クェゼリンの戦い
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| クェゼリン島の戦い | |
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第7師団の兵士が火炎放射器を使い日本兵を陣地からいぶり出そうとしている。ほかの兵士は小銃を構え日本兵が出てくる場合に備えている。 |
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| 戦争:太平洋戦争 / 大東亜戦争 | |
| 年月日:1944年1月30日から2月6日 | |
| 場所:クェゼリン島、マーシャル諸島 | |
| 結果:アメリカ軍の勝利 日本軍守備隊玉砕 |
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| 交戦勢力 | |
| 指揮官 | |
| 秋山門造海軍少将 | レイモンド・A・スプルーアンス海軍中将 |
| 戦力 | |
| 8,110 | 41,446 |
| 損害 | |
| 戦死 7,870 捕虜 105 |
戦死 372 戦傷 1,592 |
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クェゼリン島の戦い(くぇぜりんとうのたたかい)とは、1944年(昭和19年)1月30日に、日本軍の守るクェゼリン環礁へアメリカ軍が侵攻して行われた戦闘である。
目次 |
[編集] 背景
日本は第一次世界大戦の結果、クェゼリン環礁を含むマーシャル諸島の委任統治を行っていた。
前年の1943年にアッツ、タラワ、マキンを相次いで失った日本軍は、次の米軍の攻撃目標は東部マーシャル諸島かマロエラップ島、ウオッゼ島のどれかであると予想していた。そのため、これらの島々の防衛充実に力を傾けており、クェゼリン環礁の防御は疎かであった。
クェゼリン守備隊は、海軍所属の第6根拠地隊付属陸戦隊と第61警備隊、陸軍所属の海上機動第1旅団機動第2大隊で構成されていた。守備隊司令官秋山門造海軍少将は、タラワ戦の教訓から海岸の内側にトーチカや戦車壕を構築するよう命令したが、島の地盤は珊瑚礁のため地下陣地を構築できず、椰子の木で掩蔽壕を構築するのがやっとの状況であった。
一方米軍は、ニミッツ提督が日本側の予想を裏切り、防御の厚い島は無視して防御の薄いクェゼリン島のみを攻撃目標とするいわゆる「飛び石攻撃」作戦を立案し、スプルーアンス提督は艦隊泊地と飛行場の確保のためメジュロ環礁を占領することを条件にこれを承認した。
[編集] 戦闘
[編集] 事前攻撃
スプルーアンス提督指揮下の空母12隻と兵士8万を含む約300隻の艦隊は、1944年1月30日にクェゼリン島周辺に到着した。艦隊は制空権を確保するためマーシャル諸島各地への航空攻撃を行い、この結果、日本軍の航空部隊は壊滅した。翌31日から、米空母の艦載機と戦艦はマーシャル諸島の各島へ猛烈な砲爆撃を加えるとともに、エルオット島付近のエニマネック、エニブニ、エニビン、ミルの各小島と、同じくクェゼリン島の付近のエニブージ、エンニラビガン、ギー、ニンニの各小島を占領して砲兵隊を配備した。米軍はタラワの戦いを教訓に日本軍の陣地を完全に破壊するため徹甲弾を使用し、また、揚陸用のLVT水陸両用車に装甲と武装を取り付け水陸両用戦車とするなど装備を改善、増備していた。
2月1日には守備隊が置かれていなかったメジュロ環礁も占領し、ハリー・ヒル少将の指揮下に前進基地の構築に着手した。
[編集] ルオット島・ナムル島
2月2日より米軍はクエゼリン環礁の主要各島へ上陸を開始した。北端のルオット島(ロイ島)は砲爆撃によって司令官山田道行少将が戦死し、すべての陣地も破壊されていたため、米軍が上陸した時すでに抵抗を行える状況ではなく、残存部隊は海岸線で銃剣突撃を行って、短時間で玉砕した。
隣接するナムル島では、少数の日本兵が椰子の木の丸太に隠れて抵抗を試みたが、火炎放射器と爆薬で相次いで粉砕され、翌日までに全滅した。ルオット、ナムル両島は陸橋でつながっており、守備兵力は第61警備隊分遣隊400名しかおらず、ルオット島が陥落した時点で防衛は困難であった。
[編集] クェゼリン島
クェゼリン島では、2日の午前4時に戦艦4隻の援護射撃の下、輸送船20隻が接近し水陸両用兵員輸送車240両と水陸両用戦車74両を発進させた。米軍は上陸を支援するためB-24爆撃機で島を爆撃したほか、上陸部隊が海岸線にたどり着くまで制圧砲撃を行い、日本軍の反撃を許さずに海岸線に到達した。防御の薄い西海岸にチャールズ・コーレット陸軍少将率いる第7歩兵師団を上陸させ、夕方までに1万人以上の兵士を展開させた。
これを受けて秋山司令官は「各隊は、一兵となるまで陣地を固守し、増援部隊の来着まで本島を死守すべし」と命じた。前線視察に出たときに、米軍の砲弾を浴びて戦死した。深夜には、阿蘇太郎吉陸軍大佐が機動大隊と第61警備隊を率いて夜襲を決行し、一時は成功したものの砲撃に阻まれ多大な損害を出して後退した。
日本軍守備隊は多勢に無勢で、米軍の強力な砲爆撃と圧倒的な兵力を前に次々と陣地を失い、2月4日には海軍司令部首脳の全員が自決した。残存兵は阿蘇大佐に指揮され、翌5日に米軍に突撃して玉砕した。
[編集] 戦況への影響
アメリカ軍は、占領したメジュロ環礁を大規模な前進基地として整備した。完成したメジュロ泊地は、アメリカ艦隊にとって以後の作戦に欠かせない重要拠点となった。
[編集] 関連項目
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