涼月 (駆逐艦)

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Japanese destroyer Suzutsuki November 1945.jpg
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1941年3月15日
進水 1942年3月4日
竣工 1942年12月29日
除籍 1945年11月20日
その後 船体は福岡県若松港の防波堤
要目(計画)
排水量 基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長 134.2m
全幅 11.6m
吃水 4.15m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力 33.0ノット
航続距離 18ノットで8,000海里
燃料 重油:1,080トン
乗員 263名(戦時増員時約450名)[1]
兵装
(1944年[2]
65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装4挺、単装据付座10基
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[2]
21号電探1基
13号電探1基
水測兵装 九三式探信儀1基
(九三式水中聴音機1基)[3]

涼月[4](すずつき)は、日本海軍駆逐艦秋月型駆逐艦の3番艦である。艦名は片桐大自の研究によれば「さわやかに澄みきった秋の月」[5]凉月という表記も見られる[6]が、公文書上「涼月」と命名されており「凉月」への改名や訂正の記録は存在しない。

特徴[編集]

1944年に魚雷により艦首を亡失した後、新造した艦首と艦橋を接合したが、この際に新造部分は原型の丸みを帯びた形状とは異なる直線的な形状となった。特に角ばったその艦橋は、就役した秋月型・冬月型・満月型で他に持つ艦がなく、未成に終わった清月以降の設計図によるものと考察されているが、晩年の涼月の外見上の大きな特徴となっている。

また増備時期が明らかでないが、狭義の秋月型で唯一、艦橋左右に機銃台を設け25mm機銃3連装を装備し、最大で25mm機銃3連装を7基装備したと考えられている。この位置への機銃台は冬月型・満月型で後日増備されたものである。

艦歴[編集]

1939年(昭和14年)度第四次海軍軍備充実計画(マル4計画)による乙型一等駆逐艦の第106号艦。1941年(昭和16年)3月15日に三菱重工業長崎造船所で起工。昭和17年1月20日、「涼月」と命名[4]。同日附で一等秋月型に類別される[7]1942年(昭和17年)3月4日に進水。同年12月29日に竣工。佐世保鎮守府[8]。同日附で警備駆逐艦[8]

昭和18年[編集]

竣工後、横須賀鎮守府部隊に編入。「涼月」及び姉妹艦「初月」は昭和18年1月15日付で第三艦隊小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)に編入され、第十戦隊(木村進少将・40期)第六十一駆逐隊に配属される[9]。第61駆逐隊は秋月型「秋月」「照月」の2隻で編成されていたが、「照月」は前年12月12日に第二水雷戦隊旗艦としてガダルカナル島輸送作戦従事中に沈没しており、「涼月」「初月」の編入にともない第61駆逐隊から除籍されている[9]。第61駆逐隊は秋月型3隻(秋月、涼月、初月)の3隻で編制されることになった(秋月は1月19日に米潜水艦の雷撃で大破)。

1月16日未明、「涼月」「初月」は潮岬沖で浮上していたアメリカ潜水艦ハダック (USS Haddock, SS-231) を発見するも逃げられた[10]。2月1日から15日までは呉海軍工廠において機銃増備などの工事を受ける[11]。3月22日、第二航空戦隊(角田覚治中将・海兵39期)の空母隼鷹」、「飛鷹」、重巡洋艦利根」、「筑摩」を護衛して瀬戸内海を出撃し[12]、3月27日にトラック諸島に到着[13]。この頃、ソロモン諸島ニューギニア方面への航空攻勢作戦である「い号作戦」の計画が進められており、パイロットはもちろんのこと、整備員など航空要員をラバウルに輸送する必要があった[14]。4月2日、「初月」とともにラバウルへの航空要員輸送のためトラックを出撃し、4月4日にラバウルに到着後直ちに出港、4月6日にトラックに帰投した[11]。4月中旬から5月中旬にかけては、トラックに出入りする艦船への護衛任務につく。5月17日には、戦死した連合艦隊司令長官山本五十六元帥(海兵32期)の遺骨を載せて日本に向かう戦艦武蔵」の護衛でトラックを出港し、5月22日に横須賀に到着[15]

