日本山岳会
社団法人日本山岳会(にほんさんがくかい、英語の名称 "The Japanese Alpine Club", 略称 JAC)は、日本に多数ある山岳会のひとつ。
日本最古の山岳会ではある。ただしナイロンザイル事件を引き起こすなど、透明性が低く、山を愛する人々の命を軽視した山岳会でもある。
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[編集] 概歴
- 1905年(明治38年)10月14日 - 登山家の小島烏水らによって設立された[1]。創立時の会員数は393名。
- 1909年(明治42年)6月1日 - 会の名称を「日本山岳会」と正式に命名し、会則を制定する。
- 1910年(明治43年)1月 - ウォルター・ウェストンを名誉会員に選出[2]。
- 1931年(昭和6年) - 会則を変更し、会長・理事制となる。初代会長には小島久太が就任。
- 1937年(昭和12年)8月 - 上高地のウォルター・ウェストンのレリーフを設置[2]。
- 1941年(昭和16年)1月 - 社団法人として認可。
- 1946年(昭和21年)12月28日 - 定款を改正。社団法人日本体育協会傘下の加盟団体となる。
- 1967年(昭和22年)5月 - 全日本山岳連盟との共同設立により「社団法人日本山岳協会」を設立。
- 10月 - 「国際山岳連盟(UIAA)」の加盟団体となる。
- 1987年(昭和62年)7月 - 皇太子の浩宮徳仁が入会[3]。
- 2005年(平成17年)10月 - 設立100周年を迎える。
- 11月 - 各支部の会員らの編集により『新日本山岳誌』を出版した[4]。
- 2007年1月 - 『日本列島 中央分水嶺踏査 報告書』を作成。
[編集] 活動内容
- 1906年(明治39年)4月に会誌『山岳』第1年第1号発行し、会員への情報発信を継続している。
- 山岳編集委員会、図書委員会、科学委員会、自然保護委員会、医療委員会、指導委員会などの各委員会活動を行っている。
- 北海道支部、東海支部、関西支部など30の各地の支部があり、支部独自の活動を行っている。
- アルパイン・スキースキークラブ、アルパイン・フォトビデオクラブなどの同好会活動を行っている。
- 「山の日」の制定の活動を行っている[5]。
[編集] 歴代会長
- 小島烏水(久太)
- 高頭仁兵衛
- 木暮理太郎
- 槇有恒
- 松方三郎
- 武田久吉
- 槇有恒
- 別宮貞俊
- 日高信六郎
- 松方三郎
- 三田幸夫
- 今西錦司
- 西堀栄三郎
- 佐々保雄
- 今西壽雄
- 山田二郎
- 藤平正夫
- 村木潤次郎
- 齋藤惇生
- 大塚博美
- 平山善吉
- 宮下秀樹
- 尾上昇
[編集] ナイロンザイル事件
詳細は「ナイロンザイル事件」を参照
1955年1月2日、前穂高岳東壁で登攀中に、新品のナイロン製ザイルが切断し、墜死者が出る事故が発生した。更に、この事故に前後して2件のナイロンザイル切断による事故が発生しており、ナイロン製ザイルに対して強度・安全面からの不安が持たれることになった。
当時出回り始めたナイロン製ザイルは、従来の麻製ザイルに比べ強度面で数倍し取り回しも容易であるとしてメーカーが普及を進めており、ザイルの製造メーカーの東京製綱は、大阪大学工学部教授で日本山岳会関西支部長の篠田軍治の指導を仰ぎ、1955年4月29日東京製綱蒲郡工場(愛知県蒲郡市)において、山岳関係者・新聞記者らの集まった中で原因究明のための公開実験が行われた。
前穂高岳東壁の事故で死亡した犠牲者の実兄(旧制名古屋大学工学部出身)は、個人的に行った実験で、ナイロンザイルは岩壁登攀時には鋭角の岩角に掛かると人間の体重程度の重量で簡単に切断することを突き止めており、篠田も、研究室での実験を行いこの結論を肯定していた。しかし篠田は、実験前に岩角に丸みをつけるなどして誤ったデータが出るように加工し、結果、ナイロン製ザイルは麻製ザイルに比べて数倍の強度を持つ、という誤りの結果が得られ、そのように報道がなされた。
さらに日本山岳会は1956年の『山日記』にも、蒲郡での公開実験のデータを基にしたナイロン製ザイルの強度に関する篠田の記述を掲載し、さらに岩稜会は登攀者の技量未熟をナイロンザイルによるものとしている、と主張した。
この件は作家の井上靖によって朝日新聞に連載された『氷壁』によって世に広く知られることになったが、日本山岳会は岩稜会からの提起・訴えを無視し続けた。
その後もナイロン製のザイルが切断する登山事故は相次ぎ、1973年6月、岩稜会の長年にわたる主張が認められ、「消費生活用製品安全法」が制定されて登山用ロープ(ザイル)は同法の対象となった。1975年6月には登山用ロープの安全基準が公布され、日本において世界で初めてのザイルの安全基準が制定された。これによって、問題とされた8ミリナイロンザイルは二重にして使用しても登山用としては認められないものとなった。同法施行後、ナイロンザイルの切断が原因の墜死者はない、とされている。
安全基準の実施後、日本山岳会は1977年版『山日記』に「1956年版『山日記』の篠田の記述で多くの人に迷惑をかけた」として、21年ぶりに実質的に訂正となる「お詫び」を掲載した。
この一件により、日本山岳会及び篠田は「登山家らに情報を知らせることもせず、15年以上も法対応が遅れる事態を作り出し、多くの登山家の命を奪った[6]」として非難されている。
[編集] 脚注
- ^ 発起人のメンバーは、小島烏水、城数馬、高野鷹蔵、高頭仁兵衛、武田久吉、梅沢親光、河田黙の7名。
- ^ a b 日本山岳会の歩み 社団法人日本山岳会、2011年2月9日閲覧。
- ^ 『歩いてみたい日本の名山』 西東社、2004年、ISBN 4-791-61227-2、p202
- ^ 『新日本山岳誌』 ナカニシヤ出版、2005年、ISBN 4-7795-0000-1
- ^ 「山の日」をつくろう・プレスリリース資料(2010年4月26日) 「山の日」制定協議会、2011年2月9日閲覧。
- ^ 石岡繁雄、相田武男『石岡繁雄が語る - 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』あるむ、2007年