望月 (駆逐艦)

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Mochizuki.jpg
艦歴
建造所 浦賀船渠
起工 1926年3月23日
進水 1927年4月28日
竣工 1927年10月31日(第三十三号駆逐艦)
喪失 1943年10月24日
除籍 1944年1月5日
要目(計画)
排水量 基準:1,315トン、常備:1,445トン
全長 102.72m
全幅 9.16m
吃水 2.92m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基
2軸、38,500馬力
速力 37.25ノット
航続距離 14ノットで4,500海里
燃料 重油450トン
乗員 154名
兵装 45口径三年式12cm単装砲4門
留式7.7mm機銃2挺
61cm3連装魚雷発射管2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷投射器
爆雷12個

望月(もちづき)は、日本海軍駆逐艦[1]睦月型駆逐艦の11番艦である[2]。艦名は旧暦15日の満月)のこと。艦名は海上自衛隊たかつき型護衛艦もちづき」に継承された。

艦歴[編集]

1923年(大正12年)度計画艦。1925年(大正15年)6月25日浦賀船渠で建造予定の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦」の艦名が与えられた[3]。なお同日附で「第35号駆逐艦(吹雪)」、「第40号駆逐艦(東雲)」も命名されている[4]。3隻とも一等駆逐艦に類別[5]。「第33号駆逐艦」は1927年(昭和2年)10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。1928年(昭和3年)8月1日に「第33号駆逐艦」は「望月」と改名された[1]

1937年(昭和12年)からの支那事変により中支、南支方面に進出する。所属は第四艦隊・第五水雷戦隊・第23駆逐隊であり、本稿の写真はその時期に撮影されたものだと推測される。

太平洋戦争[編集]

1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦前に第四艦隊(司令長官井上成美中将:旗艦「鹿島」)・第六水雷戦隊(司令官梶岡定道少将:旗艦「夕張」)・第30駆逐隊に編入され、同駆逐隊は睦月型4隻(睦月如月弥生、望月)となった[6]

太平洋戦争開戦後、第六水雷戦隊(軽巡「夕張」、第29駆逐隊第1小隊《追風疾風》、第30駆逐隊4隻、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将:天龍龍田)、輸送船2隻(金剛丸金龍丸)等はウェーク島攻略戦に参加した[7]。だが米軍の予期せぬ反撃により「疾風、如月」を喪失、攻略部隊は撃退された。F4Fグラマン・ワイルドキャット戦闘機の機銃掃射と爆撃により「天龍、龍田、弥生」等は戦傷者を出すが、「望月」に被害はなかった。[8]。12月21日以降の第二次攻略作戦では、南雲機動部隊より派遣された第二航空戦隊(司令官山口多聞少将:旗艦「蒼龍」)の空母2隻(蒼龍飛龍)、重巡2隻(利根筑摩)、第17駆逐隊(谷風浦風)が航空支援をおこない、第六戦隊(司令官五藤存知少将:旗艦「青葉」)の重巡4隻(青葉衣笠加古古鷹)が陸上支援に加わった。3日間の戦いの末、米軍は降伏した。

その後も第六水雷戦隊(夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊)・第十八戦隊・第六戦隊はラバウル方面、ラエサラモアブーゲンビル島ポートモレスビーの各攻略作戦に参加した。5月上旬の珊瑚海海戦ではMO攻略部隊の一艦として行動した[9]。5月25日、姉妹艦「菊月」の沈没にともなう第23駆逐隊除籍により、同隊構成艦だった「夕月卯月」はそれぞれ第29駆逐隊、第30駆逐隊に編入される[10][11]。30駆は定数4隻(睦月、弥生、望月、卯月)を回復した[10]。 6月以降、第30駆逐隊はガダルカナル島設営作戦や船団護衛に従事[12]。7月上旬、「望月、弥生」は修理のため一旦日本本土へ回航された[13]

ガダルカナル島の戦い[編集]

7月10日、第六水雷戦隊は解隊される[11][14]。同時に構成兵力(夕張、第29駆逐隊《夕月、追風、朝凪、夕凪》、第30駆逐隊《睦月、弥生、望月、卯月》)は「能代丸、長運丸」と共に、第二海上護衛部隊へ編入された[11][15]。だが第30駆逐隊は、わずか4日で下記の第八艦隊へ編入された[16]。 7月13日、「望月」は佐世保港に帰港する。7月14日、日本海軍はミッドウェー海戦の敗北にともなう戦力の再編成を実施した。第八艦隊(司令長官三川軍一中将:旗艦「鳥海」)が新設され、これに第六戦隊(司令官五藤存知少将:青葉、加古、衣笠、古鷹)等を加えて外南洋部隊となる[17]。第30駆逐隊は第八艦隊7番隊として所属した。

