十二支

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十二支(じゅうにし)は、の総称である(それぞれ音訓2通りの読み方がある:下表参照)。十干を天干というのに対して、十二支を地支(ちし)ともいう。

十二支と太極の彫刻
子の像(愛知県新城市・鳳来寺山

種類[編集]

十二支の12種類からなっている。十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであり、占いの道具としての設定にすぎない。また十二支を生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物の連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈[1]であって、ともに学問的な意味はない。

十二支の一覧[編集]

各国での名称[編集]

十二支 日本語 中国語 韓国語 ベトナム語 本義[2]
音読み 訓読み 拼音 読み ハングル 読み 国語 読み
ツー ティー “孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
ちゅう うし chǒu チョウ チュク sửu スウ “紐”で、生命エネルギーの様々な結合
いん とら yín イン イン dần ザン “演”で、形をとっての発生
ぼう mǎo マオ ミョ mão/mẹo マーオ/メオ 同音“冒”に通じ、開発の意
しん たつ chén チェン ジン thìn ティン “震”、同音“申”に同じ、生の活動
スー tỵ ティー “已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
うま ウー ngọ ンゴ “忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
ひつじ wèi ウェイ mùi ムイ “昧”で、陰気の支配
しん さる shēn シェン シン thân タン 陰気の支配
ゆう とり yǒu ヨウ dậu ザウ 酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
じゅつ いぬ シュー スル tuất トゥアト 同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵
がい hài ハイ hợi ホイ “核”で、生命の完全な収蔵含蓄

対応[編集]

十二支 十二生肖 十二時辰 十二辰 方位 五行 陰陽 年を割った余り
動物 時刻 名称 天区 西暦 西暦-2000
1 23時–01時 夜半 玄枵 宝瓶宮 11月 04 08
2 01時–03時 鶏鳴 星紀 磨羯宮 北東微北 12月 05 09
3 03時–05時 平旦 析木 人馬宮 北東微南 01月 06 10
4 05時–07時 日出 大火 天蝎宮 02月 07 11
5 07時–09時 食時 寿星 天秤宮 南東微北 03月 08 00
6 09時–11時 隅中 鶉尾 処女宮 南東微南 04月 09 01
7 11時–13時 日中 鶉火 獅子宮 05月 10 02
8 13時–15時 日昳 鶉首 巨蟹宮 南西微南 06月 11 03
9 猿(猴) 15時–17時 哺時 実沈 双児宮 南西微北 07月 00 04
10 17時–19時 日入 大梁 金牛宮 西 08月 01 05
11 犬(狗) 19時–21時 黄昏 降婁 白羊宮 北西微南 09月 02 06
12 () 21時–23時 人定 娵訾 双魚宮 北西微北 10月 03 07
  • 注意:月は旧暦
  • 天区は十二次十二宮と領域を同じくするが、逆方向に配されている。
  • 生肖は、実物では亥に当てられる動物が中国ではブタ、日本ではイノシシと異なっている。また漢字では申に中国が「猴」、日本が「猿」を当てていて、戌に中国が「狗」、日本が「犬」を当てて異なっているが、意味はほぼ同じである。本来は、「猿」は類人猿を、「犬」は大型犬を表す漢字である。
  • 時刻の異称は『春秋左氏伝杜預注による[3]

概説[編集]

二十四方表

古代中国で考えられ、日本に伝えられた。十二支は古く甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されている。戦国以降、だけでなく、時刻方位の記述にも利用されるようになる。

戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった十二辰は、天球天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、この名称には十二支が当てられた。また、木星が約12年で天球を西から東に一周することから、十二次という別の天球分割法における木星の位置がの記述に利用されていたが、十二辰の方向と順序に対しては逆方向であるため、紀元前4世紀ごろ、十二辰の方向に合わせるべく木星とは一直径を境に逆回りに天球を巡る太歳という架空の星を考え、太歳十二辰における位置で年を示す紀年法が使われるようになった。これが後漢以後に始まり現在まで使われている干支による紀年法の起源である。

また、12という数が1年の数と同じであることから、月を表すのにも用いられるようになった。これを月建といい、建子の月は冬至を含む月、すなわち夏暦11月周暦正月である周正に置かれた。

さらに、時刻十二時辰)や方位の表示にも用いられるようになった。正午(昼の12時)、正子(夜の12時)、子午線(南北を結ぶ線: 経線)、卯酉線(東西を結ぶ線: 局所的に緯線と一致するが厳密には両者は別のもの)の称はこれに由来する。

