コロンバンガラ島沖海戦

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コロンバンガラ島沖海戦
StLouisLeanderKolombangara.jpg
砲戦中のセントルイスとリアンダー
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日:1943年7月12日-13日
場所:ソロモン諸島、コロンバンガラ島北東沖
結果:日本の勝利。輸送作戦も成功
交戦勢力
日本の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指揮官
伊崎俊二少将 ヴォールデン・L・エインスワース少将
戦力
軽巡洋艦1
駆逐艦5
軽巡洋艦3
駆逐艦10
損害
軽巡洋艦1沈没 駆逐艦1沈没
軽巡洋艦3大破
駆逐艦2大破
ソロモン諸島の戦い

コロンバンガラ島沖海戦(コロンバンガラとうおきかいせん)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中の1943年7月12日ソロモン諸島コロンバンガラ島沖で発生した海戦日本海軍のコロンバンガラ島への輸送部隊とアメリカ海軍が交戦し、日本軍は軽巡洋艦1隻が沈没、アメリカ軍は駆逐艦1隻が沈没し、軽巡洋艦3隻が大破した。アメリカ軍側の呼称はコロンバンガラ海戦(Battle of Kolombangara)。なお、ここではコロンバンガラ島沖海戦前の7月9日に行われた輸送作戦、および海戦後の7月19日から20日にかけて行われた第七戦隊などの出撃と輸送作戦についても合わせて述べる。

背景[編集]

1943年6月30日にアメリカ軍はレンドバ島に上陸し、7月5日にはニュージョージア島へ上陸した。この状況で7月4日と7月5日に日本軍によるコロンバンガラ島への増援部隊の輸送が行われ、7月4日の輸送はヴォールデン・L・エインスワース少将率いる第36.1任務群と遭遇したため果たせず、7月5日の輸送では途中で再度第36.1任務群と遭遇してクラ湾夜戦が発生し、任務は果たしたものの物件全量の揚陸はならなかった[1]。また、駆逐艦新月」がクラ湾夜戦で沈没して秋山輝男少将以下第三水雷戦隊司令部も全滅したため、その後任司令官(増援部隊指揮官兼任)として7月7日付で伊集院松治大佐が発令されて7月10日に着任するが[1]、伊集院大佐の到着までの間、重巡洋艦鳥海」艦長有賀幸作大佐が臨時の増援部隊指揮官となった[2]。さらに、連合艦隊司令長官古賀峯一大将は第二水雷戦隊伊崎俊二少将)と、その旗艦神通」と駆逐艦「清波」、および第七戦隊(西村祥治少将)をラバウル方面に進出させて南東方面部隊に編入させ、それぞれに出撃準備を命じた[3]

ムンダ方面の戦闘は依然として厳しい状況であり、アメリカ軍の横腹を突くため陸軍はニュージョージア島へ一部の兵力を移すこととなった[4]。その兵力としてコロンバンガラ島に駐屯していた第十三連隊を転用する事とし[4]、転用に伴う後詰め兵力の輸送は7月9日夜に実施される事となった。同時に水上戦闘が生起することを想定して巡洋艦も引き連れる事とした。

1943年7月9日の輸送作戦参加艦艇[編集]

輸送隊は陸兵1,200名、物件85トンを搭載[2]

作戦経過とその後[編集]

7月9日17時、主隊と警戒隊、輸送隊はブインを出撃し、ベラ湾北方で輸送隊はビラに向かう[2]。なんら妨害を受けることなく輸送任務は成功[2]。主隊と警戒隊はニュージョージア島のアメリカ軍に対して艦砲射撃を行った後、敵艦隊を捜索するが会敵せず、7月10日に三隊ともブインに帰投した[2]

輸送作戦の効果は「味方の航空支援などもあって効果てきめんであり、明るい材料が多い」と判断された[4]。しかし、第十三連隊をニュージョージア島に移したという事は、その分コロンバンガラ島の兵力が減少したという事につながる。第八方面軍今村均中将)は更なる後詰め兵力として歩兵第四十五連隊中から第二大隊と砲兵一個中隊合計1,200名と物件約100トン[5]を送り込む事とし、その輸送作戦の指揮はラバウルに進出したばかりの伊崎少将に委ねられる事となった[2]

