若月 (駆逐艦)

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若月
艦歴
発注 マル4計画
起工 1942年3月9日
進水 1942年11月24日
竣工 1943年5月31日
喪失 1944年11月11日
除籍 1945年1月20日
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名/289名[1]
兵装
(1944年[2]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装12挺
13mm単装機銃3挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[2]
21号電探1基
13号電探1基
水測兵装 九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[3]

若月(わかつき)は、日本海軍駆逐艦秋月型の6番艦である。名称は、月齢2、3日の細い月をさす「若月」から[4]

艦歴[編集]

1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称109号艦。1942年(昭和17年)3月9日に三菱重工業長崎造船所で起工し、同年11月24日に進水。1943年(昭和18年)5月31日に竣工した。同日附で横須賀鎮守府[5]。当初は舞鶴海軍工廠で昭和17年6月に起工し、1944年(昭和19年)5月に竣工というスケジュールが立てられていた[6]

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(木村進少将・海軍兵学校40期)に編入される。6月22日、駆逐艦玉波」とともに瀬戸内海を出港して戦艦武蔵」の護衛のため横須賀に向かい、6月23日に到着する[7]。間もなく、アメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃で大破した元特設水上機母艦相良丸日本郵船、7,189トン)の救難作業に従事[8]。5月27日に瀬戸内海に帰投した[9]。7月6日から13日までは空母冲鷹」の護衛を務める[10]。8月1日に瀬戸内海を出撃して再び横須賀へと向かい、8月2日に到着[11]。8月15日付で第61駆逐隊に配属され、同隊は秋月型3隻(涼月、初月、若月)となった[12]

トラック諸島に進出後、小沢治三郎中将(海兵37期)率いる機動部隊と行動をともにする。機動部隊は9月と10月にマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった[13]。この頃、秋月型一番艦「秋月」が戦線に復帰して第61駆逐隊に復帰、同隊はようやく秋月型4隻(涼月、初月、若月、秋月)となった[14]。 トラックに帰投して間もなく「ろ号作戦」が発動され、ラバウルなどへの航空要員の緊急輸送を行うこととなった[15]。10月30日、第十戦隊(大杉守一少将)旗艦軽巡洋艦阿賀野」に率いられトラックを出撃し、11月1日朝にラバウルに到着した[16]。ところが、この11月1日未明にアメリカ軍がブーゲンビル島タロキナ岬に上陸し、ブーゲンビル島の戦いが始まる。これを受け、第五戦隊(大森仙太郎少将・海兵41期)は第十戦隊および第三水雷戦隊(伊集院松治少将・海兵43期)を率いて11月1日14時30分にラバウルを出撃し、26ノットの速力でエンプレス・オーガスタ湾のアメリカ艦隊および輸送船団目指して進撃した[17]。翌11月2日未明、エンプレス・オーガスタ湾手前にてアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊の軽巡洋艦と駆逐艦の部隊に遭遇し、ブーゲンビル島沖海戦が起こる。第39任務部隊は丁字戦法を以って第五戦隊以下の進撃を阻み、第五戦隊以下は突入を阻止されて11月2日朝にラバウルに帰投した[18]。11月5日のラバウル空襲、11月6日のブーゲンビル島への逆上陸を通じて空襲を受け、至近弾により中破する[19]。11月11日の第二次ラバウル空襲ののち、「若月」と「風雲」は、第二水雷戦隊各艦(能代、早波、藤波、五月雨)と共にトラックへ回航される重巡洋艦摩耶」、潜水母艦長鯨」を護衛してラバウルを出港する[20]。12日、十戦隊旗艦「阿賀野」は米潜水艦「スキャンプ」に雷撃されて航行不能となる。軽巡「能代」、第32駆逐隊(藤波早波)は「若月」等と分離して「阿賀野」救援に向かった[21]。14日、「長鯨」、「摩耶」、「若月」、「風雲」、「五月雨」はトラック泊地に到着した。つづいて内地回航中の11月19日、練習巡洋艦「鹿島」、潜母「長鯨」、第61駆「若月」、第4駆逐隊「山雲」は米潜水艦「スカルピン」を発見、「山雲」は「スカルピン」を撃沈して約40名を捕虜とした[22]。11月26日に横須賀に帰投。修理と機銃増備工事が行われるも、12月21日に缶室で火災事故が発生して修理完了が昭和19年1月9日となった[23]。修理後は瀬戸内海に回航された。

