クスコ
| クスコ Cusco |
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| 位置 | |||||
ペルー国内におけるクスコの位置 |
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| 座標 : 南緯13度30分 西経71度58分 / 南緯13.500度 西経71.967度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 県 | クスコ県 | ||||
| 市 | クスコ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 3,310km2(10,860mi2) | ||||
| 標高 | 3,399m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2002年現在) | ||||
| 市域 | 319,422人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | ペルー標準時間 (UTC-5) | ||||
| 公式ウェブサイト : www.municusco.gob.pe | |||||
クスコ (Cusco;Qusqu) は、ペルーの南東クスコ県の県名および県都の地名。アンデス山脈中の標高3600mにある。現在の人口はおよそ30万人。
クスコとは、ケチュア語 (Quechua) で、「へそ」を意味し、タワンティン・スウユ(Tawantinsuyu、インカ帝国の正式名称)の首都であり、文化の中心だった。現在でもペルーで有数の都市のひとつである。
目次 |
歴史 [編集]
キルケ文化 [編集]
1200年代にインカ人が移住して来る前、900年から1200年にかけてキルケ人がこの地域を支配していた。クスコ郊外のサクサイワマン要塞の遺跡を炭素14法(放射性炭素年代測定)で分析したところ、1100年頃のキルケ文化による要塞であることが判明した。その後、1200年代以降にインカ人勢力がここを占拠した。2008年3月13日、考古学者により古代の寺院、道路、導水設備の遺跡がサクサイウアマンで発見された。2007年の発掘調査の結果、寺院が要塞の脇で発見され、要塞には軍事的な機能だけでなく、宗教的な機能があったことが示された。
インカ人による支配 [編集]
1200年代から1532年までの間、クスコはインカ帝国の首都であった。クスコの町並みは、聖なる動物であるピューマをかたどったものとの説があるが、証明はされていない。インカ人の統治下で、町はUrinとHananの2地区に分かれ、それぞれが更に2つに分けられていた。4つの地区名と場所は、Chinchasuyu(北西)、Antisuyu(北東)、Qontisuyu(南西)、Collasuyu(南東)であった。道路はそれぞれの地区から対応する帝国のエリアに伸びていた。それぞれの地区の指導者は町に家を建て、毎年、一定期間クスコに住まなければならなかった。パチャクテクの統治後、インカ人が亡くなるとその敬称は息子が引き継ぎ、その財産はその親戚により支配される自治体に与えられた。敬称を保持する者は、自分の死後に家族を扶養するための土地を所有するために新しい家を建て、新しい土地を帝国に加える必要があった。
インカの伝説によると、クスコはサパ・インカのパチャクテクによって建設された。彼はクスコ王国を、活気のない町から巨大なタワンティン・スウユ帝国へと変えた。しかし、考古学的な証拠によると、パチャクテクの統治以前から町は徐々に有機的に発展していた。町は決められた計画によって建設され、2つの川は町を取り囲むように注ぎ変えられた。クスコの都市計画は、帝国の他の町に模倣された。
1527年のワイナ・カパックの死後、クスコはアタワルパの支配領域となった。1532年4月、町はアタワルパ軍に占領された。 (w:Battle of Quipaipan) その19ヵ月後、町はスペイン人征服者に侵略された(クスコの戦い (w:Battle of Cuzco) )
スペイン人による征服 [編集]
1533年11月15日、最初のスペイン人がクスコに到着した。征服者のフランシスコ・ピサロが公式に到着したのは、1534年3月23日であった。
植民地化の結果は都市の建築を通してみえる。侵略の後、スペイン人植民者は数多くのインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した。彼らは破壊で残った壁を、新都市建設の土台として使用した。そして数多くの教会、女子修道院、大聖堂、大学、司教区を建設した。インカ帝国古来の建築方法に、スペインの影響が融合した建造物であった。スペイン人は土着の寺院をカトリック教会に、宮殿を彼ら侵略者の住居に変え、キルケ構造のターワンティンスーユ (w:Tawantinsuyu) を伴うなど、クスコの建造物は重厚な文化が融合していた。インカ人がキルケ構造の上に建造物を建てたように、スペイン人はインカ人によって建てられた巨大な石の上に建造物を建てた。スペインの建物は、インカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。これらインカ時代の石積みは、石と石の間に「カミソリの刃一枚通さない」と言われる巧緻さである。また、周囲にはサクサイワマン遺跡やケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。
クスコはアンデス地域において、スペイン植民地とキリスト教布教の中心であった。農業、牧畜、鉱山やスペインとの貿易のおかげで、クスコはおおいに繁栄した。
現在 [編集]
現在は、マチュ・ピチュ遺跡との間、およびチチカカ湖のほとりのプーノとの間にペルー南部鉄道が走っているほか、首都リマからは空路で接続されている。バスも各地との間に運行されているが、道が悪く、特に雨期は空路・鉄道と比べて確実ではない。
世界遺産 [編集]
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クスコの街並み
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| 英名 | City of Cuzco | ||
| 仏名 | Ville de Cuzco | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | (3),(4) | ||
| 登録年 | 1983年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
クスコの市街は、1983年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
姉妹都市 [編集]
関連項目 [編集]
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