]。2分後、テイラー少佐の雷撃隊9機が接近、すると2機の零戦が妨害を行い、テイラー隊は距離2000mで魚雷9本を投下して退避した[170]。米軍側は、この零戦2機はF4Fによって撃墜されたと主張している[171]。激しく炎上する「翔鶴」だが機関は無事であり、魚雷を全て回避、だがテイラー隊は『翔鶴に魚雷3本が命中、大火災を起こして沈没確実』と報告した[172]。ヨークタウン攻撃隊は「翔鶴」を撃沈したと信じ、零戦合計12機撃墜を記録、SBD 3機喪失・大破9・小破6、TBD 大破1・小破2の被害を出した[173]

ヨークタウン攻撃隊に遅れること45分、悪天候のため前述のハミルトン少佐隊が引き返し、半数以下に減少した「レキシントン」攻撃隊21機(F4F 4、SBD 4、TBD 11)が嵐の中で「翔鶴」を発見した[174]。既に米空母「サラトガ(本当はレキシントン)」を撃沈したと信じていた原忠一少将と参謀達は、「翔鶴」の無事を願うしかなかった[175]。オールト中佐以下SBD 4機の急降下爆撃は完全に奇襲となり、「翔鶴」艦橋後方の信号マスト付近に1発が命中して格納庫で火災が発生した[176]。オールト隊は零戦の追撃を受け、護衛のF4F 2機は撃墜され、SBD 2機のみ帰還、オールト中佐機は零戦を振り切ったものの被弾しており、帰路途中で不時着・戦死した[177]。続いてジェームズ・H・ブレッドJr少佐の雷撃隊とノエル・ゲイラー大尉の戦闘機隊4機が「翔鶴」に接近、すると零戦隊の迎撃によりゲイラー機を除くF4F 3機が撃墜されたが、雷撃隊に被害はなかった[178]。日本側は宮沢武男一飛曹の零戦がTBDに体当たりしたと記録しているが、TBDは不時着1機をのぞいて10機が生還しており、実際にはF4Fと衝突した可能性が高い[179]。ブレッド隊は「翔鶴」に魚雷5本命中撃沈確実・日本軍無線傍受により沈没したと報告し、これで「翔鶴」は2回沈んだことになる[180]

合計3発の450kg爆弾が命中した「翔鶴」は沈没こそしなかったが、飛行甲板は完全に使用不能となり、戦死者76、行方不明33、戦傷者114を出した[181]。瑞鶴零戦隊は10機が発進して被弾4・被撃墜なし、米軍機24機撃墜を主張している[182]。翔鶴零戦隊の被害は大きく、9機が発進して2機を喪失、3機が被弾と燃料切れで不時着、米軍機21機撃墜を主張している[183]。第17任務部隊攻撃を終えて帰還した「翔鶴」搭載機は「瑞鶴」に降りることになった。だが早く甲板を空けるために修理可能な損傷機をも海中投棄せざるをえなくなり、生還しながらも失われた機体が増加してしまった。「翔鶴」は重巡洋艦「加古」「古鷹」、駆逐艦「潮」「夕暮」に護衛され、北上して戦場を離脱した[184]。午後12時20分、「潮」は燃料補給のため補給点に向かい、午後4時には第六戦隊が護衛を打ち切ってMO機動部隊に合流した[185]

井上成美中将と第四艦隊は日米機動部隊決戦の蚊帳の外に置かれており、「サラトガ撃沈」「サラトガ撃沈は取消し、待て」「サラトガ、エンタープライズ…待て待て」「味方、敵主力を攻撃しつつあり」といった電文を傍受して一喜一憂するしかなかった[186]。特に『サラトガ撃沈』の誤報を全海軍に打電したため、井上と第四艦隊は面目を失っている[187]

日本軍機動部隊の攻撃[編集]

炎上中の空母レキシントン
気化ガソリンに引火し大爆発を起こしたレキシントン

第17任務部隊を発見した翔鶴索敵機(菅野機)は帰投中に日本軍攻撃隊69機と合流、増装タンクを装備していなかった同機は燃料切れを覚悟で誘導を行った[188]。午前9時15分(11:05)、日本軍攻撃隊69機は母艦を発進して約2時間後に第17任務部隊を視認した[189]。第17任務部隊は日本軍MO機動部隊とは対照的に、それぞれの空母を中心に2つの輪形陣を形成している[190]。「レキシントン」のレーダーは20分前から日本軍攻撃隊を捉えていたが、戦闘機隊との連携ミスで有効に生かせなかった[191]。この時、第17任務機動部隊上空にF4Fワイルドキャット8機があり、空母2隻の飛行甲板で合計9機が待機、艦隊に残されたSBDドーントレス23機のうち16機(ロジャー・ウッドハル大尉)が空中待機している[192]。SBDは雷撃隊阻止のために海面付近に配備されていたが、日本軍雷撃隊の速度をTBDデバステーターと同じ程度と想定しており、TBDより高速の九七艦攻が頭上を通過するのを見送るしかなかった[193]。雷撃隊の阻止に失敗したウッドハル隊は零戦隊と交戦、零戦4機撃墜を主張し、SBD 4機が撃墜された[194]

