天龍 (軽巡洋艦)

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天龍
天龍
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 横須賀海軍工廠
発注 1915年度計画
起工 1917年5月17日
進水 1918年3月11日
就役 1919年11月20日
除籍 1943年2月1日
その後 1942年12月18日戦没
要目
種別 軽巡洋艦
クラス 天龍型
排水量 基準:3,230トン
全長 142.65 m
全幅 12.34 m
吃水 3.96 m
機関 ロ号艦本式缶専焼8基、同混焼缶2基
ブラウン・カーチス式オールギアードタービン3基3軸
機関出力 51,000 SHP
速力 33 ノット
燃料 重油:920トン、石炭:150トン
航続距離 5,000 海里 / 14 ノット時
乗員 327名
兵装 建造時
50口径三年式14cm砲4門
40口径8cm高角砲1門
53cm3連装魚雷発射管2基
昭和16年開戦時
50口径三年式14cm砲4門
40口径8cm高角砲1門
53cm3連装魚雷発射管2基
93式13ミリ連装機銃2基
三年式6.5ミリ機銃2基
山之内式5センチ礼砲2基
81式爆雷投射機2基
爆雷投下台4個載2基
手動1個載2基
95式爆雷18個
機雷敷設用軌道2本
装甲 機関部舷側:63mm
水平:16-25mm
司令塔:51mm
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天龍(てんりゅう/てんりう)は、日本海軍軽巡洋艦天龍型の1番艦。艦名は、遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた。

概要[編集]

第一次世界大戦直後(1919年11月20日)に竣工した小型軽巡洋艦で、人力装填の単装主砲と魚雷発射管が主兵装。主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待された。

艦歴[編集]

太平洋戦争開戦直前の12月1日、「天龍」と姉妹艦「龍田」からなる第十八戦隊が編制された[1]。司令官丸茂邦則少将は2日に着任し、「天龍」を旗艦とした。1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃を確認して第十八戦隊はクェゼリン環礁を出撃、ウェーク島へ向かった[2]

第十八戦隊(天龍、龍田)はウェーク島に対地砲撃を行うが、同時刻、攻略部隊本隊/第六水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦夕張」、駆逐艦《追風疾風睦月如月弥生望月》)は陸上砲台の反撃と残存した数機のF4Fワイルドキャット戦闘機の反撃で「疾風」「如月」を撃沈され、大混乱となっていた。「天龍」は旗艦「夕張」に経過を尋ねるが詳しい応答はなく、「夕張」からの避退命令と、米軍の砲台に狙われたことにより対地砲撃を中止[3]。だが両艦とも離脱中にF4Fの空襲を受ける[4]。「天龍」では戦死者1名、重軽傷者13名が出た[5]。第六水雷戦隊と合流後、「天龍」は「夕張」に対し『貴部隊ニ対シ援助ヲ要スルコトアラバ知ラサレ度』と通信するが、応答はなかった[6]。各艦はクェゼリン環礁へ帰投した。

12月21日の第二次攻略作戦では、南雲機動部隊より派遣された第二航空戦隊の空母2隻(飛龍蒼龍)、重巡2隻(利根筑摩)、第17駆逐隊(谷風浦風)が航空支援をおこない、第六戦隊の重巡4隻(青葉衣笠加古古鷹)が陸上支援に加わった。「天龍」では上陸した海軍陸戦隊から3名の負傷者が出た[7]