一方、クラ湾夜戦で軽巡洋艦「へレナ」 (USS Helena, CL-50) を失った第36.1任務群は、その代役として輸送船団の護衛任務についていたニュージーランド海軍の軽巡洋艦「リアンダー」 (HMNZS Leander) を引き抜いて巡洋艦群の二番艦とした[6]。また、駆逐艦も倍以上に増加させ、前衛と後衛の兵力を増強した。

参加艦艇[編集]

日本海軍[編集]

  • 第二水雷戦隊部隊(二水戦部隊[7]/警戒隊[8][9]
軽巡洋艦:「神通」
駆逐艦:「清波」、「雪風」、「浜風」、「夕暮」、「三日月」
駆逐艦:「皐月」、「水無月」、「夕凪」、「松風」

輸送隊は陸兵1,100名、物件約100トンを搭載[10]

アメリカ海軍[編集]

  • 第36.1任務群[11]
前衛:駆逐艦「ニコラス」、「オバノン」、「テイラー」、「ラドフォード」、「ジェンキンス
主隊:軽巡洋艦「ホノルル」(任務群旗艦)、リアンダー、「セントルイス
後衛:駆逐艦「ラルフ・タルボット」、「ブキャナン」、「グウィン」、「モーリー」、「ウッドワース

戦闘経過[編集]

7月12日3時30分、二水戦部隊はラバウルを出撃してブカ島北方を経由し、クラ湾に接近する[7][12]。輸送隊は18時40分にブインを出撃した[2]。これら日本艦隊の動きは沿岸監視員によって察知されており、リレー形式でアメリカ軍に通報された[13]。これを受け、南太平洋部隊(第3艦隊[14])司令官ウィリアム・ハルゼー大将は第36.1任務群に「東京急行」の阻止を命じる[13]

二水戦部隊の陣形は単縦陣で、「三日月」を先頭に立てて「神通」、「雪風」、「浜風」、「清波」、「夕暮」だった[11][15]。22時44分、第九三八航空隊の水上偵察機が4隻の敵艦が針路290度、速力20ノットで進んでいるのを発見し、「神通」に通報する[16]。「神通」は22時57分に先の通報を受信し、また「雪風」も装備したばかりの逆探で第36.1任務群と思しき艦船からレーダー波が発せられているのを探知した[16][17]。2分後、「ホノルル」のレーダーは二水戦部隊を探知し、23時3分には「ニコラス」が二水戦部隊を発見した[16]。エインスワース少将は当夜の戦法について、前回のクラ湾夜戦では「軽巡洋艦にレーダー射撃によって先制攻撃を行い、魚雷回避のため軽巡洋艦を退避させた後、駆逐艦に突撃させる」という戦法を採用していたが[18]、今回は駆逐艦の突撃と軽巡洋艦のレーダー射撃を入れ替え、前衛の駆逐艦による雷撃の後に軽巡洋艦がレーダー射撃を行い、一斉回頭を行ってから後衛の駆逐艦に突撃させるという戦法を採用した[19]。他にも夜間偵察機を引きつれており、着弾観測を兼ねさせていた[19]。第36.1任務群のネックは「リアンダー」の最大速力が28ノットしか出なかった事であり、エインスワース少将は部隊の統一速力を28ノットに定めた[20]

第一合戦[編集]