十二支の各文字は、一説に草木の成長における各相を象徴したものとされる(『漢書』律暦志)。また、各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢王充『論衡』)やバビロニア天文学十二宮の伝播といった説がある。

日本における十二支[編集]

干支(十干と十二支)[編集]

十二支は古来、「甲子」「丙午」のように、十干と組み合わせて用いられてきた。字音から言えば、十干は「」、十二支は「」である。十干十二支を合わせたものを干支(「かんし」または「えと」)といい、干支(十干十二支)が一巡し起算点となった年の干支にふたたび戻ることを還暦という。

えと」という呼称は本来、十干を「ひのえ」「ひのと」のように、兄(え)弟(と)の組み合わせとして訓読したことに由来するが、今日では、「干支」(えと)と言えば十二支のことを指すことが多い。この逆転現象は、干支のうち、五行思想とともに忘れ去られつつある十干に対して、動物イメージを付与されることによって具体的で身近なイメージを獲得した十二支のみが、現代の文化の中にかろうじて生き残っていることによると思われる。

現代の十二支[編集]

今日の日本では、十二支は、人々の生活との関わりが、近世までと比べて、ずっと希薄になっている。十二支が十干のように忘れ去られずにいるのは、ただ、年賀状の図案にその年の十二支の動物が多く使われることと、人々がその生まれ年の干支によって、「○○年(どし)の生まれ」のような言い方をする習慣が残っていることの二つの理由があるためであると考えられる。

また、十二支に因んで、年齢差などの表現方法として、12年(=144箇月)をひと回りと呼ぶこともある。

古方位[編集]

東西南北の四方位が子・卯・午・酉に配当されるのに加えて、北東南東南西北西はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「」「」「」「」の字を当てる(→方位)。

北東を「鬼門」、南西を「裏鬼門」として忌むのは、日本独自の風習だが、(ウシのような)角をはやし、トラの皮のふんどしをしめた「(オニ)」という妖怪のイメージは、この「うしとら」から来ていると思われる。

日本の城郭建築では、曲輪(郭)の四隅に隅櫓を築いて防御の拠点としたが、「巽櫓(辰巳櫓)」等のように、方角の名称を以て櫓に命名することが行われていた。現存建築としては高松城艮櫓(香川県高松市)、江戸城巽櫓(東京都千代田区)、明石城巽櫓・坤櫓、高崎城乾櫓等が存在している。

辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)」とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけたため、羽織芸者、また、単に羽織とも呼ばれたが、鉄火で伝法、気風(きっぷ)がよくて粋であることで知られた。

船舶航行時に使われた「おもかじ」「とりかじ」という言葉は、「卯面梶」「酉梶」から来ているとする説もある。

十二生肖(動物)[編集]

ロシアでも十二支は親しまれている。次の年(2010年)の干支グッズ(トラ)を売る露店。ロシアヤロスラーヴリ、2009/11。

十二生肖(じゅうにせいしょう)または十二属相(じゅうにぞくしょう)は十二支に)の十二の動物を当てたものである。

その内訳を見ると、牛・馬・羊・鶏・犬・豚は六畜と呼ばれる古代中国における代表的な家畜である。また鼠・牛・虎・兎・龍・馬・羊・犬・豚は漢字において意符となり、部首となっている。このうち龍のみが想像上の動物である。

なお亥に当てられるのは本来、ブタであり、日本のイノシシが特殊である。漢字の「猪」は中国ではブタも含めた言葉であり、イノシシのみを指す場合は「野猪」と表記する。日本の場合、明治に入るまでは(一部地域を除けば)ブタは普及しておらず、猪はイノシシのみを指す言葉であった。

歴史[編集]

その成立時期は従来、後漢王充論衡』にあることから後漢頃とみなされていた。が、湖北省雲夢県の睡虎地秦墓から1975年に発見された竹簡睡虎地秦簡)のうち卜占に関する『日書』の部分に十二生肖の記述が見つかり、紀元前200年代のの時代には既に成立していたことが分かった。『日書』には次のようにある。