最初に瑞鶴雷撃隊8機が空母「ヨークタウン」を、翔鶴雷撃隊10機が空母「レキシントン」を狙った[195]。瑞鶴雷撃隊はF4F 2機に攻撃され、第二中隊から井手原機が撃墜され、第二中隊は「ヨークタウン」を攻撃できなかった[196]。「ヨークタウン」は嶋崎少佐以下4機の九七艦攻を迎撃、対空砲火で樋渡機を撃墜し、投下された魚雷4本も全て回避した[197]。樋渡機は「敵軽巡に突入」と記録されたが、実際は海面に激突している[198]。瑞鶴雷撃隊のうち、井出原機を失った第二中隊3機は米艦隊の位置関係が変化して「レキシントン」に目標を変更、翔鶴雷撃隊10機と合流、13機で「レキシントン」を雷撃することになった[199]。「レキシントン」は瑞鶴第二中隊から山田機を5インチ主砲で撃墜、翔鶴雷撃隊から3機を撃墜した[200]。このうち被弾炎上した矢野機は「レキシントン」一番砲塔の下部に体当たりしている[201]。一方、投下された魚雷は左舷に2本が命中(日本軍は魚雷9本命中と誤認)、速力25ノットに低下、左に7度傾斜し、第2・4・6ボイラー室が浸水使用不能となった[202]

続いて午前9時15分、翔鶴艦爆隊19機が空母「レキシントン」を、瑞鶴艦爆隊14機が「ヨークタウン」を攻撃した[203]。米軍第2戦闘機中隊4機(フレッド・ボリスJr大尉)と第42戦闘機中隊2機(アーサー・J・ブラスフィールド中尉)は翔鶴零戦隊に阻まれて翔鶴艦爆隊の阻止に失敗、ブラスフィールドは零戦1機・艦爆1機撃墜を主張した[204]。ヨークタウン所属F4F(フラットレイ機)は九九艦爆と九七艦攻2機以上を撃墜し、続いてSBD隊を掩護して零戦1機の撃墜を主張した[205]。クロメリン機は零戦3機撃墜を主張し、自らも被弾して不時着水した[206]。瑞鶴零戦隊は9機中1機が帰投中デボイネに不時着、ドーントレス14機を含む29機撃墜を主張した[207]。翔鶴零戦隊は9機全機が母艦に帰投し、ドーントレス6機を含む31機撃墜を記録した[208]

上空で激しい空中戦が繰り広げられる中、空母「レキシントン」は午前9時18分(11:18)から(11:30)まで12分間の戦闘で魚雷2本、250キロ爆弾2発命中、至近弾5発を受けた[209]。この時爆弾命中による5インチ砲弾誘爆を目撃した日本軍機は、午前9時25分(11:25)に『サラトガ撃沈』と発信した[210]。だが「レキシントン」は未だ健在であり、浸水を食い止め、火災も鎮圧した。一方、被雷によって漏れだしたガソリンが気化して引火、大爆発を起こして消火不能となった。「レキシントン」は駆逐艦「フェルプス」の雷撃により自沈した(詳細は後述)。

空母「ヨークタウン」は九七艦攻3機、九九艦爆14機に襲撃されて艦攻1機・艦爆2機を撃墜し『艦攻9機に襲撃され8機を撃墜、艦爆5機を撃墜した』と記録した[211]。日本軍の命中主張9発に対し、実際の命中弾は250kg爆弾1発だけであったが、艦首至近距離の海面に自爆1機、至近弾3発が船体の接合部を緩めてしまい、燃料が漏れ出した[212]。命中した250kg爆弾は飛行甲板を貫通後、1.5インチ鋼鉄装甲の第4甲板で爆発、火災による黒煙とガスで機関科ボイラー員は持ち場から脱出した[213]。3つの罐室が損傷するも、決死隊の応急措置により「ヨークタウン」は24ノット発揮可能となった[214]。応急処置で燃料漏れはおさえたものの、給油艦「ネオショー」を失っていた「ヨークタウン」は、5月10日にトンガタプ島に投錨した時点で保有燃料を使い果たしていた[215]。「ヨークタウン」はこの地で英国商船から燃料を補給してもらい、乾ドックで本格的修理をするために真珠湾へ向かった[216]