23時8分、「神通」は旗艦として後続の駆逐艦の雷撃照準を助けるべく先頭に立ち、サーチライトによる照射射撃を敢行した。その5分後、二水戦部隊は「神通」が照射した目標に対して砲撃および雷撃を行う。しかし、自艦の位置をさらけ出した「神通」は、第36.1任務群にとって絶好の目標だった。レーダー照準にて砲撃を集中させ、集中砲火を一身に受けた「神通」は大破炎上し、伊崎少将以下第二水雷戦隊の幕僚も戦死、舵故障のため列外に飛び出る形となった[16]。それでも、「神通」は魚雷7本を発射した[21]。その後、23時22分には缶室に多数の命中弾があり、二番煙突後方に魚雷が命中して航行不能となる[21]。さらに23時48分、再度の魚雷命中により「神通」は大爆発を起こして船体が真っ二つになり、後部はすぐに沈没するも残った前部の1番砲塔は2時間以上も激しい砲撃を続けた[16][21]。「神通」の戦死者は482名を数え、わずかな生存者は2名がアメリカ海軍の高速輸送艦に救助されたとも[22]、21名が「伊185」に救助されたとも[23]言われている。「神通」は後に、戦史研究家サミュエル・E・モリソンから「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と賞賛された[22]。第36.1任務群の巡洋艦群は「神通」撃沈のために、「ホノルル」が1,110発、「リアンダー」が160発、「セントルイス」が1,360発の6インチ砲弾を消費した[21]

「神通」への砲撃集中は、他の駆逐艦への砲弾の洗礼がほぼなかったことを意味し[24]、唯一の被害は「雪風」の後甲板に巡洋艦群からの不発主砲弾が命中しただけだった[25]。「雪風」の水雷科下士官によれば「水柱で出来たサボテンの林」の中を突進しているような状態で、探照灯をつけて集中砲撃を受ける「神通」が観測窓から見えたという[26]。「浜風」、「清波」、「夕暮」は距離6,000メートルで、「雪風」は距離4,800メートルで右魚雷戦、魚雷を発射する[16][24]。魚雷31本を発射(雪風は故障で7本)後[25]、二水戦部隊は北方および西方に針路をとって魚雷の次発装填に取り掛かる。しかし、「三日月」のみはそのまま戦場から離脱していった[24]。発射から約8分後の23時22分、「リアンダー」の右舷に魚雷1本が命中する[24]。閃光防止火薬の黒煙に包まれて立ち往生した刹那、もう1本の魚雷が左舷側ボイラー室に命中するも、これは不発であった[24]。それでも「リアンダー」は浸水のため戦闘不能となり、前衛の駆逐艦から護衛役に回された「ラドフォード」と「ジェンキンス」に付き添われてツラギ島に下がっていった。「リアンダー」はツラギ島、オークランドボストンで修理を受けたが[24]、二度と戦場に戻る事はなかった。

第二合戦[編集]

23時36分、二水戦部隊は魚雷の次発装填を終えて戦場に戻ってきた[16][27]。第36.1任務群も、「リアンダー」、「ラドフォード」、「ジェンキンス」を分離して陣形を立て直し、北方への追跡を開始する[28]。しかし、第一合戦の間に前衛の駆逐艦「ニコラス」、「オバノン」、「テイラー」の所在が不明となっていた[28]。23時56分、「ホノルル」のレーダーは右前方に複数の目標を探知する[16]。ところが、エインスワース少将にとっては、この目標が前衛の駆逐艦なのか二水戦部隊なのか全く判断がつかなかった[28]。第36.1任務群が何も戦闘を起こさないうちに、二水戦部隊は23時57分に第36.1任務群を発見し、7月13日0時5分に二度目の魚雷発射と砲撃を行う[16]。二水戦部隊の砲撃により、ようやく敵味方の区別がついたエインスワース少将は、右に針路をとって砲撃を開始する[28]。その時、二水戦部隊からの魚雷が第36.1任務群を襲い、「セントルイス」の艦首に1本が命中して艦首下部をもぎ取り、「ホノルル」の艦首と艦尾にもそれぞれ1本ずつ命中。艦尾に命中した魚雷は不発だったが[16]、艦首に命中した魚雷は爆発して「ホノルル」の艦首は垂れ下がった。いまや第36.1任務群の陣形は乱れ、後衛にいた「グウィン」が「ホノルル」の前方に出現していた[28]。0時14分、「グウィン」に魚雷が命中して大破炎上[16][28]。さらに「ブキャナン」と「ウッドワース」が衝突事故を起こして損傷する[28]。0時30分、二水戦部隊は戦場を離脱[29]。これを見たエインスワース少将は追撃を命じるが、その命令に従ったのは「ラルフ・タルボット」だけだった[28]。二水戦部隊は5時15分、ブインに帰投した[29]。大破した「グウィン」は浸水が増大し、士官2名と乗員59名を道連れにして沈没していった[28]

