志賀重昂

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志賀重昂(しが しげたか、文久3年11月15日1863年12月25日) - 昭和2年(1927年4月6日)は、日本の地理学者、評論家、ナショナリスト。号は矧川(しんせん)。

[編集] 経歴

三河国岡崎康生町(現愛知県岡崎市)出身。攻玉塾などで遊学し、札幌農学校を卒業後、明治17年(1884年)長野県中学校長野本校(現在の県立長野高校。県内にあった郡立中学校を統合し新設)の博物教諭として、長野(当時は市制施行前の長野町)に赴任したが、在職僅か1年で県令木梨精一郎と喧嘩して辞職、上京。

その後オーストリアや南洋の諸国を歴訪して『南洋時事』を著し、南洋への移民・貿易の振興を主張して初期の南進論者として知られた。1888年、三宅雪嶺杉浦重剛らとともに政教社を興し、雑誌「日本人」(後に「日本及び日本人」)を刊行。表面的な近代化に反対し、国粋主義を唱えた。日清戦争と同年の1894年、代表作『日本風景論』を刊行、ベストセラーになった。

1902年以降、国会議員も務めた。日露戦争中は、第三軍司令官・乃木希典大将の外交折衝顧問という立場で、従軍する。(勅任官待遇)また、3度にわたる渡航で世界各国を巡り、『世界山水図説』などを著した。

[編集] 関連項目

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