パドル (潜水艦)

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USS Paddle;0826305.jpg
艦歴
発注
起工 1942年5月1日[1]
進水 1942年12月30日[1]
就役 1943年3月29日[1]
1956年8月31日[1]
退役 1946年2月1日[1]
1957年1月18日[1]
除籍 1968年6月30日[2]
その後 1957年1月18日ブラジル海軍へ貸与[1]
1968年3月に返還後、1968年6月30日に標的艦として沈没[1]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[2]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関 ホーヴェン=オーエンス=レントシュラー(H.O.R.)ディーゼルエンジン 4基[2]
(換装後)ゼネラル・モーターズ278A16気筒6,500馬力ディーゼルエンジン 4基
アリス=シャルマース英語版/ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[2]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度 300 ft (90 m)[3]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装 (1944年10月)4インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃、小口径機銃[4]
(1945年5月)5インチ砲1基、40ミリ機関砲、20ミリ連装機銃、小口径機銃[5]
21インチ魚雷発射管10基

パドル (USS Paddle, SS-263) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はミシシッピ川に生息するパドルフィッシュに因む。

艦歴[編集]

パドルは1942年5月1日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1942年12月30日にフェクテラー夫人(後の海軍作戦部長ウィリアム・フェクテラー提督の妻)によって進水し、艦長ロバート・H・ライス少佐(アナポリス1927年組)の指揮下1943年3月29日にコネチカット州ニューロンドンで就役する。公試及び訓練後、パドルは1943年6月8日にニューロンドンを出航しパナマ運河を経由して真珠湾に7月5日到着した。パドルは真珠湾から二度の哨戒を行い、その間に駆逐艦に対する対潜水艦戦訓練を実施し、気象観測設備が装着された。

第1、第2の哨戒 1943年7月 - 11月[編集]

7月20日、パドルは最初の哨戒で日本近海に向かった。本州海域で哨戒中の8月13日朝、パドルは北緯33度45分 東経136度17分 / 北緯33.750度 東経136.283度 / 33.750; 136.283の梶取崎(和歌山県太地町)沖で第8812船団を発見[6][7]。魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船日高丸(日本郵船、5,486トン)に命中したものの、不発魚雷だったので軽微な損傷に留まった[8][9][10]。パドルは攻撃後、護衛艦の反撃により13時間の潜航を強いられた[11][12]。8月19日、パドルは日本軍の観測機に7発の爆弾を投下され、パドルは僅かに損傷するが、直ちに修理された[13]。8月23日昼、パドルは北緯34度37分 東経137度53分 / 北緯34.617度 東経137.883度 / 34.617; 137.883浜松南方掛塚灯台146度4海里地点で第7822船団を発見して魚雷を4本発射し、輸送船安宅丸帝国船舶、元イタリア船アーダ、5,248トン)[10]に命中させてを撃沈した[14][15]。パドルはさらに2本発射したが、こちらは命中しなかった[16]。9月12日、パドルは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

10月17日、パドルは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。ガルヴァニック作戦に関連してナウル島沖に配備され、主にギルバート諸島を攻撃する航空部隊に向けた気象情報の通報や電波誘導を実施。11月29日には、北緯11度20分 東経162度29分 / 北緯11.333度 東経162.483度 / 11.333; 162.483エニウェトク環礁沖で駆逐艦に護衛された「日本丸級タンカー」を発見し、魚雷を5本発射して2本の不確実な命中を記録した[17]。12月9日、パドルは58日の行動を終えて真珠湾に帰投[18]。この後、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ていたので、該当艦の1隻であるパドルはメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装した[19]。また、艦長がバイロン・H・ノウェル少佐(アナポリス1935年組)に代わった。

第3、第4、第5の哨戒 1944年3月 - 9月[編集]

1944年3月19日、パドルは3回目の哨戒でフィリピン南方およびモルッカ諸島方面に向かった。4月16日未明、パドルは南緯02度25分 東経127度24分 / 南緯2.417度 東経127.400度 / -2.417; 127.400アンボンの北西120キロ地点でハルマヘラ島からアンボンに向かっていた輸送船団を発見した。船団は護衛艦3隻と輸送船4隻からなり、パドルは1時53分に魚雷を計10本発射し、輸送船第一日の丸(日の丸汽船、2,671トン)に魚雷を命中させ、第一日の丸は大爆発を起こし沈没にいたらしめ、3分後には陸軍輸送船水戸丸(日本郵船、7,061トン)にも魚雷を3本命中させて撃沈した[20][21]。パドルはさらに戦果を拡大するため魚雷の装てんを急ぎ、明け方に「未明の攻撃で損傷したタンカー」に対して魚雷を4本発射したが命中せず、さらに攻撃しようとしたが護衛艦に阻止された[22]。5月12日、パドルは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

駆逐艦帆風(1921年)

