初月 (駆逐艦)

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初月
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1941年7月25日
進水 1942年4月3日
竣工 1942年12月29日
喪失 1944年10月25日
除籍 1944年12月10日
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名
兵装
(1944年[1]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装7挺
13mm単装機銃3挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[1]
21号電探1基
13号電探1基
水測兵装 九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[2]

初月(はつづき)は、日本海軍駆逐艦秋月型駆逐艦の4番艦[3]である。艦名は「新月」の意、特に陰暦8月の初めの月を意味する[4]

艦歴[編集]

1939年(昭和14年)度(マル4計画)仮称第107号艦。1941年(昭和16年)7月25日に舞鶴海軍工廠で起工、1942年(昭和17年)4月3日進水。同年12月29日に竣工した。当初は昭和16年6月に起工し、1943年(昭和18年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた[5]

竣工後、横須賀鎮守府部隊に編入。昭和18年1月15日付で第三艦隊小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)に編入され、第十戦隊(木村進少将・40期)第六十一駆逐隊に配属される。同時に横須賀鎮守府部隊にも編入された。横須賀への回航の途中の1月16日未明、潮岬沖で浮上していたアメリカ潜水艦ハダック (USS Haddock, SS-231) を発見するも逃げられた[6]。3月までは本州近海で行動。3月9日、関門海峡で触底事故を起こして呉海軍工廠で修理が行われた[5]

3月21-22日、第六十一駆逐隊(初月、涼月)は駆逐艦「夕暮」「陽炎」と共に第二航空戦隊の空母2隻(隼鷹飛鷹)、第八戦隊の重巡2隻(利根筑摩)を護衛して内地を出発、トラック諸島へ進出した[7][8]。4月1日にカビエンに進出[9]。対空戦闘に加え、空襲で大破擱座した重巡洋艦青葉」の援護にあたった。5月17日には、戦死した連合艦隊司令長官山本五十六元帥(海兵32期)の遺骨を載せて日本に向かう戦艦武蔵」の護衛でトラックを出港し、5月22日に横須賀に到着[9]。6月中は整備にあてられた[9]。7月9日、第六十一駆逐隊(初月、涼月)、第四駆逐隊(萩風、嵐)、第十七駆逐隊「磯風」は南海第四守備隊を乗せた重巡洋艦「利根」「筑摩」「最上」、水上機母艦日進」、軽巡「大淀」「阿賀野」などを護衛して呉を出撃[10]。トラックを経由してラバウルに進出後、第十戦隊旗艦を一時「萩風」に変更、「日進」「萩風」「嵐」「磯風」がブインへ、「初月」「涼月」がブカ島への輸送を担当することになった[10]。「初月」「涼月」は22日ブカで455名を機材を揚陸したが、「日進」隊は空襲により「日進」を撃沈され、約1100名と戦車20両を含む重装備を喪失した[10]。十戦隊はラバウルに第四駆逐隊をのこし7月26日にトラックへ帰投[10]。8月8日、「涼月」「初月」「磯風」は第五戦隊(妙高、羽黒)を護衛してラバウルに到着、第三次進出隊を揚陸した[10]。9月と10月には機動部隊に随伴してマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった[11][12]。10月27日、第六十一駆逐隊(初月、涼月)は第四艦隊旗艦「鹿島」を護衛して30日にクェゼリン環礁へ到着した[13]

11月10日、ラバウルからトラックに向かっていた輸送船団がアメリカ潜水艦スキャンプ (USS Scamp, SS-277) の攻撃を受け、輸送船東京丸(摂津商船、6,484トン)が沈没の危機に瀕したとの報を受け、「涼月」とともにトラックを出撃[14]。現場に到着して東京丸の援護にあたったものの、東京丸は浸水がひどくなって11月12日に沈没した。東京丸沈没に先立つ同じ11月12日の朝、スキャンプは11月5日のラバウル空襲で損傷を受けトラックに戻る途中の軽巡洋艦「阿賀野」(第十戦隊旗艦)と駆逐艦「浦風」を襲撃、「阿賀野」に魚雷を命中させて航行不能に陥らせた[15]。「初月」は東京丸援護を終えて間もなく「阿賀野」救援に駆けつけ[16]、また軽巡「長良」、駆逐艦「涼月」もトラック泊地より到着した[15]。さらに重巡「摩耶」と潜水母艦長鯨」のトラック回航を護衛していた第二水雷戦隊も、「摩耶」「長鯨」護衛に駆逐艦3隻(五月雨風雲若月)を残し、軽巡「能代」、第32駆逐隊(藤波早波)をもって「阿賀野」救援に急行[15]。「阿賀野」は8隻(能代、長良、浦風、初月、涼月、藤波、早波)に護衛されてトラック泊地に到着した[15]

