山雲 (駆逐艦)

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1939年9月15日、海上試験を行う山雲
艦歴
計画 マル2計画
起工 1936年11月4日
進水 1937年7月24日
就役 1938年1月15日
その後 1944年10月25日戦没
除籍 1945年1月10日
性能諸元
排水量 基準:約2,000t、公試:2,400t
全長 118.00m
全幅 10.386m
吃水 3.71m(平均)
機関 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸
ロ号艦本式重油専焼缶3基
50,000hp
最大速力 34.85kt
航続距離 18ktで5,190浬
燃料 重油580t
乗員 230名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
(または13mm機銃 Ⅱ×2)
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九〇式魚雷16本)
九一式爆雷×36

山雲(やまぐも)は[1]大日本帝国海軍駆逐艦一等駆逐艦朝潮型の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊やまぐも型護衛艦やまぐも」に継承された。

艦歴[編集]

駆逐艦「山雲」は藤永田造船所で建造開始。1936年(昭和11年)10月22日、「山雲(ヤマグモ)」と命名[1]。姉妹艦「朝雲」、工作艦「明石」も同日附で命名されている[1]。同年11月4日に起工、1937年(昭和12年)7月24日に進水、1938年(昭和13年)1月に竣工[2]。同時に第41駆逐隊に編入された。

同年9月15日、第三予備艦となり横須賀海軍工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。1939年(昭和14年)11月15日、所属の第41駆逐隊が第9駆逐隊となった。1940年(昭和15年)11月15日、第9駆逐隊は第2艦隊第4水雷戦隊に編入された。

太平洋戦争開戦時には、朝潮型「朝雲」「夏雲」「峯雲」と共に第4水雷戦隊(司令官西村祥治少将・旗艦「那珂」)・第9駆逐隊(司令佐藤康夫大佐)に所属していた。1941年(昭和16年)12月31日、リンガエン湾上陸作戦を支援中に触雷した。1942年(昭和17年)2月5日、リンガエン発[3]。9日香港に到着[4]。入渠して応急修理を行った[5]。4月1日に出港し、6日横須賀着[6]。以後9月末まで同地にとどまり修理を実施した。なお5月15日附で「山雲」は第9駆逐隊より除籍された[7]。同日附で損傷修理中の朝潮型3隻(山雲、満潮大潮)は予備艦となる[8]。約五ヶ月が経過した10月1日、修理を終えた「山雲」は警備駆逐艦に指定される[9]横須賀鎮守府海面防備部隊に編入され、翌年9月まで内地近海で活動し、船団護衛に従事した。

1943年(昭和18年)9月15日、「山雲」は第4駆逐隊に編入される[10]。開戦時の第4駆逐隊は陽炎型駆逐艦4隻(萩風野分舞風)で編制され第四水雷戦隊に所属していたが、ミッドウェー海戦を経て1942年(昭和17年)7月に第十戦隊へ移籍していた。その後、1943年(昭和18年)8月6日のベラ湾夜戦で「萩風」「嵐」を撃沈された第4駆逐隊は「野分」「舞風」の2隻となっており、「山雲」の編入で陽炎型(不知火型)と朝潮型(満潮型)の混成部隊となった。10月10日から上海ラバウル間の作戦輸送に従事した。11月中旬、「山雲」は駆逐艦「若月」と共に日本本土へ向かう巡洋艦「鹿島」と潜水母艦「長鯨」を護衛する。19日、「山雲」は船団を追跡していた米潜水艦「スカルピン」を発見する[11]。「山雲」は爆雷攻撃を加えて「スカルピン」に損傷を与え、浮上した同艦を砲撃により撃沈した[11]。「山雲」は米潜水艦乗組員42名を救助した[11]。なおトラック泊地に到着したスカルピン乗組員は、彼等を撃沈・救助した駆逐艦について、「山雲」ではなく「YOKOHAMA」と教えられた。

