広州湾租借地

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1909年に書かれた広州湾の地図

広州湾租借地(こうしゅうわんそしゃくち、英語では Kwangchowan Leased Territory) は、1899年1945年フランスが南中国の雷州半島北東部に租借していた地域。現在の広東省湛江市に当たる。

起源[編集]

1897年フランス海軍バヤール級装甲艦「バヤール」がたまたま清国広東省の雷州半島東側付け根にある湾に入ったところ、非常な深水良港であることに驚き、1899年、この湾一帯を占領してフランス領インドシナの管理下に置いた。1899年清国とフランスの間で「中仏互訂広州湾租界条約」が正式に締結され、フランスが99年間租借することが決められた。条約は1900年から発効し、広州湾租借地は正式にインドシナ連邦に加えられた。

変遷[編集]

フランスは広州湾の中心地にバヤール要塞 (Fort Bayard) を築き、イギリスの香港に相当する対中貿易・投資の拠点とした。1940年第二次世界大戦によってパリが独軍に陥落し、フランスがド・ゴール将軍の自由フランスフィリップ・ペタン元帥のヴィシー政府に分裂すると、中華民国は自由フランス亡命政府と外交関係を樹立したため、広州湾租借地は自由フランスの管轄下に入った。しかし、日本は1943年ヴィシー政府との間に「広州湾共同防衛協議」を締結してこの地域を占領、広州湾租借地は日仏共同管理下に置かれた。自由フランス政府や中華民国政府はこれに関知しておらず、1945年8月日本軍が無条件降伏すると直ちにフランス政府は広州湾租借地を中華民国に返還、中国はこの地を湛江市と改称した。

現在[編集]

広東省湛江 (Zhanjiang) 市内には現在もフランス租借地時代の洋風建築が残り、観光地となっている。

外部リンク[編集]