11月20日、クェゼリン環礁エニウェトク環礁への緊急輸送作戦「丙作戦」に参加してトラックを出撃[17]。作戦終了後、「涼月」とともに「筑摩」、空母瑞鶴」を護衛してトラックを出港し、12月12日にに到着[18][19]。修理を行った。修理後の12月23日、ウェーク島に送られる独立混成第5連隊と戦車第16連隊主力を乗せた特設巡洋艦赤城丸日本郵船、7,389トン)を「涼月」とともに護衛して呉を出撃し、1944年(昭和19年)1月1日にウェーク島に到着した[20][21]。第一回輸送を終えて呉に帰投し、今度は砲兵大隊と工兵隊、衛生隊を赤城丸に乗せて1月15日に呉を出撃するが、1月16日に豊後水道で「涼月」がアメリカ潜水艦スタージョン (USS Sturgeon, SS-187) の雷撃で大破し、輸送作戦は一旦中止された[20]。「涼月」を宿毛湾まで曳航の後[22]、日を改めて赤城丸を横須賀まで護衛した。「赤城丸」は「靖国丸」「愛国丸」と共に駆逐艦3隻(白露満潮)に護衛されてウェークに向かうが「靖国丸」を撃沈され、2月1日にトラック泊地へ到着した[21]

2月6日、「初月」は軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「若月」とともに、空母「翔鶴」、「瑞鶴」、重巡「筑摩」を護衛して洲本沖を出撃し、2月13日に昭南(シンガポール)に到着後リンガ泊地に回航されて訓練に入る[23]。3月15日、「若月」とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日にに到着[24]。リンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳」の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した[25]。リンガ泊地では対潜掃討と空母発着艦訓練警戒艦を務める[26]。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する[27]。6月13日、あ号作戦決戦用意発動に呼応して第一機動艦隊(小沢治三郎中将)はタウィタウィを出撃。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、「大鳳」の視界内にて直衛を務める。「大鳳」および「翔鶴」の沈没後は第十七駆逐隊(磯風、浦風)や第六十一駆逐隊僚艦と協力し、沈没艦乗員救助にあたった[28]。海戦第二日目の6月20日は「瑞鶴」の左方に位置し[29]、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾189発、機銃弾3,030発を撃った[30]。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投した[28]呉海軍工廠で整備の後、7月25日に「秋月」とともに瀬戸内海を出港し、横須賀に向かう[31]。7月30日、空母「瑞鳳」を護衛して父島行輸送船団の間接護衛にあたる[31]。呉に帰投後は佐世保海軍工廠で修理を行い[32]、修理後の8月25日には「秋月」、「雪風」とともに油谷湾で対潜訓練を行った[33]

10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島英語版に上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。10月20日夕刻、機動部隊は豊後水道を出撃。10月24日、戦艦「伊勢」、「日向」、「秋月」、「若月」、「霜月」とともに前衛を構成し、夜襲を試みるも成果なく、夜半過ぎに本隊に合流した[34]。10月25日朝、機動部隊はエンガノ岬英語版沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲により「瑞鶴」以下全ての空母は沈没し、「若月」、「」とともに「瑞鶴」、「瑞鳳」の乗員救助にあたる[35]。軽巡洋艦「五十鈴」も加わって救助作業が続けられたが、18時53分、突然砲撃を受ける。

