フラウンダー (潜水艦)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | |
| 起工 | 1942年10月30日[1] |
| 進水 | 1943年8月22日[2] |
| 就役 | 1943年11月29日[2] |
| 退役 | 1947年2月12日[3] |
| 除籍 | 1959年6月1日[1] |
| その後 | 1960年2月2日にスクラップとして売却[1] |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 1,525トン(水上)[4] 2,424トン(水中)[4] |
| 全長 | 307 ft (93.6 m)(水線長) 311 ft 9 in (95.02m)(全長)[4] |
| 全幅 | 27.3 ft (8.31 m)[4] |
| 吃水 | 17.0 ft (5.2 m)(最大)[4] |
| 機関 | ゼネラル・モーターズ248A16気筒ディーゼルエンジン 4基[4] ゼネラル・エレクトリック発電機2基[4] |
| 最大速 | 水上:21 ノット (39 km/h)[5] 水中:9 ノット (17 km/h)[5] |
| 航続距離 | 11,000カイリ(10ノット時) (19 km/h 時に 20,000 km)[5] |
| 試験深度 | 300 ft (90 m)[5] |
| 巡航期間 | 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[5] |
| 乗員 | (平時)士官6名、兵員54名[5] |
| 兵装 | (1945年7月)5インチ砲1基、40ミリ機関砲2基 21インチ魚雷発射管10基 |
フラウンダー (USS Flounder, SS-251) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の一隻。艦名は食用魚のヒラメに因む。
目次 |
艦歴 [編集]
フラウンダーはコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1943年8月22日にアストリッド・H・マクレラン夫人によって進水し、艦長カール・A・ジョンソン少佐(アナポリス1929年組)[6]の指揮下1943年11月29日に就役する。就役後コネチカット州ニューロンドンを出航し、真珠湾を経由して1944年3月5日にニューギニアのミルン湾に到着した[7]。
第1、第2の哨戒 1944年3月 - 7月 [編集]
3月17日、フラウンダーは最初の哨戒でパラオおよびハルマヘラ島方面に向かった。哨戒期間中、多くの敵航空機を観測したためフラウンダーの行動は制限され、敵艦とはあまり接触がなかった。4月11日夜、フラウンダーはレーダーで3つの目標を探知し、追跡の上2時間後に北緯00度52分 東経129度16分 / 北緯0.867度 東経129.267度の地点で魚雷を4本発射するが、命中した様子は見られなかった[8]。フラウンダーは折からの雨の中で追跡を続け、翌4月12日2時ごろに再び魚雷を4本発射するも、やはり命中しなかった[9]。二度の攻撃とも、目標はおよそ3マイルもの遠方にあった[10]。4月16日から17日にかけてはダーウィンに寄港[11]。哨戒を再開するが、もはや航空機しか見なかった。5月9日、フラウンダーは54日間の行動を終えてミルン湾に帰投[12]。マヌス島ゼーアドラー湾に回航されて訓練と修理に従事した。艦長がジェームス・E・スティーヴンス少佐(アナポリス1930年組)に代わった。
6月3日、フラウンダーは2回目の哨戒でバッショー (USS Bashaw, SS-241) およびブリーム (USS Bream, SS-243) とウルフパックを構成しハルマヘラ島近海に向かった。5月31日から6月3日までゼーアドラー湾で補給と演習を行う[13]。6月17日、フラウンダーは北緯06度36分 東経127度55分 / 北緯6.600度 東経127.917度の地点で「7,000トン級輸送船」と2隻の「占守型海防艦」を発見し、魚雷を4本発射[14]。魚雷はすべてが特設運送船日本海丸(三井船舶、2,681トン)に命中してこれを撃沈した[15]。6月24日、フラウンダーは北緯05度08分 東経129度10分 / 北緯5.133度 東経129.167度の地点を浮上航行していた際に九七式艦上攻撃機2機が雲の間から降下し、投下した爆弾がフラウンダーの至近距離で爆発したため小規模な被害を受ける[16]。 フラウンダーはしばらくの間哨戒を続け、6月29日には北緯05度26分 東経125度40分 / 北緯5.433度 東経125.667度のサランガニ島近海で、20ノットでダバオに向かう駆逐艦朝雲、満潮、野分[17]を発見する[18]。フラウンダーは7月6日にゼーアドラー湾に到着し、損傷した燃料タンクの頂部を覆う応急修理を受けた[19]。7月12日、フラウンダーは39日間の行動を終えてブリスベンに帰投[20]。ここで本格的な修理を受けた。
第3、第4、第5の哨戒 1944年8月 - 1945年2月 [編集]
8月1日、フラウンダーは3回目の哨戒でフライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) とともにミンダナオ島方面に向かった[21]。8月8日から9日にかけてゼーアドラー湾で補給した後[22]、第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)によるフィリピンへの航空攻撃に対する救助支援任務に従事した。この哨戒では敵艦との接触はほとんど無く、8月18日午前に北緯05度34分 東経125度38分 / 北緯5.567度 東経125.633度の地点で第30号掃海艇に対して魚雷を4本発射し命中しなかったのが唯一の戦闘で、第30号掃海艇は攻撃をかわして爆雷で反撃を行ったため、フラウンダーは潜航避退した[23][24]。その後8月28日から9月1日までミオス・ウンディ島で燃料等を補給し、補給後は再びフライングフィッシュとともにダバオ湾などで哨戒を続けた[25]。9月28日にゼーアドラー湾に寄港し、10月4日、フラウンダーは61日間の行動を終えてブリスベンに帰投した[26]。