8月24-25日、ガダルカナル島への日本軍増援部隊(輸送船団)を巡り日米双方の機動部隊が交戦する第二次ソロモン海戦が生起。「望月」は沈没した空母「龍驤」艦載機を救助を命じられ、不時着地点へ向かった[18]。同海戦で空襲により軽巡「神通」が中破、30駆僚艦「睦月」と輸送船「金龍丸」が沈没、輸送船団と護衛部隊(第二水雷戦隊)もガダルカナル島揚陸を中止した[19]。また「卯月」も輸送作戦中に被弾して作戦に投入できなくなった[20]

9月11日、ニューギニア島ラビ方面での作戦(ラビの戦い)に従事していた「弥生、磯風」は空襲を受け、「弥生」が沈没し第30駆逐隊司令安武史郎大佐も戦死した[21][22]。9月21日夜、「磯風」は「望月」と共にラバウルを出撃する[22]。22日、2隻は友軍と協力して「弥生」のカッターボートを発見し10名を救助した[23]。同日深夜の救出は失敗したが、25日夜に「磯風、望月」は再出撃[22]。26日夜半ノーマンビー島到着して弥生駆逐艦長以下乗組員83名を救助した[24]

10月1日、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定される[25]。引続き「望月」は最前線での輸送作戦に従事した。 10月14日、前夜の第三戦隊(戦艦金剛榛名)によるヘンダーソン基地艦砲射撃に続いて重巡「鳥海、衣笠」も同飛行場基地に対し艦砲射撃を実施、「天霧、望月」は重巡2隻を護衛した[26]。 10月16-17日、軽巡洋艦3隻(川内由良龍田)と水雷戦隊部隊(秋月《四水戦旗艦》、朝雲村雨夕立春雨五月雨浦波敷波綾波有明白露時雨)によるガダルカナル島輸送作戦が実施された[27]。17日夜、軽巡戦隊はガ島エスペランス岬にて、水雷戦隊はタサファロング岬にて揚陸に成功。「天霧、望月」は掩護のためルンガ沖に進出し艦砲射撃を実施した[28]

11月上旬、「望月」は軽巡「天龍」及び第四水雷戦隊を基幹とする増援部隊(朝雲《四水戦旗艦》、夕立、時雨、朝潮満潮)等と共同でガダルカナル島への輸送作戦を実施した[29]。輸送作戦と並行して「初雪、望月」はガダルカナル島の蟻輸送大発動艇小発動艇部隊)基地撤収作戦にも従事した[30]。「望月」は大発動艇2隻を曳航して帰投している[31]。 11月7-9日、第四水雷戦隊(臨時旗艦「天龍」)麾下の乙増援部隊(指揮官第9駆逐隊司令佐藤康夫大佐:朝雲《旗艦》、村雨、夕立、時雨、白露、夕暮、朝潮、満潮、望月)はガダルカナル島輸送作戦を実施した[32][33]。8日深夜、米軍魚雷艇複数隻が日本艦隊を雷撃、魚雷1本が「望月」に命中するが、不発だっため被害はなかった[34]。 11月中旬の第三次ソロモン海戦に「天霧、望月」は輸送船団の護衛艦として第二水雷戦隊各艦と共に参加した。

12月1日、「睦月、弥生」を喪失して「望月、卯月」の2隻になっていた第30駆逐隊は解隊された[35]。12月9日、「大潮、朝潮、望月」はフインシュ揚陸を実施後、帰途中に爆撃を受け「望月」は戦死者40名以上を出した[36]

昭和十八年度の戦い[編集]

1943年(昭和18年)1月9日、駆逐艦「望月」、水雷艇「」は輸送船「西阿丸」を護衛してニュージョージア島ムンダ輸送を実施した[37]。13日、「望月」はサンタイサベル島レカタへの輸送を実施[38]。その際、座礁して損傷する[39]。何度も損傷した「望月」は2月に佐世保に帰港し、修理に従事する。

3月より再びラバウル方面で輸送任務に従事した。3月28-29日、「天霧、望月」は第12防空隊50名と糧食弾薬をレカタ基地へ輸送した[40]。 3月30日、卯月型3隻(三日月、望月、卯月)により第30駆逐隊が復活した[41]。4月1日に定められた『昭和十八年度帝国海軍戦時編制』において、第11駆逐隊(初雪、天霧、夕霧)、第22駆逐隊(皐月水無月文月長月[42]、第30駆逐隊は、南東方面艦隊・第八艦隊・第三水雷戦隊(司令官秋山輝男少将:旗艦「川内」)に所属していた[43]。さらに「望月」はビスマルク諸島方面航空部隊(第11航空戦隊、958空水偵部隊、望月)に区分されている[44]。しかし戦局は悪化する一方であった。4月3日にはカビエンで重巡洋艦「青葉」と駆逐艦「文月」が空襲により損傷、機雷敷設により駆逐艦「風雲」がブインで小破するなど、各方面での損害が目立ちはじめている[44]