7月9日、南海第四守備隊を乗せた「利根」、「筑摩」、水上機母艦日進」などを護衛して呉を出撃[16][15]。トラック着後、機動部隊第一部隊の指揮下に入る[17]。19日、第六十一駆逐隊(涼月、初月)は第八戦隊(利根、筑摩)、第十戦隊旗艦「阿賀野」、巡洋艦2隻(最上大淀)、第四駆逐隊(萩風)、第十七駆逐隊(磯風)と共に出撃[18]。ラバウルを経由して7月22日にブカ島に到着する[19]。なおブーゲンビル島へ向かった「日進」「萩風」「嵐」「磯風」の分隊は米軍機の空襲を受け、「日進」は撃沈された[20]。 その後、7月時下旬から9月上旬にかけてはトラックとラバウル、クェゼリン環礁との間でタンカーや軽巡洋艦鹿島」などの護衛を行う[15]。9月と10月には機動部隊に随伴してマーシャル諸島方面へ出撃したが、会敵の機会がなかった[21]。11月10日、ラバウルからトラックに向かっていた輸送船団がアメリカ潜水艦スキャンプ (USS Scamp, SS-277) の攻撃を受け、輸送船「東京丸」(摂津商船、6,484トン)が沈没の危機に瀕したとの報を受け、「初月」とともにトラックを出撃[22]。現場に到着して「東京丸」の援護にあたったものの、同船は浸水がひどくなって11月12日に沈没した。「東京丸」沈没に先立つ同じ11月12日の朝、スキャンプは11月5日のラバウル空襲で損傷を受けトラックに戻る途中の軽巡洋艦「阿賀野」に魚雷を命中させて航行不能に陥らせた。「東京丸」援護を終えて間もなく「阿賀野」救援に駆けつけ[23]、トラックまで護衛した。12月7日、「初月」とともに「筑摩」、空母「瑞鶴」を護衛してトラックを出港し、12月12日にに到着[24]。修理を行った。

昭和19年[編集]

修理後の12月23日、ウェーク島に送られる独立混成第5連隊と戦車第16連隊主力を乗せた特設巡洋艦赤城丸」(日本郵船、7,389トン)を「初月」とともに護衛して呉を出撃し、1944年(昭和19年)1月1日にウェーク島に到着した[25]。第一回輸送を終えて呉に帰投し、今度は砲兵大隊と工兵隊、衛生隊を「赤城丸」に乗せて1月15日に呉を出撃する[25]。しかし、翌1月16日10時45分ごろに北緯32度15分 東経132度26分 / 北緯32.250度 東経132.433度 / 32.250; 132.433[26]沖の島西方海上に差し掛かったところでアメリカ潜水艦スタージョン (USS Sturgeon, SS-187) の攻撃を受ける。スタージョンは艦首発射管から魚雷を4本発射し[27]、4つの命中音を確認した[28]。魚雷は前部と後部に1本ずつ命中し、火薬庫を誘爆させて前部は煙突より前方約34メートルを亡失、後部は118番フレームより後約46メートルを亡失した[29]。主砲、機銃、電探、ソナーなどあらゆる兵器が亡失したり損傷し、乗員も駆逐艦長瀬尾昇中佐以下多数が戦死し、生存者の中で最上級者は掌機長の機関特務中尉だった[30]。「初月」に曳航されて宿毛湾に到着後、電纜敷設艇「釣島」と特設掃海艇「第六玉丸」(西大洋漁業、275トン)の協力を得て[31]呉に帰投。調査した造船士官は、艦橋下方後部寄りの第一缶室の隔壁が設計通りの強度を示したため沈没を免れたと述べている[32]。1月19日から呉海軍工廠で8月3日まで復旧工事が行われた[30][33]。この復旧に際し、外見上の特徴となる直線形状の艦首、角ばった艦橋を持った。