エンガノ岬沖海戦前日の10月24日、第3艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー大将は、栗田艦隊の進撃に備えてこれまで空母の直衛にあたっていた戦艦や巡洋艦、駆逐艦を以って第34任務部隊を編成し、司令官にウィリス・A・リー中将を任命した[36]。ハルゼー大将は当初、第34任務部隊をサンベルナルジノ海峡付近に待機させたが、南を行く西村祥治中将(海兵39期)の艦隊は第7艦隊トーマス・C・キンケイド中将)指揮下の砲撃部隊で対処でき、栗田艦隊が空襲で引き返し再び東進しても、これも第7艦隊の砲撃部隊で対処できるだろうと考え、当面の撃破目標を北の小沢中将率いる機動部隊に絞って北上した[37]。ところが、戦況はハルゼー大将のシナリオとは全く異なる様相を示した。栗田艦隊がサマール島沖に出現して護衛空母部隊を追いかけまわし、キンケイド中将の泣き言に加え太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将からの「第34任務部隊はどこにいるか。世界が訝っている」の電文(本来は「世界が訝っている」は暗号解読の困難化のために付加された「意味のない一文」であったが、受信した暗号解読員が内容が本文と近いため念のために削除しなかったとされる)を受けショックを受けたハルゼー大将は[38]、空母部隊のうち1個任務群と第34任務部隊のうちの戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦を南下させ、残る空母部隊および巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)は北上した[39]。重巡洋艦ウィチタ (USS Wichita, CA-45) 、ニューオーリンズ (USS New Orleans, CA-32) 、軽巡洋艦サンタフェ (USS Santa Fe, CL-60) 、モービル (USS Mobile, CL-63) と12隻の駆逐艦からなるデュボース少将の巡洋艦部隊[40]は、16時25分に漂流中の空母「千代田」を発見して一方的に砲撃をくわえ、「千代田」はもうもうたる煙と火炎を発しながら沈没していった。巡洋艦部隊は更なる敵を求めて北へと向かう。

18時40分、巡洋艦部隊からの索敵機は1隻の巡洋艦と2隻の駆逐艦を発見し、やがてレーダーでも3つの目標を探知するようになった[41]。目標が射程内に入るや否や、まずモービルが砲撃を開始いてウィチタも砲撃を開始した[41]。初月は突然の砲撃を受けたものの、すぐさま煙幕を張って26ノットの速力でジグザグ航行を行い敵弾をかわしつつ「敵水上艦艇ト交戦中」と打電し[42]、「五十鈴」、「若月」もこれに続いて北方への脱出を図った。やがて反撃態勢を整えて巡洋艦部隊に単独で突進し、巡洋艦部隊は魚雷発射を警戒して2度にわたる回避運動を行った[41]。デュボース少将は駆逐艦で足止めを試みつつ、さらに砲撃を続けた[41]。遭遇して約1時間後、彼我の距離が約5,400メートルに縮まったところで、サンタフェが照明弾を発射[41]。これによって更なる集中砲火を受けることとなった。「徐々に又慎重に」砲火を浴びせ続けた結果[41]、20時45分頃には航行不能に陥る。駆逐艦ポーターフィールド (USS Porterfield, DD-682) が止めを刺さんと接近しつつあったその時、米軍の記録では20時59分、爆発を起こして艦首から沈没していった[43]。沈没地点は北緯20度24分 東経126度20分 / 北緯20.400度 東経126.333度 / 20.400; 126.333と記録された[41]。単艦突撃の結果、小沢中将率いる機動部隊の残存艦は脱出に成功した。

駆逐艦長橋本金松中佐以下290名[44]が戦死、第六十一駆逐隊司令天野重隆大佐[39]、救助された「瑞鶴」乗員もまた同じ運命を辿った。この時「瑞鶴」乗員救助中の内火艇が取り残されて漂流、21日目に台湾に流れ着き乗員8名と「瑞鶴」乗員17名が生還している[45]。12月10日に除籍。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』355-356頁による。

艤装員長[編集]

  1. 田口正一 中佐:1942年10月20日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 田口正一 中佐:1942年12月29日 -
  2. 橋本金松 中佐:1944年 8月 1日 - 10月25日戦死