10月27日、フラウンダーは4回目の哨戒でバッショーおよびガヴィナ (USS Guavina, SS-362) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった[27]。10月31日にミルン湾で補給を受け、11月5日にダーウィンに寄港して再度の補給を受けて哨区に針路を向けた[28]。11月10日、フラウンダーはロンボク海峡の北部で小型艇を観測する[29]。その2時間後、南緯07度13分 東経115度17分 / 南緯7.217度 東経115.283度の地点で再び観測すると今度は潜水艦、それもドイツ海軍のUボートの司令塔と認識された[29]。フラウンダーは潜航して戦闘配置に就き、魚雷を4本発射して2本の命中が観測され、敵潜水艦は爆発し炎と煙に包まれた[30]。30分後に潜望鏡深度に戻って観測したが、何も見つけることができなかった。フラウンダーはペナン、スラバヤなどを拠点にモンスーン・グルッペの一艦として活動していたU-537を撃沈したのであった。11月21日午後、フラウンダーは2隻の護衛艦を配する2隻の輸送船を発見して接近する[31]。北緯10度39分 東経115度05分 / 北緯10.650度 東経115.083度の地点で先頭の輸送船に向けて魚雷を6本発射し、魚雷は輸送船暁山丸(拿捕船、5,698トン)に3本が命中して大破させた[32][33][注釈 1]。しかしながらその後は敵艦との接触はあれど攻撃機会はなかった。12月13日、フラウンダーは46日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
1945年1月7日、フラウンダーは5回目の哨戒で南シナ海に向かった[34]。しかし、音響測深機が故障したため再びフリーマントルに戻り、1月12日から14日まで音響測深機の修理を行い、修理完了ののち再度南シナ海に向かった[35]。2月12日午後、フラウンダーは北号作戦で日本本土に向かう完部隊を捕らえるべく翌2月13日まで追跡したが、わずかにタイミングを逸してこれらの目標への接近はできなかった[36]。2月22日、フラウンダーは北緯12度51分 東経109度31分 / 北緯12.850度 東経109.517度の地点で大型のジャンクに対して魚雷を4本発射するが、このうち4本目が不安定な方向へ進み、フラウンダーの熟練した乗組員は、自らの魚雷の直撃をどうにか避けることができた[37]。翌2月23日朝、フラウンダーはインドシナ半島沖で潜望鏡深度で航行中、同じく潜望鏡深度で航行中だったホー (USS Hoe, SS-258) と互いに擦れ合い、ホーのキールが損傷してわずかな漏れが視認できたが、すぐに修理が行われた[38]。2月25日、フラウンダーは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[39]。
第6の哨戒 1945年3月 - 4月 [編集]
3月16日、フラウンダーは6回目の哨戒でチュブ (USS Chub, SS-329) 、ブリル (USS Brill, SS-330) およびシーロビン (USS Sea Robin, SS-407) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった[40]。3月29日夜、フラウンダーは北緯16度40分 東経109度35分 / 北緯16.667度 東経109.583度のバダンガン岬沖でレーダーにより5つの目標と接触したが、フラウンダーが攻撃態勢に入る前に、目標は飛行艇からの夜間攻撃を受けた[41]。目標は南号作戦最終船団であるヒ88J船団の残党と考えられ、この時までに波状攻撃で輸送船は全滅し、残った海防艦と駆逐艦天津風は、3月29日夜にPBY カタリナの夜間爆撃を受けていた[42]。この哨戒での攻撃機会はなかった[43]。4月22日、フラウンダーは38日間の行動を終えてサイパン島タナパグ湾に帰投。オーバーホールのため本国へ向かった。
フラウンダーが真珠湾に戻って間もなく戦争は終了し、フラウンダーは東海岸への帰還を命じられ、9月18日にニューヨークに凱旋した。
戦後 [編集]
フラウンダーはニューハンプシャー州ポーツマスおよびコネチカット州ニューロンドンで不活性化された後、ニューロンドンで1947年2月12日に予備役となり保管される。その後は現役に戻ることもないまま1959年6月1日に除籍され、翌1960年2月2日にスクラップとして売却された。
フラウンダーの哨戒は2回目、4回目のものが成功として記録された。フラウンダーは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
脚注 [編集]
注釈 [編集]
- ^ 暁山丸は11月26日に南沙諸島の太平島に漂着した後、ガヴィナが撃沈(#駒宮(1)pp.108-109)。この経緯から、暁山丸撃沈はフラウンダーとガヴィナの共同戦果となっているが(#Roscoe p.564)、当初はバッショーとの共同戦果となっていた(#SS-251, USS FLOUNDERp.185)
出典 [編集]
- ^ a b c #Friedman pp.285-304
- ^ a b #SS-251, USS FLOUNDERp.5
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.6
- ^ a b c d e f g #Bauer
- ^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.7
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.8-9
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.28-30, pp.58-59
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.30-31, pp.60-61
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.58,60
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.33-34
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.45
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.80-81