燃料切れを覚悟で誘導をおこなった菅野兼三飛曹長の九七艦攻翔鶴索敵機は未帰還となった。米軍によれば、ヨークタウン隊のF4Fワイルドキャット2機(ウィリアム・S・ウォーレン中尉、ジョン・P・アダムス少尉)は単独でMO機動部隊へ向かう九七艦攻を発見して撃墜したが、この機が菅野機である可能性が高い[217]。同じように翔鶴の佐藤機・石川機もF4Fに襲われ、石川機は「瑞鶴」着艦後に投棄処分、佐藤機は不時着して搭乗員3名は海上に脱出したものの駆逐艦「白露」の捜索でも発見できず、行方不明となった[218]高橋赫一少佐機は単独で帰投中、SBDドーントレス1機とウィリアム・N・レオナルド中尉のF4Fに襲われた[219]。米軍戦闘機が接近しても回避行動をとらず後部機銃で反撃しなかったことから、高橋少佐と野津特務少尉/後部銃座手の両者は既に重傷を負っていた可能性がある[220]

第17任務部隊は直衛戦闘で零戦22、爆撃機11、雷撃機31撃墜、合計66機撃墜と主張[221]。実際には、日本軍攻撃隊は69機が出撃し、不時着機や処分機をふくめ約半数を喪失した。「瑞鶴」は艦爆2機、艦攻5機を戦闘で失った[222]。「翔鶴」は高橋少佐を含む艦爆7機、艦攻5機を戦闘で失った[223]。「瑞鶴」は零戦8、艦爆12(2機使用不能)、艦攻4を収容後、「翔鶴」隊の零戦9、艦爆7、艦攻6を収容した[224]。さらに着艦後に12機を海中投棄した[225]。また飛行甲板前部を大きく損傷した「翔鶴」に着艦した零戦1、艦爆1は、発艦不可能のため戦力とはならない[226]。他に、零戦6、艦爆7、艦攻1が不時着して救助されている[227]。即時使用可能兵力は8日午後6時の報告で、零戦24、艦爆9、艦攻6、修理後使用可能零戦1、艦爆8、艦攻8[228]、9日午後には零戦24、艦爆13、艦攻8である[229]戦闘詳報では以下の戦果を報じた[230]

(イ)サラトガ型空母撃沈、ヨークタウン撃沈確実。(ロ)戦艦1雷撃に依り重油流出すると共に大火災を生ず。(ハ)巡洋艦1の後部に艦攻1機魚雷を抱きたるまま衝突発火、火災、左に傾斜。(ニ)敵機撃墜機数:味方部隊に依り敵機第一次30機(雷爆)、第二次35機(雷爆)、第三次10機中グラマン戦闘機13(内2不確実)、カーチス爆撃機及ダグラス雷撃機15(内1不確実) 。敵上空にて空戦に依るもの:グラマン戦闘機32(内2不確実)、カーチス爆撃機17(内3不確実)。

日本軍攻撃隊は、「サラトガ(レキシントン)」に爆弾10発・魚雷9本命中、「ヨークタウン」に爆弾8発・魚雷3本以上命中撃沈確実と米軍と同じように戦果を誤認、他にも米戦艦1隻と巡洋艦に魚雷命中と報告しているが、対応する艦は存在しない[231]。実際の米軍損害は、MO機動部隊上空(不時着機のぞく)で「F4Fワイルドキャット戦闘機8、SBDドーントレス爆撃機3、TBDデバステーター雷撃機1」撃墜、第17任務部隊上空で「ワイルドキャット6、SBDドーントレス15」合計33機である[232]

日本軍機動部隊攻撃断念[編集]

空母「翔鶴」は爆弾命中により着艦不能となっていたため、翔鶴攻撃隊と瑞鶴攻撃隊の双方が「瑞鶴」1隻に群がって着艦した。飛行甲板を常に着艦可能状態とするため、整備長は損傷の大きな機体の海中投棄を命令した[233]。佐藤善一大尉が「私の機が最後です」と報告するとMO機動部隊司令部は「しまった、捨てすぎたか」と狼狽した[234]原忠一少将は攻撃隊の被害を見て「これじゃ、とてもできんな」と呟いており、参謀達も攻撃機の激減[注 6]により追撃の意思を揺るがせており[235]、目前で炎上する「翔鶴」と攻撃隊の惨状に、司令部は次の作戦を考慮する余裕を失っていた[236]。下田中佐/飛行長は搭乗員達の疲労の深さに、第二次攻撃は中止すべきと判断していた[237]。加えてMO機動部隊は搭乗員の救出に駆逐艦「白露」を分派、避退する空母「翔鶴」の護衛に重巡洋艦「加古」「古鷹」・駆逐艦「潮」「夕暮」を分派、空母「瑞鶴」に随伴する護衛艦は重巡洋艦「妙高」「羽黒」と駆逐艦「有明」「時雨」のみであり、その護衛艦も残燃料5-6割になっていた[238]。原は高木武雄中将に『戦線整理』を意見具申、これを受けて高木は「攻撃隊は一一〇〇頃より逐次帰着、兵力整理中なるも、本日第二次攻撃の見込なし」と連合艦隊司令部に報告したあと、「第五航空戦飛行機収容、兵力整頓並に緊急補給の上改めて攻撃を再興せんとす」として北上を決定した[239]。ツラギ基地からは横浜海軍航空隊九七式飛行艇3機が魚雷を抱えて出撃したが、会敵しなかった[240]。MO攻略部隊輸送船団は午後3時から午後4時にかけてB-17少数機の爆撃を受け、機銃の事故で「津軽」に負傷者5名が出た[241]

