海鷹 (空母)

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Japanese aircraft carrier Kaiyō.jpg
艦歴
起工 1938年2月5日
進水 1938年12月9日
就役 1939年5月31日あるぜんちな丸」として竣工
1943年11月23日空母へ改装完了
その後 1945年7月24日触雷
のちに擱座、船体放棄
1948年解体完了
除籍 1945年11月20日
性能諸元
排水量 基準:13,600t 公試:16,700t
全長 166.55m
水線幅 21.9m
全幅
吃水 8.25m (公試状態)
飛行甲板 長さ:160.0m x 幅:23.0m
主缶 ロ号艦本式4基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速 23.0kt (計画)
航続距離 18ktで7,000浬
乗員 587名
兵装 12.7cm連装高角砲4基
25mm3連装機銃8基
搭載機 艦上戦闘機18機 艦上攻撃機6機
合計24機 補用機なし
解体中の海鷹1947年
座礁した日出町城下海岸に建つ軍艦海鷹之碑

海鷹(かいよう)は、かつて日本海軍に所属した航空母艦(空母)である。元は大阪商船所属の客船「あるぜんちな丸」で、太平洋戦争勃発に伴い日本海軍が購入し、空母に改装した。

概要[編集]

日本海軍は航空母艦の不足を補うために高速貨客船建造に助成金を与え、その代償として有事には特設艦船に改装する計画であった。1939年(昭和14年)に竣工した大阪商船所属の「あるぜんちな丸」もそのなかの1隻であり、同型船の「ぶらじる丸」と共に優秀船舶建造助成施設に基づく政府の補助を受けて南アメリカ航路の貨客船として建造された。

イギリスアメリカ合衆国などの連合国との開戦後の1942年(昭和17年)5月1日特設輸送艦として徴用されたが、直後にミッドウェー海戦正規空母4隻が沈没、急遽空母への改造が6月30日に決定した。この年の12月9日に買収され、同月より三菱重工業長崎造船所において改装工事が始まり、翌1943年(昭和18年)11月23日に完成、船籍も日本海軍に移り航空母艦海鷹になった。遠藤昭によると候補艦名として蒼隼があったという[1]

客船時代の主機はディーゼルエンジンであったが、陽炎型駆逐艦用のボイラータービンに換装され、速力23ノットに増速した。ちなみに姉妹艦の「ぶらじる丸」は改装のためトラック島から本土に出港した直後の1942年8月4日アメリカ海軍潜水艦グリーンリング」によって撃沈されている。

任務は、主に後方での航空機輸送や船団護衛任務であった。しかし、1945年(昭和20年)の中盤に入ると、艦載機や燃料が枯渇してきた上に制海権が連合国軍に握られたこともあり、瀬戸内海において特攻兵器の訓練標的艦として行動した[2]

同年7月24日四国佐田岬沖で米軍が敷設した磁気機雷に触雷して航行不能となる。随伴していた駆逐艦夕風に曳航された後、大分県別府湾(日出町城下海岸)に擱座4日後の空襲により発電機が損傷し排水ポンプが作動せず浸水が増大、船体放棄され、そのまま終戦を迎えた。戦後日鮮サルベージ[3]の手によって浮揚解体された。

護衛[編集]

本艦は小型低速の空母であり、多数の飛行機を一挙に発艦させることはできなかった。カタパルトなしに全備状態の重い艦上機を飛ばすには、少数機を飛行甲板上に並べて長距離を滑走させる必要があった。そこで本艦は実戦投入には不適であることから船団護衛に投入された。

護衛にあたり使用した機体は九七式艦上攻撃機である。これを12機から14機搭載し、数機ずつを船団の周囲に2~3時間、交代で飛ばし、対潜哨戒を行った。

1944年(昭和19年)4月3日、本艦はヒ57船団の護衛に初めて従事した。この船団は9隻のタンカーから成り、護衛艦艇は本艦のほか6隻であった。4月16日にはシンガポールに到着、改めてヒ58船団として4月21日昭南を出発し、5月3日、門司に帰還した。損害はなかった。

海鷹は日本からシンガポールの長距離輸送(ヒ船団)の護衛、または、台湾、海南島への中距離輸送の護衛を行った。これは1945年1月以降、連合国軍が南方の制空権と制海権を奪取するまで続いた。

艦歴[編集]

歴代艦長[編集]

特設輸送艦「あるぜんちな丸」[編集]

艦長[編集]

  1. 渡部威 中佐:1942年5月1日 -

航空母艦「海鷹」[編集]

艦長[編集]

  1. 高尾儀六 大佐:1943年11月23日 -
  2. (兼)北村昌幸 大佐:1944年7月24日 -
  3. 有田雄三 大佐:1944年8月1日 -
  4. 国府田清 大佐:1945年3月15日 -
  5. (兼)大須賀秀一 大佐:1945年5月1日 -

参考文献[編集]

  • 衣島尚一、商船改造空母史、艦船模型スペシャルNo.18 商船改造空母、モデルアート社、2005年、p34-49。
  • 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ、光人社、1989年
  • 長谷川藤一、軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦、グランプリ出版、1997年
  • 大内建二『特設艦船入門』光人社NF文庫、2008年。ISBN 978-4-7698-2565-4

脚注[編集]

  1. ^ 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9、p78。
  2. ^ 別府湾内では人間魚雷回天の訓練基地・大神基地があった関係で、回天が唯一空母を標的艦として訓練を実施している。
  3. ^ 大分県公文書館:文書番号1995060033「占領軍ヨリノ指令」を参照。(大分県知事宛に第92軍政司令部が「日本サルベージ」よる解体を許可した文書。)『写真|日本の軍艦 第4巻』p126、『日本海軍史第7巻』 による。『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』『写真|日本の軍艦 第4巻』p121によると日本サルベージ、『海軍艦艇史3航空母艦・水上機母艦・潜水母艦』によると日産サルベージとなっている。また、大蔵省管財局の覚書である『艦艇解撤』誌では、許認可申請時は日本サルヴェージ、実施工は日鮮サルベージが実施(日本サルヴェージの下請けでは無い状態)と読み取れる。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]