ビルマ国

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ビルマ国
ဗမာ
イギリス統治下のビルマ 1943年 - 1945年 イギリス統治下のビルマ
ビルマ国の国旗
(国旗)
ビルマ国の位置
公用語 ビルマ語
首都 ラングーン(現ヤンゴン
大統領
1943年 - 1945年 バー・モウ
内閣総理大臣
1943年 - 1945年 バー・モウ
面積
678,500km²
人口
18,846,800人
変遷
建国宣言 1943年8月1日
イギリスに占領 1945年3月27日
通貨 チャット
時間帯 UTC +6:30(DST: 無し)
独立記念切手(1943年)

ビルマ国(ビルマこく、英語:the State of Burma)は、1943年8月1日から1945年上旬までの期間ビルマ(現ミャンマー)に存在した国家日本の支援を受けてイギリス植民地支配から独立する形で誕生したが、日本の「傀儡国家」であるとする批判的評価もある。

概要[編集]

1942年アウンサン率いるビルマ独立義勇軍(BIA)が建軍され、日本軍と共にイギリス支配下のビルマへと進軍(ビルマ戦役)、同年4月にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウが解放された。日本軍は新政府の指導者となるようバー・モウを説得し、彼を新しく設けた行政府の長官に就任させた。

1943年8月1日早朝、ビルマ方面軍司令官河辺正三は、バー・モウらを前に軍政施行撤廃を宣言。このあと日本政府・軍の後押しによる独立準備委員会は建国議会の成立と独立を宣言、「ビルマ国」が誕生した。バー・モウは国家代表に推戴され、訪日時に授与された勲一等旭日大綬章を佩用して就任を宣誓。そのあと閣僚15名と枢密院議員17名を任命した。また即日、日本政府から承認を受け、同盟条約を締結するとともに、ラジオ放送を通じて英に対し宣戦布告をおこなった。

バー・モウはビルマ国内に向けては大統領(Naingandaw Adipadi)を名乗っていたが、共和制を忌避する日本に配慮し、対外的には首相を名乗った[1]。1943年11月には東京で開かれた大東亜会議にバー・モウが参加しているが、大東亜共同宣言にはビルマ国内閣総理大臣として署名している。

しかし、1944年末までにインパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色が濃くなった為、アウンサンが指揮するビルマ国民軍(BNA)1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。

1945年、連合国軍のビルマ奪回を目指す攻勢を受け、日本軍は同年5月にラングーン(現ヤンゴン)から撤退した。それにより、ビルマ国政府は日本に亡命し、元首のバー・モウも8月にはタイ王国経由で日本へ亡命した。そして、同年8月に日本が連合国に降伏したことでビルマ国は事実上解体、戦犯容疑者とされたバー・モウは同年12月に自らイギリス軍へ出頭した。

現在、ミャンマー政府は、ミャンマー独立をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない。しかし一方で、ミャンマー国軍は1942年のビルマ独立義勇軍創設をもってその建軍としており、またミャンマー政府は1981年4月、独立に貢献した南機関鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」を授与している[2]

政策[編集]

インドネシア等と異なり、形式上は独立国であったため、日本語学校の設立など普及活動はなされたものの、日本語や日本文化は必修科目ではなかった。満州国では日本語が学校教育における教授言語とされたのに対し、ビルマ国では選択科目の一つにされたに過ぎず、公用語ともされなかった。英語の非公用語化は順次すすめられ、英語の法令や公文書をビルマ語に置き換える作業が行われた。

ビルマ国政府[編集]

最初のビルマ国内閣は、以下のとおりである。

  • バー・モウ, 内閣総理大臣(国家元首としてのポストに加えて) Prime Minister (in addition to his post as head of state)
  • Thakin Mya, 副首相 Deputy Prime Minister
  • Ba Win, 内務大臣 Minister of Home Affairs
  • ウー・ヌ, 外務大臣 Minister of Foreign Affairs
  • Dr. Thein Maung, 財務大臣(日本駐在ビルマ大使に任命された後、U Setに交替)Minister of Finance (later replaced by U Set after he was appointed to be Burman ambassador to Japan)
  • アウンサン, 国防大臣 Minister of Defence
  • Thein Maung, 法務大臣 Minister of Justice
  • Hla Min, 教育・保健大臣 Minister of Education and Health
  • Thakin Than Tun, 農林水産大臣(後に運輸大臣)Minister of Agriculture (later became Minister of Transport)
  • U Mya, 商工大臣 Minister of Commerce and Industry
  • Thakin Lay Maung, 通信・灌漑大臣 Minister of Communications and Irrigation
  • Bandula U Sein, 厚生・広報大臣 Minister of Welfare and Publicity
  • Tun Aung, 対日協力大臣 Minister of Co-Operation with Japan
  • Thakin Lun Baw, 公共事業復興大臣 Public Works Recovery Minister

脚注[編集]

  1. ^ 日本ニュース第166号|NHK戦争証言アーカイブス。ここではバー・モウを「国家代表」「内閣総理大臣」と紹介している。
  2. ^ 藤井厳喜「教科書が教えない歴史 ミャンマー、インドネシア独立に尽力した日本人に勲章]」夕刊フジ 2014年2月26日

関連項目[編集]