何応欽
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何 応欽(か おうきん)は中華民国の軍人。字は敬之。
[編集] 経歴
貴州陸軍小学・武昌陸軍中学を卒業した後、1908年、日本に留学。日本語を学んだ後、日本陸軍の士官候補生として隊付勤務を行う。1909年、中国同盟会に加盟。1914年12月に陸軍士官学校に中国学生隊第11期として入校。同期に朱紹良・賀耀組がいた。1916年5月、陸士(第28期に相当)を卒業[1]して帰国し、貴州第一師歩兵第四団団長・貴州陸軍混成旅旅長などを歴任した。
1924年、孫文の広東軍政府に参加。軍校教練部主任・大本営軍事参謀。国民革命軍第一軍軍長に任命される。1926年、北伐参加。国民革命軍東路総指揮・参謀長など歴任。「蒋介石の片腕」と評される存在になる。1927年に南京国民政府が成立すると、第一路軍総指揮、翌年には総司令部参謀長となった。1933年に北平に赴任し、国民党軍事委員会北平分会会長に任ぜられ塘沽協定、1935年には梅津・何応欽協定を結ぶ。日中戦争時は、第四戦区司令長官・軍政部長・参謀総長等を務めた。
1945年の南京軍官学校における降伏文書調印式では中国陸軍総司令として中国側代表を務める。(日本側代表は支那派遣軍総司令官岡村寧次)。満州を除く中国内陸部で降伏した日本人兵士らの安全な輸送帰国を遂行し、日本から感謝された。
その後は国防部長・行政院院長を務めるが、1949年、国共内戦に敗れ蒋介石らとともに台湾へ脱出。渡台後は、総統府戦略顧問委員会主任委員・台湾紅十字総会会長・中日文経協会会長等を歴任した。
[編集] 著作
- (中日文化経済協会編)『何應欽将軍再度訪日講演集』1956年
- 『何上将抗戦期間軍事報告』文星書店、1962年
- 『世界革命と日本:中日関係講演集』時事通信社、1970年
- (青年思想研究会編)『中日関係と中共の陰謀:何応欽将軍講演集』行政通信社、1974年
[編集] 脚注
- ^ 参考文献『日本陸海軍総合事典』第2版、682-683頁。
[編集] 参考文献
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年
- 今井貞夫著 高橋久志監修『幻の日中和平工作 軍人今井武夫の生涯』 中央公論事業出版社 2007年
- 今井武夫著 高橋久志・今井貞夫監修『日中和平工作 回想と証言 1937-1947』 みすず書房 2009年
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
[編集] 外部リンク
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- 200万人邦人の帰還に尽力した何応欽の子孫らが交歓:信濃毎日新聞2009.10.3
http://www.shinmai.co.jp/news/20091003/KT091002SJI090016000022.htm