能代 (軽巡洋艦)

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能代
Japanese cruiser Noshiro in 1943.jpg
1943年6月、東京湾内で全力公試中[1]、まはた終末運転公試中[2]と推定される「能代」
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 横須賀海軍工廠[3]
計画 1939年マル4計画
起工 1941年9月4日[3]
進水 1942年7月19日[3]
竣工 1943年6月30日[3]
除籍 1944年12月20日[4]
最後 1944年10月26日沈没[4]
北緯11度42分 東経121度41分 / 北緯11.700度 東経121.683度 / 11.700; 121.683[4]
要目 (計画)
種別 二等巡洋艦
クラス 阿賀野型
基準排水量 6,651英トン[5] または 6,652英トン[3]
公試排水量 7,710トン[3]
満載排水量 8,338.4トン[5]
全長 174.50m[3]
水線長 172.00m[3]
垂線間長 162.00m[3]
全幅 15.20m[3]
深さ 10.17m[3]
吃水 公試平均 5.63m[5][3]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付)6基[3]
主機 艦本式タービン4基[3]
推進 4軸[3]
出力 100,000hp[3]
速力 35ノット[3]
燃料 重油 1,420トン[3]
航続距離 6,000カイリ / 18ノット[3]
乗員 計画乗員 700名 + 司令部26名[6]
兵装 50口径15cm連装砲 3基6門 [7]
九八式8cm連装高角砲2基4門 [7]
25mm機銃3連装2基6挺(竣工時)[7]
同 3連装10基、単装18挺(1944年7月)[8]
13mm連装機銃2基(竣工時)[注釈 1]
61cm四連装魚雷発射管 2基8門[9]
九三式一型改一魚雷16本[9]
九五式爆雷18個[9]
装甲 計画[10]
機関部舷側 60mmCNC、甲板 20mmCNC鋼
弾火薬庫舷側55mmCNC、甲板20mmCNC鋼
舵取機室舷側 30mmCNC、甲板20mmCNC鋼
操舵室舷側 30mmCNC鋼
搭載艇 竣工時[注釈 2]
11m内火艇1
9m内火艇1
12m内火ランチ1
9mカッター(救助艇)2
搭載機 零式水上偵察機2機[11]
レーダー 21号電探1基(竣工時)[12]
22号電探2基(1944年7月以降)[12]
13号電探1基(1944年7月以降)[12]
その他 呉式二号射出機5型1基[13] または一式二号射出機11型1基[14]
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能代(のしろ)は、日本海軍軽巡洋艦阿賀野型の2番艦。艦名は、秋田県を流れる米代川の下流域の別称、能代川にちなんで命名された。日本海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照。

太平洋戦争[編集]

竣工後ブーゲンビル島ニューアイルランド島カビエンへの輸送作戦に従事。

1943年11月1日のアメリカ軍のブーゲンビル島上陸に対し重巡洋艦7隻などと共に3日トラックを出航し5日ラバウルへ到着。同日ラバウルで米第38任務部隊による空襲を受け小破。
トラックからカビエンへの輸送作戦の際1944年1月1日カビエンで揚陸中に空襲を受け中破。
6月12日第三次渾作戦ソロン沖バチャン泊地に進出。13日アメリカ軍のサイパン来襲により作戦中止となり16日機動部隊と合流し19日、20日マリアナ沖海戦に参加。7月リンガ泊地に進出。

アメリカ軍のレイテ島来襲に対し、「能代」は栗田艦隊に属し、10月18日リンガ泊地を出撃する[15]。22日、ブルネイ泊地を出撃、23日から24日空襲前に艦載偵察機を発進させた[16]。24日シブヤン海海戦では主砲零式弾120発、8cm高角砲210発、機銃18000発を発射し、米軍機撃墜3、不確実2、協同撃墜7を主張する[17]。だが「能代」を含めた各艦は存在しない米潜水艦発見を報告し、空襲の最中にある艦隊は混乱した[18]。25日サマール島沖海戦では、米機動部隊を追撃し、戦闘前半ではスコールと煙幕により米艦隊を見失い[19]、午前8時38分には米駆逐艦主砲弾1発が弾薬供給所右舷上甲板に命中したが、戦死1名負傷3名で、それ以上の被害はなかった[20]栗田健男中将から追撃停止・反転命令があるまでに「能代」は巡洋艦1隻撃沈、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻撃破を記録した[21]。午後の米軍機の空襲では、左舷後部重油タンクに破孔が生じ、浸水により左舷外軸スクリューが使用不能・発揮可能速力32ノットとなる[22]。対空戦闘で米軍機撃墜6、不確実6、協同8を主張し[23]、25日の弾薬消費は主砲零式弾100発、四号通常弾160発、8cm高角砲450発、機銃24000発だった[24]

26日、「能代」を含めた栗田艦隊は、帰投途中にミンドロ島の南で米軍第38任務部隊による空襲を受ける。午前8時46分、爆弾1発が高角砲弾薬供給所に命中し小火災が発生したが、これは消火に成功し、致命傷にならなかった[25]。8時52分、左舷中央に魚雷1本が命中し、第1・第3缶室が浸水、傾斜16-26度となり、洋上に停止した[26]。魚雷の投棄や重量物の移動により傾斜8度まで回復、10時30分ごろ曳航作業がおおむね完成した[27]。その時、再び米軍機20機の空襲を受けた。洋上停止中の「能代」は回避行動もできず、10時39分に二番主砲塔右舷附近に魚雷1本が命中する[28]。「能代」は艦首から沈下をはじめ、10時49分に総員上甲板が発令される[29]。11時6分、総員退去。11時13分、北緯11度42分、東経121度41分の地点で「能代」は沈没した[30]。最後の戦闘で、「能代」は主砲零式弾20発、高角砲35発、機銃11000発を発射し、撃墜3、不確実1、協同5を記録した[31]。戦死行方不明者は87名、負傷者51名[32]。生存者は駆逐艦「浜波」と「秋霜」に救助された[33]