輸送隊は海戦の間隙を縫って7月13日0時36分にコロンバンガラ島アリエル入江に到着し[16][8]、輸送物件全ての揚陸に成功の後、1時43分にコロンバンガラ島を離れる[8]。ブインへ帰投途中、「皐月」と「水無月」は「神通」の捜索に向かうが何も発見せず引き返した[8]輸送隊は11時40分にブインに帰投した[8]

損害[編集]

  • 日本海軍の損害
沈没:「神通」
小破:「雪風」[25]
伊崎少将以下、第二水雷戦隊司令部全滅
  • アメリカ海軍の損害
沈没:「グウィン」
大破:「ホノルル」、「セントルイス」、「リアンダー」、「ブキャナン」、「ウッドワース」

「雪風」はアメリカ巡洋艦3隻撃沈を主張したが、これは三つの火柱を確認した斉藤(雪風水雷長)が「酸素魚雷は1発で1隻を撃沈する」という先入観を持っていたからである[30]。外南洋部隊の判断は「乙巡(軽巡洋艦)一隻轟沈、一隻撃沈、二隻炎上(内一隻撃沈確実)」というものであった[29]大本営も外南洋部隊の判断をおおむね追認し『巡洋艦4隻以上と交戦、2隻撃沈、1隻炎上、味方巡洋艦1隻大破、この戦いをコロンバンガラ島沖海戦と呼称す』という大本営発表を行った[31]。日本海軍は司令部が全滅した第二水雷戦隊再建のため7月19日付で第四水雷戦隊(高間完少将)を解隊し、翌7月20日付で、その要員と兵力を転用し新しい第二水雷戦隊として再編成した[32]

海戦の後[編集]

第七戦隊などの出撃と輸送作戦[編集]

日本海軍は、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦の結果、ソロモン方面のアメリカ海軍の残存水上兵力は「巡洋艦3隻、駆逐艦6隻」程度と判断した[33]。また、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦で巡洋艦を伴ったアメリカ艦隊が出現した事を鑑み、南東方面部隊に増援させていた第七戦隊を活用して残存水上兵力を撃滅し、輸送作戦を安全に実施できるようにするという計画を立てた[33]。その前段階として、コロンバンガラ島への輸送物件を事前にブインに輸送することとなった。7月16日夕刻、輸送物件を載せた駆逐艦「初雪」と「望月」はラバウルを出港し、翌17日朝にブインに到着。ただちに「皐月」、「水無月」へ物件の移送作業を進めるも空襲を受け、「初雪」が沈没し「皐月」と「水無月」が小破する被害を受けた[34]。一方、第七戦隊は「鳥海」などとともに16日夜にラバウルを出撃していたものの、ブインへの空襲の報を受けて一旦退却[35]。7月18日夜、以下のような顔ぶれで輸送作戦を再開する事になった[36]

  • 主隊:重巡洋艦:「熊野」、「鈴谷」、「鳥海」
  • 第三水雷戦隊:軽巡洋艦「川内」:駆逐艦「雪風」、「浜風」、「清波」、「夕暮」
  • 輸送隊:駆逐艦「三日月」、「水無月」、「松風」

主隊および第三水雷戦隊は7月18日22時にラバウルを出撃し[37]、翌19日夕刻に輸送隊と合流[38]。主隊と第三水雷戦隊はクラ湾北方で敵艦隊を捜索するも遭遇せず反転し[39]、輸送隊は23時40分にコロンバンガラ島の泊地に到着して7月20日0時35分までに揚陸作業を終えた[40]。しかし、艦隊は姿を見せなかったものの、一連の第七戦隊など行動は「ブラックキャット」の異名を持つ夜間哨戒仕様のPBY「カタリナ」によって筒抜けとなっていた[41]。「ブラックキャット」機の報告によりガダルカナル島から夜間攻撃隊が出動し、引き揚げる第七戦隊と第三水雷戦隊を攻撃する[40]。陣形の関係上、先頭を航行していた「夕暮」が最初の攻撃でが轟沈し[40]、次いで「熊野」にも魚雷が命中して舵故障等の被害を与えた[42]。「清波」は「夕暮」の救援のため反転するも[43]、2時30分以降消息が途絶えた[44]。輸送隊の「水無月」と「松風」も至近弾で損傷した[45]。米軍の損害について、「雪風」は対空砲火で4機を撃墜したと主張している[46]。残存艦艇は17時30分にラバウルに帰投[47]。輸送作戦自体は成功したものの、昼夜分かたぬ航空攻撃を避けるため、これ以降コロンバンガラ島への輸送作戦に使用するルートをベラ湾ブラケット水道英語版経由に切り替える事を余儀なくされた[41]

