大山祇神社
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| 大山祇神社 | |
|---|---|
大山祇神社 神門 |
|
| 所在地 | 愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地 |
| 位置 | 北緯34度14分52.20秒 東経133度0分21.23秒 |
| 主祭神 | 大山積神 |
| 社格等 | 日本総鎮守 伊予国一の宮 延喜式神名帳名神大 国幣大社 山祇神社・三島神社 総本社 |
| 創建 | 三島宮社記 伝 推古天皇2年(594年) |
| 本殿の様式 | 三間社流造、檜皮葺 |
| 札所等 | 元 四国八十八箇所55番 |
| 例祭 | 例大祭(旧暦4月22日) お田植え祭(旧暦5月5日) 産須奈大祭(旧暦8月22日) |
| 主な神事 | 赤土拝・福木(1月7日) |
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、瀬戸内海の大三島に位置する神社。所在地は愛媛県今治市大三島町宮浦。大山積神を祭神とし、全国の山祇神社、三島神社の総本社である。国宝8件、国の重要文化財75件(2008年現在)を有し、天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。 皇室からも厚く信奉されており、境内には昭和天皇の研究を展示した海事博物館が併設されている。
目次 |
[編集] 由緒
山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割がこの神社に集まっている。近代においても日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめ、現在でも海上自衛隊、海上保安庁の幹部などが参拝している。
この地に鎮座した由来として、大山祇神の子孫の乎千命(おちのみこと)がこの地に築いたとする説、伊豆国の三嶋大社(現、静岡県三島市)から分霊を招いたとする説、朝鮮半島から渡来した神であるとする説など諸説があるが、摂津国の三島江(現、大阪府高槻市)からこの地に移されたとするのが一般的である[要出典]。 いずれにしても、かなり古い時代から存在した神社であることは確かで、平安時代には朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されている。
また、日本各地に一万社余りある山祇神社、三島神社の総本社とされるが、一部の三島神社(主に東国)については静岡県の三嶋大社の分社もある。また、三嶋大社自体を大山祇神社の分社とする説や、逆に大山祇神社の方が三嶋大社の分社とする説があり、まったく別の神社とする説もある。これらについては三嶋大社の項を参照のこと。
[編集] 年表
- 伝 推古天皇2年(594年) 摂津国三島江から大三島瀬戸に移る
- 伝 大宝元年(701年) 現在地(大三島宮浦)に移る
- 伝 養老3年(719年) 遷宮の儀
- 元亨2年(1322年)戦火に遭い本殿、拝殿焼失
- 伝 天授4年(1378年)(天正3年(1575年)) 本殿、拝殿再建
- 伝 応永34年(1427年)本殿再建(向拝実肘木墨書)
- 天文12年(1543年) 大三島合戦、鶴姫戦死
- 伝 慶長7年(1602年) 拝殿建築
- 平成4年(1992年) 過激派(中核派)の放火により祖霊殿が全焼
[編集] 祭神
[編集] 社格
[編集] 祭事
- 歳旦祭 - 1月1日
- 生土祭 - 1月7日
- 御更衣御戸開祭 - 旧4月21日
- 例大祭 - 旧4月22日
- 御田植祭 - 旧5月5日
- 全国鉱山工場安全祈願祭 - 6月27日
- 五穀豊穣祈願祭 - 6月27日
- 産須奈大祭 - 旧8月22日
- 抜穂祭 - 旧9月9日
- 七五三祝祭 - 11月15日
- 御更衣御戸開祭 - 11月22日
- 全国鉱山工場安全祈願祭 - 12月1日
- 酒口祭 - 12月
- 大祓式 - 12月31日
- 除夜祭 - 12月31日
[編集] 一人角力
毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる相撲神事である。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。
この神事については「三島大祝安積の松山寺社奉行所差出書」(宝永4年(1707年))に5月5日・9月9日に相撲を取らせたとあり、また大三島の瀬戸地区(現 今治市上浦町南東部)の向雲寺住職慈峯が享保20年(1735年)に「端午(5月5日)神事の節於宮浦邑の斎事有其内瀬戸の独り相撲と名乗る儀式あり役人は甘崎(瀬戸に隣接する地区)より出候得共瀬戸と名乗る」と記しており、古くからの神事であったことが察せられる。(貞治3年(1364年)の書物にも相撲奉納の記録が残る。)
春の御田植祭の時には、お田植神事の前に、そして秋の抜穂祭の時には、抜穂神事の後に行われており、稲の精霊が勝つことによって、春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという神事である。全国的にも珍しく、昭和39年(1964年)に愛媛県の無形文化財の指定を受け、昭和52年(1977年)に県の無形民俗文化財に指定替えになる。
記録によると江戸時代は現在の今治市上浦町瀬戸の力士によって行われ、一番勝負であったとされる。また、明治以降の力士として、堀田金八、藤原岸蔵、藤原初治、越智直治、松岡栄太郎、藤原忠八、元岡敬、藤原荒市などの氏名が記されており、いずれも10年20年と奉仕してきたようである。また、現在使われている「一力山」という四股名は藤原百千氏の命名による。
昭和59年(1984年)を機に途切れていた一人角力は、大三島中学校教諭 越智秀雄のはたらきかけにより、平成2年の愛媛県地域生活文化研究発表会で大三島中学校生徒により披露されることとなり、以後同中学校において伝承文化発表会で毎年熱演されている。平成6年~10年の間には、大三島中学校生徒会 会長・副会長による一人角力が実際の御田植祭と抜穂祭でも奉納された。現在、しまなみ海道開通(平成11年)を契機として、地元の若者の中から選ばれた力士役・行司役の2人により成人の一人角力復活がなされている。
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 紺糸威鎧 兜、大袖付 1領 伝河野通信奉納 平安末期
- 赤糸威鎧 大袖付 1領 伝源義経奉納
- 紫綾威鎧 大袖付 1領 伝源頼朝奉納
- 禽獣葡萄鏡 1面 唐時代、白銅円鏡
- 大太刀 銘 貞治五年丙午千手院長吉 1口 伝後村上天皇奉納 刃長136cm。反り4.8cm。
- 沢瀉威鎧(おもだかおどしよろい) 兜、大袖付(金具廻革所欠失) 1領 伝越智押領使好方奉納 平安初期、日本最古の鎧
- 牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵 1口 伝護良親王奉納 鎌倉時代
- 大太刀 無銘 伝豊後友行 附野太刀拵 1口 伝大森彦七(楠木正成の首をはねた武将)奉納 刃長180cm。反り5.4cm。
[編集] 重要文化財
(建造物)
- 本殿(宝殿) 1棟
- 拝殿 1棟
- 宝篋印塔 3基
(彫刻)
- 木造御神像 17躯
- 大山祇命(おおやまつみのみこと)坐像
- 中山祇命(なかやまつみのみこと)坐像
- 麓山祇命(はやまつみのみこと)坐像
- 正鹿山祇命(まさかやまつみのみこと)坐像
- 䨄山祇命(しぎやまつみのみこと)坐像(「しぎ」の漢字は篇の上部が「今」、下部が「酉」、旁が「隹」)
- 磐裂命(いわさくのみこと)坐像
- 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)坐像
- 磐長姫命(いわながひめのみこと)坐像
- 木之花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)坐像
- 大禍津日神(おおまがつひのかみ)坐像
- 猿田彦命(さるたひこのみこと)坐像
- 闇龗命(くらおかみのみこと)坐像(「おかみ」の漢字は「雨冠」の下に「口」を3つ横に並べ、その下に「龍」)
- 大直日神(おおなおびのかみ)坐像
- 火須勢理命(ほすせりのみこと)坐像
