ワシーリー・チュイコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ワシーリー・イバノビッチ・チュイコフ
Василий Иванович Чуйков
1900年2月12日 - 1982年3月18日
Cujkov.jpg
生誕 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 トゥーラ県
ヴェニェフ郡 セレブリャヌイエ村
死没 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
軍歴 1917-1972
最終階級 元帥
テンプレートを表示

ワシーリー・イバノビッチ・チュイコフВасилий Иванович Чуйков1900年2月12日 - 1982年3月18日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄(2回)。スターリングラード攻防戦において、第62軍司令官として同市を死守したこと、さらにベルリンでナチスの降伏を受け入れたことで有名である。彼の接近戦での攻撃ノウハウは、後に、特殊部隊のバイブルとなっている。 農民出身で、叩き上げで赤軍の名将となった。

略歴[編集]

  • 1900年 - トゥーラ県ヴェニェフ郡セレブリャヌイエ村で生まれる。
  • 1917年 - クロンシュタットの赤衛隊の地雷教育部隊に入隊。
  • 1918年 - 軍事教官課程卒業。
  • 1919年4月 - 赤軍入隊。モスクワの左派エスエルの反乱鎮圧に参加。中隊長補佐官、連隊長補佐官、連隊長を歴任し、南部及び東部戦線で戦う。その後、ポーランド・ソビエト戦争に従軍。
  • 1919年 - 全連邦共産党ボリシェヴィキ党員となる。
  • 1925年 - フルンゼ名称軍事アカデミー卒業。
  • 1927年 - フルンゼ名称軍事アカデミー附属東洋学部卒業。
  • 1927年 - 駐中国軍事顧問
  • 1929年-1932年 - 独立赤旗極東軍参謀部の課長。
  • 1936年 - 機械化・自動車化軍事アカデミー附属学術課程を卒業。
  • 1936年 - 機械化旅団、狙撃軍団、ボブルイスク軍集団を指揮。ポーランド侵攻時には第4軍を指揮し冬戦争時は、第9軍を指揮。
  • 1940年12月-1942年3月 - 中国軍軍事顧問に任命され中国に滞在。
  • 1942年5月 - 第1予備軍(7月から第64軍)、後に作戦集団司令官。同年9月、第62軍司令官に任命され、スターリングラードを死守し、ソ連中に名が知られることとなった。
  • 1943年4月 - 第8親衛軍(第62軍より改称)司令官となり、ウクライナ、白ロシア、ヴィスワ・オーデル作戦、ベルリンの戦いに参加。
  • 1946年 - ソ連最高会議代議員に選出。終戦後は、ドイツに留まり、副総司令官補佐官、第一副総司令官を歴任。
  • 1949年 - 駐独ソビエト軍集団総司令官。
  • 1952年 - ソ連共産党中央委員会委員候補、1961年から委員に任命される。ヨシフ・スターリンの死後、格下のキエフ軍管区司令官に一時左遷。
  • 1960年-1964年 - 国防次官/地上軍総司令官。
  • 1961年-1972年 - ソ連民間防衛部長を兼任。
  • 1972年 - ソ連国防省監察総監。
  • 1982年 - 首都モスクワにて死去。後ヴォルゴグラードのママエフ・クルガン(スターリングラード攻防戦の激戦地)に埋葬される。

その他、8冊の著書がある。