短十二糎自走砲

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短十二糎自走砲
Chi-Ha 120mm.jpg
性能諸元
全長 5.55 m
車体長 m
全幅 2.33 m
全高 2.23 m
重量 15 t
懸架方式 独立懸架および
シーソー式連動懸架
速度 38 km/h
行動距離 210 km
主砲 12口径短12cm砲×1
装甲 25 mm
エンジン 4ストロークV型12気筒
空冷ディーゼル
170 馬力
乗員 不明
車体諸元は九七式中戦車のもの
ただし重量等は異なる
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短十二糎自走砲(たんじゅうにせんちじそうほう、短12cm自走砲)とは第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に、日本海軍が製作した自走砲である。海軍部隊内では十二糎砲戦車と呼ばれていた。現在では「海軍短12cm自走砲」と表記されることもある。

概要[編集]

日本陸軍が開発した九七式中戦車を改造して作られた、短十二糎砲の自走化車輌である。

急造品であろうことからおそらく全てが既製の九七式中戦車からの改造車輌であり、最初から短十二糎自走砲としての新規生産車輌は無いとおもわれる。配備先は佐世保横須賀第十六特別陸戦隊など。少なくとも佐世保に4輌、横須賀に10輌あったことが確認されている。もっとあった可能性もある。本車が国外の戦地に送られたことがあるかは不明である。おそらく本土決戦用にほとんどが国内に温存されたとおもわれる。

設計[編集]

車体は九七式中戦車ほぼそのままであるが前期型か後期型かは不明(右写真は後期型車体)。砲塔は47mm砲用に開発された新砲塔を流用している。そのため砲塔内は狭く、操作性は劣悪だったとおもわれる。車体前方左側の7.7mm機銃の装備の有無は不明(右写真では撤去してある。ただしこれは武装解除によるものかもしれない)。砲塔の対空機銃架はそのままである。

搭載火砲は、日本海軍が戦争中期に開発した艦載砲である短十二糎砲を車載用に改造して、新砲塔に装備している。原型砲と違い本車用の砲は砲口に大型のマズルブレーキを備えている。また原型砲の駐退機は砲身の上方に一本、復座機は砲身の下方に一本あるが、本車用の砲の駐退復座機は円柱状の物を砲身と同芯式に備えている。原型砲および本砲は正面向かって右開きの螺旋式閉鎖機である。

原型砲である短十二糎砲は商船(特設艦船)の自衛用に開発された簡易急造高角砲である。諸元は、口径120mm、砲身長1510mm、砲腔長1440mm、砲初速290m/s、最大退却長(後退長)270mm、砲身重量218kg、弾種は一号通常弾(弾量13,000g、炸薬量2515g)を使用した[1]

原型砲は大仰角を取ることが可能で、対空戦闘も行う為、高角砲に分類されているが実質は対潜を主とし、対潜・対水上・対空兼用の、迫撃砲に似た特性の、半固定式(砲弾と薬莢が分離可能)の薬莢型式の榴弾砲である。12口径の短砲身であり、最大射程、砲口初速とも旧式榴弾砲(三八式十二糎榴弾砲)とほぼ同等の性能である。しかし反面、腔圧が低いので、砲身の肉厚を薄くでき、砲各部の強度も低くていいので、口径のわりに砲重量を軽くできる利点がある。原型砲の最大射程は5,300 mだが、本砲は不明。本砲は砲塔形式で高仰角をとれないので、おそらく最大射程は原型砲よりかなり短いとおもわれる。なお原型砲には徹甲弾は用意されていない。本砲の通常弾(榴弾)は弾殻が薄くその分炸薬を多くしていた。これらの点から平射もできるが、装甲貫徹力は小さく、弾道低伸性は良くない。

新砲塔の後面には、7.7mm機銃を撤去して箱が取り付けてある(この箱はカウンターウェイトを兼ねた、弾薬か無線機の収納場所の可能性はある)。砲塔後面に、床板をアングル材で吊った、直角三角形の吊り棚を設けて、そこに(交換可能な)普通の弾薬箱を直接置いた物とする解釈もある。

