中ソ不可侵条約

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中ソ不可侵条約(ちゅうそふかしんじょうやく、英語: Treaty of non-aggression between the Republic of China and the Union of Soviet Socialist Republics)は日中戦争第二次上海事変により日中戦争が全面戦争として勃発した直後の1937年8月21日、中華民国ソビエト連邦の間で調印された不可侵条約である。

概要[編集]

同条約に従い、ソ連は中国国民政府に対して空軍支援を送り(Zet作戦)、これは日ソ中立条約が結ばれるまで続いた。条約はまた、中国とナチス・ドイツとの友好関係の悪化に寄与し、それはドイツによる満州国の正式承認と在華ドイツ軍事顧問団の終結で頂点に達した。

一方、条約締結と同時にソ連から中国国民政府に対する武器の供給も開始され、ソ連からは武器購入代金として2億5000万USドルが渡され、航空機千機、戦車大砲が売却された。ソ連政府はおよそ300人の軍事顧問団を中国に派遣した。

最初の顧問団長は中国語に通じ、後にスターリングラード戦英雄となったワシーリー・チュイコフ大将である。以後4年間、中国に入る重火器、大砲、航空機の供給はソ連からのみとなったほど、ソ連はライフルの生産しか行われていない中国にとっての最大の武器供給国であり続けた[1]

脚注[編集]

  1. ^ ユン・チアンジョン・ハリデイ共著『マオ 誰も知らなかった毛沢東(上)』土屋京子訳、講談社、2005年、344頁

関連事項[編集]

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