12月上旬、「山雲」は第10駆逐隊「秋雲」と共にトラック-パラオ輸送船団護衛任務に従事。同月中旬、連合艦隊は戊号輸送作戦を発動する。「秋雲」「風雲」と共に戦艦「大和」、空母「翔鶴」を護衛して横須賀に戻っていた「山雲」も作戦に組み込まれた。12月20日、戦艦「大和」、第17駆逐隊「谷風」、第4駆逐隊「山雲」からなる戊一号輸送部隊は横須賀を出港してトラック泊地へ向かう[12]。だが、トラック到着直前に米潜水艦「スケート」から「大和」への雷撃を許した。「大和」は魚雷1本の命中により小破。25日、「大和」「谷風」「山雲」はトラックに到着した[13]。ただちに「山雲」は戊三号輸送部隊第二部隊に編入され、第2水雷戦隊旗艦「能代」、軽巡洋艦「大淀」、駆逐艦「秋月」、「山雲」という戦力でニューギニア島カビエンへの輸送作戦に従事する[14]

1944年(昭和19年)1月1日、戊三号輸送部隊第二部隊はカビエンで米軍機約100機の襲撃を受ける。輸送部隊は零式艦上戦闘機の援護をうけつつ「能代」「山雲」、「大淀」「秋月」という二群にわかれて米軍機と交戦、敵機の撃退に成功した。「能代」「大淀」が小破しているが、深刻な被害は出なかった。「山雲」は撃墜5機を記録、機銃掃射と至近弾により若干の浸水被害と戦死2名・重軽傷10名という被害を受けている[15]。1月中旬以降、ラバウル方面への輸送船団護衛任務に従事。2月15日、第4駆逐隊3番艦の「山雲」は輸送船「浅香丸」を護衛してトラック泊地を出発した。2月17日、トラック泊地は米軍機動部隊及び戦艦部隊に襲撃されて大損害を受ける(トラック島空襲)。巡洋艦「香取」、特設巡洋艦「赤城丸」と共に第4駆逐隊司令艦「舞風」が撃沈され、4駆司令磯久研磨大佐も戦死した。4駆は「野分」「山雲」の2隻編制になる。 「山雲」は横須賀に帰投して補給・修理を受けたのち、3月16日に出渠。3月25日、高橋亀四郎大佐が第4駆逐隊司令として着任し、「山雲」を司令艦とする[16]。3月31日、「舞風」の代艦として「山雲」の姉妹艦「満潮」が第4駆逐隊に編入され、同隊は3隻編制(野分、山雲、満潮)となった[17]。 第4駆逐隊に変化がある中、「山雲」「雪風」「初霜」は空母「千歳」のサイパン方面輸送作戦を護衛する[18]。日本本土帰投後の4月、「能代」「山雲」「雪風」「初霜」は空母「瑞鳳」「龍鳳」のサイパン・グアム方面輸送を護衛した[19]

6月以降、渾作戦マリアナ沖海戦に参加。第4駆逐隊は第二航空戦隊(司令官城島高次少将)に所属し、第27駆逐隊「時雨」等と共に空母3隻(隼鷹飛鷹龍鳳)を護衛した。7月上旬、第4駆逐隊は戦艦「扶桑」の日本本土回航を護衛。航海中の7月10日、「秋雲」「風雲」の喪失による第10駆逐隊の解隊にともない、同隊所属だった姉妹艦「朝雲」が第4駆逐隊に編入される[20]。第4駆逐隊は定数4隻(野分、満潮、朝雲、山雲)を回復した。日本に帰還後、「野分」「山雲」は空母「瑞鳳」、第61駆逐隊(秋月初月)と小笠原諸島・硫黄島方面への輸送作戦に従事した。