戦列復帰後は瀬戸内海で訓練を行う。ところが、「涼月」「若月」は第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将)より、大分から台湾基隆への輸送作戦(艦載機基地用物件および人員)を命じられる[34]台湾沖航空戦の最中であり、また悪天候の豊後水道を夜間通過することになるため、涼月幹部達は小沢艦隊司令部に猛抗議したものの却下された[34]。10月16日22時10分、北緯31度29分 東経131度54分 / 北緯31.483度 東経131.900度 / 31.483; 131.900[35]都井岬沖でアメリカ潜水艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321) の雷撃を受ける。ベスゴは浮上攻撃にて[36]「ジグザグ航行をしている2隻の重巡洋艦」[36]に対して艦首発射管から魚雷を6本発射[36]。2分後、「重巡洋艦」の艦橋前に命中の水柱が立つのを見た[36]。「涼月」側は逆探でベスゴのレーダーを探知していたが、悪天候のため雷跡を発見するのが遅れたのである[37]。この攻撃で艦首と一番砲塔下左舷に魚雷が命中し、艦首部は18番フレームから前を切断、一番砲塔下に命中した魚雷は不発だったが船体に亀裂を生じさせた[30]。戦死者2名[38]。「涼月」は九州沿岸沿いに北上して呉に退避する[37]。10月17日から11月11日まで呉海軍工廠で修理を受けた。「涼月」修理中の10月24-26日に起きたレイテ沖海戦で日本海軍は大敗、第六十一駆逐隊では小沢機動部隊に所属していた「秋月」「初月」が沈没した。11月8日、「涼月」「霜月」は戦艦「伊勢」「日向」と共にシンガポール~リンガ泊地へ進出予定であったが、出撃直前に新造艦首部分で浸水事故が発生、出撃機会を逸した[39]。その後「霜月」は11月25日にボルネオ島方面で撃沈された[40]。 11月15日附で第六十一駆逐隊は解隊され、「涼月」「若月」(11月11日に沈没)は第四十一駆逐隊(冬月、霜月)に編入された[41]。だが「霜月」も11月25日に沈没したため、第四十一駆逐隊は「涼月」「冬月」の2隻で行動することになった[42]。なお同日附で第十戦隊も解隊されており、第十七駆逐隊や第四十一駆逐隊等の残存部隊は以降第二水雷戦隊(司令官不在[43])に編入された[44][45]。上記のように二度の被雷と損傷修理のため、マリアナ沖海戦レイテ沖海戦には参加できなかった。また、多号作戦支援部隊に編入されていたが、実際に作戦には投入されなかった[46]

11月23日、「涼月」はマニラ方面への緊急輸送作戦に参加する「隼鷹」、駆逐艦「冬月」、「」とともに呉を出撃[47]。11月30日にマニラに到着して軍需品を陸揚げしたあと、12月3日に馬公に到着して日本に戻る途中の戦艦榛名」と合流する[48]。「榛名」はシンガポールで座礁し艦底に損傷を受けた状態であった[49]。12月6日、馬公を出港して日本本土に向かう。12月9日未明の佐世保に入港直前、部隊は野母崎沖でアメリカ潜水艦のウルフパックに発見される。「涼月」は敵潜水艦の待ち伏せが懸念される男女群島東方海面の黎明前航行を避けるよう「榛名」に意見具申したが、無視されていた[50]。直後「隼鷹」はレッドフィッシュ (USS Redfish, SS-395) の魚雷が2本命中して中破。続いて「槇」がシーデビル (USS Seadevil, SS-400) かプライス (USS Plaice, SS-390) の雷撃により損傷した。この輸送作戦の際、「冬月」ともども荒天に見舞われた際に船体にシワが発生した[46]。12月12日に呉に帰投後、12月27日まで呉海軍工廠で修理が行われ、修理完了後は瀬戸内海で訓練を行った[46]

昭和20年[編集]

坊ノ岬沖海戦における涼月
坊ノ岬沖海戦における涼月の損傷図

1945年(昭和20年)はじめもしくは1944年末ごろ、艦橋左右に機銃台を増設し25mm3連装機銃2基を増備した(合計7基)。また前マスト上の21号電探を撤去し、跡に22号電探1基・13号電探1基を設置(13号電探は合計2基)。

