海軍陸戦隊
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海軍陸戦隊(かいぐんりくせんたい)は日本海軍に属した陸上戦闘の為に編成される部隊の事である。単に陸戦隊と呼ぶこともある。
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[編集] 沿革
日本でも当初はイギリス海軍にならい、海軍の兵科として海兵隊が置かれた。これは現在のアメリカ海兵隊のような上陸作戦部隊ではなく、海上戦闘で敵艦船への強行接舷後に強行移乗・制圧を行う部隊として設置された。つまり現在の海上自衛隊の特別警備隊、ないし、護衛艦付き立入検査隊に似た運用を目的とされた。しかし、「強行移乗による制圧は時代遅れである」との声で1876年(明治9年)に廃止され、海兵軍楽隊のみが軍楽科として存続した。そのため海軍での軍楽隊員の制服は海兵のものとなっている。なお、海兵隊は佐賀の乱や台湾出兵では実戦参加している。
1886年(明治19年)11月5日に海軍陸戦隊概則が定められた。海軍陸戦隊は常設でなく、艦艇の乗組員から必要に応じ陸戦隊を臨時に編成した。鎮守府などの陸上部隊の人員で構成する特別陸戦隊も編成されることがあった。
西南戦争などでは機動力を生かし鎮圧に功績を挙げた。日露戦争では、仁川上陸作戦などの上陸作戦で陸軍を支援したほか、陸揚げした艦載砲と乗組員で臨時に編成された海軍陸戦重砲隊が、旅順攻囲戦に参加した。第一次世界大戦時にも青島攻略戦に重砲隊を参加させたほか、艦船陸戦隊と6個特別陸戦隊によるドイツ領南洋諸島の占領や、シンガポールで発生したイギリス軍インド人兵士の反乱鎮圧などに従事した。二・二六事件の際は横須賀鎮守府および艦艇の乗員で編成された陸戦隊を動員し反乱軍に対抗することが計画されたが、実施の前に反乱は鎮圧された。
また、国際的には、在外公館の警備や自国民保護には陸軍部隊ではなく海兵隊を使用することが常であり、日本も特に清国、中華民国における在外公館や居留民の保護に海軍陸戦隊が活躍した。義和団の乱では、戦闘激化直前に砲艦愛宕から派遣された25名の陸戦隊が、篭城戦での貴重な兵力となった。上海事変では上海海軍特別陸戦隊が編成され大規模な戦闘へ将兵が投入された。上海事変を受けて1932年には海軍特別陸戦隊令が制定され、上海海軍特別陸戦隊は正式な常設部隊となった。
太平洋戦争では戦域が拡大するにつれ、島嶼や局地防衛の必要から、特別陸戦隊のほか警備隊や防衛隊などの名称で陸戦隊が次々と編成された。また、落下傘部隊(1942年1月にセレベス島メナドで太平洋戦争最初の落下傘降下作戦を実施した。指揮官は堀内豊秋中佐。堀内中佐はその功を讃えられ、特別に昭和天皇に拝謁した。)や戦車部隊も保有した。終戦前には本土決戦に向けて艦艇部隊などの多くが陸戦隊に改編され、総兵力は10万人に達していた。
このように、日本海軍の陸戦隊は拡充を続けたものの、米海兵隊の様に陸・海軍から独立した軍種となることはなかった。また、海軍内でも陸戦隊はあくまで二義的な任務として捉えられ、海軍士官にとって根拠地隊などの常設的性格の陸戦隊への配置は左遷に近い扱いであった。
[編集] 編制
[編集] 艦船乗員による陸戦隊