宇垣纏連合艦隊参謀長の陣中日誌「戦藻録」には、原が宇垣に直接語った心境として『七日の日は天運に恵まれず、海軍を罷めんと考えたり。翌八日漸く敵に損害を与え得たるも、我も亦傷つき、北上せよと云はるれば喜んで北上し、攻撃に行けと云はるれば行くと云ふ状況にて、戦果の拡大の事も頭にはありたるも、之を断行するの自信無かりし』と記述されている[242]。「米海軍大学校研究」では、原について「意思が弱く、苦境になると盲目的になる。(中略)全力を尽くさない軍人としての意思の欠如は、日本軍の勝利に貢献しないだろう」と酷評している[243]

井上中将の第四艦隊司令部は米空母2隻撃沈確実との報告を受け、MO機動部隊に対し「総追撃」を下令すべく電文の作成にかかった[244]。すると入れ違いでMO機動部隊より「われ北上す」の電報が届き、井上はMO機動部隊の判断を受け入れて正式に撤退を命じた[245]。MO作戦は7月3日まで延期となった[246]山本五十六の連合艦隊司令部は井上が独断で撤退命令を出したと判断し、追撃を厳しく命令した[247]。午後9時、第四艦隊司令部から「此の際極力残敵の殲滅に努むべし」と追撃命令が出たため空母「瑞鶴」は再び南下したが、米軍と会敵しなかった[248]

米軍機動部隊の撤退[編集]

米軍攻撃隊の誤報により日本軍正規空母2隻を撃沈したと錯覚した第17任務部隊は勝利を確信した。航空隊の報告によれば、正規空母1隻撃沈、もう1隻に1000ポンド爆弾3発・魚雷5本命中沈没確実、零戦5、爆撃機3を撃墜、第17任務部隊直衛戦闘で零戦22、爆撃機11、雷撃機31を撃墜という大戦果である[249]。ところがレキシントン攻撃隊が無傷の「瑞鶴」を目撃したため、計算外の正規空母1隻が存在することになり、フレッチャーは南太平洋方面部隊に偵察を依頼すると、珊瑚海から退避することを決定した[250]

この時点で空母「ヨークタウン」の飛行甲板修理は完了、空母「レキシントン」の火災も大部分が鎮火して傾斜復元に成功し、直衛戦闘機隊・艦爆隊の着艦・補給・発艦を開始するが[251]、その時、「レキシントン」の艦内に充満していた気化ガソリンが発電機か電気のスパークによって引火・爆発が発生した[252]。配電盤が故障して通信機能が麻痺、続いて応急指揮所が全滅、5インチ砲弾弾薬庫が誘爆、(12:59)にはSBD 9機、F4F 5機を発艦させたが、(13:19)の爆発で操舵室と機械室の放棄を余儀なくされた[253]。断続的に爆発が発生し、「レキシントン」は航行不能となった[254]。(17:10)総員退去命令が出て乗組員は脱出を開始、(19:56)に駆逐艦「フェルプス」が雷撃処分した[255]

9日、フレッチャー少将は戦場を離脱した。日本軍水上偵察機部隊は不時着機の捜索を行い、米陸軍航空隊のB-17が各地の日本軍基地を爆撃したが、大規模な戦闘には発展しなかった[256]。5月10日、米国海軍省は「日本艦艇撃沈確実25隻、撃沈おおむね確実5隻、撃沈やや確実4隻」と発表[257]、これを受けてニューヨーク・タイムズ紙は『太平洋上の大海戦にて日本軍撃退される。軍艦17隻ないし22隻撃沈破、敵艦隊遁走、連合国艦艇追撃中』と発表、アメリカ国民は大本営発表に喝采をおくった[258]。5月15日、横浜空飛行艇が「ホーネット型空母2隻」を発見したが、戦闘には発展していない[259]。同日、潜水艦「伊29」は『大破した戦艦「ウォースパイト」(重巡洋艦オーストラリア)がシドニー湾に入港した』と報告、日本海軍は特殊潜航艇甲標的」を投入し、5月30日にシドニー湾攻撃をおこなっている[260]。MO機動部隊は5月16-17日、トラックに帰着した[261]。5月17日、空母「翔鶴」は日本に戻り、呉に入港した[262]

結果と影響[編集]

