ホー (潜水艦)

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USS Hoe;0825802.jpg
艦歴
発注
起工 1942年1月2日[1]
進水 1942年9月17日[1]
就役 1942年12月16日[1]
退役 1946年8月7日[2]
除籍 1960年5月1日[2]
その後 1960年9月10日にスクラップとして売却[2]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[3]
2,424トン(水中)[3]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[3]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[3]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[3]
機関 ホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)ディーゼルエンジン 4基
(換装後)ゼネラル・モーターズ278A16気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[3]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[4]
水中:9 ノット (17 km/h)[4]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[4]
試験深度 300 ft (90 m)[4]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[4]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[4]
兵装 (1944年4月)3インチ砲1基、20ミリ機銃[5]
(1945年1月)3インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃[6]
21インチ魚雷発射管10基

ホー (USS Hoe, SS-258) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はツノザメの一種であるホーに因む。

艦歴[編集]

ホーはコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1942年9月17日にヘレン・ヘスによって進水し、艦長ヴィクター・B・マクレア中佐(アナポリス1932年組)の指揮下12月16日に就役する[1]。整調後ホーは1943年4月19日に出航し、パナマ運河を経由して真珠湾に向かい、5月15日に到着した。

第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月[編集]

5月27日、ホーは最初の哨戒でパラオ方面に向かった。グアム近海を経て哨区に到着し、グリーンリング (USS Greenling, SS-213) が報告するところの輸送船団を待った[7]。はたして、6月14日午後にいたって輸送船と2隻の護衛艦を発見し、追跡の上日付が6月15日になってから北緯06度32分 東経134度51分 / 北緯6.533度 東経134.850度 / 6.533; 134.850の地点で魚雷を3本発射し、1本命中と判断された[8]。6月21日夜には北緯08度58分 東経131度13分 / 北緯8.967度 東経131.217度 / 8.967; 131.217の地点で 魚雷を4本発射して「3本命中させ、目標を撃沈した」と判断された[9]。6月26日にはウルシー環礁を偵察し、7月6日にミッドウェー島に立ち寄った[10]。7月11日、ホーは45日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

8月21日、ホーは2回目の哨戒でトラック諸島近海に向かった。しかし、この哨戒ではH.O.R.エンジンの不調に悩まされる。8月29日、ホーは北緯15度17分 東経168度03分 / 北緯15.283度 東経168.050度 / 15.283; 168.050の地点で12ノットから18ノットで航行中の1,200トン級護衛艦を発見し、魚雷を4本発射[11]。魚雷は1本が命中したが、爆発した様子はなかった[12]。9月22日にも北緯10度07分 東経146度57分 / 北緯10.117度 東経146.950度 / 10.117; 146.950の地点でタンカーを発見し、魚雷を6本発射して2本を命中させたと判断、追跡を続けたが相手はスコールにまぎれて去っていった[13]。9月30日から10月1日にかけても、レーダーで探知した6隻の輸送船団に接触し、追跡の上北緯09度04分 東経144度51分 / 北緯9.067度 東経144.850度 / 9.067; 144.850の地点で魚雷を4本発射したが、命中しなかった[14]。10月8日から9日にかけては、ウェーク島沖で同島攻撃で撃墜された第14任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)[15]の搭乗員捜索に参加した[16]。10月18日、ホーは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入り[17]、折から、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ており、甚だ旧式でトラブルが多く信頼性に欠けていたH.O.R.エンジンを、本来搭載されるGM社製278A16気筒エンジンに換装した。

第3、第4、第5の哨戒 1944年1月 - 8月[編集]

1944年1月26日、ホーは3回目の哨戒でミンダナオ島およびハルマヘラ島方面に向かった。2月16日夜、ホーは北緯06度04分 東経126度22分 / 北緯6.067度 東経126.367度 / 6.067; 126.367の地点で6隻の輸送船を中心とする輸送船団を発見し、夜に入って魚雷を計10本発射[18]。4つの魚雷命中音と3つの爆発を聴取した[19]。2月25日未明には、北緯05度50分 東経126度00分 / 北緯5.833度 東経126.000度 / 5.833; 126.000ダバオ湾英語版入り口のサンアウグスティン岬南南西55キロ地点で、バリクパパンからダバオに向かっていた特設運送船(給油)の日章丸(昭和タンカー、10,526トン)と国洋丸(国洋汽船、10,026トン)および特設運送艦旭東丸飯野海運、10,051トン)、護衛の駆逐艦島風およびを発見[20][21]。ホーは船団の先頭のタンカーに向けて魚雷を4本発射し、2本が命中するのを確認する[22]。1時間後に再び魚雷を6本発射し、3本が命中して爆発も3つ響いたと記録[23]。さらに魚雷を4本発射し、2つの命中を確認した[24]。一連の攻撃で日章丸を撃沈し、旭東丸にも損傷を与えた[25][26]。3月5日、ホーは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