海兵隊廃止後は専ら陸戦隊が海軍の陸上戦闘機能を担うこととなった。そのため、艦艇乗組員のうち必要数をあらかじめ陸戦隊要員として指定しておき、有事の際に「陸戦用意」の命令のもと武装し臨時の陸戦隊を編成した。戦隊・艦隊ごとに編成計画を定めてあり、小規模なものは単艦で編成する小隊・中隊程度の陸戦隊から、大規模なものは複数艦の陸戦隊を集めた連隊・旅団程度の「連合陸戦隊」までがあった。単艦ごとの部隊は艦名を付して「軍艦長門陸戦隊」、連合陸戦隊ならば「第一艦隊連合陸戦隊」というような呼び方をするのが通常である。
なお、太平洋戦争中には、沈没艦の乗員が再編成されて陸戦隊として地上戦に投入された場合がある。その場合も、旧乗艦ごとに小隊・中隊を組織することが多かった。
[編集] 特別陸戦隊
艦船乗員ではなく、鎮守府などの陸上部門の人員によって編成された陸戦隊のことである。もともとは艦船乗員による陸戦隊同様に、必要に応じて海兵団などで臨時に編成される特設部隊であったが、中国情勢の緊迫化で陸戦隊の需要が増えたために事実上の常設部隊としての性格を持つようになった。第二次世界大戦期には上陸作戦や占領地の守備に任ずる専門の陸戦隊として運用された。
一般に、所属する鎮守府等の名称と番号を組み合わせて「横須賀鎮守府第三特別陸戦隊」(横三特)などというような部隊名で呼ばれる。通常は2~3個小銃中隊と1~2個機銃中隊、砲隊を持つ歩兵大隊相当の編制であるが、中には砲兵隊や戦車隊、空挺部隊としての編制をとるものもあった。「S特別陸戦隊」の秘匿名を与えられた特殊部隊も作られた。特別陸戦隊の場合も、複数が集まり、または防空隊などと組み合わせて「連合特別陸戦隊」となる場合がある。専門の地上戦闘部隊として戦車や短機関銃などの充実した装備を保有し、陸戦隊の中では高い練度を誇る精鋭とされた。ただし、ラビの戦いに参加した特別陸戦隊には30歳以上の老兵が多かったように、必ずしも人的素質が優れているとは言えない。太平洋戦争中には、目標地点占領後に、固定的な警備隊や根拠地隊へ改編されたものも多い。
上海海軍特別陸戦隊は、鎮守府所属ではなく上海に駐留するために編成された官衙たる常設部隊である。上海クーデターの発生した1927年より上海に駐留していた陸戦隊(鎮守府から派遣されていた特別陸戦隊2個大隊及び戦車隊等)を、第一次上海事変の起きた1932年に独立の特別陸戦隊として整理した。通常の特別陸戦隊と比べ大規模な部隊である。人員は各鎮守府から派出された。
[編集] 警備隊
占領地の防衛・治安任務のために編成された専門の陸戦隊である。特別陸戦隊と異なり機動的な運用は想定されていない。規模としては中隊から大隊相当で、純粋な陸戦隊である陸上警備科(陸警科)と、沿岸用の小型艇を持つ水上警備科(水警科)から成っていた。太平洋戦争中には特別陸戦隊などを母隊に多数が編成され、根拠地隊(後述)や各艦隊の隷下に置かれた。場合によっては若干の艦艇部隊が付属したり、港務管理を担当して小規模な根拠地隊のような機能を果たすこともあった。
[編集] 防空隊
地上戦闘ではなく、基地の防空を任務とする高射砲兵部隊である。甲編制(高角砲8門)、乙編制(対空機銃24門)、丙編制(高角砲4門・機銃12門)の3種が存在した[1]。太平洋戦争後期には多くが解隊されて警備隊などに編入された。高角砲を対戦車砲に転用して地上戦に参加することも多かった。
[編集] 根拠地隊・特別根拠地隊
拠点を臨時の海軍基地として防衛、管理運営する組織である。根拠地隊は正式には特設根拠地隊の名称で、特設艦船部隊令にもとづいて編成される。他方、特別根拠地隊は特別根拠地隊令に基づくもので、特根と略称される。任務は近似するが編制が異なり、前者は司令官の下に参謀長・参謀・副官などが置かれた艦隊司令部類似、後者は司令官の下に副長・科長・分隊長などが置かれた軍艦類似の組織形態である。