10月中旬以降の捷号作戦で第4駆逐隊(満潮、朝雲、山雲、野分)は分散配備され、「野分」のみ栗田艦隊・第十戦隊旗艦「矢矧」及び第17駆逐隊(浦風、浜風、雪風、磯風)と行動を共にする。第4駆逐隊3隻(満潮/司令艦、朝雲、山雲)は戦艦「山城」(旗艦)、「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「時雨」と共に第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)に所属してレイテ湾突入を目指した。10月25日、西村艦隊はスリガオ海峡に突入したものの「時雨」を残して全隻撃沈された。午前2時20-30分頃、「満潮」「山雲」「朝雲」「時雨」「山城」「扶桑」「最上」という単縦陣の二番手に位置していた「山雲」は魚雷命中により航行不能となる[21]。西野(時雨駆逐艦長)によれば、「満潮」「山雲」「朝雲」はほぼ同時に被雷、「山雲」は轟沈であったという[22]。全員が戦死したとされる。生存者1名がマニラ地区地上部隊に編入されたという記録が残るが、その後の消息は不明[23]。なお、栗田艦隊に所属していた「野分」も重巡「筑摩」救援中に撃沈され、第4駆逐隊所属艦は1日で全隻を喪失した。

1945年(昭和20年)1月10日、駆逐艦「山雲」は 満潮型駆逐艦[24]、 帝国駆逐艦籍[25] のそれぞれから除籍された。全滅した第4駆逐隊も解隊された[26]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』315-316頁による。

艤装員長[編集]

  1. 阿部俊雄 中佐:1937年8月16日 - 12月1日

艦長[編集]