ニミッツの評と危機[編集]

太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は後年、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦におけるエインスワース少将の戦いぶりについて、以下のように評した。

エーンスワース提督は、二回の海戦において、適当な夜間隊形で接敵した。単縦陣の巡洋艦部隊を中央に、その前後に、それぞれ駆逐艦を配備していた。二回とも、エーンスワースの巡洋艦は日本艦隊に近迫し、五分間ほど、急射撃を浴びせ、次いで日本の魚雷を回避するため針路を反転した。これは、理論としては適当であったが、実施の面では二つの欠陥があった。第一に、レーダー手が、効果的な射撃の配分を示す代わりに、一番大きな艦または最も近い目標だけを選んだので、連合軍部隊は双方の海戦で兵力の点でははるかに優勢であったにもかかわらず、各回ともわずかに一隻 ―最初は駆逐艦、二回目は軽巡洋艦― を撃沈したにすぎなかった。第二に、エーンスワースが自分の肉眼で容易に目標を視認できるほど、日本艦隊に近寄りすぎ、しかも射撃開始の時機を失したため、日本軍は慎重に狙いを定め、魚雷を発射することができた。日本の魚雷は彼が針路を反転しているときに列線に到達した。したがって、各海戦において、彼の巡洋艦には転舵中に魚雷が命中し、米軽巡「ヘレナ」は最初の夜戦で、ニュージーランド巡洋艦「リアンダー」は二回目の夜戦で、ともに行動不能になったのである。

C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』170、171ページ

またニミッツ元帥は、エインスワース少将が日本の駆逐艦に魚雷次発装填装置があることを知らず、無警戒だった点を指摘している[48]。巡洋艦を中央に置き、前後に駆逐艦を配置する陣形は1942年10月11日のサボ島沖海戦以来常用していたものである[49]。しかし、大乱戦となった1942年11月13日の第三次ソロモン海戦(巡洋艦の夜戦)はさておいて、コロンバンガラ島沖海戦で「神通」への止めを刺すための突撃をするまで、駆逐艦は海戦においてあまり活躍していなかった[48]。この点を踏まえ、ニミッツ元帥は評を以下のように締めくくっている。

要するに、アメリカ側は、この海戦において、戦術の面では、前年にくらべて大きな進歩を示したが、戦闘能力と敵戦闘力に対する認識の点では、依然として欠けるところがあった。

C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』171ページ

いずれにせよ、第36.1任務群は中枢の巡洋艦が沈むか損傷などにより、事実上戦力外となった。ソロモン方面のもう一つの有力なアメリカ海軍の水上部隊である第36.9任務群(アーロン・S・メリル少将)[50]は、7月12日未明にムンダを砲撃し[51]、7月15日に「ザ・スロット」と呼ばれたニュージョージア海峡を行動しているものの[52]日本艦隊と会敵する事はなく、ツラギ島を経て7月の中旬から下旬にかけてはエスピリトゥサント近海で行動していた[50]

