南太平洋海戦

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南太平洋海戦
USS Hornet (CV-8) during battle of the Santa Cruz Islands.jpg
攻撃を受けるアメリカ海軍の空母「ホーネット
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日:1942年10月26日
場所ソロモン諸島、サンタ・クルーズ諸島沖
結果:日本軍の戦術的勝利、ピュロスの勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指揮官
山本五十六大将
南雲忠一中将
近藤信竹中将
ウィリアム・F・ハルゼー中将
トーマス・C・キンケイド少将
ジョージ・D・マレー少将
戦力
空母4
戦艦4
重巡洋艦8
軽巡洋艦2
駆逐艦22
空母2
戦艦1
重巡洋艦4
軽巡洋艦5
駆逐艦14
損害
重巡1大破
空母2中破
駆逐艦2小破
空母1、駆逐艦1沈没
駆逐艦1大破
空母1中破
戦艦1、軽巡洋艦1小破

南太平洋海戦(みなみたいへいようかいせん、Battle of the South Pacific)とは、1942年10月26日にソロモン海域で行われた日米両軍の機動部隊による海戦を指す[1]アメリカ軍側の呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦(Battle of the Santa Cruz Islands)。日本軍は米空母1隻を撃沈、米空母1隻を大破させたが、日本空母2隻も大破・中破し、多数の航空機と搭乗員を失った。

目次

[編集] 背景

1942年6月のミッドウェー海戦で日本軍主力空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)を撃沈して勝利した米軍は、2ヵ月後の8月7日ウォッチタワー作戦を発動し、米軍海兵隊ツラギ島ガダルカナル島を占領した。日本軍は三川軍一中将率いる第八艦隊海軍陸戦隊に米軍撃退を命じ、第一次ソロモン海戦で勝利を収めた。だが測量艦「宗谷」(後の南極観測船)以下海軍陸戦隊輸送船団はツラギ島に到着できず、米海兵隊の早期撃退企図は頓挫した。さらにガダルカナル島のヘンダーソン飛行場から発進した米軍機により、同島へ向かう日本軍増援輸送船団は次々に撃沈・撃退され、日本海軍艦艇の行動にも制約を与えた。

日本海軍連合艦隊日本陸軍第17軍が予定していたガダルカナル島での総攻撃支援のために近藤信竹中将指揮下の第二艦隊(第三戦隊:戦艦金剛榛名、第二航空戦隊:空母隼鷹飛鷹)および南雲忠一中将指揮下の第三艦隊(第一航空戦隊:空母瑞鶴翔鶴龍驤瑞鳳等)を派遣する。第一航空戦隊と第二航空戦隊にはミッドウェー海戦で乗艦を失ったパイロット達も多数着任しており、士気旺盛だったという[2]

8月24日、南雲機動部隊は米軍第11・16任務部隊と第二次ソロモン海戦(東部ソロモン海戦)を戦った。この戦いで米軍は日本軍軽空母「龍驤」を撃沈し、日本軍の輸送船団増援を阻止して勝利を収めた。その一方、空母「エンタープライズ」が損傷を受け、8月31日に日本軍潜水艦の攻撃で空母「サラトガ」が大破本国回航、9月15日には空母「ワスプ」を撃沈され、作戦行動をとれる空母は「ホーネット」のみとなった。アメリカ軍は「エンタープライズ」と「サラトガ」を真珠湾に帰港させ、急ピッチで修理を行い、「エンタープライズ」は10月中旬までに対空火砲の強化を含む修理が完了した[3]。同艦は10月24日にエスピリッツサント島から北東約500kmの地点で「ホーネット」以下と合流した。また、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、南西地区の司令官をゴームレー中将からハルゼー中将に交代させた。ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで苦戦する部隊を率いるにはあまりに狭量で、悲観的過ぎると感じていたのである。ハルゼーは着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。

10月9日、日本軍第二航空戦隊(空母隼鷹飛鷹)がトラック泊地に進出する[4]。日本陸軍第十七軍は、10月13日~14日にかけて行われた挺身隊(栗田健男少将:戦艦金剛榛名)によるヘンダーソン飛行場への艦砲射撃の成功を受けて総攻撃を企図したが、無事だった飛行場から飛来した米軍攻撃機により日本軍の増援輸送船団6隻が全滅した[5]。総攻撃実施日(Y日)は10月21日から23日、24日と延長された。10月15日、重巡洋艦「妙高」「摩耶」が飛行場を砲撃する。10月17日、第二航空戦隊は零式艦上戦闘機18、九七式艦上攻撃機18機の攻撃隊をヘンダーソン飛行場とルンガ泊地に送り込んだが、米軍戦闘機F4Fワイルドキャットの迎撃により「隼鷹」は艦攻8機(不時着2)[6]、「飛鷹」は艦攻2機(1機不時着)、零戦1機(不時着)を失った[7]。10月19日、連合艦隊は電令作第346号により、ガダルカナル島周辺海域の索敵と、敵艦隊の撃滅を命じた[8]。翌20日夜、第二航空戦隊の旗艦「飛鷹」で火災と機関故障が発生し、速力低下により航空戦続行が不可能となる[9][10]。22日、「飛鷹」は旗艦任務と搭載機を姉妹艦「隼鷹」に移し、トラック泊地に帰還した[11]。日本軍は米軍と戦う前から空母1隻を事実上失ったことになる[12]。一方で、10月17日のガダルカナル島飛行場攻撃で消耗していた「隼鷹」の戦力は回復した[13]。また「飛鷹」の零戦16、九九艦爆17がラバウルに移動した[14]。22日夜、原忠一少将率いる利根型重巡洋艦筑摩」と秋月型駆逐艦照月」が牽制部隊となり、日本軍機動部隊から分離して南方200浬(370km)地点に進出した[15]。利根型重巡洋艦は水上偵察機5-6機を搭載する偵察能力に優れた艦種、秋月型駆逐艦は10cm連装高角砲を装備した防空駆逐艦である。なお草鹿龍之介や奥宮参謀の著作では、南下した艦を「利根」としているが[16]、戦闘詳報では「筑摩」である[17][18]。「筑摩」は偵察機を発進させるが米艦隊を発見できず、米軍飛行艇の雷撃を回避したあと[19]、南雲部隊本隊に合流した。10月23日、連合艦隊は以下の警告を発した。

  1. ここの数日来、敵空母の所在不明。敵機動部隊に対し、サンタクルーズ島方面、とくに警戒の要ありと認む。
  2. 24日、X区哨戒機および二式飛行艇はなるべく早く発進し、かつ許す限り長く哨戒のことに取り計らわれたし。

午前8時45分、水上機母艦千歳」の偵察機から「ガダルカナル方面に敵戦艦2、巡洋艦2、駆逐艦4隻急行中」との報告を受ける[20]。日本軍機動部隊は23日正午に前衛艦隊を分離し、陸軍支援の態勢に入った。しかし日本陸軍から総攻撃延長の連絡があり、日本軍機動部隊は北上した。南雲機動部隊は駆逐艦「嵐」(第四駆逐隊司令艦)を東方に派遣し、26日まで北方に待機する旨を連合艦隊司令部に報告させた[21]。宇垣纏連合艦隊参謀長は第三艦隊の行動を優柔不断・独断的措置と解釈し、第二艦隊が孤立する事への懸念も示した[22]。24日午後6時44分、山本五十六連合艦隊長官は南下を命じ、日本軍機動部隊は再び南下した[23]。南雲機動部隊の北上と南進の反復行動は草鹿龍之介参謀長の指示によるものだったが、南雲忠一長官は草鹿を呼び出すと今後の作戦方針について検討を行い、連合艦隊の命令に従って南下を決定した[24]