4月2-3日、「雪風、天霧、望月」はサンタイサベル島・レカタ基地輸送を実施した[45]。4月7日、「天霧、望月」でレカタ輸送を実施するがB-17重爆1機の攻撃で「天霧」が損傷した(死傷者10名)[45]。 4月29-30日、「天霧、夕霧、望月」で呉鎮守府第七特別陸戦隊司令官勝野実少将や歩兵第23連隊230名、弾薬糧食等をレカタへ輸送した[46]。5月3日(第二回)、5月7日(第三回)、5月10日(第四回)と、この3隻で輸送作戦を実施した[46]。4月下旬~5月上旬の月暗期輸送はこれで終了し、次の月暗期(レカタ方面6月末、コロンバンガラ方面7月末)まで物資の集積に努める[46]。4月下旬~5月上旬のレカタ方面における輸送総量は、進出(陸軍820名、海軍306名)と後送(陸軍507名、海軍58名)及び燃料弾薬90トン・糧食150トンであったという[46]

5月下旬、月暗期となったため日本海軍は駆逐艦輸送を再開した[47]。5月28日と5月31日、「望月、天霧」はブイン~レカタ輸送(二回の合計佐七特陸戦隊464名、物件220トン、燃料120缶)を実施した[47]。6月4-5日、「天霧、望月、皐月」はラバウル~ツルブ輸送を実施[48]。6月6-7日、「長月、望月」によるツルブ輸送を実施[48]。並行して潜水艦による『モグラ輸送』が行われた[48]。6月27-28日、「望月、皐月、夕凪」によるコロンバンガラ島輸送(陸兵900名、物資100トン)を実施した[47]。直後の6月30日、米軍はレンドバ島に上陸、ニュージョージア島の戦いがはじまる。

外南洋部隊水上部隊指揮官秋山輝男第三水雷戦隊司令官は、司令官直率部隊(秋月型駆逐艦/旗艦新月、望月、皐月、夕凪)、先行部隊(天霧初雪、長月、水無月、三日月)を指揮してラバウルやブインから出撃、レンドバ島西方海面に到達したが米艦隊と遭遇しなかった[49]。7月2日夜、秋山司令官は直率隊(新月《旗艦》、天霧、初雪、長月、皐月、望月)と陽動隊(軽巡夕張、駆逐艦《夕凪、三日月》)を率いてレンドバ島沖合に突入した[49]。だが米艦隊は出現せず、日付変更後に米軍魚雷艇と米軍機夜間空襲を受け、魚雷艇2隻を撃沈して撤収した[49]。その頃、米軍はニュージョージア島へ上陸を開始、日本軍はコロンバンガラ島への緊急輸送を企図する[49]。第一回輸送部隊(第22駆逐隊司令金岡国三大佐:第22駆逐隊《長月、皐月》、新月、夕凪)と第二回輸送部隊(第11駆逐隊《天霧、初雪》、第30駆逐隊《望月、三日月》)が編制されてブインを出撃するが、第一回輸送隊は米艦隊(巡洋艦4、駆逐艦4)と遭遇し駆逐艦1隻を撃沈、だが輸送作戦そのものは中止に至った[49]

7月5日、南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将は増援部隊全力によるコロンバンガラ島輸送を命じ、秋山三水戦司令官は新たに陽炎型駆逐艦2隻(浜風谷風)と白露型駆逐艦1隻(涼風)を編制に加える[49]。秋山少将直率隊(新月、涼風、谷風)、第一次輸送隊(望月、三日月、浜風)、第二次輸送隊(天霧、初雪、長月、皐月)という部署であった[50]。同日夕刻、第三水雷戦隊はショートランド泊地を出撃、コロンバンガラ島到着直前の2348よりウォルデン・L・エインズワース少将率いる米艦隊(巡洋艦3、駆逐艦4)との夜間水上戦闘が勃発する(クラ湾夜戦[50]。「新月、涼風、谷風、天霧、初雪」が砲戦魚雷戦を展開する中、「望月」は大発動艇の曳索をスクリューに巻き込む事故を起こし、「浜風、三日月」から遅れてしまう[50]。7月6日午前3時、揚陸を終えた「望月」は単艦で帰途につくが、4時10分に米艦隊から砲撃を受け小破、魚雷1本を発射して戦場を離脱した[50]。本海戦で「新月」が沈没、「長月」が座礁放棄[50]。とくに「新月」沈没により全乗組員と秋山少将以下第三水雷戦隊司令部は総員戦死[50]。他の駆逐艦も損傷した[51]。米軍は軽巡「ヘレナ」が沈没した。損傷した「初雪、望月」はラバウルへ後退し、15日まで応急修理を実施している[52]