6月5日、パドルは4回目の哨戒でセレベス海およびダバオ湾英語版方面に向かった。折りしも、アメリカ軍がマリアナ諸島攻略を進めている最中であり、それを阻止するための日本艦隊の出撃も予想された。パドルの担当海域も艦隊の通過が予想されたが、結局何もなかった。6月30日、パドルは北緯03度01分 東経123度16分 / 北緯3.017度 東経123.267度 / 3.017; 123.267のセレベス海で哨戒中に爆撃を受け損傷を受けたが、すぐに修理を行って事なきを得た[23]。7月6日、パドルは北緯03度24分 東経125度28分 / 北緯3.400度 東経125.467度 / 3.400; 125.467のサンギ島西岸沖で輸送船団を発見し、雨の中で魚雷を4本発射、魚雷は駆逐艦帆風に2本が命中してこれを撃沈した[24][25]。パドルは二番目の駆逐艦に対しても魚雷を2本発射し、1本が命中したと判定された[26]。7月9日未明には、中型輸送船と小型護衛艦を発見し、魚雷を3本発射したが回避された[27]。7月29日、パドルは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

8月22日、パドルは5回目の哨戒でスールー海に向かった。9月7日夕刻、パドルは北緯08度12分 東経122度37分 / 北緯8.200度 東経122.617度 / 8.200; 122.617ミンダナオ島シンダンガン岬沖で輸送船団を発見[28]。タンカーに対して4本、輸送船に対して2本の魚雷を発射し、海軍徴傭船真洋丸英語版拿捕船、2,634トン)に魚雷を3本命中させて船体を両断の上撃沈したが[29][30]、この時真洋丸にはアメリカ軍の捕虜が乗船しており、捕虜は真洋丸から脱出した84名と、真洋丸とともに運命をともにしたり、日本側の機銃掃射などで殺害された688名に大別され、前者のうち1名は岸にたどり着いたときに死亡し、他の1名はフィリピンに残った。残る82名はオーストラリア経由で生還し、アメリカ本国で幾度か会合を開いている。別の魚雷は特設運送船(給油)第二永洋丸(日本油槽船、5,061トン)に命中し、第二永洋丸は9月12日に回航先のセブ第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)の艦載機によって撃沈された[注釈 1]。9月25日、パドルは34日間の行動を終えてミオス・ウンディ島に帰投[31]。艦長がジョゼフ・P・フィッツパトリック少佐(アナポリス1938年組)に代わった。

第6、第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月[編集]

10月3日、パドルは6回目の哨戒でマカッサル海峡方面に向かった。この哨戒では主に、バリクパパンを爆撃する爆撃機搭乗員の救助任務に就いた。バリクパパン沖に向かう途中の10月11日未明、パドルは南緯01度20分 東経117度36分 / 南緯1.333度 東経117.600度 / -1.333; 117.600の地点で、石油を輸送していた2隻の500トン級海上トラックと50トン級スクーナーを発見し、砲撃ですべて撃沈した[32]。11月1日、パドルは29日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

11月25日、パドルは7回目の哨戒で南シナ海ルソン島方面に向かった。12月7日夜、パドルは北緯03度54分 東経111度24分 / 北緯3.900度 東経111.400度 / 3.900; 111.400の地点でシマ臨時船団を発見[33]。まず護衛艦に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった[34]。翌12月8日未明、北緯04度02分 東経111度12分 / 北緯4.033度 東経111.200度 / 4.033; 111.200ボルネオ島クチン沖にいたったところで魚雷を6本発射し、付近にいたハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) の発射した魚雷と合わせたうちのの3本がタンカー松栄丸(日東汽船、2,854トン)に命中し、松栄丸は大火災の末沈没していった[35][注釈 2]。パドルは反転して「若竹型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射し、「1本を命中させて目標を撃沈した」と推定された[36]。直後に第43号海防艦の反撃を受け、パドルは浮上したままその場から脱出した[37]。その後、パドルはアメリカ本国に向かうよう指示された。1945年1月18日、パドルは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った[5]

5月15日、パドルは8回目の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。この時期の日本の海上輸送は末期状態であり、残った大方の船舶も機雷で身動きが取れない状態だった。それでもパドルは、攻撃の機会に恵まれた。6月6日には北緯31度16分 東経130度10分 / 北緯31.267度 東経130.167度 / 31.267; 130.167の地点で駆潜艇を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった[38]。6月8日、パドルは北緯33度38分 東経126度22分 / 北緯33.633度 東経126.367度 / 33.633; 126.367の地点で2隻の50トン級監視艇を発見し、浮上して20ミリ機銃の射撃で撃沈した[39]。同じ日の夜には輸送船を発見し、魚雷を2本発射して爆発も確認したが、目標に変化は見られなかった[40]。パドルは浮上して目標を追跡したが、折から哨戒艦艇が向かってくるのが見えた[41]北緯34度03分 東経126度33分 / 北緯34.050度 東経126.550度 / 34.050; 126.550の地点で魚雷を2本発射し、全速力で脱出した[42]。6月26日夜には北緯37度30分 東経123度43分 / 北緯37.500度 東経123.717度 / 37.500; 123.717の地点でも50トン級監視艇を発見し、6月27日未明に浮上して5インチ砲と20ミリ機銃で撃ち沈めた[43]。7月2日朝、パドルは北緯38度29分 東経124度13分 / 北緯38.483度 東経124.217度 / 38.483; 124.217の地点で2隻の50トン級監視艇、2隻250トン級スクーナーと100トン級セイルボートを発見し、砲撃で一網打尽とした[44]。最後は魚雷を1本だけ発射したが、命中しなかった[45]。また、道中で見つけたいくつかの浮遊機雷を機銃を使って爆破した[46]。7月18日、パドルは60日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。この後、8月13日に9回目の哨戒(搭乗員救助任務)で日本の本州海域に向かったが、2日後に終戦を迎えた。8月17日、パドルはミッドウェー島に帰投した。