その夜、日本陸軍はガダルカナル島で総攻撃を行うが、重装備を持たず猖獗を極めるジャングルでの戦闘で指揮系統も混乱。兵力を増強し防御陣地で待ち構えていた米軍海兵隊の反撃に遭い失敗に終わった[25]。にもかかわらず「右翼隊飛行場占領」との誤報が日本海軍に伝わり、艦隊は一気に沸き立った[26]。その後、誤報とわかり落胆している[27]宇垣纏連合艦隊参謀長の「戦藻録」からも、日本陸軍の度重なる総攻撃予定変更に対する当惑と苛立ちがうかがえる[28]。(詳しくはガダルカナル島の戦いを参照)

日本軍の第六駆逐隊(暁、雷、電)と第四水雷戦隊は24日深夜から25日にかけてガダルカナル島泊地に突入し、直接艦砲を撃ち込んで日本陸軍を支援しようとした。第六駆逐隊は突入に成功し、連合軍輸送船団に若干の損害を与えた[29]。だが続いて攻撃に向った第四水雷戦隊は、軽巡洋艦「由良」が米潜水艦「グランパス」 (USS Grampus, SS-207)もしくは「スカルピン」 (USS Sculpin, SS-191)に雷撃されるなどして、戦果なく撃退されている[30]。その後、「由良」は米軍機の空襲で沈没、護衛の駆逐艦秋月」も中破した[31]。日本軍小規模水上艦隊によるガダルカナル島泊地突入には、米軍機動部隊に対する陽動の意味合いもあったとされる[32]

アメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「ホーネット」を中心とする艦隊(第16任務部隊および第17任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。

[編集] 戦闘経過

日本軍部隊は、南雲忠一中将が指揮する第三艦隊(第一航空戦隊:空母翔鶴瑞鶴、軽空母瑞鳳)、阿部弘毅少将が指揮する機動部隊前衛部隊(第十一戦隊:戦艦比叡霧島)、本隊の後方にタンカー4隻・貨物船3隻・駆逐艦5隻の補給部隊、近藤信竹中将が指揮する前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)という4つの集団にわかれて行動していた。10月26日海戦当日の前衛部隊は、南雲の本隊から前方50-80浬に進出し、右から「筑摩」、「利根」、「比叡」、「霧島」、「長良」、「鈴谷」という横一列陣形で進んだ[33]

[編集] 両軍の索敵

10月25日、日本軍は数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが[34]、米軍機動部隊の発見には至らなかった。対する米軍は哨戒中のPBYカタリナ飛行艇が午前7時40分に日本軍機動部隊を発見した[35]。日本軍前衛部隊も午前8時15分に、カタリナ飛行艇に発見されたと認識している[35]。すると南雲中将は前衛部隊に反転北上を命じた。キンケイド少将は1時間後、「エンタープライズ」から索敵を兼ねてF4Fワイルドキャット戦闘機16機、SBDドーントレス急降下爆撃機12機、TBFアヴェンジャー雷撃機7機からなる攻撃隊を発進させた[36]。その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転した事が判明したが、キンケイド少将は無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。米軍攻撃隊は反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず、燃料切れや着艦時の事故でF4F1機、SBD4機、TBF3機の計8機(『THE BIG E』では7機)を失った[36]。また朝の着艦事故でF4F4機が失われており「エンタープライズ」の航空隊は決戦を前に航空機12機を失うという大きな痛手を受けている[37]

午前9時、山本五十六連合艦隊長官は前進部隊(第二艦隊、第二航空戦隊)の航空兵力で、ガダルカナル島陸軍陣地・米艦隊の攻撃を命じた[35][38]。これを受けて空母「隼鷹」から発進した零戦12機、九九艦爆12機がガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を爆撃し[39]、石油タンクの炎上を確認した[40]。午前10時、前衛部隊索敵機が「米軍戦艦2-3、防空巡洋艦4、巡洋艦1、駆逐艦12、ツラギより方位160度、170マイル」を報じた[41]。南雲機動部隊への連絡は午前11時頃である[27]。19時18分、連合艦隊電令作第354号は『陸軍は今夜19時、ガ島突入の予定にして、26日、敵艦隊はガ島南東海面に出現の算大なり。連合艦隊は26日敵艦隊を補足撃滅せんとす』と伝える[42]。この電令の中で山本長官は日本軍基地航空隊も米艦隊を攻撃するよう求めているが[43]、実際の海戦は機動部隊と機動部隊の正面衝突となり、基地航空隊は全く関与しなかった[44]。この時、米軍はハワイのラジオ放送を通じて「近くソロモン方面で大海空戦が行われる。米国民に良きプレゼントを送る」というプロパガンダを行っていたとされる[45]

10月26日、南雲忠一中将の機動部隊本隊は午前0時30-50分に米軍飛行艇から爆撃を受け、「瑞鶴」の至近距離に爆弾が落下した[46]。米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した南雲機動部隊はガダルカナル島北東460km地点で反転北上する[47]。そして黎明から二段索敵を開始した[46]。レーダーがないと夜間は索敵できないため、夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し、先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵、夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。日本軍前進部隊(第二艦隊)からも、巡洋艦「妙高」、「高雄」、「摩耶」、「五十鈴」から零式水上偵察機九四式水上偵察機が発進し、索敵にあたった[48]。一方米軍も、空母「エンタープライズ」からドーントレス16機が発進し、2機ずつのペアになって索敵に向かった[49]

[編集] 両軍の攻撃隊発進

日の出は午前3時45分である[50]。午前4時50分、日本軍翔鶴四番索敵機はアメリカ軍機動部隊を発見し「敵空母サラトガ型1、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦16、針路北西」を報告した[51]。日本軍は米軍機動部隊戦力を空母3隻と判断した[52]。午前5時30分頃、第一次攻撃隊として旗艦「翔鶴」から24機(村田重治少佐指揮、九七式艦上攻撃機20機、零式艦上戦闘機4機)が発進[53]、「瑞鶴」から(九九式艦上爆撃機21機、零式艦上戦闘機8機)[54]、「瑞鳳」から(九九艦爆1機、零戦9機)[55]、三艦合計62機が発進[56]。続いて第2次攻撃隊として44機(九七艦攻16機、九九艦爆19機、零戦9機)が発進、米機動部隊に向かった[57]。このうち第2次攻撃隊は「翔鶴」のレーダーが米軍機の機影をとらえたため全機が揃うまで発進を調整せず[58]、まず「翔鶴」から(関衛少佐・翔鶴飛行隊長:艦爆19、新郷少佐・翔鶴飛行隊長:零戦5)が発進し[59]、30分遅れた午前6時45分、「瑞鶴」から(今宿大尉・瑞鶴飛行隊長:艦攻16、零戦4)が発進した[60]。母艦上空直掩に零戦を配備したため、南雲部隊は攻撃隊に十分な数の護衛機をつけられなかった[61]

また米軍機動部隊発見の報告は日本軍前進部隊(第二艦隊)空母「隼鷹」にも伝えられ、前進部隊はガダルカナル島攻撃を中止[62]。米軍機動部隊の攻撃に向け、航空隊の発進準備がはじまった[63]近藤信竹中将は指揮下の第二航空戦隊を南雲機動部隊の指揮下に預けると[64]自身は米軍方向に南下し、同時に機動部隊前衛(第十一戦隊:戦艦比叡霧島等)を指揮下に入れ夜戦を挑む考えを各部隊に通達した[65]。奥宮参謀は、最大速力26ノットの空母「隼鷹」が32ノットを発揮する近藤中将指揮の第四戦隊(重巡洋艦愛宕高雄)を追い越したと角田少将の闘志を賞賛している[66]。ただし、第二航空戦隊は近藤中将の命令により、午前9時15分に第二艦隊と分離しただけである[67]