4月4日、ホーは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。5月8日朝、ホーは北緯19度19分 東経120度00分 / 北緯19.317度 東経120.000度 / 19.317; 120.000ルソン海峡ヒ61船団を発見し、8,000トン級輸送船に対して魚雷を4本、4,000トン級タンカーに対して魚雷を2本発射[27]。魚雷はタンカーあかね丸(石原汽船、10,238トン)に命中してこれを撃破した[25][28]。5月17日午後には11隻の輸送船団を発見するが、攻撃できる隙がなかったので夜間攻撃を行うことに決した[29]。夜に入って浮上すると、件の輸送船団と見方潜水艦の両方を発見[30]。やがて、その味方潜水艦が攻撃を行う様子を望見したが、肝心の味方潜水艦はホーの問いかけには無反応だった[31]。ホーも5月18日未明に北緯12度27分 東経116度35分 / 北緯12.450度 東経116.583度 / 12.450; 116.583の地点で魚雷を5本発射し、3つの目標に魚雷が命中したと判定した[32]。5月19日夜にも北緯13度00分 東経119度10分 / 北緯13.000度 東経119.167度 / 13.000; 119.167の地点で輸送船団を発見し、日付が5月20日に変わってから2つの目標に対して魚雷を計10本発射[33]。6つの爆発音がとどろき、少なくとも2本が命中するのを確認した[34]。5月28日にはダーウィンに寄港[35]。6月2日、ホーは59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

6月29日、ホーは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月5日から6日にかけてダーウィンに寄港ののち[36]、南シナ海に入る。7月20日朝、ホーは北緯16度17分 東経119度31分 / 北緯16.283度 東経119.517度 / 16.283; 119.517の地点でヒ69船団を発見し、魚雷を4本発射[37][38]。魚雷は船団から遅れていたタンカー天栄丸(日東汽船、10,241トン)に向かったが命中しなかった[39]。7月25日には北緯13度38分 東経115度39分 / 北緯13.633度 東経115.650度 / 13.633; 115.650の地点で伊九型潜水艦遣独潜水艦作戦帰りの伊号第二九潜水艦(伊29)と思しき潜水艦に対して魚雷を6本発射したが命中しなかった[40]。結果的にこの哨戒においては戦果はなかった。8月23日、ホーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月[編集]

9月15日、ホーは6回目の哨戒でカブリラ (USS Cabrilla, SS-288) 、アスプロ (USS Aspro, SS-309) とウルフパックを構成しルソン島方面に向かった。10月7日未明、ホーは北緯17度30分 東経119度52分 / 北緯17.500度 東経119.867度 / 17.500; 119.867のルソン島ビガン西北西55キロ地点でタマ28船団を発見[41]。魚雷を4本発射し、うち2本が船団先頭の輸送船に命中してすさまじい爆発を起こした[42]。ホーはさらに魚雷を3本発射し、1本を中型輸送船に命中させて撃沈した[43]。この攻撃で陸軍輸送船マカッサ丸(南洋海運、4,026トン)を撃沈したとされた[25][注釈 1]。翌10月8日未明には北緯17度42分 東経117度55分 / 北緯17.700度 東経117.917度 / 17.700; 117.917の地点で別の輸送船団を発見し、船団後方の2隻の輸送船に対して魚雷を6本発射、1本が命中したと判断された[44]。同じ日の夜には北緯18度30分 東経116度15分 / 北緯18.500度 東経116.250度 / 18.500; 116.250の地点でマタ28船団を発見し、船団先頭の2隻の輸送船に対して魚雷を6本、約40分後の23時25分に別の大型輸送船と護衛艦に対して魚雷を5本それぞれ発射[45]。魚雷は23時25分の攻撃による4本のうちの1本が陸軍輸送船湖北丸大阪商船、2,578トン)に命中して撃沈した[46][47]。10月22日、ホーは37日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がマイルズ・P・レィフォ3世少佐(アナポリス1938年組)に代わった。

11月23日、ホーは7回目の哨戒でフラッシャー (USS Flasher, SS-249) 、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。12月2日未明、ホーはレーダーにより目標を探知するが、その方角を観測すると、その目標は「セントエルモの火を発していた」1,500トン級タンカーであった[48]。明け方近くに南緯06度32分 東経111度49分 / 南緯6.533度 東経111.817度 / -6.533; 111.817の地点で魚雷を4本発射し、うち2本が命中したと判断された[49]。30分後にもう3本発射したが命中しなかった[50]。12月22日には、北緯11度01分 東経109度30分 / 北緯11.017度 東経109.500度 / 11.017; 109.500の地点で大型タンカーに対して魚雷を3本発射したものの、命中することはなかった[51]。1945年1月1日朝、ホーは北緯10度25分 東経114度20分 / 北緯10.417度 東経114.333度 / 10.417; 114.333にある南鑰島に対して3インチ砲と40ミリ機関砲による艦砲射撃を実施した[52]。1月13日、ホーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[53]