1942年(昭和17年)1月以降は第六戦隊や第23駆逐隊(菊月三日月卯月夕月)と南洋諸島で行動し、カビエンラバウル占領作戦に従事した。以後、トラック泊地やラバウルを拠点に、太平洋諸島の占領や基地設営支援等に従事する。珊瑚海海戦では第23駆逐隊より「菊月」が撃沈された。5月23日、「天龍」は日本本土へ回航され舞鶴に帰港[8]。十八戦隊司令官も丸茂少将から松山光治少将に交代した[9]。入渠整備後、「天龍」「龍田」は第六戦隊第1小隊(青葉、衣笠)と合同して内地を出発、6月23日にトラック泊地へ到着した[10][11]。同時期、第四艦隊(司令長官井上成美中将)は『SN作戦』(南太平洋方面の航空基地適地調査・設営・各航空基地強化)と『「リ」号研究作戦』(ニューギニア東部北岸から陸路ポートモレスビー攻略作戦に関する事前準備・研究)を発動[12]。ガダルカナル島航空基地の設置、ラエ、カビエン、ツラギ、ラバウル各基地の強化、またソロモン諸島航空基地適地の捜索等の諸任務に、第六戦隊・第十八戦隊・第六水雷戦隊(夕張、第29駆逐隊)・第30駆逐隊を投入した[13]。第六戦隊第2小隊(加古、古鷹)は7月4日にトラックへ進出、10日にレガタで「青葉」「衣笠」「天龍」「龍田」に合流した[11]。各隊はガダルカナル島への飛行場基地建設を支援する。つづいて第十八戦隊はニューギニア島ブナ攻略作戦(「リ」号研究作戦)に従事する[11]。7月14日、連合艦隊第二段作戦第二期の兵力部署改編により、第六戦隊・十八戦隊・「夕張」・各駆逐隊は外南洋部隊に編入された[11]

8月7日、米軍はウォッチタワー作戦を発動、ガダルカナル島フロリダ諸島に上陸を開始、ガダルカナル島の戦いが始まった。三川軍一第八艦隊長官は重巡「鳥海」、第六戦隊(青葉、加古、古鷹、衣笠)を率いてガダルカナル島ルンガ泊地への突入を企図する。当初、軽巡「天龍」、「夕張」、駆逐艦「夕凪」は作戦から外されていたが、各艦の熱意により三艦は突入艦隊に参加することになった。8月8-9日の第一次ソロモン海戦において、「天龍」は連合国軍艦隊の撃破に貢献した。この時の「天龍」は旗艦「鳥海」や第六戦隊と全く通信できない状態で夜戦に突入している[14]。「天龍」には探照灯附近に若干の被弾命中があった[15]。自艦の発砲の衝撃でジャイロコンパスが破損するという一幕もあった[16]。 また「龍田」「卯月」「夕月」はブナへの輸送作戦に従事していたため、第一次ソロモン海戦に参加できなかった[17]

8月下旬以降のラビの戦いでは、従来からの第30駆逐隊(弥生望月)に加えて第4駆逐隊「」、第17駆逐隊(浦風谷風浜風磯風)等が第十八戦隊の指揮下に入り、幾度か「天龍」や「龍田」と出撃してニューギニア島ミルン湾への強行輸送・艦砲射撃を実施した。9月11日には、沈没した「弥生」乗組員捜索のため「天龍」「浜風」が出動している[18]。 ラバウル停泊中の10月2日未明、B-17爆撃機の空襲を受け「天龍」左舷後甲板に命中弾1、右舷前部に至近弾を受ける[19][20]。戦死22名、重傷軽傷者48名[21]。被弾の損傷により8㎝高角砲1門を破棄せざるを得なくなり、23日に地上軍から供出されたものを假装備している[22]。この頃、「龍田」は操舵装置の不具合が明らかとなり、11月5日にトラック泊地へ回航され工作艦「明石」の協力を得て修理に従事している。一方、空襲で受けた被害を修理した「天龍」はガダルカナル島への輸送任務に投入された。

11月1日夜、第四水雷戦隊旗艦「朝雲」以下(第9駆逐隊《朝雲》、第2駆逐隊《村雨、夕立、春雨》、第27駆逐隊《時雨、白露、有明、夕暮》)、第11駆逐隊「白雪」、第6駆逐隊(雷、暁)、軽巡「天龍」はガダルカナル島への輸送作戦を実施する[23]。「天龍」は出撃直前に急遽部隊に編入された[24]。だが波浪により全物資を揚陸できず、「天龍」のカッターボートを含め9隻の装載艇を失い、「天龍」7名・「村雨」5名・「暁」5名・「雷」6名のボートクルーはガダルカナル島に取り残された[25]。「天龍」は「有明」と第2駆逐隊3隻に護衛されて帰投している[26]。 11月4日、「天龍」は甲部隊から乙部隊へ所属変更となり[27]、第19駆逐隊「浦波」等と共に輸送作戦を成功させた[28]。 11月7日、高間完少将は「朝雲」から「天龍」へ移乗、「天龍」を第四水雷戦隊(第2駆逐隊《村雨五月雨夕立春雨》・第9駆逐隊《朝雲、峯雲》・第27駆逐隊《時雨白露有明夕暮》)旗艦とした[29]。11月9日、四水戦旗艦は再び「朝雲」に戻る[30]。10日、「天龍」は第七戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦「鈴谷」)の指揮下に入った[31]。11日、「朝雲」と四水戦各艦はショートランド泊地を出撃、第十一戦隊(比叡霧島)以下挺身艦隊と合流して第三次ソロモン海戦に臨んだ[32]