ほぼ同時刻、アメリカ軍も日本艦隊を発見した。第10爆撃隊は「フロート1つ」の日本軍水上偵察機とすれ違い、20分後に金剛型戦艦を発見した[49]。キンケイド少将は『戦艦2隻、重巡洋艦1隻、駆逐艦7隻、南緯8度10分、東経163度55分、針路北、速度20ノット』という報告を受け取る[68]。まもなく、第10偵察隊隊長J・R・"バッキー"・リー少佐と僚機から『空母2隻、護衛艦、南緯7度5分、東経163度38分』(距離320km)の連絡が入った[68]。リー機と部下機は襲ってきた零戦3機を返り討ちにしたと主張し、2機とも生還した[69]。日本軍機動部隊の位置をつかんだキンケイドは、直ちに攻撃隊発進を命令する。空母「ホーネット」から第1次攻撃隊29機(F4F8機、SBD15機、TBF6機)、空母「エンタープライズ」から第2次攻撃隊19機(F4F8機、SBD3機、TBF8機)[70]、さらに「ホーネット」から第3次攻撃隊25機(F4F7機、SBD9機、TBF9機)が発進した。

南雲機動部隊から空母「翔鶴」の第二次攻撃隊の発艦準備が終了しかけたとき、「瑞鶴」より「発艦作業30分遅れる」と報告が来た。さらに、索敵中の米軍SBDドーントレス2機(バーニー・ストロング大尉機、チャールズ・アーヴィン少尉機)が彼らに全く気付いていない軽空母「瑞鳳」に奇襲をかける[71]。2機が投下した爆弾は「瑞鳳」第二次攻撃隊が発進準備中の飛行甲板を直撃した[72]。日本軍にとって幸運なことに被弾箇所が最後部であったこと、被害艦が第二次攻撃隊を艦内に抱えていた「瑞鶴」でなかったため、艦載機の誘爆によるミッドウェー海戦の悪夢再現は避けられた[73]。しかし、これにより「瑞鳳」は発進可能だが着艦不能となり、戦線を離脱する[66]。このため南雲長官は瑞鶴隊を置いて、翔鶴隊を発進させた。攻撃隊が発進すると「翔鶴」では被弾に備えて可燃物を全て捨てたが、この時、演芸会用の女着物とかつらが投げ込まれるのが目撃された[74]。なお、ストロング機とアーヴィン機は日本軍の対空砲火と零戦の迎撃をふりきり、逆に計2機の零戦の撃墜を主張して生還している[71]

日本の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のホーネット隊とすれ違った。お互いに相手を視認しながら、両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごそうとする[75]。しかし、次にエンタープライズ隊とすれ違って間もなく瑞鳳零戦隊9機が反転し、エンタープライズ隊19機を追撃した[76]。攻撃隊右翼を飛んでいたF4F4機は一方的に奇襲を受けた。3機が撃墜され、1機は被弾し機銃と無線を破壊されて母艦「エンタープライズ」への帰投を余儀なくされた[77]。また雷撃隊も指揮官機を含む2機を撃墜され、1機が不時着し、別の1機が被弾により攻撃を諦め母艦へ帰還した[78][77]。エンタープライズ隊はF4F4機、SBD3機、TBF4機となったが、進撃を続けた[77]。一方瑞鳳隊(零戦9、艦爆1)は零戦2機が撃墜され、2機が行方不明、被弾大破2機、誘導の九九艦爆1機も帰投しなかった[79]

[編集] 米空母被弾

空襲下にある空母 エンタープライズ
爆撃を受ける「エンタープライズ」

6時55分、日本軍第1次攻撃隊は米艦隊を発見、「ホーネット」に攻撃を集中した。まず瑞鶴艦爆隊第二中隊が攻撃し、1発目の爆弾は至近弾となり、2発目は飛行甲板中央部に命中[80]。さらにこの後爆弾2発が命中した[80]。続いて第一中隊と第三中隊が攻撃、爆弾は命中しなかったが被弾した佐藤兵曹長機がホーネットの煙突前部に突入し火災を生じさせた[80]。その後瑞鶴艦攻隊が攻撃を実施し、ホーネットの右舷の前部機械室と対空砲弾庫付近に魚雷が命中した[80]。被雷による浸水でホーネットは全動力を失い停止した[80]。 また付近にいた護衛艦艇も攻撃を受け、雷撃機1機は重巡「ペンサコラ」を攻撃したが魚雷は外れた。被弾した雷撃機は「ペンサコラ」に突入を試みたものの、艦首外側数メートルの海中に墜落した。また駆逐艦「アンダーソン」は雷撃機から機銃掃射を受けたものの目立った被害はなかった。

日本軍攻撃隊は7時20分には引き上げ、海上では「ホーネット」が激しく炎上していた。ホーネットでは電気系統の全滅により消火ポンプが使用不能であったため消火器やバケツリレーによる消火作業が行われ、さらに駆逐艦モリス、ラッセル、マスティンによる消火作業の支援により8時ごろまでにはほぼ消火に成功した[81]。重巡洋艦ノーザンプトンが依然航行不能であったホーネットの曳航を開始したが、曳航策が切れ作業はやり直しとなった[82]。日本軍第一次攻撃隊は「ホーネット」に重大な損傷を与えたものの村田少佐を含む艦攻10機、艦爆12機、零戦3機が失われ[53]、更に不時着により艦攻6機、艦爆5機、零戦2機が失われた。

日本側第2次攻撃隊は、8時15分空母「エンタープライズ」および炎上漂流中の「ホーネット」を発見する。先に到着した翔鶴艦爆隊19機は無傷の「エンタープライズ」に攻撃を集中し2発の直撃弾を与えた。1発目の爆弾は、艦首から5メートルの飛行甲板に命中し爆弾はそのまま艦首上甲板を貫通して海面で炸裂、飛行甲板のドーントレス1機を海に吹き飛ばし、艦首付近を穴だらけにして小火災を発生させた[83]。格納庫ではドーントレスが炎上し、整備兵は自軍の爆弾を海中に投棄した[83]。2発目の爆弾は、前部エレベータ後方3メートルの飛行甲板に命中し、3層を貫いて前部応急指揮所で炸裂した[83]。こちらの火災はひどく、火のついたガソリンが前部エレベーターの孔に流れ込んだほどである[84]。右舷3メートルの所には至近弾1発が落下し、舷側に損害を受けた。また艦爆隊が到着する直前の8時1分、不時着した「エンタープライズ」の雷撃機の救助に向かった駆逐艦「ポーター」に雷撃機から誤って発射された魚雷が命中した。「ポーター」は航行不能になり僚艦の砲撃により処分された。8時35分、遅れて発進した瑞鶴雷撃隊16機は「エンタープライズ」に魚雷を発射したが命中せず、炎に包まれた1機は駆逐艦「スミス」の2番砲塔に体当たりした。艦攻が搭載していた魚雷が爆発し、砲塔付近にあった弾薬が誘爆して大火災が発生した[85]。しかし艦長の判断で付近を航行中の戦艦「サウスダコタ」に接近し、「サウスダコタ」の艦尾波で「スミス」は奇跡的に消火に成功した[86][85]。日本軍第2次攻撃隊は、「エンタープライズ」等に損害を与えたものの、艦攻9機、艦爆10機、零戦1機が未帰還になり、不時着水により艦攻1機、艦爆2機、零戦2機が失われた。

[編集] 翔鶴被弾と日本軍の追撃

全速で回避する「筑摩」
南太平洋海戦での戦艦サウスダコタ

日本軍南雲機動部隊では、午前7時18分にSBDドーントレス爆撃機15機を確認する[87]。まず重巡洋艦「熊野」が攻撃されたが、命中弾はなかった[87]。ホーネット第1次攻撃隊は午前7時27分、日本機動部隊を発見する。直後に零戦9機からなる日本軍直掩隊が現れF4F2機が撃墜された。急降下爆撃隊15機は戦闘機の掩護なく進撃を続けたが、更に20機前後の零戦に襲われた。SBD2機が撃墜され、2機が被弾により母艦に帰投した。残る11機は南雲機動部隊の旗艦「翔鶴」を攻撃し、飛行甲板後部に450キロ爆弾4発命中という戦果を挙げる[88]。「翔鶴」乗組員には6発命中と証言する者もおり、奥宮参謀の実物検分では5発命中だったという[89]。この攻撃で「翔鶴」では高角砲弾が誘爆するも、ミッドウェー海戦の時とは異なり航空機用燃料・弾薬誘爆を避けられたため、沈没には至らなかった[90]。受信可能だが送信不可能になった「翔鶴」は消火作業を行いつつ北上し、「瑞鳳」と共に戦場から避退した[91]。「瑞鳳」から発進した零戦14機のうち、1機が撃墜され、1機が行方不明となった[92]。一方、午前7時30分に「敵サラトガ型に魚雷命中、火災発生」、午前9時45分「敵空母1隻撃沈、1隻大破」等の誤報が入り、乗組員の士気が上がっている[93]