増援部隊(第三水雷戦隊)は一時的に司令官不在となったため、重巡洋艦「鳥海」艦長有賀幸作大佐が代理に指揮をとる[53]。7月7日、伊集院松治大佐(前職戦艦金剛艦長)が第三水雷戦隊司令官に任命され、10日に着任した[50]。しかし前述のように三水戦は参謀や司令部要員ごと全滅しており、そこで第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将(旗艦「神通」)が増援部隊の指揮を執ることになった[54]。ところが7月12日夜のコロンバンガラ島沖海戦で「神通」は沈没し伊崎司令官および第二水雷戦隊司令部も全滅[54]。第七戦隊司令官西村祥治少将が当面の指揮を執ることになった。

一連のクラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦で日本軍は米軍水上部隊に大打撃を与えたと判断し、コロンバンガラ島方面での敵艦隊撃滅と輸送作戦を行う計画をたてる[54]。第七戦隊司令官西村少将を指揮官とし、主隊(熊野鈴谷)、水雷戦隊(川内、皐月、水無月、雪風、浜風、清波、夕暮)、輸送隊(三日月、夕凪、松風)という戦力が集結、16日2200にラバウルを進出してブインへむかった[55]。「初雪、望月」は西村艦隊に先行して16日夕刻にラバウルを出撃、17日午前5時にブインへ入港[56]。「初雪」は「水無月」に、「望月」は「皐月」に横付けして物件・重油の移載をおこなう[55]。7月17日朝、ブインは大型爆撃機19、戦爆約150機の大空襲を受ける[54]。被弾した「初雪」は沈没、「皐月、水無月」が小破、翌日にも空襲を受け「望月」が小破した[57][55]。これを受けて西村艦隊は一旦ラバウルへ帰投、戦力を再編したのち18日に再出撃した[54]。19日-20日、輸送作戦には成功したものの、夜間空襲により重巡「熊野」小破、駆逐艦「清波夕暮」沈没という損害を受けて戦果はなかった[54]。増援部隊艦艇は一時ラバウルに後退し、修理をおこなう[58]。「望月」修理中の7月27日、第30駆逐隊「三日月」及び第27駆逐隊「有明」はツルブ輸送を実施中に座礁して行動不能となり、28日の空襲で沈没した[59]。第30駆逐隊は「卯月、望月」の2隻となった。29日、「望月、皐月」の応急修理が完成する[58]。2隻はトラック泊地へ向かう重巡「熊野」を護衛してラバウルを後にした[60]

その後「望月」はサイパンを経由して8月15日に佐世保へ到着、佐世保海軍工廠で修理する[61]。この頃の第三水雷戦隊は、「夕霧」は横須賀で、「皐月、水無月」は呉で、「望月、文月、卯月」は佐世保で修理に従事しており、最前線に配置されていたのは「川内、天霧」だけだった。「望月」は9月21日に佐世保を出撃、トラック泊地を経由して29日にラバウルへ到着した[62]。10月1日のコロンバンガラ島撤退作戦に参加したとみられる。

沈没[編集]

米軍が攻勢を強める中、第三水雷戦隊を基幹とする襲撃部隊はニューブリテン島各部、ニューギニア方面、北部ソロモン諸島方面への輸送作戦を続けた[63]。10月7-8日、「天霧、望月、皐月」はスルミ輸送を実施した[63]。21-22日、「天霧、望月」はブカ島輸送を実施した[63]。23日、「望月」は「卯月」と共にニューブリテン島ジャキノット輸送のためラバウル(ニューブリテン島北部)を出撃した[63]。だが米軍機の空襲を受け「望月」は沈没した[63]。経緯は以下のとおり。

10月23日、ジャキノットに米軍上陸との報告があり、南東方面艦隊ビスマルク諸島方面防備部隊指揮官に艦艇・航空部隊の出撃準備を命じた[64]。だが午前7時に攻撃準備を解除し、あらたに駆逐艦2隻によるジャキノット輸送を下令した[64]。第30駆逐隊司令沢村成二大佐は「望月」に座乗、同隊「望月、卯月」は陸戦隊約100名を輸送すべく同日16時15分にラバウルを出撃した[64]。24日0020ジャキノットで揚陸中、空襲を受けた「望月」は被弾して沈没[64]。戦死者10名[65]。米軍記録による沈没地点 南緯5度42分 東経151度40分 / 南緯5.700度 東経151.667度 / -5.700; 151.667。「卯月」は揚陸を断念し、望月生存者を救助してラバウルへ避退した[64]。救援のため派遣された「天霧」と合流した「卯月」はラバウルへ帰投した[63]

駆逐艦「望月」は1944年(昭和19年)1月5日附で 卯月型駆逐艦[66]、 帝国駆逐艦籍[67]、 第30駆逐隊[68] のそれぞれから除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』260-261頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 岩原盛恵 中佐:1927年12月1日 -

艦長[編集]