日本海軍はこの戦いで海からのポートモレスビー攻略を断念した。井上成美中将と第四艦隊が、残った空母「瑞鶴」一隻の航空兵力だけでは、上陸作戦を援護するには不十分と判断したからである。また井上が機動戦について一撃離脱をすべきと考えていたことも影響している[263]。しかしこの判断は、戦略的大失敗であったとされる[264]。米軍第17任務部隊は戦力を喪失して戦場を去り、珊瑚海へ向かっていた第16任務部隊(空母エンタープライズ、ホーネット)にも真珠湾への退避命令が出ており、攻略部隊のポートモレスビー上陸を防ぐことができなかったからである[265]。ポートモレスビーが連合国の手に残ったことで、日本海軍の根拠地・ラバウルは連合軍爆撃機の航続距離圏内に残り、常に連合軍の空襲にさらされることになった。この結果、ラバウル航空隊が後方で編成および補給を行う際などにはトラック諸島まで戻らなくてはならず、日本海軍にとって作戦遂行上の大きなハンデとなった。また海上からのルートが閉ざされ、機動部隊の支援が得られなくなったにもかかわらず、日本陸軍は困難が予想されていた陸路からのポートモレスビー作戦を強行し、投入された南海支隊は補給の途絶する中、連合軍の大規模な反撃により、事実上壊滅することとなった。

以上のような点から、米軍機動部隊に勝利したにも関わらず作戦中止を命じた第四艦隊司令長官井上成美中将は「戦下手」という致命的な評価を受けてしまう。真珠湾攻撃マレー沖海戦スラバヤ沖海戦セイロン沖海戦など緒戦の連戦連勝の中で、本海戦は日本海軍が初めて作戦を途中で中止した戦いだった。井上は史上初の空母機動部隊決戦における片方の総指揮官となり、寄せ集め部隊を率いて、手探りで戦いを進めるしかなかった[266]。5月8日の海戦では、命令系統の違う陸上基地航空隊に出撃要請を出して拒否されたほどである[154]。斟酌できる点は充分にあったが、井上に対して批判的だった軍令部や宇垣纏連合艦隊参謀長はおろか、連合艦隊司令部、山本五十六連合艦隊司令長官、永野修身軍令部総長からも批判を受け、最終的に昭和天皇から「井上は学者だから、戦は余りうまくない」と評された[267]嶋田繁太郎海軍大臣に至っては井上の将官人物評で「戦機見る明なし。次官の望みなし。徳望なし。航本の実績上がらず。兵学校長、鎮長官か。大将はダメ」と酷評した[268]土肥一夫少佐によれば、連合艦隊司令部の電報綴には井上と第四艦隊に対する罵倒の赤字が書き殴られていた[269]

一方でアメリカ海軍にとってもこの海戦の損害は甚大であった。すでにこの年のはじめには空母「サラトガ」が日本海軍潜水艦の攻撃で損傷し、この海戦で「レキシントン」を失ったため、次のミッドウェー海戦で戦力を100パーセント発揮できるのは「エンタープライズ」と「ホーネット」だけという苦境に立たされた。しかし、損傷した「ヨークタウン」は真珠湾に帰港し、復旧には3か月かかるであろうと診断された損傷を不眠不休の突貫工事で応急修理、数日で戦闘可能な状態に復帰すると、アメリカ本土へ後退した「サラトガ」の艦載機を載せてミッドウェー沖に出撃した。日本軍は、航空隊の再編成のため無傷の空母「瑞鶴」を後方にとどめており、日本海軍が総力を挙げるはずのミッドウェー作戦に参加させなかった。

さらに日本側は攻撃隊の「空母二隻撃沈」の報を十分に確認することなく、井上成美中将は第四艦隊司令長官名で正式に連合艦隊司令部に報告した[270]。のちに軍令部・連合艦隊司令部・南雲機動部隊司令部はこれを判断基準にミッドウェー海戦を戦った。つまり米空母は現れても2隻と思っており、2隻なら積極的に打って出る確率は低いと思っていた。また、ミッドウェー海戦で沈んだ「ヨークタウン」もはじめ同型艦の「エンタープライズ」か「ホーネット」だと思い込んでいたため、「ヨークタウン」は思わぬ伏兵となり、ミッドウェーでのアメリカ海軍の勝因のひとつとなった、とも言われている(詳細はミッドウェー海戦を参照)。ただし日本海軍は「エンタープライズ」と「ホーネット」の他に空母「ワスプ」と軽空母が出現する可能性を検討していた。

日本にとって厳しい見方をすれば、真珠湾攻撃の中途半端な成功以後[注 7]、アメリカ太平洋艦隊の撃滅という戦略目標を見失い、戦略的に決定的な意義を持たぬインド洋作戦や本作戦であたり唯一無二の決戦兵力である機動部隊の戦力を消耗した事は、ミッドウェーでの取り返しのつかぬ敗戦の序曲となったと言えるであろう。皮肉にも、インド洋で英艦隊に一方的な勝利を収め、珊瑚海では第一、第二航空戦隊から新米扱いされていた第五航空戦隊が健闘したことが、南雲機動部隊の自信を過信に変えてしまったのである[271]。また、本海戦では決定的要素とはならなかったものの、米海軍が装備したレーダーと無線交信能力は、太平洋戦争中盤以降の海戦で局面を左右する重要な要素となっていった[272]

アメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツは後年の著書の中でこの海戦を次のように評価している[273]

戦術的に見るならば、珊瑚海海戦は日本側にわずかに勝利の分があった。・・・・(中略)・・・・。 しかし、これを戦略的に見れば、米国は勝利を収めた。開戦以来、日本の膨張は初めて抑えられた。・・・・(中略)・・・・。 さらに重要なことは、空母「翔鶴」の損傷修理と打ちのめされた空母「瑞鶴」の飛行隊再建の必要から、これら両艦ともミッドウェー海戦に参加できなかったことである。両空母がミッドウェー海戦に参加していたならば、この海戦の成果に決定的な役割を充分果たしていたであろう。

参加兵力[編集]

日本海軍[編集]

MO機動部隊[編集]

MO攻略部隊[編集]

援護部隊[編集]

  • 第18戦隊 丸茂邦則少将
    • 軽巡:天龍龍田
    • 水偵機隊:神川丸、聖川丸
    • 特設砲艦隊:日海丸、京城丸、勝泳丸
    • 特設掃海艇2隻

ポートモレスビー攻略部隊[編集]

連合軍[編集]

第17任務部隊[編集]

アメリカオーストラリア連合軍 司令官:フランク・J・フレッチャー米少将 旗艦:ヨークタウン

第2群、司令官:トーマス・C・キンケイド米少将

第3群、司令官:ジョン・グレゴリー・クレース英少将

第5群、司令官:オーブリー・フィッチ米少将

第6群、司令官:ジョン・S・フィリップス米少将

第7群、司令官:ジョージ・H・ホーデン大佐

  • 水上機母艦 タンジール

損害[編集]

日本軍[編集]

  • 沈没:空母祥鳳
  • 大破:空母「翔鶴
  • 喪失:艦載機81機、一式陸上攻撃機、水上偵察機(数機)、九七式飛行艇(数機)

連合軍[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 旅順攻囲戦の最中、機雷により沈没した戦艦「初瀬」、「八島」のこと。
  2. ^ 真珠湾攻撃時の攻撃隊発進距離は230浬、ミッドウェー海戦時基地空襲時は210浬。
  3. ^ 第五戦隊機密第八五九番電「距離の関係上、本日五航戦の飛行機を以ってする攻撃は遺憾ながら見込みなし。当部隊一二〇〇、南緯13度45分、東経158度13分」
  4. ^ 「一五二〇、敵主力部隊は『デボイネ』の220度、135浬、針路165度、20kt」
  5. ^ 「一六三五、正確なる偵察の結果『ロッセル』の241度170浬、敵針90度、敵速16kt、兵力空母1、重巡1、軽巡2、駆逐艦4」
  6. ^ 現時点で使用可能艦攻6を索敵に投入すると、艦爆9機のみが攻撃可能兵力となる。
  7. ^ 空母エンタープライズとレキシントンを取り逃がしたという意味において。残5隻は米本土と大西洋配備なので攻撃不可能。

脚注[編集]