エンタープライズ隊およびホーネット第3次攻撃隊は日本空母を発見できなかった。特にエンタープライズ隊は瑞鳳零戦隊と空中戦をおこなったため燃料が不足しており、目の前の敵(前衛部隊)を攻撃するしかなかった[77]。3機のドーントレスは金剛型戦艦を攻撃し、二番砲塔と右舷中央に命中させたと主張する[94]。実際に彼らが攻撃し大破させたのは、戦艦ではなく利根型重巡洋艦筑摩」だった[95]。雷撃隊も重巡洋艦に攻撃をおこなったが、回避された[94]。最大発揮速力23ノットとなった「筑摩」は駆逐艦「谷風」、「浦風」に護衛されて退避した[96]

日本軍前進部隊(第二艦隊近藤信竹中将)に属していた角田覚治少将麾下の第二航空戦隊(空母隼鷹)は、航空戦の開始と共に南雲忠一中将の指揮下に入り[64]、続いて南雲部隊旗艦「翔鶴」の被弾と通信能力喪失により航空戦の指揮をまかされた[97]。まず午前7時に第1次攻撃隊29機(艦爆17機、零戦12機)を発進させた[98]。隼鷹第1次攻撃隊は、爆撃を受ける空母「翔鶴」や損傷した重巡洋艦「筑摩」の上空を通過し[99]、午前8時40分ごろ米軍機動部隊を発見[100]。午前9時15分に攻撃を開始する。雲高3500メートル雲底500メートルと視界が悪く、攻撃は分散され、また爆撃精度も悪化した[101]。空母を狙おうとして果たせず、仕方なく護衛の戦艦や巡洋艦を爆撃した機もある[102]。攻撃隊は「エンタープライズ」に至近弾1発を与え、右舷中央部の船体を60センチ陥没させ、若干の浸水が始まった[103]。戦艦「サウスダコタ」には4発の爆弾が投下され、1発が第一砲塔に命中する[104]。艦長が軽傷を負い、付近の銃座に損害を与えたが、決定的打撃とはならなかった[105]。にも関わらず、動揺した士官が操舵系を無断で第2戦闘指揮所に切り換えたため数分間操艦不能となり、結果「サウスダコタ」は空母「エンタープライズ」に突進した[105]。この時は「エンタープライズ」が4万トンの巨艦を回避し、大惨事をまぬかれた[106]。また軽巡「サン・ファン」には6発の爆弾が投下され、内1発が艦尾に命中したが、船体を貫通して海中で爆発した[106]。「サン・ファン」は一時的に操舵不能となった[106]。隼鷹第1次攻撃隊は攻撃終了後、集合点に集まったところを先回りした米軍戦闘機に襲われ、艦爆9機が一挙に撃墜されたという[107]

[編集] 米軍撤退

駆逐艦に乗員を退艦させる「ホーネット」

ホーネットの戦闘力喪失とエンタープライズ損傷の一方、日本軍には無傷の空母が残っているという状況でキンケイド少将は撤退を決め、マレー少将にホーネットの曳航作業継続を命じると第16任務部隊は南東へ退避をはじめた[108]。ノーザンプトンはより太い曳航索を用いて曳航を再開した[109]

一方日本軍は航空機に多大な損害を受けていたが、残存機をすべて投入して米艦隊の追撃を開始した。午前10時20分、山本五十六長官は第二艦隊に対しサンタクルーズ諸島北方の敵艦隊と、ガダルカナル島南方の敵戦艦部隊を同時攻撃するよう求めたが、日本軍に戦力を分ける余裕などなかった[110]。午前11時13分、「隼鷹」から第2次攻撃隊(艦攻7機、零戦8機)が発進した[111]。零戦のうち2機は瑞鶴所属機(白根大尉)、1機は瑞鳳所属機だった[112]。この時の第二航空戦隊には、白根大尉の零戦だけではなく、被弾した瑞鶴艦攻が数機着艦している[113]。続いて11時15分に「瑞鶴」から残存機すべての艦爆2機、艦攻6機、零戦5機からなる第3次攻撃隊が発進[114]。艦攻6機のうち5機は「瑞鳳」所属機だった[115]。彼らは索敵から帰還後被弾した「瑞鳳」に降りられず、「瑞鶴」に着艦していたのである。また「翔鶴」所属の零戦2、艦爆1も参加している[116]。13時35分に「隼鷹」からこの日最後となる艦爆4機、零戦6機からなる隼鷹第3次攻撃隊が発進した[117]。攻撃前、奥宮航空参謀が加藤中尉・艦爆隊先任将校に出撃を命じると、加藤は「またいくんですか」と仰天して立ち上がったという[118]

「隼鷹」の第2次攻撃隊は13時13分に戦場に到達し、硝煙で視界がぼやける中[119]、空母「ホーネット」と同艦を曳航中の重巡「ノーザンプトン」を雷撃した。「ノーザンプトン」は曳航索を切って魚雷をすべて回避したが「ホーネット」には魚雷1本が命中、傾斜が14度に増大する。また電気系統の復旧も不可能となった[120]。そのためホーネットのメーソン艦長は総員退艦準備を発令した[120]。隼鷹第2次攻撃隊は敵空母と重巡洋艦に魚雷命中を報告し、零戦2機が行方不明、3機が不時着、艦攻2機が撃墜、残る艦攻も全て被弾という損害を出した[121]。1機の艦攻は魚雷を発射できず、「隼鷹」着艦寸前に魚雷を棄てている[122]

数十分後、瑞鶴第3次攻撃隊が「ホーネット」を爆撃。まず艦爆2機による爆撃で1発が至近弾となり、それにより傾斜が20度となった[120]。ここに至って艦長は退艦命令を出した[120]。次いで艦攻隊が800キロ爆弾による水平爆撃を行い、1発が飛行甲板後端に命中。他の5発は至近距離に落下し、衝撃波により「ホーネット」に大きな損害を与えた。この時、重巡洋艦「鈴谷」索敵機が「ホーネット」がまだ沈没していないことを報告した[123]。15時10分、隼鷹第3次攻撃隊は漂流中の「ホーネット」を発見する。20分ほど「エンタープライズ」を捜索したが発見できず、「ホーネット」に目標として爆撃を開始した[124]。爆弾1発が命中し、「ホーネット」は炎上しつつ右舷に傾斜した。隼鷹第3次攻撃隊は爆弾4発命中を記録し、全機が帰還している[125]。近藤中将の前進部隊(第二艦隊)は米軍機動部隊に水上戦闘を挑むため、追撃戦に移った[126]。午後2時19分には第十一戦隊(比叡、霧島)が第二艦隊に合流している[67]

米軍は「ホーネット」から総員を退艦させると、駆逐艦「マスティン」に大破した空母の魚雷処分を命令。「マスティン」からは搭載魚雷すべての8発の魚雷が発射されたが3本しか命中しなかった。代わって攻撃を行った「アンダーソン」は6発の魚雷を命中させたが「ホーネット」の傾斜角、喫水はほとんど変わらず、米軍の報告書によると『駆逐艦による魚雷攻撃の結果にはとても失望した。駆逐艦の攻撃はホーネットに殆どダメージを与えられなかった』とある[127]。魚雷を使い果たした両艦は12.7cm砲弾300発を撃ち込んだが「ホーネット」は沈まず、日本軍索敵機に発見されたため急いで現場海域から離脱した。日本軍前進部隊は午後7時47分に傾斜炎上する「ホーネット」を発見[128]。さらに重巡「摩耶」の水上偵察機が照明弾を投下して「マスティン」と「アンダーソン」を追跡したが[129]、全速で逃走する駆逐艦の補足は難しく、近藤艦隊は追跡を諦めて「ホーネット」の傍に戻った[130]