- 日子火々出見命(ひこほほでみのみこと)坐像
- 大直日神坐像
- 大雷神(おおいかづちのかみ)坐像
- 木造女神坐像 4躯
- 木造守門神立像 4躯
(刀剣類)
- 螺鈿飾太刀 伝小松重盛奉納 1口
- 革包太刀 銘国吉作 大内義隆奉納 1口
- 赤銅造太刀 銘宗延作 1口
- 太刀 銘恒真 革包太刀拵 1口
- 黒漆太刀 無銘 1口
- 革包太刀 無銘 1口
- 太刀 銘行真 拵 山金造螺鈿鞘野太刀 1口(刀身は1942年盗難)
- 刀 銘慶長九年二月吉日信濃守国広作 依賀茂縣主保経所望打之 1口(1942年盗難)
- 太刀 銘有綱 拵 山金造革包太刀 1口
- 金象嵌両添刃鉄鉾 1口
(鎧)
- 浅葱糸威褄取鎧(あさぎいとおどしつまどりよろい) 大袖付 1領 伝祝彦三郎安親奉納
- 萌黄綾威腰取鎧(もえぎあやおどしこしとりよろい) 大袖付 1領 伝河野通有奉納
- 紫韋威鎧(むらさきがわおどしよろい) 大袖付 1領
- 紫韋威鎧 大袖付 1領
- 紅糸威鎧 1領
- 白糸威褄取鎧 1領
- 藍韋威鎧 1領 伝河野通時奉納
(胴丸)
- 色々威胴丸 兜、頬当、大袖、籠手付 1領
- 色々威胴丸 兜、大袖1隻付 1領
- 熏韋威胴丸(ふすべかわおどしどうまる) しころ、大袖付 1領(「しころ」は篇が「革」、旁が「毎」)
- 紫糸威腰赤銅丸 大袖付 1領
- 茶糸威肩赤白胴丸 大袖付 1領
- 藍韋威胴丸 大袖付 1領
- 藍韋威胴丸 兜、大袖付 1領
- 藍韋威胴丸 兜、大袖付 1領
- 紫韋威胴丸 兜、大袖付 1領
- 藍韋威肩腰白胴丸 大袖付 1領
- 熏韋威胴丸 大袖付 1領
- 熏紫韋威胴丸 大袖付 1領 伝木曽義仲奉納
- 紫韋威胴丸 兜、壺袖付 1領
- 紫韋威胴丸 大袖1隻付 1領
- 藍韋威裾紫胴丸 兜付 1領
- 熏韋威胴丸 1領
- 熏韋威胴丸 1領
- 熏韋威胴丸 兜、大袖付 1領
- 熏韋威胴丸 大袖、袖印付 1領
- 紅綾威肩腰萌黄綾胴丸 1領
- 熏韋包胴丸 壺袖付 1領
- 藍韋威肩腰白胴丸 大袖付 1領
- 紫韋威胴丸
- 紫韋威胴丸 1領
- 熏韋威胴丸(大破) 1領
- 黒韋威胴丸(大破) 1領
- 紺糸裾素懸威胴丸 1領 伝鶴姫着用。胸部を大きく取り腰部を狭くした作りの女鎧。
(腹巻)
- 色々威腹巻 兜、喉輪、大袖付 1領
- 藍韋威胸白紅白腹巻 大袖付 1領
- 色々威腹巻 喉輪、大袖付 1領
- 藍韋威胸白紅白腹巻 大袖付 1領
- 藍韋威腹巻 兜、大袖付 1領
- 色々威鉄腹巻 籠手付 1領
- 藍韋威胸紅白紅腹巻 1領
- 色々威裾萌黄素懸腹巻 1領
- 藍韋威胸紅白紅腹巻 1領
- 熏韋威胸紅浅葱糸腹巻
- 藍韋威胸紅白腹巻 1領
- 熏韋威腹巻(大破) 1領
- 熏韋威腹巻 2領
- 鉄腹巻6領
- 茶糸素懸威鉄腹巻 兜、頬当、袖、籠手付 1領
- 萌黄糸素懸威鉄腹巻 1領
- 紫糸素懸威鉄腹巻 壺袖付 1領
- 紫糸素懸威鉄腹巻 1領
- 紫糸素懸威鉄腹巻 1領
- 紫糸素懸威鉄腹巻 1領
(武器武具類)
- 紺糸威膝鎧 1双
- 白綾威二十四間四方白星兜 1頭
- 兜6頭
- 黒韋威二十間筋兜 1頭
- 藍韋威二十八間筋兜 1頭
- 白綾威裾藍韋二十四間筋兜 1頭
- 藍韋威肩白十二間筋兜 1頭
- 紫韋威三十二間筋兜 1頭
- 鳶兜 1頭
- 大袖7双
- 色々威大袖 1双
- 熏韋威肩白大袖 1双
- 藍韋威腰萌黄大袖 1双
- 白綾威大袖 1双
- 紫韋威大袖 1双
- 洗韋威大袖(四段以下欠) 1双
- 金小札紅糸威腰浅葱大袖 1双
- 鍍金大前立 3種
- 革箙(かわえびら) 1腰 伝和田小太郎義盛奉納
- 三島明神奉納武器類
(その他工芸品)
(書跡典籍)
- 大山祇神社法楽連歌 274帖 附安永六年八月十三日整理目録1巻
[編集] 用語説明
指定文化財の名称を理解するために必要最小限のものについて略説する。
- 鎧(よろい)、胴丸(どうまる)、腹巻(はらまき)
- これら3つは中世以前に盛行した日本甲冑の主要形式である。「鎧」は「大鎧」(おおよろい)、「式正の鎧」(しきしょうのよろい)とも言い、武将などが着用した馬上戦用の鎧であり、「胴丸」「腹巻」はいずれも南北朝時代以降に盛行したもので、「鎧」よりは簡便な構造形式になる。それぞれの詳しい構造形式等についてはリンク先を参照。
