ドラド (SS-248)

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USS Dorado (SS-248).jpg
艦歴
発注
起工 1942年8月27日[1]
進水 1943年5月23日[1]
就役 1943年8月28日[1]
退役
除籍
その後 1943年10月15日に友軍機の誤爆、Uボートの攻撃もしくは敷設した機雷に触雷し戦没[2]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[3]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関 ゼネラル・モーターズ248A16気筒ディーゼルエンジン 4基[2]
ゼネラル・エレクトリック発電機2基[2]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度 300 ft (90 m)[3]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装 3インチ砲1基、50口径機銃2基、30口径機銃2基
21インチ魚雷発射管10基

ドラド (USS Dorado, SS-248) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はハワイでマヒマヒとして知られるシイラ(英名Dorado)に因む。

艦歴[編集]

ドラドは1942年8月27日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1943年5月23日にエズラ・G・アレン夫人によって進水し、艦長アール・カフレイ・シュナイダー少佐の指揮下1943年8月28日に就役する。ドラドは公試後1943年10月6日にコネチカット州ニューロンドンを出航しパナマ運河地帯に向かうが、到着予定日である10月14日にドラドが到着することはなかった。

通常訓練において潜水艦の前方50カイリ (92.6キロ) 、後方100カイリ (185.2キロ) 、両翼15カイリ (27.8キロ) が航行予定海域として爆撃規制が行われると関係各位に通知された。しかしながら10月12日の晩、グアンタナモ湾を拠点とする第210偵察航空団所属のPBM マリナー乗務員は誤った範囲を通知された。現地時間の20時49分、雲の出ていた月明かりの空の下、偵察機は未確認の潜水艦に対して3発のマーク47型爆雷と1発のマーク4型Mod4 100ポンド(45kg) 爆弾を投下した。彼らは潜水艦が規制海域外を航行していると信じていた。約2時間後に偵察機は識別信号の交換を試みた別の潜水艦を観測した。偵察機はこの2隻目の潜水艦に攻撃を行った。潜水艦は識別信号の応答として、機銃を撃ってきた。また、10月12日の夜にドラドの規制海域を通行予定であった護衛艦は、潜水艦との接触を報告しなかった。ドラドの到着予定であった10月14日になると直ちに空中捜索が始められた。油と残骸が広がっているのが発見された。続いて調査委員会がグアンタナモ湾で招集され、ワシントン海軍工廠ではより公式の委員会が開かれた。委員会は「油が広がっている箇所」は燃料ではなく、自然の産物 -おそらく海草のような植物が腐敗したもの- であると判断した。「残骸」はドラドの物ではないことが確認された。グアンタナモ及びワシントンの両委員会で、偵察機の乗員は彼らが攻撃した潜水艦2隻はUボートだと確信していると証言した。

しかし、これらの情況証拠にもかかわらず、ドラドがマリナーによって沈められたかどうかを疑う理由が存在する。マリナーの乗員達は、ドラドがその海域を航行していることを知っており、潜水艦への攻撃前に非常に注意深く目標を観察している。最初の攻撃に先立ち偵察機の4人の乗組員は水上の潜水艦を12分間観察した。

  • 同海域は彼らが(不正確に)告げられたドラドの航行予想海域から48マイル離れており、実際の航行海域からは34マイル離れていた。
  • その潜水艦はドラドの基本コースからほぼ90度離れていた。
  • ドラドは艦の前方甲板に3インチ砲[注釈 1]を装備していたが、その潜水艦は装備していなかった。
  • その潜水艦は甲板全体に溝が掘られており、ドラドは司令塔の近くにしか掘られていなかった。
  • その潜水艦は「取っ手状の」物体を司令塔正面に装備していた。これはIX型Uボートに装備された「ビスケー・クロス」レーダー探知機と考えられる。

戦後ドイツ海軍の記録が検討され、マリナーが最初に攻撃したのはU-518英語版[注釈 2]であった可能性が示された。上に挙げた「ビスケー・クロス」レーダー探知機と思しき物体を考えると、そういう見方が出るのは当然であった。しかしながら艦の航海日誌にはその攻撃は記録されていない。書き落としたか、普通ではありえないことではあるがマリナーの攻撃をU-518が気づかなかった可能性が考えられる。投下された3発の爆雷および1発の爆弾の内、1発の爆雷は不発であり、もう1発もあまりにも低く投下されたため爆発しなかった。3発目の爆雷と爆弾も爆発したのを確認できなかった。攻撃の後マリナーは同海域を20分間捜索したが、爆発、水泡、残骸のいずれも発見できなかった。マリナーが2時間後に攻撃した潜水艦はU-213英語版であった。戦後入手されたU-214の航海日誌には航空機による攻撃が記録されていた。近年におけるいくつかの記録、例えばUボートに関することをほぼ網羅しているサイトでは、ドラドはU-214が敷設した機雷によって沈んだとしている[4]

1970年代になって、Syneca Research Groupがドラドの喪失に関する新説を発表した。それによれば、ドラドは試運転中に火災を発生して失われたというものであり、またドラドの残骸はメキシコ湾のある海岸にあり、司令塔が地面から姿を見せている主張した。しかし、この説が唱えられた1970年代以降、残骸があると主張する地点は風化侵食で場所が分からなくなっており、後に「ドラドの残骸はカリブ海の海流によって900マイルも流された」と主張を変えている。

ドラドの記念碑はカンザス州ウィチタアーカンザス川沿いのベテランズ・メモリアル公園に建立された。また、2011年11月にはドラドに関する本が出版された[注釈 3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 英文版では"five-inch gun"となっているが、ここでは要目欄に合わせた。
  2. ^ 日本海軍に譲渡された呂号第五〇〇潜水艦の同型艦。
  3. ^ "USS DORADO (SS-248): On Eternal Patrol" was published by Douglas E. Campbell in November 2011. ISBN 978-1-257-95155-0

出典[編集]

  1. ^ a b c #Friedman pp.285-304
  2. ^ a b c d e f g #Bauer
  3. ^ a b c d e f g #Friedman pp.305-311
  4. ^ Patrol info for U-214” (英語). uboat.net. 2012年5月5日閲覧。

参考文献[編集]

  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0. 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]