前述のとおり、7月20日の戦闘以降、日本艦隊はコロンバンガラ島への輸送の際はブラケット水道を経由することとなった。アメリカ海軍はこの海域に魚雷艇を配備して妨害行動に出たものの、大発1隻を撃沈したのみで駆逐艦の「東京急行」には通用せず、効果がある妨害とはならなかった[41]。第36.1任務群の兵力減少と第36.9任務群の遠方での行動は、アメリカ軍による当面の妨害手段は魚雷艇と駆逐艦、航空機のみとなっていた[41]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『戦史叢書96』230ページ
  2. ^ a b c d e f g h i j 『戦史叢書96』245ページ
  3. ^ 『戦史叢書96』235ページ
  4. ^ a b c 『戦史叢書96』236ページ
  5. ^ 『外南洋部隊戦闘詳報』C08030023200, pp.33
  6. ^ 木俣, 333ページ
  7. ^ a b c 『外南洋部隊戦闘詳報』C08030023200, pp.31
  8. ^ a b c d e 『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030105800, pp.16
  9. ^ #雪風ハ沈マズ新装246頁
  10. ^ 『外南洋部隊戦闘詳報』C08030023200, pp.33
  11. ^ a b 木俣, 334ページ
  12. ^ #雪風ハ沈マズ新装246-247頁
  13. ^ a b 木俣, 332ページ
  14. ^ ポッター, 368ページ
  15. ^ #一海軍士官140頁
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 『戦史叢書96』247ページ
  17. ^ #雪風ハ沈マズ新装247頁
  18. ^ 佐藤, 80ページ
  19. ^ a b 木俣, 333ページ
  20. ^ 木俣, 333、334ページ
  21. ^ a b c d 木俣, 335ページ
  22. ^ a b 木俣, 338ページ
  23. ^ 坂本, 145ページ
  24. ^ a b c d e f 木俣, 336ページ
  25. ^ a b c #一海軍士官141頁
  26. ^ #雪風ハ沈マズ新装251-253頁
  27. ^ #雪風ハ沈マズ新装256頁
  28. ^ a b c d e f g h i 木俣, 337ページ
  29. ^ a b c 『外南洋部隊戦闘詳報』C08030023200, pp.32
  30. ^ #一海軍士官142頁
  31. ^ #雪風ハ沈マズ新装259頁
  32. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101000, pp.24
  33. ^ a b 『戦史叢書96』240ページ
  34. ^ 『戦史叢書96』248ページ
  35. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.23
  36. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.21,22
  37. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.24
  38. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.26
  39. ^ #雪風ハ沈マズ新装263頁、『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.27,29
  40. ^ a b c 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.30
  41. ^ a b c d ニミッツ、ポッター, 172ページ
  42. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.32
  43. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.31
  44. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.33
  45. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.36
  46. ^ #雪風ハ沈マズ新装265頁
  47. ^ 『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』C08030047800, pp.34
  48. ^ a b ニミッツ、ポッター, 171ページ
  49. ^ ニミッツ、ポッター, 127、135、142ページ
  50. ^ a b USS DENVER (CL 58) Deck Log and War Diary July 1943” (英語). Naval History Information Center. 2011年7月20日閲覧。
  51. ^ フェーイー, 53ページ
  52. ^ フェーイー, 55ページ

参考文献[編集]

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『自昭和十八年七月二十日至昭和十八年七月三十一日 第三水雷戦隊戦時日誌』第二水雷戦隊司令部、C08030101000(『第二水雷戦隊戦時日誌』)
『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 第七戦隊戦時日誌』第七戦隊司令部、C08030047800(『第七戦隊戦時日誌』)
『RX方面邀撃作戦ニ於ケル外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報第一号』第七戦隊司令部、C08030047800(『外南洋部隊夜戦部隊戦斗詳報』)
  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3)ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年
  • 坂本金美『日本潜水艦戦史』図書出版社、1979年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1992年、ISBN 4-7704-0757-2
  • ジェームズ・J・フェーイー/三方洋子(訳)『太平洋戦争アメリカ水兵日記』NTT出版、1994年、ISBN 4-87188-337-X
  • 佐藤和正「ソロモン作戦II」『写真・太平洋戦争(第6巻)』光人社NF文庫、1995年、ISBN 4-7698-2082-8
  • 斉藤一好 『一海軍士官の太平洋戦争 

等身大で語る戦争の真実』 高文研、2001年ISBN 4-87498-272-7
斉藤は「雪風」水雷長として本海戦に参加。

強運駆逐艦栄光の生涯』 光人社NF文庫新装版、2004年ISBN 978-4-7698-2027-7

関連項目[編集]

外部リンク[編集]