ニューブリテン島
| ニューブリテン島 | |
|---|---|
| 座標 | - |
| 面積 | 36,514 km² |
| 海岸線長 | - km |
| 最高標高 | 2,438 m |
| 所在海域 | ビスマルク諸島 |
| 所属国・地域 | |
ニューブリテン島(ニューブリテンとう、英語:New Britain )は、南太平洋のメラネシアに属する、ビスマルク諸島の最大の島である。
[編集] 概説
全島パプアニューギニアに属し、東ニューブリテン州と西ニューブリテン州に分かれる。最大都市はラバウル。最高峰は2438mのシネウィット山。面積36,514km²で、世界第38位(37位の九州とほぼ同じ大きさ)。熱帯雨林に覆われ、火山活動が盛んであり、ラバウルは1990年代に大きな火山被害を受けている。
約35000年前には人類のいた痕跡がある(ヨンボン遺跡)。サフル大陸から渡ってきた者と思われる。
1700年2月27日、ウィリアム・ダンピアがヨーロッパ人として初めて到達した。彼はこの島をラテン語でNova Britanniaノヴァ・ブリタニア(英語で New Britain ニューブリテン)と名づけた。ドイツは1884年から1914年までの間、ニューギニア島北東部とビスマルク諸島を含む周囲の島々をドイツ領ニューギニアとして支配し、植民地当局はこの島をノイ・ポンメルン(Neupommern 新しいポンメルン)と名づけていた。1914年9月11日、ノイ・ポンメルンにはオーストラリア陸海軍遠征部隊が上陸し、第一次世界大戦の最初期の戦闘の舞台になった。
同年オーストラリア軍がドイツ領ニューギニアを占領し、1919年のヴェルサイユ条約以降はオーストラリアによる国際連盟委任統治領となった。なお、オーストラリアによる占領初期、占領当局はドイツ領ニューギニアやドイツ領マーシャル諸島の切手に「G.R.I」(George Rex et Imperatorの略、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国国王にしてインド帝国皇帝ジョージ5世を意味する)と上から印刷して臨時に流通させていたが、これは後に切手市場で非常に高値で取引されている。
第二次世界大戦中は日本軍が占領し、ソロモン諸島方面進出の拠点としたが、連合軍はこの島を迂回して日本本土に向うこととし、日本軍との正面戦闘は回避することにした。1943年12月15日ニューブリテン島の西部のアラウエにアメリカ第112機甲連隊が上陸、12月26日にはアメリカ第1海兵師団も上陸し、この地域を守備していた日本軍の第65旅団や第17師団を攻撃した。2月中旬には日本軍は撃退され西部ニューブリテンは連合軍の手に落ちた。西部ニューブリテンを占領したアメリカ軍は満足し、これ以上の東進はしなかった。(西部ニューブリテンの戦い)孤立したラバウルの日本軍は終戦まで自給自足を強いられることになった。