2月20日、第四十一駆逐隊は北号作戦で日本に戻ってきた古村啓蔵少将(海兵45期)以下の第二水雷戦隊司令部の指揮下に正式に入る[51]。3月19日の呉軍港空襲では、広島湾にて戦艦「大和」の護衛につく[52]。3月29日、海上特攻隊(伊藤整一中将・海兵39期)とともに三田尻沖に移動した[53]

4月6日15時、海上特攻隊は徳山を出撃(坊ノ岬沖海戦)。19時50分からの第一警戒航行序列では「大和」の右側を占位し[54][55]、翌4月7日6時に第三警戒航行序列に切り替わってからは「大和」の左後方に位置した[56][57]。12時32分、アメリカ第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)からの艦載機の第一波がやってくる[58]。度重なる転舵で輪形陣が崩れる中、「涼月」は「大和」左舷後方に位置にて掩護を続けた[59]。 第一波の空襲が終わりに近づいてきた13時8分(涼月艦橋電気時計停止時間[60])、空母エセックス (USS Essex, CV-9) のSB2C「ヘルダイバー」4機[61]から投じられた150キロ爆弾のうち一発が二番砲塔と艦橋間の甲板に命中して穴を開け、他の二発が後方への至近弾となった[61]。命中弾により火災が発生し、海図も方面違いの5枚を残して全て焼失、通信装置を失い、ジャイロコンパスも破損した[62]。この時点で第一罐室が浸水放棄されたが機関部人員に被害はなく、第二罐室による20ノットが発揮可能だった[63]。操舵装置の破壊と速力指示機の故障により「涼月」は右旋回を続けていたが、このとき「大和」が左舷に回頭したため、2隻は50m程まで接近した[64]。「涼月」は後進をかけ、衝突は直前で回避された[65][63]。一番砲塔、二番砲塔も大破し、弾薬庫は一番砲塔のもの以外は全て浸水した[66]。この攻撃で戦死者57名、負傷者34名を出した[66]。艦内電源が断たれたため消火活動を開始するまでに時間がかかり、二番砲塔の誘爆を招いてしまったという[67]

駆逐艦長平山敏夫中佐は既に戦闘不能と判断し、「大和」沈没後の14時30分頃から単艦で帰投開始[68][63]。通信装置は破損しており、作戦中止命令は受信できなかった。本艦は被弾により艦首が沈下(前方傾斜10度)、中央部も海面から甲板まで数十㎝という状態で、前進すると船体が潜ってしまう状態だった[69]。そこで機関長は「後進強速黒二〇[63](後進強速の回転数に20回転プラス)」の紙を機械室や罐室にはりつけた。9ノットの速力を安定して発揮[70]。この時、空母イントレピッド (USS Intrepid, CV-11) のTBF「アヴェンジャー」が魚雷を放ってきたものの、命中しなかった[71]。海図もコンパスも失っていながらも、日本本土へ向かった。14時55分に「右舷至近弾大破火災 目下消火中」と打電したものの[72]、火災が一晩中鎮火しなかった為、アメリカ潜水艦に発見されることを誰もが恐れていたという[63]。実際に雷撃されたが、艦尾前方を通過していったという回想も残されている[73]。15時15分には駆逐艦「初霜」に対して突入作戦が続行中かどうか信号で交信したが、「不明」との返事をもらう[74]。次いで15時25分には「冬月」に対して二軸運転で航行可能な旨報じた[75]。日没後、「冬月」が捜索を開始したが[76]、見つけることは出来ず、すでに先行していると推定された[77]