11月12日夜、挺身艦隊は米艦隊と交戦、「比叡」「夕立」「暁」は沈没した(第三次ソロモン海戦第一夜戦)。これを受けて第七戦隊にヘンダーソン飛行場砲撃命令が出される。11月13日午前5時40分、重巡2隻(鈴谷摩耶)、軽巡「天龍」、駆逐艦4隻(夕雲巻雲風雲朝潮)はショートランド泊地を出撃[33]。ガダルカナル島海域に突入し、「鈴谷」「摩耶」は飛行場砲撃を敢行、「天龍」と駆逐艦は米軍魚雷艇から七戦隊を護衛した[34][35]。だが飛行場の機能を奪うことは出来ず、翌日の空襲により「天龍」の周囲では重巡「衣笠」が沈没、「摩耶」「鳥海」「五十鈴」が損傷した。17日、支援隊(鈴谷、摩耶、天龍、涼風、早潮)はカビエンに到着して待機する[36]。23日、「天龍」と「早潮」は第七戦隊の指揮下を離れ、ラバウルへ向かった[37]。同日、ラバウルにて松山司令官は駆逐艦「涼風」から「天龍」へ移乗、「天龍」は第十八戦隊旗艦に復帰する[38]

12月18日、軽巡「天龍」は駆逐艦4隻(涼風、磯波荒潮)と共に輸送船2隻(愛国丸護国丸)を護衛し、マダン上陸作戦に従事していた。夕方の空襲で「護国丸」が被弾炎上したが、沈没には至らなかった[39]。同日20時25分、米潜水艦の発射した魚雷が左舷後部に命中[40]。この時、米潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) は魚雷4本を発射していた。松山司令官は「磯波」に将旗を移揚、「涼風」による曳航作業は浸水によりうまく行かなかった[41]。生存者を「涼風」に収容したのち「天龍」は23時に南緯05度8分 東経145度57分 / 南緯5.133度 東経145.950度 / -5.133; 145.950地点で沈没[42]。少なくとも21名が戦死した[43]。12月21日、旗艦は「磯波」から「望月」に変更[44]。12月24日、第十八戦隊は解隊し、「龍田」は第八艦隊所属となった[45]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』129-131頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 角田貫三 中佐:1918年2月16日[46] - 7月20日[47]
  2. (兼)角田貫三 中佐:1918年7月20日[47][48] -

艦長[編集]