  1. 岩原盛恵 中佐:1927年10月31日 - 1928年12月10日
  2. 中田操 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日[69]
  3. 岡野慶三郎 少佐:1929年11月30日[69] - 1931年1月8日[70]
  4. (兼)勝野実 少佐:1931年1月8日[70] - 4月1日[71]
  5. 加瀬三郎 少佐:1931年4月1日 -
  6. (兼)勝野実 少佐:1931年9月5日 - 1931年12月1日
  7. 中川浩 少佐:1931年12月1日 - 1934年10月22日
  8. 戸村清 大尉:1934年10月22日[72] -
  9. (兼)脇田喜一郎 少佐:1936年1月6日 - 5月26日
  10. 成冨武光 中佐:不詳 - 1936年12月1日[73]
  11. 飛田健二郎 少佐:1936年12月1日 -
  12. 広瀬弘 少佐:1937年11月15日 -
  13. 菅間良吉 少佐:1938年12月15日 - ※「睦月」艦長兼務(1939年6月24日 - 11月1日)
  14. 寺内三郎 少佐:1940年10月15日 -
  15. 宮崎勇 少佐:1942年4月6日 -
  16. 生永邦雄 大尉:1942年12月30日 -
  17. 岩渕悟郎 大尉:1943年10月15日 -

脚注[編集]