4月8日9時32分、指宿航空隊機により、佐多岬の262度140海里の地点を北上しているのが発見される[78]。昼前には1隻の漁船から「われ貴艦の側方を護衛する」と手旗信号をおくられ、乗組員一同を苦笑させた[79]。そして14時30分、ついに佐世保に帰投する[80]。帰着が遅く、すでに沈没してしまったと思われていたが[81]、突然の帰還に佐世保海軍工廠はサイレンを鳴らして歓迎した。しかし、佐世保入港時に後進から前進に切り換えたことで浸水が進行[82]。係留中にも浸水が止まらなかったので、大急ぎでタグボートを手配されて18時30分に第七船渠に収容することができたが[83][84]、排水を待ちきれず第七船渠内で着座してしまった[66]。大破した前方区画のうち、前部弾薬庫は区画内部から防水処置がされたため沈没を免れる[81]。自らの脱出口を絶ってまで気密を保つ作業を行った3名の乗員は、後に酸欠死している状態で発見された[81][63]。また涼月砲術長によれば、3名のうち江藤虎蔵(二等主計兵曹)は短刀で自決していたという[85]

修理は5月5日完成を目標に、停泊に差し支えない程度のものが行われ[86]、次いで本修理の施工に関しては昭和20年度中には実施しない事が決まった[86]。応急修理で破口部を閉塞の上、一番砲塔と二番砲塔、機銃を撤去[66]。6月10日に佐世保を出発、後部砲塔二基のみ砲側照準で射撃可能な状態となって相浦に係留された[87]。岸まで板桟橋を渡し、機関に火は入れず陸上より給電を行った[88]。この頃、坊ノ岬沖海戦被弾時に焼失した涼月神社(艦内神社)を再建するため、若手士官を伊勢神宮に派遣して御神体を拝領した[88]。「涼月」は7月5日附で第四十一駆逐隊から除かれる[89]。同日附で第四予備艦となった[90][91]。当時の乗組員は約100名ほどで、農耕隊と漁撈隊を編制すると、開墾や、貰い受けた漁船を活用して食糧調達を行う[92]。その間の7月と8月に対空戦闘を行い、うち8月の対空戦闘でP-51「ムスタング」1機を高射砲で撃墜した[92]。11月20日に除籍。

戦後は損傷のため復員輸送艦としては使用されず、1948年(昭和23年)4月から5月にかけて旧佐世保海軍工廠の佐世保船舶工業で解体[93]。船体は「冬月」、「柳(桃型駆逐艦)」とともに福岡県北九州市若松区若松港の防波堤として利用された。現地では軍艦防波堤と呼ばれたが、その後埋められた。現在は響灘臨海工業団地内の若松運河出口付近に、「柳」の船体の一部と案内板を見ることができる。一方、「冬月」と「涼月」の船体は完全に埋めたてられていて確認することはできない。

戦争を通じて三度の被害にあったがいずれも生還し、秋月型駆逐艦の中で一番の長命であった。

歴代艦長[編集]

※脚注なき限り『艦長たちの軍艦史』354-355頁による。

艤装員長[編集]

  1. 赤沢次寿雄 中佐:1942年9月10日 - 12月29日

駆逐艦長[編集]

  1. 赤沢次寿雄 中佐:1942年12月29日 -
  2. 瀬尾昇 中佐:1944年1月10日 - 1944年1月16日戦死、以後1944年7月7日まで艦長を置かず。
  3. (兼)天野重隆 大佐:1944年7月7日 - 7月10日 (本務:第六十一駆逐隊司令[94]
  4. 杉谷長秀 中佐:1944年7月10日 -
  5. 平山敏夫 中佐:1945年3月10日 - 1945年5月18日[95]、以後艦長を置かず。

涼月を取り上げた作品[編集]

  • 澤章 「軍艦防波堤へ―駆逐艦凉月と僕の昭和二〇年四月」

沖縄での海上特攻を描いた小説。作者は最後の艦長である平山中佐の孫にあたる。

脚注[編集]