  1. 角田貫三 中佐:1918年7月20日[47] - 1920年11月20日
  2. (心得)村瀬貞次郎 中佐:1920年11月20日 - 1920年12月1日[49]
  3. 村瀬貞次郎 大佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
  4. 横尾敬義 大佐:1921年12月1日 - 1922年5月29日
  5. 河村達蔵 大佐:1922年5月29日 - 1922年12月1日
  6. 松下元 大佐:1922年12月1日 - 1923年10月15日
  7. (心得)小栗信一 中佐:1923年10月15日 - 12月1日
  8. 小栗信一 大佐:1923年12月1日 - 1924年12月1日
  9. 瀧田吉郎 大佐:1924年12月1日 - 1925年10月20日
  10. 木田新平 大佐:1925年10月20日 - 1925年12月1日
  11. 毛内効 大佐:1925年12月1日 - 1926年11月1日
  12. 山口清七 大佐:1926年11月1日 - 1927年11月15日
  13. 菊野茂 大佐:1927年11月15日 - 1928年12月10日
  14. 沢本頼雄 大佐:1928年12月10日 - 1929年8月20日
  15. 高橋伊望 中佐:1929年8月20日 - 1929年11月1日
  16. 蜂屋義尾 大佐:1929年11月1日 - 1930年12月1日[50]
  17. 斑目健介 大佐:1930年12月1日 - 1932年11月15日
  18. 田結穣 大佐:1932年11月15日 - 1933年11月1日
  19. 金沢正夫 大佐:1933年11月1日 - 1934年5月25日
  20. 井沢徹 大佐:1934年5月25日 - 11月15日
  21. 春日末章 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月21日
  22. 鎌田道章 大佐:1935年11月21日 - 1936年2月15日
  23. 工藤久八 大佐:1936年2月15日 - 1936年11月10日
  24. 宇垣完爾 大佐:1936年11月10日 -
  25. 阿部孝壮 大佐:1937年8月2日 -
  26. 山崎貞直 大佐:1938年12月15日 -
  27. 鹿目善輔 大佐:1939年11月15日 -
  28. 高橋雄次 大佐:1940年10月15日 -
  29. 後藤光太郎 大佐:1941年8月28日 -
  30. 浅野新平 大佐:1942年6月5日 -
  31. 上田光治 大佐:1942年12月5日 -

同型艦[編集]

画像[編集]

脚注[編集]