連合艦隊司令部はドーリットル空襲で日本に衝撃を与えた「ホーネット」を捕獲しようと試み、「事情許さば、拿捕曳航されたし」と前進部隊に迫った[131]。だが「ホーネット」は火災と浸水でひどく損傷しており、曳航は不可能だった。「鉄の船があんなによく燃えるものか」という「愛宕」乗組員の感想が残っている[130]。第一〇駆逐隊の「秋雲」「巻雲」は魚雷4本を発射し「ホーネット」を雷撃処分した。合わせて魚雷16本、爆弾8発、12.7cm砲弾300発を喫した「ホーネット」は22時ついに南太平洋の波間に姿を消した。日本軍は救助した米軍兵士の尋問結果から、米軍の戦力と、沈んだ空母が「ホーネット」であることを知った[132]

[編集] 結果

この海戦でアメリカ軍は「ホーネット」を失い、「エンタープライズ」も大破したため、太平洋における稼働空母数は一時的に0となり、アメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた[133]。しかし搭乗員の損害は少なく、「エンタープライズ」をヌーメア(ニューカレドニア)で応急修理を実施して第三次ソロモン海戦を始め、ガダルカナル島近海に進出してくる日本軍の艦艇に脅威を与え続けた。

日本側はこの海戦において勝利を収めたが、宇垣纏が翔鶴艦長や瑞鳳艦長に「敵ばかりやっつけて味方が何の損害のないと云う事はあり得ない」と諌めた通り、大きな損害を出した[134]。特に艦爆隊や艦攻隊の損害が大きく、村田重治少佐(戦死後大佐)をはじめとする真珠湾攻撃以来のベテラン搭乗員を多数失い、これ以上の攻勢に打って出ることが困難となった。奥宮によれば、4隻の空母から零戦90機、艦爆72機、艦攻54機が本海戦に参加し、残存使用可能機は零戦44、艦爆18、艦攻24だった[135]中島親孝第三艦隊参謀によれば、使用可能機体は「瑞鶴」零戦33、艦爆10、艦攻9、計62機、「隼鷹」零戦11、艦爆8、艦攻5、計24機である[136]。特に急降下爆撃機の損害が大きく、その後の母艦搭載機定数は艦爆の数を減らしている[137]。本海戦の損害を補うべく、日本海軍は教育部隊の教官を前線に出したり、飛行学生を卒業したばかりの士官を母艦に配属するなど、必死で穴埋めをする[138]。奥宮参謀は、新任搭乗員が本海戦前母艦航空隊の技量になる時期を1943年6月以降と推測したが[139]、その再建した航空兵力はい号作戦ろ号作戦ギルバート諸島沖航空戦ギルバート・マーシャル諸島の戦いトラック島空襲マリアナ・パラオ諸島の戦いといった航空戦における大敗北で完全に消耗してしまい、終戦までその損害を補うことが出来なかった。

また本海戦の目的の一つとも言うべき日本陸軍部隊の支援についても結果的には失敗している。山本五十六連合艦隊長官は「海軍の大戦果に呼応し、このさい一挙に敵を撃滅されたし」と陸軍に連絡したが、陸軍は予備兵力なしとして断ったという[140]。日本海軍では下士官兵はおろか将校までが陸軍を批判していたのが目撃されている[140]

日本側は、「米空母3(エンタープライズ、ホーネット、サラトガ)、戦艦サウスダコタ、巡洋艦3隻(内1隻戦艦なるやもしれず)、駆逐艦1隻撃沈、巡洋艦3隻大破、駆逐艦3隻大破または中破、航空機50以上撃墜」という戦果を挙げたと誤認した[141]。10月27日午後8時30分、大本営海軍部は『米空母3-4隻、戦艦1隻撃沈。大破戦艦1隻、巡洋艦1隻、艦種不明1隻。中破戦艦1隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻。敵機200機以上を喪失せしむ。わが方の損害は空母2隻、巡洋艦1隻小破せるも、戦闘航海に支障なし。未帰還機40機、本海戦を南太平洋海戦と呼称す』と大勝利を宣伝した[142]。11月16日の大本営発表では『戦艦1隻、空母エンタープライズ、ホーネット撃沈、大型空母1、巡洋艦3、駆逐艦1大破、航空機200機撃墜』となっている[143]。また「愛宕」が傍受した日本語のハワイ放送(日本向け宣伝放送)によれば『日本軍空母7隻、大巡5隻、駆逐艦数隻撃沈、米軍損害は駆逐艦1隻沈没』だったという[144]

日本軍大勝利の報道に対し、奥宮参謀は「空母1隻撃沈程度と推定しつつも、搭乗員の申告を黙認せざるを得なかった」と述べている[133]。搭乗員の中には米空母6隻存在を主張する者もあり、また第二航空戦隊の強い主張で空母3隻撃沈という判定になったという[145]。これは双方の機動部隊が広範囲に展開するため敵軍の全貌をつかみにくいという問題も絡んでおり[146]、第十一戦隊は二式艦上偵察機のような高速偵察機の本格的な投入と、常に敵艦隊と接触し続けることの重要性を報告している[146]。二式艦上偵察機は機体の強度不足を補強する前の彗星艦上爆撃機の試作機の改造機で、その高速度からミッドウェー海戦でも試作機の十三試艦上爆撃機が空母「蒼龍」で使用されたが無線機故障で索敵の役を果たせず、さらに母艦の喪失で失われて「彗星」開発計画に多大な遅延が生じた。本海戦では空母「翔鶴」から偵察機として2機が発進した。米軍機動部隊と違う方向を偵察してしまい、索敵に失敗したという[147]。「翔鶴飛行機隊戦闘行動調書」には記録が残っていない。

日本軍は軍令部や大本営を含めて本海戦で大勝利を収めたと信じ、ガダルカナル島の戦いに勝利するのも目前だと考えた[148]。そこで陸軍第三十八師団を輸送船11隻に分乗させ、ガダルカナル島へ強行輸送する作戦を立案する。日本軍の作戦を察知した米軍は、空母「エンタープライズ」に応急修理を施して戦線に復帰させ、さらに新鋭戦艦「サウスダコタ」、「ワシントン」をガダルカナル島周辺海域に投入した。こうしてガダルカナル島へ向かう日本軍艦隊との間に第三次ソロモン海戦が発生し、鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)に多数の両軍艦艇が沈むことになる。

[編集] 壊滅した日本海軍艦載機群

この戦いで日本海軍の艦載機部隊は、艦爆、艦攻隊を中心に大きな被害を出した。

  • 出撃機数
  • 翔鶴
第一次攻撃隊 零戦4、艦攻20
第二次攻撃隊 零戦5、艦爆19
直掩機 零戦10
偵察隊 艦攻 数機(早朝出撃)
全機未帰還(翔鶴被弾に因る、一部は瑞鶴、隼鷹に着艦)
  • 瑞鳳
偵察隊 艦攻 数機
第一次攻撃隊 零戦9
全機未帰還(瑞鳳被弾に因る、一部は瑞鶴、隼鷹に着艦)
  • 瑞鶴
第一次攻撃隊 零戦8 艦爆21
第二次攻撃隊 零戦4 艦攻16(帰還・再出撃機含)
第三次攻撃隊 零戦5、艦爆2、艦攻6(帰還・再出撃機含)
  • 隼鷹
第一次攻撃隊 零戦12、艦爆17
第二次攻撃隊 零戦8、艦攻7(帰還・再出撃機含)
第三次攻撃隊 零戦6、艦爆4(帰還・再出撃機含)
  • 帰還機数
  • 一航戦(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)
第一次攻撃隊 20(このうち約半数が修理不能として海中投棄。3艦で62機出撃して瑞鶴、隼鷹に着艦できたもの)
第二次攻撃隊 20(これも半数以上が修理不能のため海中投棄。翔鶴、瑞鶴合わせて44機出撃)
第三次攻撃隊 13(未帰還機無)
  • 二航戦(隼鷹)
第一次攻撃隊 18
第二次攻撃隊 8
第三次攻撃隊 10(未帰還機無)
  • 総計
未帰還機数 零戦17、艦爆31、艦攻21、計69。
不時着 零戦7、艦爆9、艦攻7、計23。(海中投棄機数を除く)
喪失機数計 零戦24(39.3%) 艦爆40(63.4%) 艦攻28(58.3%)
※カッコ内の割合は延べ全出撃数(偵察・直掩機は除く)に対する喪失機数割合
戦死搭乗員 零戦17、艦爆62、艦攻66、計145名。[149]