  1. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録154頁
  2. ^ a b 機銃、電探数は『日本駆逐艦物語』p281の「あ号作戦後の駆逐艦兵装状況一覧表」による。1944年6月30日の調査。
  3. ^ 秋月型駆逐艦では水中聴音機は後日装備とされたらしい。装備時期は不明。『歴史群像 太平洋戦史シリーズ23 秋月型駆逐艦』p39、『写真 日本の軍艦 第11巻』p158による。
  4. ^ a b #達昭和17年1月pp.24-25『達第十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ駆逐艦二隻、潜水艦四隻、掃海艇一隻、敷設艇二隻及掃海特務艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年一月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等駆逐艦 涼月(スズツキ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等駆逐艦 高波(タカナミ)|(以下略)』。命名に係る本令達で用いられている漢字はであってではない。
  5. ^ 片桐, 348ページ
  6. ^ 涼月の戦友会が「凉月会」という名称を使用しているほか、軍艦防波堤の案内板(File:Gunkannbouhatei explanation.jpg)も涼月の表記を使用している。
  7. ^ #内令昭和17年1月(3)p.6『内令第百十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年一月二十日|海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加ヘ同秋月型ノ項中「照月」ノ下ニ「、涼月」ヲ加フ(以下略)』
  8. ^ a b #内令昭和17年12月(5)p.18『内令第二千四百二十八號 駆逐艦 涼月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|駆逐艦 大波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル|佐世保鎮守府在籍 駆逐艦 涼月 駆逐艦 初月/舞鶴鎮守府在籍 駆逐艦 大波|右警備駆逐艦ト定メラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  9. ^ a b #内令昭和18年1月(2)p.7『内令第十九號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十八年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第六十一駆逐隊ノ項中「秋月、照月」ヲ「秋月、涼月、初月」ニ改ム』
  10. ^ 『大阪警備府戦時日誌』C08030498600, pp.19,33 、「SS-231, USS HADDOCK」p.67,68 、遠藤, 200ページ
  11. ^ a b 遠藤, 200ページ
  12. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030367600, pp.46 、遠藤、200ページ
  13. ^ 木俣『日本空母戦史』452ページ
  14. ^ 木俣『日本空母戦史』453ページ
  15. ^ a b c 遠藤, 201ページ
  16. ^ 木俣『日本水雷戦史』300ページ
  17. ^ #昭和17年1月~第8戦隊日誌(6)p.17『(三)軍隊区分 機動部隊本隊[自十五日至二十六日 機動部隊第一部隊(十五日61dgヲ指揮下ニ入ル 十八日阿賀野(10S司令官)4dg磯風日進大淀最上ヲ指揮下ニ入ル)]』
  18. ^ #昭和17年1月~第8戦隊日誌(6)pp.18-19『19日第一部隊[8S、10S(阿賀野、4dg(萩風、嵐)、61dg(涼月、初月)、磯風)、大淀、最上、日進]ヲ率ヰ「トラック」出撃「ラバウル」及「ソロモン」方面軍隊輸送ヲ実施シ26日「トラック」ニ帰着セリ』
  19. ^ #昭和17年1月~第8戦隊日誌(6)p.37『乙部隊中「ブカ」行61dgハ22日1945「ラバウル」出撃後2300頃ヨリ「セントジョージ」岬南方ニ於テ一時敵哨戒機ノ触接ヲ受ケシモ其ノ後敵ヲ見ズ予定通行動「ブカ」ニ揚搭(守備隊長道下大佐以下455名及器材)ヲ了シ23日0800「ラバウル」ニ帰投本隊ニ合同セリ』
  20. ^ #昭和17年1月~第8戦隊日誌(6)p.43『殊ニ4dg(萩風、嵐)磯風、日進ハ第十戦隊司令官直率ノ下ニ敵就下航空機ノ熾烈ナル攻撃ヲ突破シ挺身「ブイン」輸送ヲ決行シ偶日日進ヲ喪失スルノ不運ニ際會セルモ…』
  21. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048800, pp.14,15,31,32,33 、木俣『日本空母戦史』504、508ページ
  22. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.1
  23. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101500, pp.5,6,7
  24. ^ 『第八戦隊戦時日誌』C08030048900, pp.30,31
  25. ^ a b 『戦史叢書13』472ページ
  26. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030369400, pp.43
  27. ^ 「SS-187, USS STURGEON」p.189
  28. ^ 「SS-187, USS STURGEON」p.198
  29. ^ 遠藤, 166、202ページ
  30. ^ a b c 遠藤, 202ページ
  31. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030369400, pp.47,48,49
  32. ^ #造船士官の回想 下184頁
  33. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030050900, pp.17
  34. ^ a b #駆逐艦隊悲劇の記録133頁
  35. ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030369800, pp.3,23,24
  36. ^ a b c d 「SS-321, USS BESUGO」p.23
  37. ^ a b #駆逐艦隊悲劇の記録134頁
  38. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録137頁
  39. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録143-144頁
  40. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録145頁
  41. ^ #秘海軍公報昭和19年11月(3)pp.4-5『内令第一二七一號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月十五日海軍大臣|第二駆逐隊ノ項中「清霜」ノ下ニ「朝霜」ヲ加フ|第七駆逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、霞」ヲ加フ|第十八駆逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一駆逐隊ノ項中「初春、初霜、若葉」ヲ「初春、初霜、時雨」ニ改ム|第三十一駆逐隊ノ項中「長波、朝霜、岸波、沖波」ヲ「長波、岸波、沖波、濱波」ニ改ム|第三十二駆逐隊ノ項ヲ削ル|第四十一駆逐隊ノ項中「冬月」ノ下ニ「、涼月、若月」ヲ加フ|第四十三駆逐隊ノ項ノニ左ノ一項ヲ加フ||第五十二駆逐隊 桑、檜、桐、杉、樫||第六十一駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  42. ^ #駆逐艦隊悲劇の記録142頁
  43. ^ 早川幹夫少将(海兵44期)は11月11日戦死。後任の木村昌福少将(海兵41期)は11月20日着任
  44. ^ 『第十戦隊戦時日誌』C08030051000, pp.56
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  48. ^ 木俣『日本空母戦史』796ページ
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  52. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030103000, pp.45,53,54
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    原田周三海軍中佐。涼月機関長談。
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  70. ^ 速度は文献によって差異があり、『艦長たちの軍艦史』p355、『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.23 秋月型駆逐艦』掲載の雨倉孝之「太平洋の群像「秋月型駆逐艦」の戦士たち」のp181で9ノット。同じく『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.23 秋月型駆逐艦』掲載の岡田幸和「日本駆逐艦の戦闘被害調査」のp164では3ノットとなっている。涼月機関長の記憶では9ノット。
  71. ^ 木俣『日本水雷戦史』638ページ
  72. ^ 『天一号作戦海上特攻隊1YB主力戦闘詳報』C08030103100, pp.44
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参考文献[編集]