  1. ^ #S1612十八戦隊日誌(1)p.3『(一)一般情勢(略)12月1日當隊編成セラレ同2日司令官着任仝12月8日ヲ期シ開戦ノコトニ定メラレタル旨下達セラレタリ』
  2. ^ #S1612十八戦隊日誌(1)p.4『(ロ)第一次攻略戦(自十二月八日至十二月十三日)12月8日我軍ノ対米第一撃ヲ確認シ勇躍待機位置「クエゼリン」ヲ出撃警戒ヲ厳ニシツツ12月11日「ウ」島ニ迫リタルモ…』
  3. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.10『(チ)…0410陸上要点ニ砲撃下令西航中駆逐隊ノ混乱セルヲ認メ反転砲撃ヲ続行セシモ攻略部隊ガ陸戦隊ヲ揚陸セシヤ否ヤ不明ニシテ大ナル不安アリシヲ以テ夕張ニ対シ「陸戦隊揚陸センヤ」ト照会センモ応答ナク、夕張ヨリ避退セヨトノ令ヲ傍受シ且ツ至近ニ敵弾着スルニ至リタルヲ以テ0425砲撃ヲ止メ南方ニ変針セリ』
  4. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.p.10-11『(リ)0459敵戦闘機ノ飛来ヲ認メ巨離800米トナシ機宜増速敵機ヲ攻撃シツツ回避運動中0510及0524天竜ニ対シ0520竜田ニ対シ敵機ノ掃射及爆撃アリ』
  5. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.61『二.死傷者調査表(イ)第一次作戦』
  6. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.11『(ル)(略)夕張ニ対シ0900「貴部隊ニ対シ援助ヲ要スルコトアラバ知ラサレ度」旨通報セシモ応答ナシ』
  7. ^ #S1612十八戦隊日誌(2)p.63『(ロ)第二次作戦死傷者調査表』
  8. ^ #S1705十八戦隊日誌(1)p.66『五.作戦経過概要』
  9. ^ #S1705十八戦隊日誌(2)p.49『13日|0700天竜龍田出渠|新任司令官海軍少将松山光治着隊、前任司令官海軍少将丸茂邦則退隊』
  10. ^ #S1705十八戦隊日誌(2)pp.48-51『五.作戦経過概要』
  11. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)43頁『第六、第十八各戦隊のSN作戦における活躍』
  12. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)38頁『SN作戦及び「リ」号研究作戦の準備』
  13. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)40頁『SN作戦計画の下令』
  14. ^ #S1708十八戦隊日誌(1)p.12『今次夜戦ニ於テ鳥海及第六戦隊トノ通信途絶シ敵情ヲ全ク得ラレスシテ突入セリ』
  15. ^ #S1708十八戦隊日誌(1)p.17『天龍ニ於ケル被弾ハ照射セル際ニ受ケタル探照燈及其ノ附近ノモノノミナリキ』
  16. ^ #S1708十八戦隊日誌(1)p.21『第六航海兵器(略)二.8月8日夜戦ニ於テ発砲ノ激動ニテ転輪故障シ保安上不安ヲ感ジタリ』
  17. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)410頁、430頁
  18. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)p.9『天龍浜風ヲ率ヰ敵飛行機ノ来襲ヲ考慮(12日)同夜沈没地点北西方面海面及「ノルマンビー」島北東岸捜索ノ事ニ決セリ』
  19. ^ #S1709十八戦隊日誌(4)p.10『(一)天龍被害(1)RR警戒停泊中2日未明敵大型機数機ノ来襲アリテ0335天龍後甲板左舷ニ命中弾及前部右舷側ニ至近弾ヲ受ケ戦闘航海不能と成レルモ…』
  20. ^ #S1709十八戦隊日誌(5)pp.56-57『別図第一 爆撃被害略図 其ノ一(天龍船体右舷)|爆撃被害略図其ノ二(天龍船体左舷)』
  21. ^ #S1709十八戦隊日誌(4)p.11『(2)主要被害(詳細天龍所報)』
  22. ^ #S1709十八戦隊日誌(4)p.12『23日八根供用ノ八糎高角砲ノ假装備ヲ完了ス29日午後菊川丸RR着31日八海丸ノ協力ヲ得テ砲身取付ヲ了シ11月1日完備ノ予定』
  23. ^ #S1711四水戦日誌(4)p.45『11月1日(略)一.甲増援隊2230RXE(ショートランド)出撃(ガ島輸送)|(略)一.甲増援隊(1600発動)指揮官(将旗)4sd 兵力4sd(由良峯雲夏雲五月雨欠)11dg(白雪)6dg(雷、暁)天竜』
  24. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.29『1日1515増援部隊指揮官|増援部隊電令作第16号甲増援隊ニ天竜ヲ加フ』
  25. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.32『3日0915(将旗)4sd|(ロ)破損放棄短艇内火艇3(村雨、夕立、暁各1隻)カッター6(天竜村雨夕立春雨白露雷各一隻)/(ハ)陸上残留短艇員天竜7村雨5暁6雷5(略)』
  26. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.31『3日0502(将旗)4sd|2dg及有明ハ天竜ノ警戒ニ當ル』
  27. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.37『4日1030増援部隊指揮官(略)甲増援部隊ニ8dg(駆逐艦1欠)ヲ加ヘ天竜ヲ削除、乙増援部隊ヨリ8dg(駆逐艦一欠)ヲ削除天竜ヲ加ヘ指揮官ヲ本職ニ改ム』
  28. ^ #S1711四水戦日誌(1)pp.46-47『6日1822増援部隊指揮官|外南洋部隊増援部隊戦闘概報第六号(略)11月2日4sd(由良d×3欠)天竜19dg(1隻欠)8dg(1隻欠)6dg(二隻欠)11dg(三隻欠)望月ヲ以テ陸兵400弾薬糧秣100屯ヲ輸送…』
  29. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.49『7日0800(将旗)4sd|本職将旗ヲ天竜ニ移揚セリ』
  30. ^ #S1711四水戦日誌(2)p.3『9日1030(将旗)4sd|本職本日1500将旗ヲ朝雲ニ移揚ス』
  31. ^ #S1711七戦隊日誌(1)pp.9-10『四参考 麾下艦船部隊ノ行動(天龍)11月10日/指揮下ニ入ル』
  32. ^ #S1711四水戦日誌(4)p.43『四.参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動|| 朝雲7日|0810天竜(将旗移揚)ショートランド 9日1500|朝雲』
  33. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.6『(略)〔兵力、第七戦隊(熊野欠)摩耶天龍、第十駆逐隊、朝潮〕』
  34. ^ #S1709十八戦隊日誌(6)p.15『13日1100(将旗7S)|當隊(鈴谷摩耶天龍及駆逐艦4)「サボ」島南方ヨリ「ルンガ」沖ニ進入2330「ガ」島飛行場砲撃開始ノ予定』
  35. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.6『(三)13日0540外南洋部隊主隊ト共ニ「ショートランド」出撃2210「「サボ」島北西方ニ於テ主隊ト分離支援隊ヲ率ヰ「ガ」島海面ニ突入飛行場制圧射撃ヲ実施14日0004射撃ヲ終了…』
  36. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.7『(四)17日0600支援隊〔第七戦隊(熊野欠)摩耶天龍涼風及早潮〕ヲ率ヰ「ショートランド」出撃18日1242「カビエン」着「ソロモン」方面作戦支援並ニ「カビエン」方面警戒ニ任ズ』
  37. ^ #S1711七戦隊日誌(1)p.7『(七)23日天龍、早潮ハ支援隊ヨリ除カレ「カビエン」ヲ出港ス』
  38. ^ #S1709十八戦隊日誌(6)p.32『23日|0545涼風RR着、0600将旗ヲ天竜ニ復帰涼風ノ指揮ヲ解ク』
  39. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)p.21『1750(将旗)18S|護国丸爆弾命中火災』
  40. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)p.22『2025(将旗)18S|天龍後部ニ魚雷命中自力航行不能後部ヨリ沈下シツツアリ』
  41. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)p.22『18日2237(将旗)18S|一.マダン上陸成功2208/二.天龍被害ニ依リ将旗ヲ磯波ニ移揚ス/三.天竜ハ涼風ヲシテ極力曳航ニ努メシメアルモ尚沈下シツツアリ浸水後部上甲板ニ達ス』