第8の哨戒 1945年2月 - 3月[編集]

海防艦昭南

2月8日、ホーは8回目の哨戒で南シナ海に向かった。途中、フラウンダー (USS Flounder, SS-251) と合流して北号作戦で日本本土に向かう完部隊(松田千秋少将)を捕らえるべく追跡したが、わずかにタイミングを逸してこれらの目標への接近はできなかった。2月23日朝、ホーはインドシナ半島沖を潜航哨戒中、同じく潜望鏡深度で航行中だったフラウンダーと互いに擦れ合った[54]。ホーはキールを損傷したものの、哨戒に差し支えはないと引き返すことはせず修理で済ませ、その後海南島近辺に向かった。2月24日午後、ホーは南号作戦参加船団の一つであるヒ92船団を発見[55]。間合いを取りながら追跡を行い[56]、翌2月25日4時20分ごろ、ホーは北緯17度20分 東経110度35分 / 北緯17.333度 東経110.583度 / 17.333; 110.583の地点で魚雷を4本発射し、海防艦昭南に1本を命中させて昭南は一筋の黒煙を残して轟沈した[57][58]。2月27日には、北緯14度02分 東経109度18分 / 北緯14.033度 東経109.300度 / 14.033; 109.300にあるバッフル島に座礁しているタンカーに対して魚雷を2本発射したが、船体に命中しなかった[59]。3月26日、ホーは46日間の行動を終えてサイパン島タナパグ港英語版に帰投[60]。本国に回航されてオーバーホールに入った。

戦後[編集]

ホーはオーバーホール終了後の7月5日に西海岸を出航し、終戦時にはグアムアプラ港で停泊中であった。数日後に東海岸へ向けて出航し、真珠湾とパナマ運河を経由して1945年9月29日にニューヨークに到着した。その後、ホーはニューロンドンに回航、係留された後1946年8月7日に退役し、大西洋予備役艦隊入りする。1956年9月に海軍第3管区の予備役訓練艦任務を命じられる。ホーは1960年5月1日に除籍され、8月23日にマサチューセッツ州ボストンのラネット社に売却された。

ホーは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章を受章した。ホーの第1、第3、第4、第6、第8回目の哨戒が成功として記録された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #Roscoe p.527 ではアスプロの戦果

出典[編集]

  1. ^ a b c d #SS-258, USS HOE p.3
  2. ^ a b c #Friedman pp.285-304
  3. ^ a b c d e f #Bauer
  4. ^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
  5. ^ #SS-258, USS HOE p.96
  6. ^ #SS-258, USS HOE p.214, pp.237-238, p.256
  7. ^ #SS-258, USS HOE p.15
  8. ^ #SS-258, USS HOE pp.15-16, pp.21-22
  9. ^ #SS-258, USS HOE pp.17-18, pp.21-22
  10. ^ #SS-258, USS HOE p.19
  11. ^ #SS-258, USS HOE pp.32-33, pp.47-48
  12. ^ #SS-258, USS HOE p.33,47
  13. ^ #SS-258, USS HOE pp.38-39, pp.49-50
  14. ^ #SS-258, USS HOE pp.40-42, pp.51-52
  15. ^ #戦史62 pp.410-416
  16. ^ #SS-258, USS HOE p.43
  17. ^ #SS-258, USS HOE p.62
  18. ^ #SS-258, USS HOE pp.65-66, pp.76-78
  19. ^ #SS-258, USS HOE p.66, pp.81-82
  20. ^ #SS-258, USS HOE pp.70-71
  21. ^ #二水戦1902 pp.12-13
  22. ^ #SS-258, USS HOE p.71,78,83
  23. ^ #SS-258, USS HOE pp.71-72, p.79,84
  24. ^ #SS-258, USS HOE p.80,85
  25. ^ a b c The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2012年6月6日閲覧。
  26. ^ #駒宮 p.144
  27. ^ #SS-258, USS HOE p.102
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  29. ^ #SS-258, USS HOEp.105
  30. ^ #SS-258, USS HOE pp.104-105
  31. ^ #SS-258, USS HOE p.105
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  35. ^ #SS-258, USS HOE p.112
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  39. ^ #ヒ六九 p.11,30
  40. ^ #SS-258, USS HOE p.141,156,158
  41. ^ #SS-258, USS HOE pp.176-177
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  47. ^ #一護1910 p.60
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  49. ^ #SS-258, USS HOE pp.217-218, pp.247-248
  50. ^ #SS-258, USS HOE pp.218-219, pp.249-250
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  59. ^ #SS-258, USS HOE p.278, pp.298-299
  60. ^ #SS-258, USS HOE p.288

参考文献[編集]

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外部リンク[編集]