ミッドウェー海戦とこの海戦でハワイ奇襲以来の日本海軍空母艦載機部隊は壊滅してしまい、再建を目指した部隊はい号作戦マリアナ沖海戦台湾沖航空戦等ですり潰され、この後終戦まで二度と同規模、同水準の部隊となることはなかった。

[編集] 人物像

攻撃を命じる際、角田少将の意を受けて空母「隼鷹」の崎長飛行長が発した「敵の位置は、まだ飛行隊の行動範囲外であるが、本艦は全速力で飛行隊を迎えに行く」という命令は[150]、彼の猛将ぶりを示すものとして伝説になっている。更に、炎上中の空母「ホーネット」に向かった攻撃隊を、無傷の「エンタープライズ」が発見されるや即座に攻撃目標の変更を命じるなど、柔軟にして即断即決の指揮は、高く評価されている。奥宮正武第二航空戦隊参謀は、日本軍水上艦艇(近藤中将)の追撃は及び腰で「水上部隊にも角田がいれば」と述べている[151]

一方で南雲忠一中将は、ミッドウェー海戦以降、数少なくなった空母を危険にさらすことを恐れ、敵の索敵機に発見されては避退の為に反転を繰り返すといった慎重な行動がみられる。「瑞鳳」と「翔鶴」の損傷後は、残る「瑞鶴」の指揮を角田少将に委ねて戦場を後にした。この後に「エンタープライズ」を撃破し、先の攻撃で炎上していた「ホーネット」に「隼鷹」攻撃隊を送り込んで止めを刺したのは、指揮権を移譲された角田少将の指揮によるものである。南雲は戦場を離れると17時30分に第四駆逐隊(有賀幸作司令)旗艦「」に移乗し、近藤艦隊を追いかけている[152]。「翔鶴」に乗艦していた中島親孝第三艦隊通信参謀によれば、「翔鶴」はアンテナの損傷により送信不可能となったため南雲司令部は「照月」経由で「瑞鶴」に移乗しようとしたところ「照月」が見当たらず、仕方なく駆逐艦「嵐」(第四駆逐隊司令艦)経由で命令を発していたという[153]。なお、南雲の乗艦する空母「翔鶴」(最高速度34ノット)は損傷しつつも駆逐艦を追い抜いたという逸話が残っている。「翔鶴」は珊瑚海海戦で被弾した時にも、40ノットを発揮していた駆逐艦「」が戦場を離脱する「翔鶴」に追いつけなかったという逸話を持っている[154]有馬正文翔鶴艦長は高角砲しか使えない「翔鶴」で米軍機動部隊を追撃することを意図したが、草鹿参謀長に「飛行甲板の大破した空母で戦えるのか」と一喝された[155]

奥宮とは対照的に、草鹿龍之介参謀長と吉田俊雄(当時海軍少佐、軍令部参謀)は、角田よりも近藤信竹中将を高く評価している[156]。たとえば近藤と南雲は同じ階級の中将だが、軍令承行令上、先任である近藤が南雲の指揮をとることになっていた[157]。しかし近藤は第二次ソロモン海戦に続き、本海戦でも南雲機動部隊の行動に従い、機動部隊の行動に制約をあたえなかった[157]。また近藤は指揮下の第二航空戦隊(空母「隼鷹」)を第三艦隊に預けると、自身は前進部隊を率いて米機動部隊を追撃し、空母「ホーネット」を捕捉した。吉田は「武人らしい気魂を感じさせるのは、近藤の采配が最も圧巻である」と述べている[158]。草鹿は「近藤の宏大な度量、人格は私の大きな力になった」と回想している[159]。また後方のトラック島に停泊中の戦艦「大和」では、宇垣纏連合艦隊参謀長が「翔鶴」の損傷と第一航空戦隊の後退を知り、撤退の禁止と米艦隊攻撃続行を命じた[160]。するとある参謀が「敵と距離をとることは、むしろ敵をアウトレンジするのに有利」と進言し、その消極的な姿勢で宇垣を激怒させている[161]

[編集] 参加艦艇

[編集] 日本

連合艦隊司令長官 :山本五十六大将 参謀長:宇垣纏少将(トラック島

[編集] 第二艦隊

司令官:近藤信竹中将 参謀長:白石万隆少将

[編集] 第三艦隊

司令官:南雲忠一中将 参謀長:草鹿龍之介

[編集] アメリカ

第16任務部隊

第17任務部隊

第64任務部隊

ガダルカナル島

  • ヘンダーソン基地:航空機60機

[編集] 損害

[編集] 日本

  • 大破:重巡 「筑摩」
  • 中破:空母 「翔鶴」、軽空母 「瑞鳳」
  • 小破:駆逐艦 「秋月」、「照月」(26日夜、大型機爆撃による)
  • 航空機損失:92機
  • 航空機搭乗員戦死:148名
  • 艦船乗組員戦死:250-350名[162]

[編集] アメリカ

  • 沈没:空母 「ホーネット」、駆逐艦 「ポーター」
  • 大破:駆逐艦 「スミス」
  • 中破:空母 「エンタープライズ」
  • 小破:戦艦 「サウスダコタ」、軽巡 「サン・ファン」
  • 航空機損失:74機
  • 航空機搭乗員戦死:39名
  • 艦船乗組員戦死:254名[163]

[編集] 南太平洋海戦が描かれた作品

[編集] 映画

[編集] 書籍(ノンフィクション)