  42. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)p.22『2330(将旗18S)|18S(龍田缺)「ム」号作戦為RZK方面行動中天竜18日2025南緯5度8分東経145度57分ニテ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ後機左舷ニ1本命中浸水甚ダシク2300沈没 御寫眞ハ磯波ニ奉安乗員ノ殆ド全部ハ涼風ニ収容セリ』
  43. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)pp.27-29『(三)戦死(行方不明ヲ含マズ)|天龍(12.18)戦死|准士官以上2|下士官兵19|計21』
  44. ^ #S1709十八戦隊日誌(8)p.63『12月21日兵力部署変更セラレ望月ニ将旗ヲ移揚24日附解隊トナリ同日1400将旗撤去』
  45. ^ #戦隊行動調書p.20『12.24 18S解隊 竜田8Fへ』
  46. ^ 『官報』第1661号、大正7年2月18日。
  47. ^ a b c 『官報』第1791号、大正7年7月22日。
  48. ^ 『官報』第1792号、大正7年7月23日。『官報』第1791号で「艤装員長」の「長」が漏れていたことの訂正あり。
  49. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  50. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08051772000 『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C08030057600 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
    • Ref.C08030057700 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
    • Ref.C08030057800 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
    • Ref.C08030057900 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
    • Ref.C08030058000 『昭和16年12月1日~昭和17年1月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報 AA攻略作戦(1)』。
    • Ref.C08030059100 『昭和17年2月1日~昭和17年3月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030059200 『昭和17年2月1日~昭和17年3月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030059300 『昭和17年2月1日~昭和17年3月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030059400 『昭和17年2月1日~昭和17年3月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030059500 『昭和17年2月1日~昭和17年3月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030059800 『昭和17年4月1日~昭和17年5月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030059900 『昭和17年4月1日~昭和17年5月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030056000 『昭和17年4月1日~昭和17年5月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030056100 『昭和17年4月1日~昭和17年5月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030060400 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030060500 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030060600 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030060700 『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030061800 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030061900 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030062000 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030062100 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030062200 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030062300 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030062400 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030062500 『昭和17年8月1日~昭和17年9月8日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030768600 『昭和17年11月~昭和17年12月 第7戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030062800 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030062900 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030063000 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030063100 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030063200 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030063300 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030063400 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。
    • Ref.C08030063500 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(8)』。
    • Ref.C08030022500 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030022700 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030022800 『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030114700 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030114800 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030114900 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030115000 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030115100 『昭和17年11月1日~昭和17年11月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第8巻 軽巡Ⅰ』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0458-X
  • 歴史群像太平洋戦争シリーズ51 真実の艦艇史2 ISBN 9784056040838
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 官報

関連項目[編集]