山九

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山九株式会社
Sankyu Inc.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9065
福証 9065
本社所在地 104-0054
東京都中央区勝どき6-5-23
設立 1918年大正7年)10月
業種 陸運業
代表者 代表取締役社長 中村公一
資本金 286億19百万円
売上高 連結4,163億58百万円、単体3,372億22百万円
従業員数 連結26,377人 単体9,675人
決算期 3月
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社信託口(11.70%)、日本マスタートラスト信託銀行株式会社信託口(7.87%)、新日本製鐵株式会社(4.41%)、日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社信託口4G(4.16%)、株式会社みずほコーポレート銀行(3.06%)財団法人ニビキ育英会(3.00%)、日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社信託口4(1.87%)、明治安田生命保険相互会社(1.84%)、日本生命保険相互会社(1.64%)、東京海上日動火災保険株式会社(1.61%)、
主要子会社 株式会社サンキュウ・トランスポート(6社)
関係する人物 中村精七郎(創業者)
外部リンク http://www.sankyu.co.jp
特記事項:財務データは2009年3月期
  
山九本社ビル(東京都中央区)(2005年7月撮影)

山九株式会社(さんきゅう、英称:Sankyu Inc.)は、本店を福岡県北九州市門司区に、本社を東京都中央区に置く港運・陸運がメインの総合物流企業である。一般港湾運送事業、貨物自動車運送事業だけでなく、国際物流事業、倉庫事業、機工事業など幅広い物流サービスを提供している。新日本製鐵JFEホールディングス三菱重工業等が大荷主であり、梱包や在庫管理といったロジスティクス事業だけでなく、解体、据え付け、メンテナンスまでを手がけている点も特徴の一つである。東証1部・福岡上場。

目次

[編集] 略歴

[編集] 沿革

中村精七郎(なかむら せいしちろう、1872年 - 1948年)が創業した中村組傘下に、1918年10月に磯部組を買収して設立された山九運輸株式会社が起源である。

中村精七郎胸像(長崎県平戸市)

[編集] 創業当初

  • 創業当時の事業内容は、朝鮮半島満州山東省からの鉄鉱石石炭の陸揚げや無煙炭輸送などの輸送事業。
  • 八幡製鉄所や徳山海軍、光海軍、四日市海軍等の燃料所における構内作業。
  • その他、北九州での連絡渡船業や土木建設等多岐にわたっていた。

[編集] 大正~昭和戦前時代

  • 1942年に就任した二代目社長中村雄一(初代社長の長男)は、戦時統制経済の中、当時親会社であった中村汽船の事業縮小を徹底的に行った。

[編集] 昭和戦後時代

  • 戦後になると後の基幹事業である陸上トラック作業や港湾作業、重量物・大型貨物の輸送、産業機械の解体・梱包、据付、通関・通運等へ進出を行う。
  • ただし山九とは対照的に親会社の中村汽船は、ドッジラインの実施によるドッジ不況や1949年のキティ台風による(はしけ)32隻の大中破(横浜)により、さらなる事業縮小を余儀なくされる。

[編集] 昭和中期時代

  • 1959年に先代社長の急逝により就任した三代目社長中村健二(初代社長の次男)は、運輸と機工のバランス発展に力を入れる。
  • 石油コンビナートが建設されるようになると、それに伴う重量、大容量機器の据え付けや保全作業の拡大に注力する。既存の製鉄所作業の拡大にも尽力する。
  • またこのころ、それまで九州に置いていた本社機能を東京へ移管(1961年)する。

[編集] 昭和後期時代

  • 1973年に就任した四代目社長中村公三(初代社長の三男)は、海外事業(中国インドネシアタイベトナムブラジル等)の現地法人化の推進や一貫責任体制の確立を行っていく。
  • 1982年にはその後2006年まで続く引越事業を開始する。この引越事業の開始により、それまで法人向けサービスを主としていたゆえの低い知名度が、CM等の広告戦略により向上していくことになる。
  • 1986年、親会社である中村汽船がついに倒産する。その際の負債総額595億円を全額負担することになり、市場からもこれ以上の経営継続は不可能だと考えられていた。
  • 1986年に就任した五代目社長中村公一(先代中村公三の長男)は、再建計画の一貫として岡崎工業との合併を模索する一方で、中国や東南アジアに次々と現地法人を設立していく。

