キング・ジョージ5世級戦艦

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キング・ジョージ5世級戦艦
King George V class battleship 1945.jpg
1945年に撮影された「キング・ジョージ5世」
艦級概観
艦種 戦艦
艦名 国王(在位1910-1936;就役開始時点では先々代)の名
前級 ネルソン級
次級 ヴァンガード
建造数 5
性能諸元
排水量 基準:38,030トン
満載:42,237トン
全長 227.1m
全幅 34.2m
吃水 8.8m
機関 海軍式三胴型重油専焼水管缶8基
パーソンズオール・ギヤードタービン4基4軸推進
最大
出力
110,000hp
最大
速力
1941年, 28ノット(地中海で無風、燃料1/3状態で30ノットを非公式記録)
航続
距離
10ノット/7,000海里
20ノット/5,700海里
乗員 1,381名
兵装 Mark VII 35.6cm(45口径)四連装砲2基+同連装砲1基
Mark I 13.3cm(50口径)連装両用砲8基
2ポンド:4cm(39口径)八連装ポムポム砲4基
UP 17.8cm20連装ロケット砲4基
装甲 舷側:374mm
甲板:31mm+149mm
主砲塔:324mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
主砲バーベット部:324mm
司令塔:100mm
航空兵装 水上機:3機(最大)、2機(常用)
埋め込み式カタパルト1基

キング・ジョージ5世級戦艦(-5せいきゅうせんかん、King George V class battleship)は、第二次世界大戦前にイギリス海軍が建造した超弩級戦艦の艦級である。ここでは1940年から就役を開始した2代目のキング・ジョージ5世級戦艦について述べる。1912年に就役を開始した初代についてはキング・ジョージ5世級戦艦 (初代)を参照。

後述の通り、政治的な要因のため主砲の口径がいわゆる新戦艦(海軍休日終了後に就役した戦艦)の中で最も小さく抑えられており、その搭載数を防御力改善のため当初予定の12門から10門に減らした事もあり、火力では欧州におけるライバルであるビスマルク級ヴィットリオ・ヴェネト級に劣っていたものの、水線の装甲帯は長門型より厚く、結果的に防御力を重視した設計となっていた。その戦力はドイツやイタリアの主力艦を圧倒していた[1]

背景[編集]

本級は、イギリス海軍において実戦を経験した最後の戦艦クラスである。第二次ロンドン条約の締結を見越して、基準排水量35,000トン、主砲に14インチ砲を採用した新戦艦として設計が完了した。

1928年にイギリス海軍は、1931年からの建造開始を想定して新型戦艦の構想を検討し始めた。ロンドン海軍軍縮会議の締結によって1937年まで海軍休日は伸びたため、前回の構想を引き継いで1935年に検討が再開された。主砲には16インチ、15インチ、14インチの選択肢があり、当初は15インチが選定された。主要な設計は最大出力で27ノットの速度を発揮することを目的とし、有効戦闘範囲は12,000から16,000ヤードまでと決められた。装甲と水雷防御は、前級のネルソンのそれより強化された[2]

しかし、1935年10月に15インチの採用が覆り、14インチとなった。これは当時のイギリスがロンドン条約において他国との条約継続を求めていたことに起因した。政府は10月上旬に日本を説得できるならば、アメリカ合衆国もまた支持するだろうとの情報を得て、イギリス海軍に14インチまで口径の縮小を勧めた。その主砲が年末までに注文される必要があったため、イギリス海軍本部は新型戦艦の主砲は14インチ砲と決定した[2]

1940年代の戦艦では最強[3]であった。

設計[編集]

艦形[編集]

写真は1941年に行われたソ連への船団護衛時に撮影された「アンソン」。艦首で砕けた波が主砲塔2基にまで届いて結氷した。

本級の艦首形状は垂直に切り立ったスターン・バウで、凌波性が劣っていた。さらに前級と同様に主砲塔を艦首方向へ仰角0度で射撃可能という要求を満たすために艦首甲板上のシア(反り返り)は全くなく、冬の北大西洋では艦首で砕けた波浪が1番主砲塔だけではなく、2番砲塔基部まで降り注いだ。