脚注[編集]

  1. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年6月30日の調査。
  2. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  3. ^ 『艦長たちの軍艦史』p355、『写真 日本の軍艦 第11巻』p148。
  4. ^ 片桐, 353ページ
  5. ^ a b 遠藤, 204ページ
  6. ^ 『大阪警備府戦時日誌』C08030498600, pp.19,33 、「SS-231, USS HADDOCK」p.67,68
  7. ^ #S1811二水戦日誌(4)p.5『3月22日-3月28日|陽炎(将旗15dg)|2sf(隼鷹、飛鷹)8S(利根、筑摩)|佐伯-「トラック」』
  8. ^ #S1712四水戦日誌(5)p.38『22日|(天候略)|一.夕暮陽炎初月涼月ト共ニ2sf8Sノ直衛ニ任ジツツ佐伯発トラックニ回航ス(略)』
  9. ^ a b c 遠藤, 205ページ
  10. ^ a b c d e #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)372頁『南海第四守備隊の南東方面への転用』
  11. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33 、木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  12. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)399頁『機動部隊のトラック出港と米機来襲前の哨戒』
  13. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)385-386頁『第四艦隊司令部のクェゼリン進出』
  14. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.1
  15. ^ a b c d #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)430頁『「阿賀野」の被雷とその救難』
  16. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.5,6,7
  17. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.14,23 、遠藤, 206ページ
  18. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048900, pp.30,31
  19. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)514-515頁『第八戦隊「瑞鶴」等の内地回航整備』
  20. ^ a b 『戦史叢書13』472ページ
  21. ^ a b #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)570-571頁『独立混成第五聯隊の一部及び戦車第十六聯隊のウェーク進出』
  22. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030369400, pp.43,48,49
  23. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.4
  24. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.5
  25. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.8 、C08030050400, pp.8
  26. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050400, pp.8
  27. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050500, pp.12
  28. ^ a b 遠藤, 207ページ
  29. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27
  30. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15
  31. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7
  32. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.3
  33. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.3,4
  34. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39 、遠藤, 211ページ
  35. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  36. ^ ポッター, 469ページ
  37. ^ ポッター, 474ページ
  38. ^ ポッター, 487、488ページ
  39. ^ a b Commander Task Force 34 Action Report: Leyte Gulf
  40. ^ 『空母瑞鶴』pp.313
  41. ^ a b c d e f g 『戦史叢書56』446ページ
  42. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.2
  43. ^ 木俣『日本水雷戦史』541ページ
  44. ^ 『艦長たちの軍艦史』p355。
  45. ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.23 秋月型駆逐艦』p172。

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030100500 『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030116400 『昭和17年12年1日~昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。
  • 大阪警備府司令部『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 大阪警備府戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 大阪警備府戦時日誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030498600
  • 第八戦隊司令部『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 第八戦隊戦時日誌』『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第八戦隊戦時日誌』(昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030048800
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101400、C08030101500
  • 第八戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第八戦隊戦時日誌』(昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(8)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030048900
  • 呉防備戦隊司令部『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030369400
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050200
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年三月一日至昭和十九年三月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050300
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050400
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  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030724100
  • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年九月五日 あ号作戦戦闘詳報 自昭和十九年六月十三日至同六月二十三日 サイパン島西方海面ニ於ケル戦闘』(昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030039800
  • 第六十一駆逐隊『六十一駆逐隊(涼月缺)戦闘詳報(第四号)』(昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030150500
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050800
  • 第十戦隊司令部『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051000
  • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
  • SS-231, USS HADDOCK(issuuベータ版)
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  • 防衛庁防衛研究所戦史室編 『戦史叢書13 中部太平洋方面陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』朝雲新聞社、1968年
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  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書56 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』朝雲新聞社、1972年
  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 正篇』光人社、1983年、ISBN 4-7698-0207-2
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • 神野正美『空母瑞鶴』光人社、2001年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』学習研究社、2001年、ISBN 4-05-602063-9

関連項目[編集]