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  1. ^ a b #達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 望月(モチヅキ)トス』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.1『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月』
  3. ^ #達大正15年6月p.23『第五十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十三號驅逐艦』
  4. ^ #達大正15年6月p.23『第五十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第三十五驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十號驅逐艦』
  5. ^ #達大正15年6月p.24『第五十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十二號」ノ下ニ「第三十三號」ヲ、「第三十四號」ノ下ニ「第三十五號、第四十號」ヲ加フ|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪』
  6. ^ #駆逐隊編制(昭和16年6月30日)p.3『第三十驅逐隊|睦月、如月、彌生、望月』
  7. ^ #S1612六水戦日誌(1)pp.32-33『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  8. ^ #S1612六水戦日誌(2)p.33『1640睦月|戦斗概要 一.敵ニ対シ各艦銃砲撃ヲ加ヘタルモ効果不明/二.敵機銃爆撃ヲウケタル回数 睦月1回弥生2回望月ナシ32号33号哨戒艇各2回/三.彼我状況睦月望月32号哨戒艇ナシ 弥生戦死1重傷7軽傷14 33号哨戒艇戦死2重傷3軽傷7/四.特陸ハ全部収容セシモ大発2隻ハ放棄セリ』
  9. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)268-269頁
  10. ^ a b #内令昭和17年5月(3)p.39『内令第九百三十一號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十三駆逐隊ノ項ヲ削ル|第二十九駆逐隊ノ項中「追風」ノ上ニ「夕月、」ヲ加フ|第三十駆逐隊ノ項中「望月」ノ下ニ「、卯月」ヲ加フ』
  11. ^ a b c #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)44頁『第六水雷戦隊のSN作戦における活躍と同隊の解隊』
  12. ^ #S1705六水戦日誌(3)p.5『(3)望月彌生夕凪南洋部隊主隊ニ編入「トラック」「サイパン」「ラバウル」「ツラギ」方面ニ於テ海上護衛ニ従事』
  13. ^ #S1705六水戦日誌(3)p.49『(ハ)望月弥生夕凪 南洋部隊主隊ニ編入海上護衛ニ従事スルト共ニ望月弥生ハ修理ノ為佐世保ニ回航』-p.55『6日1200望月艦長(宛略)6日1530PSヲ経テ佐世保ニ向ケPT発13日午後入港ノ予定』
  14. ^ #S1705六水戦日誌(3)p.58『10日0500 6sd司令官(宛略)6sd機密第七三七番電 本職本日0500退隊夕張ヨリ将旗ヲ徹ス』
  15. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)pp.51-52『(ロ)自7月10日至7月14日『区分/第2海上護衛隊|艦(隊)名/夕張、第29駆逐隊(夕月、追風、朝凪、夕凪)、第30駆逐隊(睦月、弥生、望月、卯月)、能代丸、長運丸』
  16. ^ #S1704第二海上護衛隊日誌(1)p.53『Ⅱ編制ノ経過概要 7月中旬以降當隊ノ編制右ノ如ク改メラレ稍兵力ノ充実ヲ見ルモ第三十駆逐隊ハ當隊ノ任務ニ従事スルニ至ラズシテ當隊ヨリ除カレ、夕張、第二十九駆逐隊又「ソロモン」「ニューギニヤ」方面作戦ニ従事中ニシテ本月ハ當隊固有ノ護衛任務ニ服スル機会ナク、専ラ能代丸、長運丸ノ2艦ニ依リ當隊任務ヲ遂行セリ』
  17. ^ #S1709第八艦隊日誌(1)pp.6-8『(三)任務編制配備』
  18. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)564頁
  19. ^ #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)587頁
  20. ^ #S1709第八艦隊日誌(1)pp.59-60『二十五日(天候略)増援部隊ハ「ガ」島北方150浬附近ニ於テ空襲ヲ受ケ金龍丸沈没神通被弾、船団ハ北方ヘ避退ス、敵機動部隊「サンクリストバル」島ノ南東方面ニ於テ伊一五発見、一木先遣支隊ノ消息判明ス、呉五特横五特佐五特ノ一部ヲ以テ「ラビ」攻略ヲ開始ス、空襲ニ依リ睦月沈没卯月至近弾ニ依リ船体漏洩箇所ヲ生ズ』
  21. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.18『(2)「ラビ」方面作戦(略)9月11日彌生磯風ハ右救援ニ赴キタルモ敵機ノ襲撃ニ依リ彌生沈没シ目的ヲ達スル能ハズ佐五特救援ハ一時延期スルノ止ムナキニ至レリ』
  22. ^ a b c #戦史叢書南東方面海軍作戦(1)636頁
  23. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)p.9『21日1930RR出撃磯風望月ヲシテ救出ニ向ハシメタルガ22日天候不良ニシテ上空哨戒機ノ発進ナカリシヲ以テ順延トシ偶前日味方戦闘機ガ「スルミ」沖ニテ発見セル漂流「カッター」ガ弥生ノモノナル算アリタルヲ以テ聖川丸水偵ト協力之ガ捜索ニ向ハシメタルニ右ハ弥生「カッター」ニシテ磯風ハ1300弥生連絡員10名ヲ収容、之ガ嚮導ノ下ニ在「ノルマンビー」島弥生乗員救助ニ向ヘリ』
  24. ^ #S1709十八戦隊日誌(1)pp.10-11『25日2100RR発再度磯風望月ヲシテ之ガ救出ニ向ハシム。経過別図第三ノ通ニシテ艦長梶本少佐以下83名ノ救出ヲ了セリ。更ニ帰途同日1000頃「ウッドラーク」島北西方海面ニテ被弾沈没セル気象観測船恭海丸乗員ヲ捜索セシメタルモ何等消息ヲ得ル能ハズ27日1700RR帰着』
  25. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』
  26. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.42『外南洋部隊|10-13 10-14|増援部隊ハ輸送船(崎戸、九州、笹子、佐渡、南海及吾妻山丸)ヲ護衛RXNニ進撃ス 爾餘ノ外南洋部隊ハ右支援及敵艦艇撃滅ノ為出撃ス 3Sハ13日夜約1時間ニ亘リRXIノ砲撃ヲ行フ船団ハ途中敵機ノ連続爆撃ヲ受ケタルモ被害ナク14日2200「タサファロング」沖ニ入泊セリ 鳥海衣笠ハ14日夜「ルンガ」沖ニ突入RXIニ對シ艦砲射撃ヲ行フ』
  27. ^ #S1709四水戦詳報(5)pp.3-4,13『10月16日聯合艦隊ヨリノ指令ニ依リ日進、千歳ノ輸送ハ取止メラレ千代田ノ進出モ亦延期トナレルヲ以テ増援部隊ヲ軽巡戦隊(川内由良龍田)、水雷戦隊(秋月、7dg、11dg、6dg、2dg、19dg、27dg)ニ分ケ第四水雷戦隊司令官ハ水雷戦隊ヲ指揮スルコトトナレリ』
  28. ^ #S1709第八艦隊日誌(2)p.43『第二駆(d×2欠)天霧望月|10-17|RXIノ砲撃制圧ヲ行フ鳥海衣笠ハ増援部隊ノ間接護衛ニ任ズ』
  29. ^ #S1711四水戦日誌(1)pp.46-47『六日1820増援部隊指揮官(宛略)外南洋部隊増援部隊戦斗概報第六號 第十七軍総攻撃後ノ「ガダルカナル」ニ対スル當隊増援左ノ如シ 10月29日27dg(二隻欠)月明裡敵機ト交戦シツツ第十七軍参謀長海軍連絡参謀及弾薬七屯ヲ揚陸皈途魚雷艇ト交戦内二隻撃沈 11月2日4sd(由良d×3欠)天竜19dg(一隻欠)8dg(一隻欠)6dg(二隻欠)11dg(三隻欠)望月ヲ以テ陸兵400弾薬糧秣100屯ヲ輸送3sd(dg欠)衣笠天霧初雪ヲ以テ右増援部隊支援衣笠零式水偵一夜間偵察中敵艦爆三機ト交戦不時着行方不明 11月5日3sd(川内駆逐艦4欠)4sd(由良駆逐艦三隻欠)8dg(一隻欠)天竜望月ヲ以テ陸兵2400弾薬糧秣56屯ヲ輸送 蟻上陸取止ム基地撤収作業初雪望月ヲ以テ10月30日開始5日完了 11月6日増援部隊指揮官ノ任務ヲ2sd司令官ニ引継ヲ了ス』