[編集] 脚注

  1. ^写真週報」等
  2. ^ #機動部隊31頁
  3. ^ #BIG E上231頁
  4. ^ #空母雷撃隊217頁
  5. ^ #機動部隊76頁
  6. ^ #機動部隊75頁、#隼鷹飛行調書(2)p.4
  7. ^ 「飛鷹飛行機隊戦闘行動調書(1)」pp.15-16
  8. ^ #高戸主計大尉25頁
  9. ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.17「20日夜間、飛鷹補機室火災、高速を出し得ず、作戦行動不能と認め」
  10. ^ #愛宕奮戦記201頁、#機動部隊77頁
  11. ^ #愛宕日誌(4)p.36、#愛宕奮戦記207頁
  12. ^ #戦藻録(九版)213頁、#聯合艦隊作戦室111頁
  13. ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.16、#隼鷹飛行調書(2)pp.3-5、#山川艦爆隊126-129頁、#空母雷撃隊227頁
  14. ^ #機動部隊78頁
  15. ^ #高戸主計大尉25頁、#橋本信号員235頁
  16. ^ #機動部隊85頁、#草鹿回想172頁
  17. ^ #筑摩日誌(1)p.5「照月を率い索敵のため機動部隊より分離南下」
  18. ^ #筑摩日誌(2)pp.7,16
  19. ^ #筑摩日誌(1)p.5「10月23日2354、敵飛行艇の雷撃を受く。被害なし」
  20. ^ #橋本信号員236頁
  21. ^ #雪風ハ沈マズ新装142頁
  22. ^ #雪風ハ沈マズ新装143頁
  23. ^ #高戸主計大尉26頁、#雪風ハ沈マズ新装143頁
  24. ^ #海軍美談139-140頁
  25. ^ #愛宕奮戦記209-211頁
  26. ^ #機動部隊79頁、#愛宕日誌(4)p.4「2100飛行場占領」
  27. ^ a b 牧島『炎の海』304頁
  28. ^ #戦藻録(九版)pp.213-214
  29. ^ #戦藻録(九版)216頁、#愛宕日誌(3)p.10「一、第六駆逐隊はガ島沖に突入、敵三隻を撃沈す。一、由良爆弾命中」
  30. ^ 木俣『日本水雷戦史』210頁
  31. ^ #聯合艦隊作戦室114頁
  32. ^ #奇蹟の海から181頁
  33. ^ #吉田比叡79頁、#機動部隊85頁、#8戦隊日誌(4)p.5
  34. ^ #11戦隊日誌(4)pp.3-4
  35. ^ a b c #高戸主計大尉28頁
  36. ^ a b #BIG E上227頁
  37. ^ Eric M. Hammel, Carrier Strike, p. 174.
  38. ^ #機動部隊80頁
  39. ^ #隼鷹飛行調書(2)pp.15-16
  40. ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「飛行場及び敵陣地を攻撃し相当の損害を与えたり、我が方被害なし」、#山川艦爆隊130-131頁
  41. ^ #戦藻録(九版)217頁、#高戸主計大尉29頁、#橋本信号員238頁
  42. ^ #高戸主計大尉29頁
  43. ^ #11戦隊日誌(4)p.24
  44. ^ #戦藻録(九版)219頁
  45. ^ #機動部隊84頁、#聯合艦隊作戦室120頁、牧島『炎の海』304頁
  46. ^ a b #機動部隊86-87頁、#草鹿回想174頁、#橋本信号員239頁
  47. ^ #機動部隊86-87頁、#海軍美談145頁、#11戦隊日誌(4)p.5
  48. ^ #愛宕奮戦記213頁、#愛宕日誌(4)p.6
  49. ^ a b #BIG E上229頁
  50. ^ #高戸主計大尉30頁
  51. ^ #機動部隊86-87頁、#橋本信号員240頁
  52. ^ #戦藻録(九版)218頁、#11戦隊日誌(4)p.6
  53. ^ a b #翔鶴飛行調書(3)pp.14-15
  54. ^ #瑞鶴飛行調書(4)pp.6-7
  55. ^ #瑞鳳飛行調書(2)pp.19-20
  56. ^ #機動部隊88頁、#橋本信号員240頁
  57. ^ #機動部隊88頁、#橋本信号員241頁
  58. ^ #海軍美談150頁
  59. ^ #翔鶴飛行調書(3)pp.16-17
  60. ^ #機動部隊88頁、#瑞鶴飛行調書(4)pp.8-10
  61. ^ #機動部隊88頁
  62. ^ 「軍艦愛宕戦闘詳報(2)」p.18「〇四五〇、KDB索敵機の敵大部隊を発見の報を得(中略)本隊は直ちに敵方に追撃、KDBと共に之を攻撃す」
  63. ^ #山川艦爆隊133頁、#機動部隊89頁
  64. ^ a b #11戦隊日誌(4)pp.7,12
  65. ^ #愛宕日誌(4)p.7「0828:第二航空戦隊(飛鷹欠)、親潮、黒潮をKDB指揮官の指揮下に入る(中略)残る前進部隊は本職之を率い敵方に進出」「1045:機動部隊前衛を本職の直接指揮下に入る」、#8戦隊日誌(4)p.13、#11戦隊日誌(4)pp.7,12
  66. ^ a b #機動部隊89頁
  67. ^ a b #3戦隊日誌(1)p.24
  68. ^ a b #BIG E上230頁
  69. ^ #BIG E上231頁
  70. ^ #BIG E上236頁
  71. ^ a b #BIG E上233頁
  72. ^ #機動部隊89頁、#橋本信号員241頁
  73. ^ #海軍美談150-151頁
  74. ^ 牧島『炎の海』309頁
  75. ^ #電信員遺稿143-144頁
  76. ^ #機動部隊94頁
  77. ^ a b c d #BIG E上241頁
  78. ^ The Office of Navy Intelligence, The Battle of the Santa Cruz Islands, p.45.
  79. ^ 柳田邦男「零戦燃ゆ-飛翔篇」p.521、#瑞鳳飛行調書(4)p.19
  80. ^ a b c d e ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、176ページ
  81. ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180ページ
  82. ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、180-181ページ
  83. ^ a b c #BIG E上249頁
  84. ^ #BIG E上259頁
  85. ^ a b #BIG E上255頁
  86. ^ The Office of Navy Intelligence, p.65.
  87. ^ a b #橋本信号員242頁
  88. ^ #海軍美談166-167頁、#橋本信号員242頁
  89. ^ #機動部隊93頁
  90. ^ #海軍美談168頁、牧島『炎の海』313頁
  91. ^ #橋本信号員244頁
  92. ^ #瑞鳳飛行調書(2)p.17
  93. ^ 牧島『炎の海』315頁、#橋本信号員244頁
  94. ^ a b #BIG E上242頁
  95. ^ #8戦隊日誌(4)p.6
  96. ^ #筑摩日誌(1)p.37
  97. ^ #機動部隊93-94頁
  98. ^ #隼鷹飛行調書(2)pp.20-22、#山川艦爆隊134-135頁、#機動部隊97頁
  99. ^ #山川艦爆隊136頁
  100. ^ #山川艦爆隊137頁
  101. ^ #山川艦爆隊138頁
  102. ^ #山川艦爆隊139頁
  103. ^ #BIG E上262頁
  104. ^ #山川艦爆隊140頁
  105. ^ a b #ワシントン128頁
  106. ^ a b c #BIG E上265頁
  107. ^ #山川艦爆隊141-142頁
  108. ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、189ページ
  109. ^ ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、192ページ
  110. ^ #11戦隊日誌(4)p.26「先遣部隊は其の大部分を以てサンタクルース諸島北方の敵艦隊を、一部を以ってガ島南方の敵戦艦を攻撃せよ」
  111. ^ #隼鷹飛行調書(2)p.2、#山川艦爆隊145-146頁
  112. ^ #隼鷹飛行調書(2)p.24、#山川艦爆隊145-146頁、#機動部隊101頁
  113. ^ #機動部隊99-100頁
  114. ^ #瑞鶴飛行調書(4)pp.11-12
  115. ^ #瑞鳳飛行調書(2)pp.23-24、#瑞鶴飛行調書(4)p.12
  116. ^ #翔鶴飛行調書(3)p.17、#瑞鶴飛行調書(4)p.12
  117. ^ #山川艦爆隊152頁、#隼鷹飛行調書(2)p.25
  118. ^ #機動部隊103頁
  119. ^ #空母雷撃隊252頁
  120. ^ a b c d ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦、193ページ
  121. ^ #山川艦爆隊145頁
  122. ^ #空母雷撃隊259頁
  123. ^ #11戦隊日誌(4)p.14
  124. ^ #山川艦爆隊148頁
  125. ^ #山川艦爆隊152頁
  126. ^ #愛宕奮戦記215頁
  127. ^ Ibid, p.73.
  128. ^ #愛宕日誌(4)p.42「敵空母艦影を左38度33kmに認む」
  129. ^ #愛宕日誌(4)p.4「2003:摩耶飛行機吊光投弾2を敵駆逐艦上に投下」
  130. ^ a b #愛宕奮戦記216頁
  131. ^ #戦藻録(九版)219頁、#聯合艦隊作戦室119頁
  132. ^ #愛宕奮戦記217頁、#戦藻録(九版)222頁
  133. ^ a b #機動部隊115-116頁
  134. ^ #戦藻録(九版)223頁
  135. ^ #機動部隊143頁
  136. ^ #聯合艦隊作戦室121頁
  137. ^ #機動部隊138頁
  138. ^ #機動部隊139頁
  139. ^ #機動部隊142頁
  140. ^ a b 牧島『炎の海』320頁
  141. ^ #戦藻録(九版)220頁、#8戦隊日誌(4)p.27、#11戦隊日誌(4)p.39
  142. ^ 「週報 第317号」p.5、「写真週報 246号」p.4、#大和 艦長195頁、#愛宕奮戦記222頁、#山川艦爆隊151頁、#高戸主計大尉56頁、牧島『炎の海』319頁(各著、戦果・損害数に1隻程度の誤差があるが概ね同じ)
  143. ^ #高戸主計大尉57頁
  144. ^ #愛宕奮戦記225頁
  145. ^ #聯合艦隊作戦室121頁
  146. ^ a b #11戦隊日誌(4)p.40
  147. ^ 別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』167頁
  148. ^ #吉田比叡186頁
  149. ^ 以上、データ出典は佐藤和正 著 「太平洋海戦2 激闘篇」に拠る。
  150. ^ #山川艦爆隊134頁
  151. ^ #機動部隊109-110頁
  152. ^ #続・海軍くろしお231-232頁、#橋本信号員246頁
  153. ^ #聯合艦隊作戦室119頁
  154. ^ 大高勇治『第七駆逐隊海戦記』(光人社NF文庫、2010年)249頁
  155. ^ #草鹿回想176頁
  156. ^ #吉田比叡180-181頁、#草鹿回想169頁
  157. ^ a b 別冊歴史読本『海軍機動部隊全史』158頁、#草鹿回想169頁
  158. ^ #吉田比叡180-181頁
  159. ^ #草鹿回想169頁
  160. ^ #吉田比叡182-183頁
  161. ^ #戦藻録(九版)218頁、#吉田比叡183頁
  162. ^ Richard B. frank, Guadalcanal: The Definitive Account of the Landmark Battle, p.400-401.
  163. ^ The Office of Navy Intelligence, p.67.