「子、鼠也。…丑、牛也。…寅、虎也。…卯、兔也。…辰、(原文脱落)。…巳、蟲也。…午、鹿也。…未、馬也。…申、環也。…酉、水也。…戌、老羊也。…亥、豕也」

(訳:子とは鼠(ねずみ)である。…丑とは牛である。…寅は虎である。…卯は兎である。…辰は(原文脱落)。…巳は蟲(むし、へびか?)である。…午は鹿である。…未は馬である。…申は環である。…酉は水である。…戌とは老いた羊である。…亥は豕(ぶた)である。)

比較すると「子鼠・丑牛・寅虎・卯兔・亥豕」は現在と一致し、「巳蟲・申環・酉水」も現在の蛇・猿・鶏と関連すると考えられている。ただ、「午鹿・未馬・戌老羊」というところに鹿が入り、そのかわり犬がない。順序も異なっていた。

唐代になると十二生肖を象った彫像が作られるようになり、獣頭人身で手に笏をもち文官の服を着る姿で表された。これらは墳墓の副葬品に入れる陶俑として作られたり、墓誌銘の四周に彫刻されたりした。またこれらの彫像は仏教において薬師如来の眷属である十二神将を表すのに用いられて日本に伝播し、武人像の下に十二生肖を彫刻したり、十二生肖の獣頭人身の姿で作られたりされた。また朝鮮半島には統一新羅時代に伝播し、慶州の墳墓などに見られるが、文官ではなく武官の姿に象られ、ただ十二生肖を象ったものなのか十二神将であるのかは定かではない。

また民間において紀年や人の生年を表すのに使われるようになった。特に新年を迎える際に用いられ、中国では春節(旧正月)になると新年の十二生肖にちなんだ催しが開かれ、日本でも正月のやりとりする年賀状の図案に使用される。なお各国において割り当てる動物に若干の異なりがある。

漢字圏外の十二生肖[編集]

ベトナムタイ王国にも十二支にあたるものがあるが、割り当てられる動物に若干の異同がある。ベトナムでは丑は水牛、卯は、未は山羊、亥はに変わる。タイでは未は山羊、亥はに変わる。亥については、むしろ日本が特殊であり、亥は中国でも豚である。中国語で「猪」という単語/文字は一般的にブタを意味する為であろう(なお、日本の『古事記』などに登場する上代の「猪飼/猪甘」(いかい)を仏教普及以前の日本にも存在した豚飼いのこととする説もある)。

モンゴルでは寅の代わりにを用いることがある。

西アジア東ヨーロッパの一部の地域にも若干の差異があることがあるものの十二支の風習がある。ただし、インドでは酉(とり、鶏)はガルダ (ガルーダ=インド神話の神鳥)に、アラビアでは辰(たつ、龍)はワニに、イランでは辰(たつ、龍)はクジラに、ブルガリアでは寅(とら、虎)が猫にそれぞれ置き換わる[4]ロシアの十二支はアジアのそれと全く同じである。

由来に関する説話[編集]

いつ頃生まれた話かは不明であるが、十二支の動物に関しての逸話がある。そのいきさつとしては次の2通りの逸話がある。

  • お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てた。
  • 十二支の動物を指定日に挨拶に来た順番に決定する、というお釈迦様の招集により集まった。

そして次のような結果がもたらされたという話になっている。

  • 牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だった。
  • 鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたため。
  • 鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。
  • 猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。
  • 13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、毎月の最初の日を「ついたち」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源はこの逸話からではない。また、13番目の動物はカエルシカであったという逸話もある。

十二支の相互関係[編集]

十二支相関図

十干の相互関係が干合だけであるのに対し、十二支の相互関係は複雑であり、十二支に中の3つが関係する相互関係、2つが関係する相互関係がある。本来は年、月、日、刻や方位などの間に生ずる十二支の関係について生じるものであり、単に生まれ年の十二支同士による対人関係をさすものではない

三支の相互関係[編集]

3支の相互関係には、方合と会局(三合会局)の2つがある。

方合[編集]

東西南北の四方(つまり春夏秋冬の四季でもある)に対応する三支が全て揃うこと。

四方 四季 十二支
寅卯辰
巳午未
西 申酉戌
亥子丑

方合の三支が揃うと、全てが季節の五行に変化する。

会局(三合会局)[編集]

十二支を円形に配置したとき、正三角形を構成する三支が全て揃うこと。仲春である卯を含む局は木局、仲夏である午を含む局は火局、仲秋の酉を含む局は金局、仲冬の子を含む局は水局と呼ばれる。局の五行は、各季節の中心である、卯、午、酉、子の五行と同じである。