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.86,104
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.86-87, pp.104-106
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.90-91, p.102
- ^ #四駆1906pp.43-44
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.93,97
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.96
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.98
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.119-120
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.120-121
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.131
- ^ #MS30,1908p.66
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.136
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.143
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.151-152
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.152-153
- ^ a b #SS-251, USS FLOUNDERp.154,167
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.154-155, pp.170-171
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.158-159
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.171-172
- ^ “The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944” (英語). HyperWar. 2012年5月16日閲覧。
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.186,188
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.188
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.200-201
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.205-206, pp.237-238
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.207-209
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.209
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.251,253
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERpp.259-260, p.270
- ^ #森田p.96
- ^ #SS-251, USS FLOUNDERp.271
参考文献 [編集]
- (issuu) SS-251, USS FLOUNDER. Historic Naval Ships Association.
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C08030145800 『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第四駆逐隊(野分)戦時日誌』、35-65頁。
- Ref.C08030617500 『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第三十号掃海艇戦時日誌』、36-82頁。
- Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3.
- 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6。
- Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1.
- 駒宮真七郎 『続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録』 出版協同社、1981年。
- 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9。
- Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0.
- Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3.
- 森田友幸 『25歳の艦長海戦記 駆逐艦「天津風」かく戦えり』 光人社NF文庫、2004年。ISBN 4-7698-2438-6。
- 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年。
- 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年。
外部リンク [編集]
- navsource.org
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。
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