アンガウルの戦い

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アンガウルの戦い
Bombardment of Anguar.jpg
爆撃と艦砲射撃を受けたアンガウル
戦争太平洋戦争 / 大東亜戦争
年月日1944年9月17日 - 10月19日
場所パラオ諸島 アンガウル島
結果:アメリカ合衆国の勝利
交戦勢力
日本の旗 日本 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指揮官
後藤丑雄少佐 ポール・ミュラー少将
戦力
歩兵第59連隊第1大隊
1,250
第81歩兵師団
21,000
損害
戦死 1,191
捕虜 59
戦死 260
負傷 2,294
マリアナ・パラオ諸島の戦い
日本軍の陣地と米軍の侵攻図

アンガウルの戦い(アンガウルのたたかい、: Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。

当時パラオ防衛は第14師団(照兵団、宇都宮)が担当しており、アンガウル島防衛に当たっていたのは第14師団配下の宇都宮歩兵第59連隊であった。第14師団はペリリュー島守備のため1個連隊(水戸歩兵第2連隊高崎歩兵第15連隊第3大隊)を割いており、パラオ本島の防衛も行わなければならなかった。そのため、1944年7月20日の照作戦命令甲第124号により、歩兵第59連隊はアンガウル島防衛に第1大隊を残しパラオ本島に引き上げる。米軍のパラオ侵攻が明白になると、日本側は現地住民をアンガウル島外へ脱出させようと企図したが間に合わず約200名が取り残され、9月15日ペリリュー島に米軍が上陸した(ペリリューの戦い)2日後に、アンガウル島へも米軍が上陸して戦闘に巻き込まれることとなった。 米軍のアンガウル島侵攻の目的は、爆撃機のための飛行場の建設であった。

戦力比較[編集]

日本軍[編集]

  • アンガウル地区隊長
  • 歩兵第59連隊 第1大隊:後藤丑雄少佐
    • 陸軍
      • 歩兵第59連隊第1大隊本部
        • 副官:鈴木恒中尉・鈴木安彦中尉・江口繁人中尉・宇佐美敏男中尉
        • 軍医:加藤武雄大尉・小林謙大尉
        • 主計:鴨志田芳松中尉
      • 第1中隊:石原正良中尉
        • 小隊長:伊澤健少尉・亀田隈太郎少尉・沼尾才次郎少尉・大沢龍雄少尉
      • 第2中隊:佐藤光吉中尉
        • 小隊長:大木久少尉・佐藤善太郎少尉・宮下義雄少尉・岡部守夫少尉・館野直吉准尉
      • 第3中隊:島 武中尉
        • 小隊長:矢野照美少尉・若井信夫少尉・伊矢野邦三少尉・浅田豊男少尉
      • 第1歩兵砲中隊:日野清一中尉
        • 小隊長:中嶋正巳中尉・小林米少尉
      • 砲兵第2中隊:芝崎省三郎中尉
      • 高射機関砲隊:柏原源吾少尉・高橋実少尉
      • 工兵第1小隊:星野善次郎少尉
      • 通信小隊:山根宗一少尉
      • 補給小隊:立原安雄少尉
      • 衛生小隊:野沢二一少尉
      • 第14師団野戦病院:斎藤健太郎中尉
      • 第14経理勤務部:岡田博吉中尉
      • 第3船舶輸送司令部パラオ支部
    • 海軍
      • 第45警備隊アンガウル電探所
        • 所長:石倉芳太郎兵曹長

米軍[編集]

戦闘経過[編集]

1944年9月11日、米軍は侵攻前に空母ワスプ発艦のドーントレスによる予備爆撃及び戦艦テネシーによる艦砲射撃を行った。この砲爆撃によって同島の通信施設は破壊され、パラオの他の部隊と連絡をとることが出来ない状態に陥った。以後玉砕まで、第1大隊は司令部からの命令を受信できない状況下で戦闘を行うこととなる。その6日後の9月17日に米陸軍第81歩兵師団が島の北東及び南西の海岸に上陸した。敷設された地雷による被害や日本軍による水際作戦によって米軍は上陸当初ある程度の被害を受けたが、パラオ本島との間でアンガウル島から一番近いペリリュー島第1海兵師団 (アメリカ軍)が上陸してペリリューの戦いが行われていたことから、アンガウル島の日本軍守備隊はパラオの他の島から援軍や補給を得ることはできず、15倍以上の圧倒的な兵力差があったため、米側は9月25日には目標としていた丘を占領、9月30日には島を全面占領することに成功した。アンガウル島守備隊は島東部の洞窟壕に籠り抵抗を続けたが、10月19日に最後の斬り込みを行い玉砕。第1大隊長後藤丑雄少佐以下守備隊員の大半は戦死し、島は焦土と化した。陸軍首脳部はアンガウル守備隊の功績を特筆すべきと考え、10月28日にはアンガウル守備隊に昭和天皇の御嘉賞の言葉がだされた。

その後のアンガウル島[編集]

アンガウル島には占領以後飛行場が築かれ、1944年10月に第494爆撃隊(B-24編成)が到着して以降は、コレヒドール島を含むフィリピンに83回に渡って空襲を行った。また、パラオ諸島のコロールヤップトルークにも数度爆撃を行っている。同爆撃隊は1945年5月までアンガウル島から出撃した。

アンガウル島は米国航空隊が西方に移動する際に、戦闘地域の中では比較的危険の少ない場所であったことから、しばしば空輸航路として利用されることもあった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

マリアナ・パラオ諸島の戦い
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