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    • 第十戦隊司令部『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月十五日 第十戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030051000
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和二十年二月一日至昭和二十年二月二十八日 第二水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年三月一日至昭和二十年四月二十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和20年2月1日~昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030103000
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    • 軍艦大和『昭和二十年四月二十日 軍艦大和戦闘詳報 自昭和二十年四月六日至四月七日』(昭和20年4月6日~昭和20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030566400
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336
  • 倉橋友二郎 『駆逐艦隊悲劇の記録 海ゆかば・・・』 徳間書店、1967年6月。 著者は1944年6月~1945年5月まで駆逐艦「涼月」砲術長勤務。
  • 防衛研究所戦史室編 『戦史叢書13 中部太平洋方面陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』朝雲新聞社、1968年
  • 文藝春秋臨時増刊『目で見る太平洋戦争史』(昭和48年12月増刊号)、文藝春秋
  • 遠藤昭『高角砲と防空艦』原書房、1975年
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 福井静夫『日本駆逐艦物語』光人社、1993年、ISBN 4-76981-395-3 (ISBNコードは2008年新装版のもの)
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦11 駆逐艦II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0461-X
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
  • 石井公一郎『回想学徒出陣』(中央公論社1993)
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  • 岡田幸和『世界の艦船別冊 艦艇工学入門 -理論と実際-』海人社、1997年、ISBN 4-905551-62-5
  • 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 秋元実・編 『ウォーターラインガイドブック 日本連合艦隊編』改訂版、静岡模型教材協同組合、2007年10月改訂。 JANコード 4945187990224

関連項目[編集]