2月6日、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「初月」とともに空母「翔鶴」、「瑞鶴」、重巡洋艦「筑摩」を護衛して洲本沖を出撃し、2月13日に昭南(シンガポール)に到着後リンガ泊地に回航されて訓練に入る[24]。3月15日、「初月」とともに日本向けの輸送物件を搭載して昭南を出港し、3月21日にに到着[25]。リンガ泊地に向かう新鋭空母「大鳳」の護衛のため3月28日に瀬戸内海を出撃し、4月4日に昭南に到着した[26]。5月11日、あ号作戦準備発令に伴って機動部隊を護衛してリンガ泊地を出撃し、5月15日にタウィタウィに到着して湾外での対潜掃討に従事する[27]。6月上旬はバリクパパンを起終点とする船団護衛に従事したが、6月13日の第一機動艦隊(小沢治三郎中将)のタウィタウィ出撃には同行できず、第一補給部隊を護衛した後6月17日に第一機動艦隊に合流した[28]。6月19日のマリアナ沖海戦第一日目、「大鳳」の視界内にて直衛を務めるが、アメリカ潜水艦アルバコア (USS Albacore, SS-218) の雷撃によって「大鳳」が損傷し、14時32分に大爆発を起こして沈没の危機に瀕した後呼び寄せられ、小沢中将以下第一機動艦隊司令部が移乗[29]。司令部が16時6分に重巡洋艦「羽黒」に移るまで第一機動艦隊の臨時旗艦となった[30]。海戦第二日目の6月20日は「瑞鶴」の左後方に位置し[31]、午後からのアメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機による空襲に対して10センチ砲弾440発、機銃弾4,000発を撃った[32]。海戦に敗れ、6月22日に中城湾に寄港の後、6月24日に瀬戸内海に帰投[23]。6月28日、「霜月」とともに当時の連合艦隊旗艦である軽巡洋艦「大淀」を護衛して横須賀に向かう[33]。横須賀に到着後、横須賀海軍工廠で機銃増備と13号電探の設置工事が行われた[33]

7月5日、「霜月」とともに横須賀を出港し[34]、呉に到着後は遊撃部隊乙部隊に加わり、戦艦長門」、「金剛」、重巡洋艦「最上」を護衛して7月8日に呉を出撃する[35]。乙部隊は沖縄本島に配備される陸軍部隊を中城湾で降ろし、次いでマニラで軍需品を陸揚げしたあと、7月20日にリンガ泊地に到着[35]。9月12日、リンガ泊地を出港して9月19日に呉に到着後は[36]、瀬戸内海において機動部隊とともに待機する。10月に入り、高雄への輸送任務を命じられたが[37]、この命令は間もなく取り消された[38]。10月17日、第61駆逐隊(涼月、若月)は米潜水艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321)に襲撃され、魚雷2本が命中した「涼月」は中破(艦首切断)。「涼月」は入渠を余儀なくされ、レイテ沖海戦に参加できなくなった。

10月17日、アメリカ軍がフィリピン、レイテ湾スルアン島英語版に上陸し、日本軍は捷一号作戦を発動した。この作戦は小沢中将率いる機動部隊が囮となって第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)をひきつけ、その隙に栗田健男中将(海兵38期)率いる第二艦隊主力がレイテ湾に突入し、アメリカ軍の上陸部隊を撃破するというものであった。10月20日夕刻、機動部隊は豊後水道を出撃。10月24日、戦艦「伊勢」、「日向」、駆逐艦「秋月」、「初月」、「霜月」とともに前衛を構成し、夜襲を試みるも成果なく、夜半過ぎに本隊に合流した[39]。10月25日朝、機動部隊はエンガノ岬英語版沖でついに第38任務部隊の艦載機による空襲を受ける(エンガノ岬沖海戦)。空襲により姉妹艦「秋月」と「瑞鶴」以下全ての空母は沈没し、「若月」は「初月」、「」とともに「瑞鶴」、「瑞鳳」の乗員救助にあたる[40]。その救助作業中、第38任務部隊から分離した第34任務部隊(ウィリス・A・リー中将)中の巡洋艦部隊(ローレンス・T・デュボース少将)と交戦し、避退する[41]。同じく救助作業を続けていた「初月」は米艦隊と交戦して撃沈された。避退後、再度の夜襲を企図した「伊勢」、「日向」、「大淀」および「霜月」と合流[42]。海戦を通じて機銃弾を多数受けたものの、それ以上の被害はなかった[43]。「秋月」、「初月」の沈没により、第61駆逐隊は「涼月」と「若月」の2隻編制となった。10月27日に奄美大島に到着後、「大淀」とともにマニラ方面への進出を命じられ、「霜月」から弾薬を供給された[44]。マニラに進出後、多号作戦支援部隊に編入された。