  1. ^ ニミッツ、ポッター P.59
  2. ^ #暁の珊瑚海(文庫)23頁、#神川丸詳報(1)p.3
  3. ^ #暁の珊瑚海(文庫)26-27頁
  4. ^ #暁の珊瑚海(文庫)29頁、#ヨークタウン71-72頁
  5. ^ #暁の珊瑚海(文庫)30-31頁
  6. ^ #暁の珊瑚海(文庫)30頁、#海軍美談75頁
  7. ^ #暁の珊瑚海(文庫)39頁
  8. ^ #暁の珊瑚海(文庫)41頁、#MO機動部隊詳報(1)pp.5-7
  9. ^ #暁の珊瑚海(文庫)47頁、#海軍美談78頁、#MO機動部隊詳報(1)pp.8-10
  10. ^ #MO機動部隊詳報(1)pp.10-11
  11. ^ #暁の珊瑚海(文庫)34頁、#海軍美談79頁
  12. ^ #暁の珊瑚海(文庫)35頁、#第6戦隊詳報(4)pp.8-9
  13. ^ #第6戦隊詳報(4)pp.5-6
  14. ^ #暁の珊瑚海(文庫)68頁
  15. ^ #暁の珊瑚海(文庫)65頁
  16. ^ #神川丸詳報(1)pp.4-5、#第19戦隊日誌(3)p.40
  17. ^ #暁の珊瑚海(文庫)76頁、#祥鳳詳報(8)p.11
  18. ^ #暁の珊瑚海(文庫)79頁
  19. ^ #暁の珊瑚海(文庫)58頁
  20. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.3、#第5戦隊詳報(3)p.24
  21. ^ #MO機動部隊詳報(1)pp.3-4、#第5戦隊詳報(3)pp.40-41
  22. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.16
  23. ^ #暁の珊瑚海(文庫)53-54,80頁、#海軍美談79,82頁、#第6戦隊詳報(4)p.7
  24. ^ #暁の珊瑚海(文庫)56頁
  25. ^ #暁の珊瑚海(文庫)97,103頁
  26. ^ #第19戦隊日誌(3)pp.41-43、#神川丸詳報(2)pp.4,22
  27. ^ #暁の珊瑚海(文庫)103頁、#ヨークタウン96頁
  28. ^ #神川丸詳報(1)p.7、#神川丸詳報(2)pp.4,23
  29. ^ #暁の珊瑚海(文庫)101頁、#MO機動部隊詳報(1)p.14
  30. ^ #暁の珊瑚海(文庫)106-107頁
  31. ^ #暁の珊瑚海(文庫)109頁、#瑞鶴詳報(1)p.4
  32. ^ #暁の珊瑚海(文庫)112-113頁、#ヨークタウン97頁、#横浜空調書(2)p.18
  33. ^ #第5戦隊詳報(4)p.26
  34. ^ #暁の珊瑚海(文庫)111頁、#ヨークタウン98頁
  35. ^ #暁の珊瑚海(文庫)114頁、#ヨークタウン98頁
  36. ^ #祥鳳詳報(8)p.12、#第6戦隊詳報(3)p.39
  37. ^ #暁の珊瑚海(文庫)114頁、#横浜空調書(2)p.20
  38. ^ #暁の珊瑚海(文庫)115-116頁
  39. ^ #神川丸詳報(1)p.10
  40. ^ #神川丸詳報(1)p.10
  41. ^ #暁の珊瑚海(文庫)127頁、#神川丸詳報(2)pp.7,26
  42. ^ #暁の珊瑚海(文庫)116頁、#MO機動部隊詳報(1)pp.15-16、#瑞鶴詳報(1)p.5
  43. ^ #暁の珊瑚海(文庫)117-118,122頁
  44. ^ #暁の珊瑚海(文庫)119頁
  45. ^ #暁の珊瑚海(文庫)120頁
  46. ^ #暁の珊瑚海(文庫)121頁
  47. ^ #暁の珊瑚海(文庫)129頁、#ヨークタウン99頁
  48. ^ #神川丸詳報(2)p.27
  49. ^ #暁の珊瑚海(文庫)128頁、#横浜空調書(2)p.24
  50. ^ #暁の珊瑚海(文庫)135頁
  51. ^ #暁の珊瑚海(文庫)134頁、#海軍美談80頁
  52. ^ a b #暁の珊瑚海(文庫)140頁、#翔鶴飛行機隊調書(1)pp.30-31、#瑞鶴詳報(1)pp.37-38
  53. ^ #暁の珊瑚海(文庫)141,145頁、#海軍美談81頁
  54. ^ #暁の珊瑚海(文庫)153頁、#ヨークタウン102頁
  55. ^ #翔鶴飛行機隊調書(1)pp.31-35、#瑞鶴飛行機隊調書(1)pp.36-37
  56. ^ #瑞鶴詳報(1)pp.6,41-42、#MO機動部隊詳報(1)p.48、#第6戦隊詳報(4)pp.21-22
  57. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.49
  58. ^ #翔鶴飛行機隊調書(1)p.30
  59. ^ #MO機動部隊詳報(2)pp.2-5
  60. ^ #暁の珊瑚海(文庫)188頁、#瑞鶴詳報(1)pp.6,41
  61. ^ #暁の珊瑚海(文庫)193-194頁、#翔鶴飛行機隊調書(1)p.31
  62. ^ #暁の珊瑚海(文庫)199-200頁、#瑞鶴詳報(1)pp.7,61
  63. ^ #暁の珊瑚海(文庫)201頁
  64. ^ #暁の珊瑚海(文庫)168頁、#翔鶴飛行機隊調書(1)p.30、#瑞鶴詳報(1)p.44
  65. ^ #ヨークタウン101頁、#暁の珊瑚海(文庫)138頁
  66. ^ #暁の珊瑚海(文庫)138-139頁
  67. ^ #神川丸詳報(1)p.10
  68. ^ #津軽対空戦闘(1)pp.10-12,14
  69. ^ #暁の珊瑚海(文庫)148頁、#ヨークタウン頁103頁、#神川丸詳報(1)p.11
