ビガン

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ビガン
Lungsod ng Vigan
Ciudad ti Bigan
Vigan Calle Crisologo 2.jpg
位置
ビガンの位置の位置図
ビガンの位置
座標 : 北緯17度57分 東経120度38分 / 北緯17.950度 東経120.633度 / 17.950; 120.633
行政
フィリピンの旗 フィリピン
 地方 イロコス地方
 州 イロコス・スル州
 市 ビガン
地理
面積  
  市域 11km2(4.2mi2
人口
人口 (2007年現在)
  市域 47,246人
    人口密度   4295人/km2(11124人/mi2
その他
等時帯 フィリピン標準時 (UTC+8
夏時間 なし
市外局番 77
公式ウェブサイト : http://www.vigancity.gov.ph

ビガンは、フィリピンイロコス・スル州(南イロコス州)の州都。

概要[編集]

ルソン島マニラの北、約400kmにある都市16世紀からのスペインによる統治下で商業、貿易の拠点として栄える。スペイン統治時代の街の名前は、シウダー・フェルナンディナ (Ciudad Fernandina) 。このころ築かれた街並みは、スペイン、中国ラテンアメリカの影響を受けているといわれている。太平洋戦争時、ビガンの街並みは奇跡的に戦渦を逃れた。1999年、旧市街地が、ビガン歴史都市としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。

外部リンク[編集]

公式サイト(英語)

ビガン歴史都市

「日本人将校が美しいビガンの街並を救った」 地元の郷土史家ダマソ・キング(Damaso King)によると、太平洋戦争中、アメリカ軍は旧日本軍の侵攻に対抗して、ビガン(Vigan)を砲撃しようとしていた。しかしながら、「もうこの街周辺には日本軍兵士はいないから…」とクレカンフ司教(Fr. Joseph Klecamf, The Parish Priest of Vigan)が、米軍に確約をしたため、この砲撃は取りやめになった。クレカンフ司教は、二人の日本人将校「高橋フジロウとナリオカ・サカエ」から、「現地で結婚した私たち日本兵士達は愛する家族を残して敗走するので、戦争によってこの美しい街が爆撃・破壊・略奪されることのないようお願いします。」と懇願された。1943年に憲兵隊長として赴任してきた高橋大尉はアデラ・トレンティーノ(Adela Tolentino)、ナリオカ将校は、ベレン・カスティーリョ(Belen Castillo)という女性と結婚していた。また、地元イロコス州知事のDV.サベリャーノ(Savellano)は、「したがって、ビガンの街は、彼ら日本人の「愛」によって救われたのです。」とも述べている。 

2003年の毎日新聞の特集取材によると、「高橋大尉一家は戦後しばらくアデラさんの故郷で暮らしていたが、その後引っ越した。2年前、大尉の娘がビガンに来たと聞いたフロレンティノさんは滞在先を訪ねたが、娘は去った後だった。風のうわさにアデラさんは既に亡く、2人の娘が今、マニラに暮らしていると聞いた。家族が平和に暮らした時代の思い出をたどるために娘がひそかに街を訪ねたのだろう。」と元ビガン市長秘書官のアントニオ・フロレンティノから聞いている。

映画「イリウ(ILIW)」⇒ [[1]]  [[2]] 2009年作 フィリピンのインディーズ映画(Bona Fajardo監督)「Iliw(イリウ)」。  この作品は第二次大戦時にルソン島北部・ビガンの街を爆撃から救った高橋大尉の実話が基になってる。 ヒロイン・フィデラ役はKaye Abadが演じている。