冬至

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二十四節気
冬至の日の太陽光の当たり方。冬至では太陽は南回帰線上にあるため、北半球では昼が最も短く、夜が最も長い

冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。十一月中(旧暦11月内)。

現在広まっている定気法では太陽黄経が270のときで12月22日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは冬至日(とうじび)と呼ぶ。

期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。

西洋占星術では、冬至を磨羯宮やぎ座)の始まりとする。

目次

[編集] 特徴

北半球では太陽南中高度が最も低く、一年の間でが最も短くが最も長くなる日。

暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。

[編集] 日付

日時 (UT) 日本 中国
2001年 12月21日19:21 12月22日 12月22日
2002年 12月22日01:14 12月22日 12月22日
2003年 12月22日07:03 12月22日 12月22日
2004年 12月21日12:41 12月21日 12月21日
2005年 12月21日18:34 12月22日 12月22日
2006年 12月22日00:22 12月22日 12月22日
2007年 12月22日06:07 12月22日 12月22日
2008年 12月21日12:03 12月21日 12月21日
2009年 12月21日17:46 12月22日 12月22日
2010年 12月21日23:38 12月22日 12月22日
2011年 12月22日05:31 12月22日 12月22日

冬至の瞬間の日時 (UT) と、日本中国での日付は表のとおり。

年を4で割った余り
0 1 2 3
1872年1887年 21日 22日 22日 22日
1888年1899年 21日 21日 22日 22日
1900年1919年 22日 22日 23日 23日
1920年1955年 22日 22日 22日 23日
1956年1991年 22日 22日 22日 22日
1992年2027年 21日 22日 22日 22日
2028年2059年 21日 21日 22日 22日
2060年2095年 21日 21日 21日 22日
2096年2099年 21日 21日 21日 21日
2100年2131年 22日 22日 22日 22日
2132年2163年 21日 22日 22日 22日
2164年2195年 21日 21日 22日 22日
2196年2199年 21日 21日 21日 22日

明治改暦1873年(作表の都合上1872年から記す)から2199年までの日本の冬至は表のとおり。ただし未来の日付は天体力学による予測である。

1956年から2202年までは12月21日12月22日だが、1955年までは12月23日もあった。

[編集] 天文

秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。

なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。

また、天文学的な冬至とは別に、日本では慣習的に「一年中で一番が短くが長い日」のことを冬至と呼ぶことがある。南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、南半球が日本の慣習的な意味での冬至を迎える日は、本来の夏至である。

[編集] 習俗

日本では、この日にゆず湯に入り、冬至がゆ小豆がゆ)やカボチャを食べると風邪をひかないと言われている。

中国北方では餃子を、南方では湯圓(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。 また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。

冬至(あるいは、冬至から翌日にかけて、冬至の直後、など)には、世界各地で冬至祭が祝われる。太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝う日である。クリスマスも起源は冬至祭(ユール)である。

[編集] 朔旦冬至

古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という[1]。太陰太陽暦では、19年7閏の周期を「章」と称し、古い章から新しい章への切り替えとなる年を新しい章の最初の年という意味で「章首」と呼んだ。章首の年にはまず前の章の締めくくりに当たる7番目の閏月を迎え、その後に到来するその年の冬至をもって新しい章の開始とされた。そして、その章首における冬至の日は必ず朔旦冬至となるように暦法が作られるのが原則とされていた。

朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、19年7閏原則に基づくが正確に運用されているということである。暦の正確さは、政治が正しく行われていることの証であるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。中国では古くから行われ、659年に偶々遣唐使の都・洛陽に滞在中で儀式への参加が許されている。日本では唐風儀式の取り入れに積極的であった桓武天皇784年に初めて儀式が行われた。なお、11月1日は元々翌年の暦を天皇に奏進する御暦奏も行われていたことから、非常に盛大な行事となった。

ただし、破章法を採用している暦では19年7閏が守られない場合があり、その場合新しい章の最初に朔旦冬至が到来するとは限らず、逆に章の途中で偶々朔旦冬至が到来してしまう事態(臨時朔旦冬至)も生じた。日本ではこのような状況を放置することは不祥として、暦を人為的に操作して朔旦冬至を到来させたり、回避させたりすること(「改暦」)が行われた。なお、後には章の最初以外の朔旦冬至も祝われるようになった。なお、1768年光格天皇の時に朔旦冬至の儀式が行われたのが最後であり、次の1870年の朔旦冬至の際に明治政府は古い因習として、以後こうした儀式は行わないこととした。

これまでで最後の朔旦冬至は1995年、次の朔旦冬至は2014年である。

[編集] 七十二候

冬至の期間の七十二候は以下のとおり。

初候
乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)
蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)
次候
麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)
麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)
末候
雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下でが芽を出す(日本)
水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)

[編集] 前後の節気

大雪冬至小寒

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 「年中行事事典」p519 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
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