写真は1941年に撮られた「プリンス・オブ・ウェールズ」。

艦橋構造は前級から用いられた塔型艦橋をベースに、大戦間にクイーン・エリザベス級で行われた近代化改装の技術蓄積にならい、これまでの戦艦で用いられた重装甲の司令塔を廃して、小口径弾に対応する程度の装甲を施した一体型の塔型艦橋となり、下から操舵艦橋・上部艦橋・将官艦橋の順に構成され、頂上部の見張り所の上に主砲用4.58m測距儀が1基、その左右に副砲用測距儀が並列に1基ずつ計2基が三角形状に配置され、その間に対空管制室が設けられている。

艦橋の背後に簡素な前向きの三脚式の前部マストが立ち、2本煙突は機関のシフト配置により前後に離され、煙突間には首尾線に対し垂直に左右に伸びるカタパルトが設けられており、水上機は左右どちらにも射出が出来た。2番煙突の後部は艦載艇置き場になっている。2番煙突の基部には橋桁型クレーンが片舷1基ずつ計2基が設置されており、水上機の回収や艦載艇の運用に用いられた。船体後部には後部艦橋が設けられ、三脚式の後部マストが後向きに立つ。後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基が配置された。

消磁コイルは後に艦内方式に改められている[1]

武装[編集]

主砲[編集]

写真はキング・ジョージ5世の四連装砲塔と連装砲塔。本級の主砲塔の前盾は垂直に切り立っている。

本級の主砲には条約に基づき新設計の「1922年型 Mark 7 35.6cm(45口径)砲」を採用した。本級は他に例を見ない四連装砲塔2基と連装砲塔1基混載の独特な外観となった。本来は四連装砲塔3基の予定であったが、当初設計において弾薬庫の防御に問題が発見され、この強化の代償としての重量低減のため砲塔のひとつが連装となった。

四連装砲塔の採用はフランス海軍のダンケルク級という先例がある。同世代のアメリカ海軍のノースカロライナ級も、初期案は14インチ四連装砲塔3基で設計されていたが、これは第2次ロンドン条約のエスカレーター条項適用による、16インチ三連装砲塔への換装を見越したものであり、実際その通りに実現した。当然ながら四連装・連装砲塔混載の本級においては、換装は不可能であった。

この砲の性能は、最大仰角40度で射距離35,260mまで届かせられ、射程22,860mで垂直装甲241mmと甲板装甲102mmを、射程16,460mで垂直装甲305mmを貫通できる性能であった。砲塔の俯仰能力は仰角40度・俯角3度で、各砲塔の旋回角度は1番主砲塔のみ首尾線方向を0度として左右143度の旋回角度が可能であったが、上部構造物に近く射界に制限がある2番・3番主砲塔は35度であった。発射速度は毎分2発程度である。

主砲塔測距儀こそ12.8mと優秀であるが、主に使用する艦橋用測距儀は4.58mと小型で性能が低く、そのため実用としては射程距離25,000m前後が限度であった。装填角度は仰角5度である。

また軽量化のために砲塔を小型化するために砲塔の高さを必要以上に減じた。このため、内部構造が窮屈なものとなった。実戦でも故障が相次ぎ、信頼性の低い射撃システムであった。

射撃管制レーダーが装備されてからもバックアップとして光学機器が必要であったが、本級に装備された主砲管制用方位盤は、照準視界がジャイロスコープで船体の揺れに対してスタビライズされるという画期的なものだった[1]