艦歴[編集]

  • 1941年9月4日 阿賀野型2番艦として横須賀工廠で起工。
  • 1942年7月19日 進水。
  • 1943年6月30日 竣工。
  • 1943年8月15日 第2水雷戦隊の旗艦となる。
  • 1944年1月1日 カビエン港外において、50kg爆弾を2発被弾。
  • 1944年10月26日 ミンドロ島南方にて空襲を受け魚雷2本、爆弾1発が命中。沈没。 

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』173-174頁、『日本海軍史』第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 田原吉興 大佐:1943年5月1日 - 1943年5月20日

艦長[編集]

  1. 田原吉興 大佐:1943年5月20日 -
  2. 梶原季義 大佐:1943年12月15日 -

同型艦[編集]

備考[編集]

戦後、旧海軍残務処理機関の吉田英三大佐を中心とするグループが構想した「新海軍」では、本艦「能代」をタイプシップとする巡洋艦を4隻建造し、艦隊旗艦及び戦隊旗艦とすることが考えられていた[34]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #JapaneseCruisersp.571によると、竣工時には後部マスト直前の構造物上に13mm連装機銃を左右1基ずつ装備。
  2. ^ #JapaneseCuisersp.593による。計画では9mカッター1を加えた計6隻だが、その9mカッターは煙突左舷に「阿賀野」と「能代」が一時的に搭載したのみという。

出典[編集]

  1. ^ #日本海軍艦艇写真集巡洋艦p.178.
  2. ^ #海軍艦艇史2p.441.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s #昭和造船史第1巻784-785頁。
  4. ^ a b c #写真日本の軍艦第9巻p.104。
  5. ^ a b c 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」2頁の計画値「註.上記ノモノハ昭和十四年十月十三日艦本機密決第五三八号ニ依ル基本計画当初ノモノヲ示ス」。
  6. ^ 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」22頁。
  7. ^ a b c 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」4頁。
  8. ^ #世界巡洋艦物語p.356、あ号作戦後の巡洋艦兵装増備状況一覧表。
  9. ^ a b c 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」6頁。
  10. ^ 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」20頁。
  11. ^ #写真日本の軍艦第9巻p.87の写真による。
  12. ^ a b c #JapaneseCruiserspp.578-579.
  13. ^ 梅野和夫#阿賀野型の航空兵装
  14. ^ #JapaneseCruisersp.572.
  15. ^ #捷号戦時日誌(7)p.5
  16. ^ #捷号戦時日誌(7)p.6、#能代詳報(1)p.16
  17. ^ #能代詳報(1)p.21、#捷号戦時日誌(7)p.7
  18. ^ #能代詳報(1)pp.17-18
  19. ^ #能代詳報(1)p.6
  20. ^ #能代詳報(1)pp.7、29
  21. ^ #能代詳報(1)p.7
  22. ^ #捷号戦時日誌(7)p.9、#能代詳報(1)p.8
  23. ^ #捷号戦時日誌(7)p.8
  24. ^ #能代詳報(1)p.38
  25. ^ #能代詳報(1)p.42
  26. ^ #能代詳報(1)pp.8、42
  27. ^ #能代詳報(1)p.9、43
  28. ^ #能代詳報(1)p.9
  29. ^ #能代詳報(1)p.9、43
  30. ^ #捷号戦時日誌(7)p.10、#能代詳報(1)pp.9,44
  31. ^ #能代詳報(1)p.42、#能代詳報(2)p.3
  32. ^ #能代詳報(2)p.4、#捷号戦時日誌(7)p.11
  33. ^ #能代詳報(1)p.10
  34. ^ 海上自衛隊海上幕僚監部所蔵『旧海軍残務処理機関における軍備再建に関する研究資料』記載の編成表による

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030038600 『昭和19年10月1日~昭和19年11月5日 捷号作戦戦時日誌(7)軍艦能代・軍艦妙高』。
    • Ref.C08030578900 『昭和19年10月23日~昭和19年10月29日 軍艦能代戦闘詳報 第3号(1)』。
    • Ref.C08030579000 『昭和19年10月23日~昭和19年10月29日 軍艦能代戦闘詳報 第3号(2)』。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • Eric Lacroix; Linton Wells II (1997). Japanese Cruisers of the Pacific War. Naval Institute Press. 
  • 写真 日本の軍艦 第9巻 軽巡II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1990年ISBN 4-7698-0459-8
    • 梅野和夫 『阿賀野型の航空兵装』、112-113頁。
  • 『昭和造船史(第1巻)』 (社)日本造船学会/編、原書房〈明治百年史叢書 第207巻〉、1981年(原著1977年)、3。ISBN 4-562-00302-2
  • 『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』 呉市海事歴史科学館/編、ダイヤモンド社、2005年ISBN 4-478-95059-8
  • 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」