望月 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Mochizuki.jpg
艦歴
建造所 浦賀船渠
起工 1926年3月23日
進水 1927年4月28日
竣工 1927年10月31日(第三十三号駆逐艦)
喪失 1943年10月24日
除籍 1944年1月5日
要目(計画)
排水量 基準:1,315トン、常備:1,445トン
全長 102.72m
全幅 9.16m
吃水 2.92m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基
2軸、38,500馬力
速力 37.25ノット
航続距離 14ノットで4,500海里
燃料 重油450トン
乗員 154名
兵装 45口径三年式12cm単装砲4門
留式7.7mm機銃2挺
61cm3連装魚雷発射管2基6門
(八年式魚雷12本)
爆雷投射器
爆雷12個

望月(もちづき)は、日本海軍駆逐艦睦月型駆逐艦の11番艦である。艦名は旧暦15日の満月)のこと。

艦歴[編集]

1923年(大正12年)度計画艦。浦賀船渠で建造され1927年(昭和2年)10月31日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。当初は「第三十三号駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別され、1928年(昭和3年)8月1日に「望月」と改名された。

1937年(昭和12年)からの支那事変により中支、南支方面に進出する。所属は第4艦隊第5水雷戦隊第23駆逐隊であり、本稿の写真はその時期に撮影されたものだと推測される。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦前に第4艦隊第6水雷戦隊第30駆逐隊に転属。 太平洋戦争開戦後、ウェーク島攻略作戦に参加。その後もラバウル方面、ラエサラモアモレスビーの各攻略作戦に参加した。6月24日ガダルカナル島設営作戦を支援、7月13日に一旦佐世保港に帰港する。8月27日に出港、ソロモン方面へ進出しラビ攻略作戦、ガダルカナル島への輸送作戦に従事、12月9日にフインシュ揚陸の帰途に爆撃を受け損傷、翌1943年(昭和18年)2月に佐世保に帰港し修理に従事する。3月より再びラバウル方面で輸送任務に従事、7月6日のクラ湾夜戦に参加し損傷、佐世保海軍工廠で修理する。9月21日に佐世保を出港、10月1日のコロンバンガラ島撤退作戦に参加した。

10月24日、ジャキノット輸送作戦中にニューブリテン島東方でアメリカ海兵隊機の爆撃を受けて沈没、1944年(昭和19年)1月5日除籍された。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』260-261頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長[編集]

  1. 岩原盛恵 中佐:1927年12月1日 -

艦長[編集]

  1. 岩原盛恵 中佐:1927年10月31日 - 1928年12月10日
  2. 中田操 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日[1]
  3. 岡野慶三郎 少佐:1929年11月30日[1] - 1931年1月8日[2]
  4. (兼)勝野実 少佐:1931年1月8日[2] - 4月1日[3]
  5. 加瀬三郎 少佐:1931年4月1日 -
  6. (兼)勝野実 少佐:1931年9月5日 - 1931年12月1日
  7. 中川浩 少佐:1931年12月1日 - 1934年10月22日
  8. 戸村清 大尉:1934年10月22日[4] -
  9. (兼)脇田喜一郎 少佐:1936年1月6日 - 5月26日
  10. 成冨武光 中佐:不詳 - 1936年12月1日[5]
  11. 飛田健二郎 少佐:1936年12月1日 -
  12. 広瀬弘 少佐:1937年11月15日 -
  13. 菅間良吉 少佐:1938年12月15日 - ※「睦月」艦長兼務(1939年6月24日 - 11月1日)
  14. 寺内三郎 少佐:1940年10月15日 -
  15. 宮崎勇 少佐:1942年4月6日 -
  16. 生永邦雄 大尉:1942年12月30日 -
  17. 岩渕悟郎 大尉:1943年10月15日 -

脚注[編集]

  1. ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  2. ^ a b 『官報』第1206号、昭和6年1月9日。
  3. ^ 『官報』第1275号、昭和6年4月2日。
  4. ^ 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  5. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。

参考文献[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』(原書房、1981年、第3刷)ISBN 4-562-00302-2
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。