不知火 (陽炎型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Shiranuhi.jpg
艦歴
計画 マル3計画
起工 1937年8月30日
進水 1938年6月28日
就役 1939年12月20日
その後 1944年10月27日戦没
除籍 1944年12月10日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5メートル
全幅 10.8メートル
吃水 3.8メートル 
主缶 ロ号艦本式缶3基
52,000馬力
主機 艦本式衝動タービン2基2軸
最大速 35.5ノット
航続距離 5,000/18ノット
兵員 239人
兵装
(竣工時)
50口径12.7cm連装砲×3
25mm連装機関砲(機銃)×2
61cm魚雷発射管4連装×2
対潜水艦用爆雷16個 他

不知火(しらぬい、しらぬひ)は、日本海軍駆逐艦陽炎型の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦「不知火」に続いて2隻目。

艦歴[編集]

浦賀船渠1937年8月に起工、1939年12月に竣工し同時に第18駆逐隊に編入され、11月15日、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。

太平洋戦争開戦時には、同型艦「陽炎」、朝潮型」「」と共に第18駆逐隊に属し、機動部隊の警戒隊として行動した。1941年11月26日、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として単冠湾を出港、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。

1942年1月8日、柱島泊地を出港し機動部隊とラバウル攻撃に従事、以後、2月には第2航空戦隊ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、4月のセイロン沖海戦に参加し、4月23日、呉に入港し入渠修理を行った。5月にサイパンに進出、6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加した。6月28日、横須賀から水上機母艦「千代田」、「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカに向かった。7月5日、キスカ島沖で濃霧のため仮泊中に、米潜水艦「グロウラー」(USS Growler, SS-215)の雷撃を受け艦橋付近が切断し、9月3日から翌年11月15日まで舞鶴工廠で修理を実施した。8月15日、第18駆逐隊は解隊した。

1944年1月、ウェワク輸送に従事、3月に呉工廠で探信儀装備工事を実施し、4月、北方部隊に編入され大湊、千島方面の護衛活動を行った。6月に25ミリ機銃を増設し、6月末まで再び北千島方面で北方作戦に従事し、さらに硫黄島輸送、8月12日、「木曾」「多摩」「霞」と共に父島への輸送に当たった。10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属しスリガオ海峡に突入したが、コロン湾に帰投した。27日、レイテ沖海戦で損傷した「鬼怒」の救助に向かったが発見できず、帰途に米空母艦載機の攻撃によりフィリピン諸島シブヤン海にて沈没、荒艦長以下全員が戦死し、12月10日に除籍された。

歴代艦長[編集]

艦長[編集]

  1. 中村謙治 中佐:1939年12月20日 -
  2. 赤沢次寿雄 中佐:1940年10月15日 -
  3. 安並正俊 中佐:1943年10月5日 -
  4. 荒悌三郎 少佐:1943年11月1日 - 1944年10月27日戦死

進水記念絵葉書

参考資料[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。