11月8日朝、多号作戦第四次輸送部隊を護衛してマニラを出撃。翌11月9日夕方にオルモック湾に到着するも、大発が揃わなかったため兵員しか陸揚げできなかった[45]。11月10日、輸送部隊はオルモック湾を出撃してマニラに向かったが、間もなくB-25P-38 の攻撃を受けて陸軍特殊船高津丸(山下汽船、5,657トン)と輸送船香椎丸(大阪商船、8,407トン)が沈没。輸送部隊を指揮する第一水雷戦隊司令官木村昌福少将(海兵41期)は、戦隊旗艦「」、「朝霜」および「長波」に救助作業を担当させ、「秋霜」以下の艦艇は輸送船金華丸(大阪商船、9,305トン)の護衛につけてマニラへ先発させた[46]。この後、木村少将から「朝霜」、「長波」とともに第三次輸送部隊と合流するよう命令を受ける。21時にマスバテ島東方のブラックロック水道で第三次輸送部隊に合流した[47]。第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機[48]による空襲を受け、前部と後部に爆弾が命中して北緯10度50分 東経124度31分 / 北緯10.833度 東経124.517度 / 10.833; 124.517の地点に沈没[49]。駆逐艦長鈴木保厚中佐[要出典]以下290名[50]が戦死した。

11月15日、第61駆逐隊の解隊にともない、すでに沈没していた「若月」は、書類上第41駆逐隊に編入された[51]。翌年1945年(昭和20年)1月10日、駆逐艦「若月」は 帝国駆逐艦籍[52]。 秋月型駆逐艦[53]、 第41駆逐隊のそれぞれから除籍された[54]

歴代艦長[編集]

炎上し沈没寸前の駆逐艦「若月」。

※『艦長たちの軍艦史』357頁による。

艤装員長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐:1943年5月1日 -

駆逐艦長[編集]