さらに、本級に装備されたHACS対空レーダーは測距儀またはレーダーからの情報をもとに高角砲を管制する機械式コンピューターであるが、プリンス・オブ・ウェールズが装備していたものは改良前であったために効果をあげられなかった。改良型レーダーはドイツの戦艦ビスマルクや巡洋戦艦シャルンホルストを撃沈するなど目覚ましい活躍みせた[1]。これにはドイツ製レーダーや艦船装備の性能の悪さも一因となった。

副砲・対空装備等[編集]

13.3cm(50口径)高角砲の断面図。
1941年に撮られた「プリンス・オブ・ウェールズ」の舷側。13.3cm連装高角砲と4cm8連装ポンポン砲の形状がよく判る写真。

本級の副砲はネルソン級で両用砲の開発が要求に間にあわなかった苦い経験から、本級は設計当初から高角砲を兼用するように開発が進められた「1940年型 13.3cm(50口径)高角砲」を採用している。この砲の発射速度は毎分7~8発、砲身の上下角は仰角70度・俯角5度、最大射程は仰角45度で射距離21,397 m、最大仰角75度で高度14,935 mまで届かせられる性能であった。この副砲は連装砲塔に収められ、カタパルトを境に前向きに背負い式に2基、後向きに背負い式に2基の片舷4基ずつ計8基を舷側配置した。しかし、カタログデータでは優れるが実際の所は砲塔の旋回速度や砲身を上下させる速度が普通の平射用副砲塔と大差なく、急降下爆撃機に対処は困難だった。軽量化のために装填は人力であったが、水上砲戦での威力を重視したため砲弾重量は36.3kgもあり、速射性を阻害していた。

近接対空火器として英国軍艦に広く採用されている「1930年型 Mark VIII 4cm(39口径)ポンポン砲」を八連装(水平四連装銃身を上下に配置したもの)砲架で4基搭載した。この機関砲は口径が4cmと、一見して強力そうだが有効射程が短く、弾道特性も悪いために実際は当らなかった。さらに、射撃中に弾体薬莢が分解して頻繁に弾詰まりを起こすという悪癖を持っていた。主なデータではマレー沖海戦によるプリンス・オブ・ウェールズ搭載のポムポム砲は一基だけで12回も故障を起こし、もう一基も8回も射撃中止に陥った。

写真は1942年にアイスランドのセイジスフィヨルドで撮られた「キング・ジョージ5世」。2番砲塔上のUP ロケット砲を撤去して代わりに4cm8連装ポンポン砲に換装し、20mm機関砲18門を搭載していた。

特徴的なのは英国海軍が懇意にして開発し、戦艦「ネルソン」にも装備された「17.8cm 20連装ロケット砲(通称:UP, Unrotated Projectile)」である。これは円筒状のロケット弾に無数の爆雷を詰めておき、規定の高度でカバーが外れて、尾部に落下傘を付けた爆雷が適度な散布界を持って展開するという兵器であった。2番主砲塔上に1基、3番主砲塔上に並列で2基、艦尾甲板上に1基の計4基が搭載された。実際の戦闘では展開速度が航空機の速度に付いていけず、充分な戦果を得られないまま早期に撤去されて4cmポンポン砲を増載した。

後に米国から供与されたボフォース 4cm(56口径)対空機関砲エリコン社製2cm(76口径)機銃にスペースを明け渡した。

機関[編集]