専用の対戦車榴弾成形炸薬弾)の存在は不明である。車内容積が小さいことや12cm砲弾の大きさからして、車内の弾薬積載数はかなり少なかったはずである。車内の弾薬積載数は8発とする説がある(砲塔後面の弾薬箱は除く)。おそらく即応弾は新砲塔後部のバスル内に積載されていたと想像される。

乗員配置[編集]

本車の乗員数は不明である。47mm砲用の新砲塔を流用した砲塔内は、大きな12cm砲の砲尾により狭隘で、おそらく砲塔内には砲尾を挟んで左側の砲手と右側の装填手の2名しか搭乗できなかったと推測される。砲の左側に照準器があるので、砲手が砲塔左側に位置していたのは間違いない。当然装填手は砲塔右側に位置することになる。これに車体右側の操縦手が加わるので最低でも3名が必要である。ただ装填手が砲塔右側に位置するとなると、本砲の正面向かって右開きの螺旋式閉鎖機(これはキューポラ開口部から撮った車内の写真から判明している)では、装填作業が困難であっただろうとおもわれる。車長について、これは砲手の兼任とする説もあるが、残された写真からも明らかなように、本車のキューポラは、元の47mm砲用新砲塔のままで、砲塔上面右側寄りにあり、砲塔左側に位置する砲手が車長兼任では外部視察に問題を生じる可能性が高い。砲塔右側の車長が装填手を兼任していたのであればこの問題は解決する。

前方機銃と機銃手の有無については不明であるが、本車が火力支援車輌であれば必ずしも要するとはいえないが、しかし残された写真からは、外面上は前方機銃が備えられるように見えるし、対空機銃架も残されているし、砲の最大射程や有効射程が短かったであろうことから、攻撃のためには、敵に接近しなければならないであろうことから、砲塔後面の機銃も撤去されているので、やはり車体前方に最低限1挺の機銃は対歩兵用に備えていることが望ましいと想像される。もしそうであれば機銃手も必要であるとおもわれる。

運用[編集]

本砲の性質からして、また戦車と協同で運用(下記の編成を参照)されたであろうことから、その大口径榴弾の威力を生かした、敵上陸部隊攻撃、歩兵支援、火力支援、敵陣地攻撃、などが本来あるべき役目だとおもわれる。

しかし本車は場合によっては対戦車戦闘も想定していたであろう。一般に大口径砲弾の場合、装甲を貫徹できなくても大重量砲弾の直撃による弾量効果や榴弾の威力によって、敵戦車を行動不能にするなどダメージを与えることは可能であった。

弾薬の消耗の激しい実戦での運用では、本車とは別に弾薬運搬車やリヤカーを用意する必要があったであろうと考えられる。

本土決戦時の海軍の戦車部隊である、横須賀第十六特別陸戦隊は、海軍の陸戦教育の中心である館山砲術学校の戦車隊を母体にした部隊で、第1大隊と第2大隊の2個大隊による編成であった。1個大隊は2個中隊より成った。一説によると、第2大隊隷下の2つの中隊本部には、中隊本部付きとして、「特三式内火艇」1~2輌が有ったとの証言もある。

横須賀第十六特別陸戦隊の編成と装備は、第1大隊第1中隊 新砲塔九七式中戦車10輌+1輌、同第2中隊 十二糎砲戦車(短十二糎自走砲)10輌+?、第2大隊第1中隊 特二式内火艇10輌+特三式内火艇1輌、同第2中隊 特二式内火艇10輌+?、であった(?の中隊本部付き車輌が存在したかは不明)。

終戦直後の厚木海軍飛行場における第302海軍航空隊による反乱事件に際して、反乱部隊の離陸を阻止すべく、横須賀第十六特別陸戦隊第1大隊に対し、所属する短十二糎自走砲を含む全車をもって滑走路を塞ぐことが命ぜられたが、翌日、同隊による厚木海軍飛行場への攻撃は中止になり、短十二糎自走砲が実戦投入されることはなかった。

派生型[編集]

1945年(昭和20年)8月当時、日本陸軍による、短二十糎砲を自走砲化する計画があったとされるが詳細は不明である。

脚注[編集]

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  1. ^ 「陸戦兵器要目表」39項。

参考文献[編集]

  • アジア歴史センター 「陸戦兵器要目表」、レファレンスコード A03032103400

関連項目[編集]