  30. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.8『外南洋部隊増援部隊挺身輸送隊 指揮官(将旗)4sd 兵力初雪望月 任務「ガ」島挺身輸送基地撤収五日右完了任務終了尓後右輸送ヲ取止メラル』
  31. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.31『二日2100望月(宛略)大発二隻(高射機関砲搭載)曳航皈途ニ付ク実速十七節』
  32. ^ #S1711四水戦日誌(1)pp.8-9『11月6日外南洋部隊増援部隊乙増援隊 指揮官(将旗)4sd 兵力 4sd(由良峯雲夏雲五月雨有明欠)8dg(荒潮欠)天竜望月 任務 主トシテ弾薬糧食「ガ」島輸送 備考ZOB指揮官(将旗)2sd』
  33. ^ #S1711四水戦日誌(1)p.15『乙増援隊 六日二水戦司令官増援部隊指揮官トナリ編制ヲ変更セラレ(将旗)4sdハ乙増援隊指揮官トナリ七日将旗ヲ天竜ニ移揚九駆司令輸送隊(朝雲2dg(d×1欠)8dg(d×1))ヲ率ヰ主トシテ弾薬糧食及陸軍人員搭載七日2300RXE出撃八日1926「タサクアロング」着1944敵魚雷艇四隻ト交戦之ヲ撃攘シタル外敵ノ妨害ナク2245揚陸終了9日0945RXEニ帰着ス』
  34. ^ #S1711四水戦日誌(2)pp.8-9『九日2020(将旗)4sd(宛略)外南洋部隊乙増援隊戦斗概要 乙増援隊駆逐艦九隻(朝雲村雨夕立時雨白露夕暮朝潮満潮望月)ハ9dg司令指揮ノ下ニ11月7日2300ショートランド出撃8日午後敵機ニ発見セラレタルモ同夜「タサハロング」ニ予定揚陸ヲ完了9日1000無事ショートランドニ皈着セリ 本作戦行動中8日泊地進入直前「サボ」島南方ニ於テ敵魚雷艇四来襲望月ニ命中魚雷1アリシモ不爆浸水ナシ全力発揮差支ナシ皈途地点「ケヌネ三」ニ於テ夕立敵潜ノ魚雷(三本)ヲ受ケタルモ被害ナシ夕立白露爆雷攻撃(投射数41)気泡續イテ多量ノ油湧出シ尓後反響音ヲ得ズ効果確実ト認ム』
  35. ^ #内令昭和17年12月(1)p.4『内令第二千二百十一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第三十驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  36. ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.66『8dg(大潮朝潮)望月|12-19|入泊前敵機ニ發セラレタルヲ以テ成功ノ算ナシト判断シ反轉セルモ命ニ依リ揚陸ヲ決行無事完了セリ 帰途望月ハ至近弾ニ依リ水線附近ニ破孔ヲ生ジ死者四〇数名ヲ出ス』
  37. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.25『望月鴻西阿丸|1-9|「ムンダ」輸送ヲ実施ス』
  38. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.26『望月|1-13|輸送物件12防空隊ノ25粍機銃一箇小隊二連装四基照空隊約半数』
  39. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.34『1月13日望月(レガタ)湾外ノ暗礁ニ坐礁ス14日離洲』
  40. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後77-78頁『その他の三月中の中部ソロモン方面輸送』
  41. ^ #内令昭和18年3月(3)p.47『内令第五百二十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十九驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ||第三十驅逐隊|三日月、望月、卯月|』
  42. ^ #内令昭和18年2月(4)pp.48-49『内令第三百十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年二月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第五驅逐隊ノ項ヲ削ル|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、天霧、夕霧」ヲ加フ|第二十一驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |第二十二驅逐隊|皐月、水無月、文月、長月| |第三十一驅逐隊ノ項中「大波」ノ下ニ「清波」ヲ加フ』
  43. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後92-95頁『昭和十八年度帝国海軍戦時編制』
  44. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後130-131頁『外南洋部隊の作戦の概要』
  45. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後132-133頁『中部ソロモン方面輸送』
  46. ^ a b c d #戦史叢書96ガ島撤収後163-164頁
  47. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後188-191頁『中部ソロモン方面輸送』
  48. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後191-192頁『ニューギニア方面輸送』
  49. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後226-227頁『各部隊の作戦』
  50. ^ a b c d e f g #戦史叢書96ガ島撤収後228-230頁
  51. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.15『(2)被害 新月沈没 長月坐礁後被爆大破 天霧初雪谷風中破 涼風望月小破』
  52. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.23『(イ)11dg(天霧、初雪)望月ハ5日、6日ノ「コロンバンガラ」沖戦斗ニ於テ損傷7日以後「ラバウル」ニ於テ応急修理ニ従事15日初雪望月完成ス』
  53. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.34『六(天候略)鳥海艦長増援部隊指揮官代理トナル』
  54. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後237-238頁
  55. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後245-248頁『水上部隊の作戦』
  56. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.23『(ロ)11dg(初雪)望月17日夜決行予定ノ「コロンバンガラ」緊急輸送物件輸送ノ為16日1615「ラバウル」発17日0500「ブイン」着』
  57. ^ #S1807三水戦日誌(1)p.23『(ハ)17日.18日「ブイン」泊地対空戦斗 17日初雪望月入泊皐月ハ望月ヨリ水無月ハ初雪ヨリ夫々横付重油補給出撃準備中、0722ヨリ0741ニ至ル間敵大型機並ニ戦爆連合ノ大編隊来襲主トシテ泊地攻撃之ト交戦、初雪被弾約十個沈没、皐月水無月被爆小破、18日0715ヨリ戦爆連合約100機以上ノ「ブイン」泊地来襲ニ依リ望月小破、19日0800「ラバルウ」着、修理ニ従事』
  58. ^ a b #S1807三水戦日誌(1)p.24『(ホ)七月中旬以降22dg(皐月水無月)望月11dg(天霧)夕凪松風「ラバウル」ニ於テ應急修理ニ従事、22dg(皐月)望月29日、水無月夕凪30日、11dg(天霧)松風31日夫々完成』