四季 局の五行 十二支
亥卯未
寅午戌
巳酉丑
申子辰

会局となる三支のうち2つが揃うことをと呼ぶことがある。また三支が揃わなくても、各季節の中心の十二支と会となる十二支の2つが揃うことを半会と呼ぶ。会局が成立すると三支全ての五行が局の五行に変化するとされる。いずれも安定した吉の関係とされる。

二支の相互関係[編集]

十二支相克図

二支の相互関係には、刑、冲(衝)、破、害、合(支合、六合)がある。刑は中でも特殊で、輪刑、朋刑、互刑、自刑がある。名前の通り傷付けあう関係である。冲(衝)は、真反対の方位に対応する十二支同志の関係で衝突の意味がある。破は軽い衝突の意味があり、俗に四悪十惑と呼ばれる陽支から数えて10番目、陰支から数えて4番目の十二支をいう。害は合と関係していて、合となる十二支の冲が害である。停滞を意味する。合は対応する黄道十二宮で支配星が同じとなる十二支同志の関係である。ただし午と未の合は異なっており、それぞれ支配星は太陽と月である。

[編集]

  1. 輪刑 寅が巳を、巳が申を、申が寅を刑する。持勢之刑ともよばれる。
  2. 朋刑 丑が戌を、戌が未を、未が丑を刑する。無恩之刑ともよばれる。また同朋刑ともよばれる。
  3. 互刑 子が卯を、卯が子を刑する。無礼之刑ともよばれる。
  4. 自刑 辰が辰を、午が午を、酉が酉を、亥が亥を刑する。
十二支相性(相刑)図

冲(衝)、破、害、合(支合、六合)[編集]

十二支 冲(衝)

十二支をモチーフにした作品[編集]

  • 烈火の炎 - 作品中の武闘大会の審判達の名前が十二支にあやかっており、服装もそれぞれの動物を意識。
  • デジタルモンスター - 十二神将(デーヴァ)というデジモン達がそれぞれ十二支にあやかっている。
  • フルーツバスケット (漫画) - 主要登場人物がそれぞれ十二支の物の怪に取り憑かれているという設定。
  • Mr.FULLSWING - 主要登場人物がそれぞれ十二支にあやかっている。
  • 有言実行三姉妹シュシュトリアン - 1993年(酉年)が舞台。酉年の平和を守る任務を放棄したお酉様の代わりに1年間の平和を守る羽目になった三姉妹が主人公。
  • NINKU -忍空- - 部隊長が干支忍と呼ばれ、十二支にあやかっている。
  • 十二戦支 爆烈エトレンジャー - 十二支をモチーフにした主人公たちが大邪神バギからノベルワールドを救うべく立ち上がる。
  • 大神 - 主人公の特株能力である13の各、筆しらべを司っている(猫も含む)。
  • Twelve〜戦国封神伝〜 - 主人公達が保有する神器が、十二支の動物の精霊が転じたものである。
  • 12支キッズのしかけえほん - 木村裕一(作)・ふくざわゆみこ(絵)の絵本。十二支の動物が通う幼稚園「じゅうにしえん」が舞台。
  • 獣拳戦隊ゲキレンジャー - 終盤に登場する敵、幻獣拳の拳士達が十二支をモチーフにしたデザインになっている。

十二支に関する歌[編集]

  • 『ね・うし・とら・う』
  • 『十二支の歌』フジテレビ系『ひらけ!ポンキッキ』歌:くらっぷ
  • 『エトはメリーゴーランド』NHK『みんなのうた』歌:田中星児、東京放送児童合唱団

脚注[編集]

  1. ^ 釈名』、『史記』暦書、『漢書』律暦志など
  2. ^ 参考文献:『中国的実在観の研究』(著:木村英一)、『中国上代陰陽五行思想の研究』(著:小林信明)、『宋代易学の研究』(著:今井宇三郎)
  3. ^ Wikisource reference  通俗編. - ウィキソース. 
  4. ^ 例えば、次に示すサイトで扱われているようなカレンダーが昔から流通している。Тангра/ТанНакРа (英語・ブルガリア語)

関連項目[編集]

陰陽五行説[編集]

類似概念[編集]

民間利用[編集]

その他[編集]

参考文献[編集]

  • 江川清・青木隆・平田嘉男編『記号の事典(セレクト版) 第3版』三省堂、1996年9月。ISBN 4-385-13258-5