  70. ^ #暁の珊瑚海(文庫)152-153頁、#ヨークタウン104頁
  71. ^ #暁の珊瑚海(文庫)179頁
  72. ^ #横浜空調書(2)p.24
  73. ^ #暁の珊瑚海(文庫)203-204頁、#ヨークタウン104頁
  74. ^ #暁の珊瑚海(文庫)205頁、#ヨークタウン105頁
  75. ^ #暁の珊瑚海(文庫)178頁
  76. ^ #暁の珊瑚海(文庫)180頁
  77. ^ #暁の珊瑚海(文庫)182頁
  78. ^ #暁の珊瑚海(文庫)183頁
  79. ^ #暁の珊瑚海(文庫)209頁、#ヨークタウン105頁、#祥鳳詳報(8)p.12
  80. ^ #暁の珊瑚海(文庫)210頁
  81. ^ #暁の珊瑚海(文庫)213頁
  82. ^ #暁の珊瑚海(文庫)214頁、#祥鳳詳報(8)p.13
  83. ^ #暁の珊瑚海(文庫)217頁、#ヨークタウン107頁
  84. ^ #祥鳳詳報(8)p.14、#祥鳳飛行機隊調書(2)p.30
  85. ^ #暁の珊瑚海(文庫)220頁、#ヨークタウン110頁
  86. ^ #暁の珊瑚海(文庫)285頁
  87. ^ #暁の珊瑚海(文庫)236頁
  88. ^ #暁の珊瑚海(文庫)237頁
  89. ^ #暁の珊瑚海(文庫)171頁
  90. ^ #暁の珊瑚海(文庫)174頁
  91. ^ #暁の珊瑚海(文庫)175頁
  92. ^ #台南空調書(3)p.22
  93. ^ #暁の珊瑚海(文庫)240頁、#元山空調書(4)p.8
  94. ^ #暁の珊瑚海(文庫)241頁、#元山空調書(4)p.8、#神川丸詳報(1)p.11
  95. ^ #暁の珊瑚海(文庫)242頁
  96. ^ #暁の珊瑚海(文庫)244頁、#台南空調書(3)p.22
  97. ^ #暁の珊瑚海(文庫)245頁
  98. ^ #暁の珊瑚海(文庫)248-249頁
  99. ^ #暁の珊瑚海(文庫)249、254頁
  100. ^ #暁の珊瑚海(文庫)250頁
  101. ^ #暁の珊瑚海(文庫)255-256頁、#元山空調書(4)p.8
  102. ^ #暁の珊瑚海(文庫)279頁
  103. ^ #神川丸詳報(2)pp.28-29
  104. ^ #暁の珊瑚海(文庫)255頁、#台南空調書(3)p.8
  105. ^ #暁の珊瑚海(文庫)256頁、#MO機動部隊詳報(3)p.29
  106. ^ #暁の珊瑚海(文庫)257頁
  107. ^ #暁の珊瑚海(文庫)258頁、「週報 第293号」p.9
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  109. ^ #暁の珊瑚海(文庫)229頁
  110. ^ #暁の珊瑚海(文庫)230頁、#MO機動部隊詳報(2)p.7
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  112. ^ #暁の珊瑚海(文庫)231-233頁、#MO機動部隊詳報(2)pp.8-9
  113. ^ #瑞鶴飛行機隊調書(1)p.42
  114. ^ #暁の珊瑚海(文庫)261、309頁
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  121. ^ #暁の珊瑚海(文庫)286-287頁
  122. ^ #暁の珊瑚海(文庫)297頁、#ヨークタウン114頁、#瑞鶴詳報(1)p.45
  123. ^ #暁の珊瑚海(文庫)304-305頁
  124. ^ #暁の珊瑚海(文庫)303頁、#翔鶴飛行機隊調書(1)p.38、#瑞鶴詳報(1)p.45
  125. ^ #暁の珊瑚海(文庫)300-301頁
  126. ^ #暁の珊瑚海(文庫)307頁
  127. ^ #暁の珊瑚海(文庫)308頁
  128. ^ #ヨークタウン114頁
  129. ^ #ヨークタウン112頁、#瑞鶴飛行機隊調書(1)p.38
  130. ^ #暁の珊瑚海(文庫)310頁、#瑞鶴飛行機隊調書(1)p.38
  131. ^ #暁の珊瑚海(文庫)314,321頁、#MO機動部隊詳報(1)p.18、#瑞鶴詳報(1)p.48
  132. ^ #暁の珊瑚海(文庫)310頁、#MO機動部隊詳報(2)p.10
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  134. ^ #神川丸詳報(2)p.30
  135. ^ #MO機動部隊詳報(1)p.18、#神川丸詳報(2)pp.30-31
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  139. ^ #暁の珊瑚海(文庫)331頁
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  144. ^ #暁の珊瑚海(文庫)342頁、#ヨークタウン118頁、#翔鶴飛行機隊調書(1)p.45
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  146. ^ #神川丸詳報(1)p.12、#神川丸詳報(2)pp.7,34
  147. ^ #横浜空調書(2)p.27、#ヨークタウン123頁
  148. ^ #瑞鶴飛行機隊調書(1)p.44
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参考文献[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]