  59. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後249-250頁『経過外洋と南東方面部隊等の作戦指導』
  60. ^ #S1704七戦隊日誌(7)p.14『(六)熊野ハ19日夜戦ニ於テ損傷シ修理ノ為機動部隊ニ復帰ヲ命ゼラレタルヲ以テ「ラボール」ニ於テ應急修理ノ上29日1300「ラボール」發駆逐艦皐月望月ノ護衛ヲ附シ「トラツク」ニ回航セシム』
  61. ^ #S1807三水戦日誌(2)pp.30-31『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  62. ^ #S1807三水戦日誌(2)pp.47-31『(四)麾下並ニ一時指揮下ニ入ル艦船部隊ノ行動』
  63. ^ a b c d e f #戦史叢書96ガ島撤収後329-332頁『襲撃部隊による配備兵力の作戦輸送』
  64. ^ a b c d e #戦史叢書96ガ島撤収後333頁『参考 ジャキノット輸送の経緯』
  65. ^ #S1807三水戦日誌(4)p.67『(イ)望月 爆撃ヲ受ケ沈没 戦死 少尉1名(缶部指揮官)下士官兵9 重傷下士官兵3 軽傷下士官兵20』
  66. ^ #内令昭和19年1月(1)p.47『内令第四十三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年一月五日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等川内型ノ項中「川内、」ヲ削ル|驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、望月」ヲ、同不知火型ノ項中「、初風」ヲ、夕雲型ノ項中「、涼波」ヲ、同二等若竹型ノ項中「、早苗」ヲ削ル|潜水艦、一等伊十七型ノ項中「、伊號第三十四」ヲ削ル|海防艦、占守型ノ項中「、若宮」ヲ削ル』
  67. ^ #内令昭和19年1月(2)p.1『内令第四十九號 佐世保鎮守府在籍 軍艦川内 右帝国軍艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 驅逐艦 初風 驅逐艦 早苗/佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 望月/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 涼波 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(略)昭和十九年一月五日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  68. ^ #内令昭和19年1月(2)p.14『内令第六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』
  69. ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  70. ^ a b 『官報』第1206号、昭和6年1月9日。
  71. ^ 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。
  72. ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  73. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13071995700 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿/ 巻1追録/第2類編制(1)』。
    • Ref.C13072003500 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/ 巻3追録/第13類艦船(1)』。
    • Ref.C12070086600 『大正15年達完/6月』。
    • Ref.C12070089800 『昭和3年達完/6月』。
    • Ref.C12070162900 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(3)』。
    • Ref.C12070165700 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(1)』。
    • Ref.C12070166700 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年12月(1)』。
    • Ref.C12070175600 『昭和18年1月~4月 内令1巻/昭和18年2月(4)』。
    • Ref.C12070176000 『昭和18年1月~4月内令1巻/昭和18年3月(3)』。
    • Ref.C12070193800 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年1月(1)』。
    • Ref.C12070193900 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年1月(2)』。
    • Ref.C08030120000 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030120100 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030120200 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030120300 『昭和16年12月1日~昭和16年12月23日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030125200 『昭和17年5月1日~昭和17年7月10日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030125300 『昭和17年5月1日~昭和17年7月10日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
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    • Ref.C08030125500 『昭和17年5月1日~昭和17年7月10日 第6水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
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    • Ref.C08030142500 『昭和17年4月10日~昭和19年4月24日 第2海上護衛隊司令部戦時日誌(1)』。
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    • Ref.C08030062800 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
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    • Ref.C08030753700 『駆逐艦 谷風(クラ湾沖海戦)蓮.海防艦第76号戦時日誌.戦闘詳報(1)』。
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    • Ref.C08030105900 『昭和18年7月1日~昭和18年12月2日 第3水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書49 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』 朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』 朝雲新聞社、1976年8月。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。