純粋な陸戦隊ではなく、艦艇部隊や港務部・通信隊などの非戦闘的な陸上部隊を有しているが、基地防衛任務のために陸戦用の警備隊や防空隊、防備隊なども指揮下に収めていることがある。例えばビアク島駐留の第28特別根拠地隊は、第18警備隊・第19警備隊などを有した。タラワ島駐留の第3特別根拠地隊のように、根拠地隊直轄の地上戦闘員を有する場合もある。マニラの戦いの中心となった「マニラ海軍防衛隊」は、第31特別根拠地隊を基幹部隊としていた。
[編集] その他
- 鎮守府・要港部などの防備隊の一部として置かれたものもあった。
- 太平洋戦争期には、各鎮守府の海兵団から実戦機能を独立させて陸上警備隊が編成された。
- 大地震・反乱などの事件に際し、近在の海軍官衙・学校の要員で治安任務の陸戦隊を臨時に編成したこともあった。
- 太平洋戦争後期には、拠点防衛のため、通信隊や飛行場要員、設営隊などを現地で再編成して陸戦隊とした例が多く見られたが、武器も訓練も著しく不足しており戦力は低かった。部隊名称としては、所在地の地名を冠して「マニラ海軍防衛隊」というような呼称が多い。
[編集] 装備
小銃や機関銃、擲弾筒、速射砲などの主要火器は、陸軍と共通であった。ただし、三十五年式海軍銃(陸軍三十年式歩兵銃を改良)のような仕様変更例などもある。海軍独自の装備としては、ベルグマン短機関銃や水陸両用戦車である特二式内火艇、上海事変で活躍したヴィッカース・クロスレイ装甲車などがあるほか、25mm機銃など陸揚げした艦載火器を装備することも多かった。特別陸戦隊の装備火器を日本陸軍の同規模部隊と比べると、大口径の機関銃や装甲戦闘車両などが比較的充実していた。
服装は艦上勤務と同じセーラー服であったが、野戦用には色彩が目立ちすぎたため、日露戦争時などには臨時にカーキ色に着色するなどの措置がとられた。その後、1933年に青褐色と称する緑色の陸戦隊用被服が採用された。この陸戦服は1942年には略装として陸戦隊以外の海軍部隊でも広く用いられるようになり、1944年8月には海軍全体の陸戦隊化が進む中で第三種軍装として常用されることとなった。第一次上海事変以降に使用するようになったヘルメットは基本的に陸軍と同じものだったが、水筒などその他の装具は海軍独自のものが多い。装具の多くは長距離行軍などの本格的な野戦を想定した設計では無かったため、太平洋戦争中にはしばしば不具合が発生した。
上陸用舟艇としては、第二次世界大戦期には陸軍開発の大発や小発を特型運貨船と称して装備している部隊があった。太平洋戦争中には、アメリカ海兵隊のLVTに相当する水陸両用車である特四式内火艇が少数配備された。
なお、識別マークとしては「錨」の意匠が使用されたほか、車両には軍艦旗が描かれていることが多い。部隊旗としては軍艦旗を用いる。
[編集] 教育
海軍陸戦隊は、主に兵科を主体とし、これに機関科、工作科、衛生科、主計科など必要な専門家を加えて編成した。兵に対しては海兵団での基礎教育として陸戦教練が一応行われていたが、小銃の射撃動作や行軍程度の初歩的なものであった。より本格的な教育は海軍砲術学校の一課程で行われており、太平洋戦争中には砲術学校から分離独立した陸戦専門の実施学校である館山砲術学校も設立された。幹部教育は、兵学校で中隊以下の小部隊運用について基礎教育がされた後、砲術学校で専門教育を受ける者がおり、陸戦専攻も少数ながら存在した。砲術学校の陸戦術担当教官や陸戦専攻学生は、陸軍に派遣されての教育も受けていた。