  1. 不詳:1938年1月15日 -
  2. 有馬時吉 少佐:1939年3月1日 -
  3. 古賀弥周次 少佐:1939年11月15日 -
  4. 小野四郎 少佐:1942年5月20日 - 1944年10月25日戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b c #達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』
  2. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『山雲|(艦性能略)|藤永田造船所|11-11-4|12-7-24|13-1-15|(艦兵装略)』
  3. ^ #昭和17年2月~第4水雷戦隊日誌(1)p.69『2月5日|山雲1135「リンガエン」発』
  4. ^ #昭和17年2月~第4水雷戦隊日誌(1)p.66『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  5. ^ #昭和17年3月~第4水雷戦隊日誌(2)p.37『(一)麾下艦船部隊ノ行動|第九駆逐隊 山雲|香港 海軍工廠船渠』
  6. ^ #昭和17年4月~第4水雷戦隊日誌(1)p.20『(一)麾下艦船部隊ノ行動』
  7. ^ #内令昭和17年5月(2)p.26『内令第八百五十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八駆逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九駆逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル』
  8. ^ #内令昭和17年5月(2)pp.26-27『内令第八百五十一號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 大潮/驅逐艦 満潮/驅逐艦 山雲 右特別役務驅逐艦ト定ム|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八駆逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九駆逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル』
  9. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.2-3『内令第千八百二十五號|横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 山雲|呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦夕霧 驅逐艦白雲|右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  10. ^ #内令昭和18年9月(4)p.28『内令第千九百三十六號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年九月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「舞風」ノ下ニ「、山雲」ヲ加フ』
  11. ^ a b c #モリソンの太平洋海戦史379-380頁
  12. ^ #昭和18年12月~第4駆逐隊日誌(1)p.22『20日(略)1100便乗者50名乗艦、谷風ト共ニ大和護衛戊第一号輸送任務ニ従事』
  13. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(1)p.25『25日1500/大和、谷風、山雲 トラック着』
  14. ^ #昭和18年12月~第4駆逐隊日誌(1)p.24『30日(略)0715陸軍部隊乗艦、能代・大淀・秋月ト共ニ戊第三号輸送任務ニ従事』
  15. ^ #昭和18年12月~第4駆逐隊日誌(2)p.9『五.戦果及被害』
  16. ^ #昭和18年12月~第4駆逐隊日誌(3)p.9.11『3月25日/一.新司令(高橋大佐着任)|二.山雲四駆司令駆逐艦トナル(略)』
  17. ^ #内令昭和19年3月(5)p.39『内令第五百十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年三月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第四駆逐隊ノ項中「野分、舞風、山雲」ヲ「野分、山雲、満潮」ニ改ム|第九駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十六駆逐隊ノ項ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「濱風」ノ下ニ「、雪風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|第十八駆逐隊/薄雲、霞、不知火|第二十二駆逐隊ノ項中「、文月」ヲ削ル|第二十四駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  18. ^ #昭和18年12月~第10戦隊日誌(4)p.3『4日山雲横須賀第一号ドック入渠16日出渠ス、雪風初霜ト共ニ千歳護衛ノ目的ヲ以テ大宮島発「サイパン」ニ回航5日同地着』
  19. ^ #昭和18年12月~第4駆逐隊日誌(3)p.10『能代、山雲、雪風、初霜ニテ瑞鳳、龍鳳ヲサイパン及グアムニ護衛』『0755横須賀発グアムニ向フ(瑞鳳護衛)/1655龍鳳ト合同ス』
  20. ^ #内令昭和19年7月p.13『内令第八三八號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年七月十日海軍大臣|第四駆逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第十駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  21. ^ #捷1号作戦2YB作戦経過概要p.13『○0220頃 第二番艦タル山雲ハ魚雷ヲ受ケ、航行不能トナル』
  22. ^ #捷1号作戦2YB作戦経過概要p.19『山雲ハ約三分ニシテ轟沈、満潮、朝雲ハ盛ンニ蒸気ヲ噴出シツツ航行不能』
  23. ^ #10月18日以降増援兵力p.3『地区:マニラ|所轄:山雲|進出期日(編制期日)1944.10.25|員数1』
  24. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 駆逐艦、一等峯風型ノ項中「、萩風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「 島風」ヲ削ル(以下略)』
  25. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍:軍艦厳島/呉鎮守府在籍:軍艦八十島/舞鶴鎮守府在籍:軍艦神鷹/右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:駆逐艦 曙、駆逐艦 満潮、駆逐艦 朝雲、駆逐艦 山雲、駆逐艦 野分、駆逐艦 早霜、駆逐艦 秋霜、駆逐艦 若月、駆逐艦 霜月/呉鎮守府在籍:駆逐艦 浦風、駆逐艦 島風/佐世保鎮守府在籍:駆逐艦 秋風、駆逐艦 卯月、駆逐艦 夕月、駆逐艦 初春/舞鶴鎮守府在籍:駆逐艦 長波、駆逐艦 濱波、駆逐艦 沖波、駆逐艦 岸波/右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  26. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二駆逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四駆逐隊ノ項ヲ削ル|第七駆逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七駆逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一駆逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十駆逐隊及第三十一駆逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一駆逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C13071997700 『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C05110759800 『公文備考昭和12年E教育(演習))検閲巻3/第3617号12.7.13駆逐艦山雲進水当日艦外形撮影の件』。
    • Ref.C12070100800 『昭和11年達 完』。
    • Ref.C12070162800 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(2)』。
    • Ref.C12070165700 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(1)』。
    • Ref.C12070180700 『昭和18年9~10月内令4巻/昭和18年9月(4)』。
    • Ref.C12070196900 『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)』。
    • Ref.C12070195500 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。
    • Ref.C12070503600 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(2)』。
    • Ref.C08030110100 『昭和17年2月1日~2月28日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030111700 『昭和17年3月1日~4月1日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030112300 『昭和17年4月1日~6月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030145300 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030145400 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030145500 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030145600 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030050000 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030050100 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030050200 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030050300 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08030050400 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(5)』。
    • Ref.C08030050500 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日第10戦隊戦時日誌(6)』。
    • Ref.C08030724100 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030050800 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日第10戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030050800 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日第10戦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030050800 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日第10戦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C14061105800 『捷1号作戦に於ける2YBの作戦経過概要 5F水雷主務参謀 中佐 森幸吉記憶』。