写真は1942年に援ソ船団を護衛時に撮られた「デューク・オブ・ヨーク」。

前級では高出力を期待してヤーロー式とブラウン・カーチス式を採用したものの結果的に信頼性を欠いた実績を踏まえ、本級に於いて「クイーン・エリザベス」や巡洋戦艦レナウン」の近代化改装で使用され実績のある海軍式三胴型加熱器付き重油専焼水管缶パーソンズオール・ギヤードタービンが採用された。ボイラー8基とギヤード・タービン4基が搭載され4軸推進とした。機関配置においてイギリス戦艦で最初にシフト配置が採用された。タービンを収めた8つの機関室とボイラーを収めた4つの缶室を交互に、艦尾からケースメート式に設置された。前から記述すれば前部ボイラー室は中央隔壁により片舷2基ずつ4基、その後ろの前部機械室は独自の縦隔壁二枚により3室に分かれており左舷外軸タービン・補助機械室・右舷外軸タービンの配置、後部ボイラー室は中央隔壁により片舷2基ずつ4基、後部機械室も中央隔壁により左舷内軸タービン・補助機械室・右舷内軸タービンの配置である。シフト配置によってボイラー室が前後に分散されたために、煙突も2本必要になり機関重量が増加した。ボイラーは圧力400ポンド/平方インチ、蒸気温度700度にタービンは230rpmの110,000馬力で速力28ノットを発揮できるカタログデータであった。ビスマルク追撃時のプリンス・オブ・ウェールズは過負荷全力状態で128,000から134,000馬力を発揮したとされる[4]が、アンソンとハウの速力は27.5-27.6ノットであった[5]。航続性能は10ノットで14,000海里を航行できる性能が要求されたが、実際は重油3,700トンで10ノット/7,000海里で要求性能の半分程度であった。

防御[編集]

ビスマルク級(左)とキング・ジョージ五世級(右)の内部構造の比較図。

本級の装甲厚は水平甲板が上甲板31mm+主甲板149mm、垂直防御が374mm、水線装甲帯が381mm、主砲塔前盾が324mmである。同世代の列強戦艦に比べて装甲厚に優れるのが英国戦艦の特徴の一つであり、大日本帝国海軍も新世代列強戦艦の特徴として「防御力は他の性能を犠牲にしても充実しているだろう」と推測している[6]。舷側装甲板の配置はフッドネルソン級で採用した「傾斜装甲」から、時代に逆行して「垂直装甲」に回帰している。

防御能力に関しては長門型やコロラド級に勝っていた[3]とする文献もある。確かに船体の水線装甲帯は厚く装甲面積は広いが、航空機からの攻撃や遠距離からの砲撃に対して重要となる水平甲板の装甲は長門型のほうが厚かった。本型は喫水下に51mmの防御壁が3層構造の多層防御方式がとられていたが、長門型では4層構造の隔壁に75mmの装甲を併用して防御していた。本型の舷側から機関区隔壁までの区画長は他国戦艦の半分程しかない4.3mと短く、これは機関の小型軽量化に失敗した代償で、船体における機関区のスペースを多くとらざるを得ず、少ない出力で高速を出すために船体を細長くする必要があったため、船体の幅を狭めた為である。日本海軍の戦艦で頻用されたバルジも装着されなかった。 また、第一次大戦後、各国で水中弾効果について研究が進められた結果、日本海軍の大和型戦艦、アメリカ海軍のサウスダコタ級以降の艦は水線防御装甲を水線下まで延長する工夫が見られたが、英国の戦艦ではその後に建艦されたヴァンガードを含めて、対策が考慮されなかった。

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 世界の艦船増刊第67集
  2. ^ a b ブラウン, pp. 28–29
  3. ^ a b 第二次大戦世界の艦船(双葉社)
  4. ^ G&D, Allied Battleships of WW2, p206
  5. ^ 世界の艦船増刊第67集 第2次大戦時のイギリス戦艦, p139
  6. ^ 「一般参考資料第66号」p.7

参考図書[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C06092450100「一般参考資料第66号 12.5.1 列國海軍造艦の趨勢」
  • 世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社
  • 「世界の艦船増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第67集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第9集 第2次大戦のイギリス軍艦」(海人社)
  • 「世界の艦船 特集 列強最後の戦艦を比較する」No.654(海人社) 2006年2月
  • William H. Garzke, Robert O. Dulin, Thomas G. Webb (1980). Battleships: Allied Battleships in World War II. Naval Institute Press.
  • Brown, D K (2006). Nelson to Vanguard: Warship Design and Development 1923–1945. Chatham Publishing.

関連項目[編集]