  1. 鈴木保厚 中佐:1943年5月31日 - 1944年11月11日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.28
  2. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年8月20日の調査。
  3. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  4. ^ 片桐, 363ページ
  5. ^ #内令昭和18年5月(7)p.35『内令第千七十三號 驅逐艦 若月 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル(略)| 昭和十八年五月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  6. ^ 遠藤, 209ページ
  7. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.11,14,15
  8. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.16
  9. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.20
  10. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.30,31,32,33
  11. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126200, pp.8,9
  12. ^ #内令昭和18年8月(2)p.29『内令第千六百六十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年八月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一驅逐隊ノ項中「初月」ノ下ニ「、若月」ヲ加フ』
  13. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33 、木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  14. ^ #内令昭和18年10月(5)p.38『内令第二千二百四十五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年十月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、」ヲ削ル|第十驅逐隊ノ項中「風雲」ノ下ニ「、朝雲」ヲ加フ|第二十四驅逐隊ノ項中「涼風」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第六十一驅逐隊ノ項中「若月」ノ下ニ「、秋月」ヲ加フ』
  15. ^ 木俣『日本水雷戦史』374ページ
  16. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.8
  17. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.10
  18. ^ 『南東方面部隊聯合襲撃部隊戦闘詳報』pp.31
  19. ^ 遠藤, 210ページ、木俣『日本水雷戦史』389ページ
  20. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101400, pp.47,48,50
  21. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)430頁
  22. ^ #戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)518頁『米潜水艦の跳梁』
  23. ^ a b 遠藤, 210ページ
  24. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.4
  25. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050300, pp.5
  26. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050200, pp.8 、C08030050400, pp.8
  27. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050500, pp.12
  28. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.12,13
  29. ^ 『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.30,31
  30. ^ 『あ号作戦戦闘詳報』C08030039800, pp.31
  31. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.27
  32. ^ 『六十一駆逐隊戦闘詳報』C08030150500, pp.15
  33. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030724100, pp.13
  34. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.7
  35. ^ a b 『第十戦隊戦時日誌』C08030050800, pp.4
  36. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030051000, pp.4
  37. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.24
  38. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.25
  39. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.36,39 、遠藤, 211ページ
  40. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036600, pp.46
  41. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.4
  42. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.3,4
  43. ^ 『機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報』C08030036700, pp.19
  44. ^ 遠藤, 211、213ページ
  45. ^ 木俣『日本水雷戦史』552ページ
  46. ^ 木俣『日本水雷戦史』554ページ
  47. ^ 『多号作戦戦闘詳報第二号』pp.16
  48. ^ 木俣『日本水雷戦史』559ページ
  49. ^ 遠藤, 211ページ
  50. ^ 『艦長たちの軍艦史』p357
  51. ^ #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一驅逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二驅逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一驅逐隊ノ項ヲ削ル』
  52. ^ #秘公報昭和20年1月(2)pp.8-10『内令第二九號|横須賀鎮守府在籍:軍艦厳島/呉鎮守府在籍:軍艦八十島/舞鶴鎮守府在籍:軍艦神鷹/右帝国軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍:驅逐艦曙、驅逐艦満潮、驅逐艦朝雲、驅逐艦山雲、驅逐艦野分、驅逐艦早霜、驅逐艦秋霜、驅逐艦 若月、驅逐艦霜月/呉鎮守府在籍:驅逐艦浦風、驅逐艦島風/佐世保鎮守府在籍:驅逐艦秋風、驅逐艦卯月、驅逐艦夕月、驅逐艦初春/舞鶴鎮守府在籍:驅逐艦長波、驅逐艦濱波、驅逐艦沖波、驅逐艦岸波/右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年一月十日海軍大臣』
  53. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.2『内令第一六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等ノ部中「八十島」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「神鷹、」、同敷設艦ノ部中「、厳島」ヲ削ル 驅逐艦、一等峯風型ノ項中「、秋風」ヲ、同「卯月型 卯月、夕月」ヲ、初雪型ノ項中「曙、」ヲ、同初春型ノ項中「初春、」ヲ、同満潮型ノ項中「満潮、朝雲、山雲、」ヲ、同不知火型ノ項中「、浦風」「、野分」ヲ、同夕雲型ノ項中「長波、濱波、沖波、岸波」「、早霜、秋霜」ヲ、同秋月型ノ項中「、若月、霜月」ヲ、同「 島風」ヲ削ル(以下略)』
  54. ^ #秘公報昭和20年1月(2)p.7『昭和二十年一月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項中「早霜、秋霜」ヲ削ル|第四驅逐隊ノ項ヲ削ル|第七驅逐隊ノ項中「曙、」ヲ削ル|第十七驅逐隊ノ項中「浦風、」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初春、」ヲ削ル|第三十驅逐隊及第三十一驅逐隊ノ各項ヲ削ル|第四十一驅逐隊ノ項中「霜月、」及「、若月」ヲ削ル』

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C12070177800 『昭和18年5~6月内令2巻/昭和18年5月(7)』。
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    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050200
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    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050500
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 第10戦隊戦時日誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030724100
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    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030050800
    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第十戦隊戦時日誌』(昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051000
    • 第一機動艦隊司令部『昭和十九年十一月十日 機動部隊本隊 捷一号作戦戦闘詳報 自昭和十九年十月二十日至同年十月二十九日 比島沖海戦』(昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127700
    • 多号作戦第四輸送部隊 第一水雷戦隊司令部『多号作戦戦闘詳報第二号(自昭和十九年十一月八日至昭和十九年十一月十一日第四次輸送作戦) 』(昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030087600
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』 朝雲新聞社、1973年2月。
  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』(光人社、1993年)ISBN 4-7698-0611-6
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』学習研究社、2001年、ISBN 4-05-602063-9

関連項目[編集]