[編集] 参考文献

[編集] 主要参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)
    • Ref.A06031047900「週報 第317号」(1942年11月4日号)「南太平洋海戦の戦果」
    • Ref.A06031084100「写真週報 246号」(1942年11月11日号)「反攻の敵艦隊撃滅」
    • Ref.A06031084300「写真週報 248号」(1942年11月25日号)「壮絶南太平洋海戦」
    • Ref.C08030051700 『昭和17年7月14日~昭和17年11月30日 第11戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030041700 『昭和17年9月11日~昭和18年11月30日 第3戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030749500 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030749600 『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 軍艦筑摩戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030048500 『昭和17年1月12日~昭和19年1月1日 大東亜戦争戦闘詳報戦時日誌 第8戦隊(4)』。
    • Ref.C08030745600 『昭和17年3月~ 軍艦愛宕戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030744500 『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030744600 『昭和16年12月1日~昭和17年11月30日 軍艦愛宕戦時日誌(4)』。
    • Ref.C08051577300 『昭和16年12月~昭和18年11月 翔鶴飛行機隊戦闘行動調書(3)』。
    • Ref.C08051577900 『昭和16年12月~昭和18年4月 瑞鶴飛行機隊戦闘行動調書(4)』。
    • Ref.C08051583500 『昭和17年6月~昭和18年1月 隼鷹飛行機隊戦闘行動調査(2)』。
    • Ref.C08051580500 『昭和17年4月~昭和17年12月 瑞鳳飛行機隊戦闘行動調書(2)』。

[編集] 参考文献

  • 宇垣纏著・成瀬恭発行人 『戦藻録』 原書房、1968年。
  • 草鹿龍之介 『連合艦隊参謀長の回想』 光和堂、1979年。ISBN 4-87538-039-9
  • 福地周夫 『続・海軍くろしお物語』 光人社、1982年。ISBN 4-7698-0179-3 福地は翔鶴運用長として本海戦に参加。
  • 橋本衛 『奇蹟の海から 特型駆逐艦水兵物語』 光人社、1984年3月。ISBN 4-7698-0230-7 橋本は「雷」主砲発令所配置。
  • 福地周夫 『海軍美談よもやま物語』 光人社、1985年。ISBN 4-4698-0287-0
  • 吉田俊雄 『戦艦比叡』 朝日ソノラマ、1985年。ISBN 4-257-17051-4
    吉田は軍令部参謀。本海戦における陸軍と海軍の連携問題について言及。
  • 山川新作 『空母艦爆隊 艦爆搭乗員死闘の記録今日の話題社、1985年。ISBN 4-87565-118-x
    山川は「隼鷹」九九艦爆操縦者。真珠湾攻撃時「加賀」所属のベテラン。
  • イヴァン・ミュージカント著・中村定訳 『戦艦ワシントン 米主力戦艦から見た太平洋戦争』 光人社、1988年。
  • 松田憲雄 『忘れ得ぬ「ト連送」 雷撃機電信員50年目の遺稿』 光人社、1993年10月。ISBN 4-7698-0663-9
    松田は九七式艦攻電信員。「赤城」沈没後「翔鶴」配属。翔鶴第一次攻撃隊として本海戦に参加。
  • 安永弘『死闘の水偵隊』(朝日ソノラマ 1994)著者は「妙高」偵察操縦者。本海戦でも索敵任務にあたった。
    • 安永弘『サムライ索敵機 敵空母見ゆ! 予科練パイロット3300時間の死闘』(光人社、2002)朝日ソノラマ文庫の改訂版。
  • 生出寿 『戦艦「大和」最後の艦長 海上修羅の指揮官』 光人社NF文庫、1996年。
    有賀幸作(第四駆逐隊司令官)から見た南太平洋海戦を描写。
  • 中島親孝 『聯合艦隊作戦室から見た太平洋戦争 参謀が描く聯合艦隊興亡記』 光人社NF文庫、1997年10月。ISBN 4-7698-2175-1 中島は第三艦隊通信参謀として「翔鶴」に乗艦していた。
  • 別冊歴史読本『第22(517)号 海軍機動部隊全史』(新人物往来社、1999年) ISBN 4-404-02722-2
  • 高戸顕隆 『海軍主計大尉の太平洋戦争 私記ソロモン海戦・大本営海軍報道部』 光人社NF文庫、1999年。ISBN 4-7698-2227-8
    高戸は駆逐艦「照月」主計長。南太平洋海戦を「照月」艦橋で体験。
  • 牧島貞一『炎の海 報道カメラマン空母と共に』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4-7698-2328-2
    牧島は日映カメラマン。空母「翔鶴」に乗艦し、本海戦に参加する。
  • 橋本廣 『機動部隊の栄光 艦隊司令部信号員の太平洋海戦記』 光人社、2001年。ISBN 4-7698-1028-8
    橋本は司令部信号兵。南雲司令部の一員として「翔鶴」艦橋勤務。
  • 金沢秀利 『空母雷撃隊 艦攻搭乗員の太平洋海空戦記』 光人社、2002年。ISBN 4-7698-1055-5
    金沢は元「飛龍」所属で、沈没後「飛鷹」艦攻搭乗員。本海戦では「隼鷹」第二次攻撃隊として出撃した。
  • 豊田穣 『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』 光人社NF文庫新装版、2004年。ISBN 978-4-7698-2027-7
  • エドワード・P・スタッフォード 著・井原裕司 訳 『空母エンタープライズ THE BIG E 上巻』 元就出版社、2007年。ISBN 978-4-86106-157-8
  • 小板橋孝策 『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』 光人社NF文庫、2008年。ISBN 978-4-7698-2560-9
    高橋武士(艦長伝令、艦橋勤務)の戦時日記を元に小板橋が編集。小板橋は「愛宕」沈没時の航海士。
  • 大塚好古、「ガダルカナル島争奪を巡る日米空母決戦」『歴史群像太平洋戦史シリーズ59 ソロモンの激闘 ガダルカナル島争奪を巡る日米機動部隊総力戦の全貌』、学習研究社、2007年、ISBN 978-4-05-604823-0
  • 淵田美津雄奥宮正武 『機動部隊』 学研M文庫、2008年。ISBN 978-4-05-901222-1

[編集] 関連項目

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