特別陸戦隊の要員に対しては、小銃から戦車に至るまでの各種武器の取り扱い教育が幅広く行われていた。大発による上陸作戦の訓練もされている。ただ、各特別陸戦隊(大隊規模)ごとの運用を想定した訓練・研究にとどまり、それ以上の大規模な部隊行動の研究はあまり行われなかった。
館山砲術学校には化学兵器科も設置され、化学戦教育も行われた。
[編集] 主な戦歴
特に太平洋戦争では陸戦隊の戦闘は非常に多く、ここに掲げる以外にも多くが存在する。
- 旅順攻囲戦 - 日露戦争。海軍陸戦重砲隊が参加。
- 上海事変 / 第二次上海事変 - 上海海軍陸戦隊が少ない兵力での防衛戦に成功した。
- ウェーク島の戦い - 舞鶴第2特別陸戦隊などが海軍単独での上陸作戦を実施。占領には成功したが大損害を受けた。
- メナドの戦い - 横須賀第1特別陸戦隊(堀内豊秋中佐)の空挺部隊(空の神兵)などが参加。海軍単独での占領に成功。
- ラビの戦い(ミルン湾の戦い) - 呉第3及び第5特別陸戦隊や、佐世保第5特別陸戦隊などが次々と投入され、海軍単独での上陸作戦を行った。しかし、オーストラリア軍・アメリカ軍との交戦の結果、大損害を受けて敗退した。
- ブナ・ゴナの戦い - 横須賀第5特別陸戦隊(安田義達大佐)を中心に設営隊など900名が、ブナの防衛戦に参加した。陸軍部隊とともに長期の抵抗の末に全滅。安田大佐は陸戦専攻の海軍士官で、館山砲術学校の教頭を務めたこともあった。
- タラワの戦い / マキンの戦い - 第3特別根拠地隊(柴崎恵次少将)と指揮下の佐世保第7特別陸戦隊が全滅。
- マニラの戦い (1945年) - 第31特別根拠地隊(岩淵三次少将)基幹のマニラ海軍防衛隊が市街戦を展開。
- 硫黄島の戦い - 第27航空戦隊の市丸利之助少将の下、硫黄島警備隊のほか航空隊や設営隊を改編して戦闘。
- 沖縄戦 - 沖縄方面根拠地隊(大田実少将)指揮下の陸戦隊が参加。小銃が数人で1丁などの乏しい武装で戦闘した。大田少将の『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』の電文で有名である。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
- 空の神兵
- 陸軍船舶兵
- 海兵隊
- 陸警隊 - 海上自衛隊の基地防衛部隊
- 特別警備隊
- 護衛艦付き立入検査隊
- 海軍設営隊
- 呉鎮守府第101特別陸戦隊 - 潜水艦による潜入作戦を行なう特殊部隊
- ベルグマンMP18短機関銃 - 海軍陸戦隊が、第1次世界大戦の教訓から、市街戦などで利用していた、「マシン・ピストル」。
以下は陸戦隊が登場する作品に関連する項目である。
- 上海陸戦隊 上海特別陸戦隊を舞台とする。
- 桃太郎 海の神兵 海軍陸戦隊落下傘部隊のメナド降下作戦を題材にした海軍省製作の国策アニメ。
- アニメンタリー決断 第10話「海軍落下傘部隊」 同降下作戦を題材とする。
- 幽霊艦長 水木しげる著 所収の『白い旗』(硫黄島の戦い) ISBN 4480027572 ISBN 978-4480027573
- 松本零士 「 コックピット・レジェンド 」、「 HARD METAL 」( 「ザ・コクピット」シリーズ 、「 戦場まんがシリーズ 」続編)
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