戦後・ブラジル海軍で[編集]

パドルは真珠湾とパナマ運河経由で大西洋岸に向かい、9月30日にスタテンアイランドに到着した。その後、ニューロンドンで予備役として保管されていたパドルは1946年2月1日に退役した。1956年8月31日に再就役し、相互防衛援助計画の下のブラジル海軍に貸与するための準備に入る。パドルは1957年1月18日に退役、ブラジル海軍に貸与され、リアチュエロ (Riachuelo, S-15) と改名、任務に就いた。

パドルは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章した。第1回から第7回までの哨戒が成功として記録された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この経緯から、第二永洋丸撃沈はパドルと空母機の共同戦果となっている(#Roscoe p.565)。
  2. ^ この経緯から、松栄丸撃沈はパドルとハンマーヘッドの共同戦果となっている(#Roscoe p.564)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h #Friedman pp.285-304
  2. ^ a b c d e f g h #Bauer
  3. ^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
  4. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.253-254, p.297
  5. ^ a b #SS-263, USS PADDLEp.315
  6. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.10-11
  7. ^ #伊勢防1808(1)pp.35-36
  8. ^ #SS-263, USS PADDLEp.13, pp.34-35
  9. ^ #伊勢防1808(1)p.35
  10. ^ a b Chapter V: 1943” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年6月18日閲覧。
  11. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.13-14
  12. ^ #伊勢防1808(1)pp.35-37
  13. ^ #SS-263, USS PADDLEp.19
  14. ^ #SS-263, USS PADDLEp.21, pp.36-37
  15. ^ #伊勢防1808(2)p.3
  16. ^ #SS-263, USS PADDLEp.38
  17. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.63-64, pp.72-73
  18. ^ #SS-263, USS PADDLEp.66
  19. ^ #SS-263, USS PADDLEp.83
  20. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.109-111
  21. ^ #駒宮p.160
  22. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.93-94, pp.111-112
  23. ^ #SS-263, USS PADDLEp.137,155
  24. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.141-142
  25. ^ #二十六特根1907p.5
  26. ^ #SS-263, USS PADDLEp.160
  27. ^ #SS-263, USS PADDLEp.144, pp.161-162
  28. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.185-186
  29. ^ #駒宮p.250
  30. ^ #SS-263, USS PADDLEp.187, pp.205-207
  31. ^ #SS-263, USS PADDLEp.198
  32. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.232-234, pp.252-253
  33. ^ #SS-263, USS PADDLEp.270,297
  34. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.270-271, pp.297-298
  35. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.271-273, pp.298-300
  36. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.300-301, p.311,313
  37. ^ #海防艦戦記p.515
  38. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.355-356
  39. ^ #SS-263, USS PADDLEp.325,362
  40. ^ #SS-263, USS PADDLEp.326, pp.357-358
  41. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.326-327
  42. ^ #SS-263, USS PADDLEp.327, pp.359-360
  43. ^ #SS-263, USS PADDLEp.341,362
  44. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.343-344, pp.363-364
  45. ^ #SS-263, USS PADDLEpp.360-361
  46. ^ #SS-263, USS PADDLEp.364

参考文献[編集]

  • (issuu) SS-263, USS PADDLE. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-263_paddle?mode=a_p. 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030418000 『自昭和十八年八月一日 至昭和十八年八月三十一日 伊勢防備隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030418100 『自昭和十八年八月一日 至昭和十八年八月三十一日 伊勢防備隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030499600 『自昭和十八年八月一日 至昭和十八年八月三十一日 大阪警備府戦時日誌』。
    • Ref.C08030265700 『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第二十六特別根拠地隊戦時日誌』。
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1. 
  • 海防艦顕彰会(編) 『海防艦戦記』 海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木津重俊(編) 『世界の艦船別冊 日本郵船船舶100年史』 海人社、1984年ISBN 4-905551-19-6
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年ISBN 4-87970-047-9
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0. 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3. 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年

外部リンク[編集]