- 袖(そで)
- 両肩・上腕部を護る防具で、甲冑本体と同様の材料・技法で作られる。形状により大袖、壷袖などに分けられる。
- 威(おどし)
- 甲冑の主要な構成要素である小札(こざね、鉄板または練革製の小板)を組糸や韋(かわ)で縦方向に連結することを「威す」と言う。「威」の語源は「緒通し」、すなわち、小札に開けられた孔に緒を通すところから来ていると言われる。糸や韋の色によって「白糸威」「紫韋威」「藍韋威」「紫糸威腰赤」「藍韋威胸紅白」など、さまざまな名称が付けられる。
- 韋(かわ)
- 甲冑の各所に用いられている鹿のなめし革を指す場合「韋」の字を用いるのが通例となっている。威糸のほか、兜の吹き返しなどの鉄板を包むのにも用いられている。
- 熏韋(ふすべかわ)
- 鹿のなめし革をわら、松葉などを焼いた火であぶって茶色に染めたものを指す。
- 褄取(つまどり)
- 単色の威の褄(隅の部分)を三角形に区切り、その部分のみに別色を用いた装飾方法を指す。「白糸威褄取」のように用いる。
- 腰取(こしとり)
- 単色の威の中に1箇所のみ水平に別色を用いたものを指す。
- 沢瀉威(おもだかおどし)
- 威の種類の1つで、中央部分に二等辺三角形状に別色の糸を用いるもの。
- 素懸威(すがけおどし)
- 威糸をまんべんなく並べる「毛引威」に対して、要所のみを威す方法を指す。中世末期以降の甲冑製作技法の進歩によって行われるようになった。
- 筋兜(すじかぶと)
- 縦長の鉄板を複数枚張り合わせて作った兜のうち、張り合わせ部分に補強と装飾を兼ねて筋を立てたものを指す。筋の数によって「二十八間筋兜」「三十二間筋兜」などと称する。
(参考)観光案内書等に、「大山祇神社には全国の国宝・重要文化財指定の武具・甲冑類の8割以上がある」とする資料が多いが、少なくとも「8割以上」は明らかな誤りである。数え方にもよるが、2008年現在国宝・重要文化財に指定されている武具類のうち大山祇神社所有品は約4割である[1]。
[編集] 建造物
[編集] その他
- 乎千命御手植の楠(おちのかみてうえのくすのき) 小千命手植えと伝えられる、樹齢2600年、根周り20m、高さ16m、国の天然記念物
- 能因法師の雨請幣帛掛の樟(のういんほうしのあまごいへいはくがけのくす) 枯死、「金葉和歌集」大治2年(1127)に記述あり、樹齢1500~3000年
- 河野通有の兜掛の楠 枯死、弘安4年(1281)元寇出兵時、河野通有が大山祗神社に参籠祈願、樹齢1000~?
- 伊藤博文公記念楠樹 1909年
[編集] 摂社、末社、境内社
( )内は祭神
- 摂社
- 上津社(上津姫、雷神)
- 下津社(下津姫、高籠神)
- 末社
- 十七社(諸山積、大気、千鳥、倉柱、轟、阿奈波、比目木邑、宇津、御前、小山、早瀬、速津佐、日知、御子宮、火維、若稚、宮市)
- 姫子邑神社(木花開耶姫命とその御子神)
- 境内社
- 境外社(飛地境内)
[編集] 名所・旧跡
- 横殿宮跡 同島瀬戸、旧社、719年廃
- みたらしの水 海水の中(海水のすぐそば)から湧きでる真水、大祭時献上
- 小見山、安神山(267m)、鷲ヶ頭山(437m) 神体山
- 斎田(神田)
- 神池(弁財天池)
[編集] 交通
[編集] バス
[編集] フェリー
- 宮浦港(今治市大三島町宮浦)から徒歩で約15分。
-
- 今治市の陸地部や大崎下島などを結ぶ航路が運行されている。
[編集] その他
[編集] 宝物館
[編集] 参考図書
- 『歴史群像No.45武家の尊崇厚き神の社 大山祇神社』学習研究社、2001年
[編集] 脚注
- ^ 『国宝・重要文化財大全 5 工芸品I』(毎日新聞社刊、1998)によると、国宝・重要文化財指定の大鎧41件のうち11件、胴丸54件のうち27件、腹巻39件のうち14件が大山祇神社の所有である。以上を合計すると134件中52件(39パーセント)が大山祇神社の所有である。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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