[編集] 平成時代

  • 中村汽船の負債が落ち着くまもなく、2001年3月期から財務諸表に記載が義務づけられた退職給付債務と年金資産等との差額が、それまで積み立てていた退職給付引当金ではあまりに少なかったため、さらに負債が拡大した(2000年3月期データで有利子負債が1,601億円までふくらんだ)。
  • このころの財務状況を反映してか、後述の倒産危険度ランキングにも選ばれている。
  • 近年は客先の好況や転換社債の発行などにより、有利子負債はピーク時の半分以下にまで減り、ようやく安定した。(2007年3月期データで753億円)

[編集] 社名の由来

中村汽船が、当時八幡や徳山といった九州地方と山陽地方を基盤として事業を行っていた磯部組を買収した際、それぞれの地方名の頭文字と感謝の気持ちとしての英発音「サンキュー」とを掛け合わせて、磯部組の社名を山九運輸株式会社とした事から由来する。

[編集] 新日鉄との関係

創業当時より新日鉄とは緊密な関係にあり、さながら新日鉄の物流部門の様相を呈している。副社長は新日鉄より受け入れるのが慣例となっており、また新日鉄構内に支店、または事業所等が設置されている事も多い。副社長に限らず多くの出向受け者が存在する。近年の安定株主対策により議決権割合は減ったものの、未だに大株主である。

ただし、実際には経営的影響力はほとんど無い。

[編集] 言い伝え

[編集] かじとり観音昭和霊験記

知多半島南部にある密蔵院(愛知県知多郡)には母体となった中村汽船の船の話が言い伝えられている。境内にはその言い伝えが記載された看板がある。その看板には、

野間の里は千石船の昔より船と共に栄えてきたが、これらの船の生命をお譲りしたのが当山の『舵取り観音様』であった。以下中略。第二次世界大戦末期、昭和19年7月18日。中村汽船所属の軍御用船第十雲海丸は、小笠原近海で米軍の爆撃を受けて沈没。吉田船長以下7名は、1週間分の食糧と水を用意し救命艇で脱出。日本本土までの1,000キロメートル、観音信者の船長始め乗組員は、果てしない洋上を「南無観音菩薩」と唱えながら必死で漕ぎ、実に30数日間漂流した。観音様のお加護があって、日本近海を北上している強い黒潮の流れを突破、狭い伊勢湾の入り口に見事に入り、野間の沖に流れ着いた。この7名は出来る限りの救助を受け、1名はまもなく死亡したものの、残り6名は無事生命をつなぎ止めることが出来た」

という記述がある。

[編集] 発砲事件について

過去に幾度か地元の暴力団と思われる反社会的組織から発砲事件を受けている。もっとも新しく発生した事件は2004年9月1日で、八幡支店(北九州市)正面玄関出入り口のガラス製ドアに銃弾が撃ち込まれた。

深夜だったこともあり負傷者は出なかったが、いまなおこの事件は未解決のままである。

同時期に市議会議長や福岡県議の自宅、ゼネコン営業所等に同様の事件が発生していると当時の京都新聞が報じている。

[編集] 従業員

  • 平均年齢は40.0歳(2009年3月31日現在)であり、バブル絶頂期前後の社員が圧倒的に多い。
  • 平均給料は603.0万(2009年3月31日現在)であり、決して高いものではない。

[編集] その他

  • 歴代の社長は、実質創業者の世襲により選任されており、そのため他の大企業に見られるような企業内の派閥や学閥がない。
  • 1992年に開催された福岡国際クロスカントリー鈴鹿8耐ロードレースにメインスポンサーとして参加している。
  • 2001年に発売された週刊ダイヤモンドの倒産危険度ランキング157位(上位900社:金融業界は対象外)に選ばれた。
  • 2006年10月~11月に放映されたTBS系ドラマ「セーラー服と機関銃」で、酒井健次が人質にされた倉庫に山九木更津物流センター(千葉県木更津市)がロケ地として使われた。
  • 2007年11月4日に開催された全日本大学駅伝の第3中継地点として、山九(株)名古屋支店海山道倉庫が使われた。

[編集] 関連項目

[編集] 業務提携

[編集] 同業他社

[編集] 大手取引先

[編集] 関連会社

[編集] 外部リンク