ゴレット (潜水艦)

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USS-Golet-361a.jpg
艦歴
発注
起工 1943年1月27日[1]
進水 1943年8月1日[2]
就役 1943年11月30日[2]
退役
除籍
その後 1944年6月14日に戦没
1944年7月26日に喪失宣告
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[3]
2,424トン(水中)[3]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[3]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[3]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[3]
機関 ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基[3]
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[3]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[4]
水中:9 ノット (17 km/h)[4]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[4]
試験深度 300 ft (90 m)[4]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[4]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[4]
兵装 3インチ砲1基、20ミリ機銃2基
21インチ魚雷発射管10基

ゴレット (USS Golet, SS-361) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はカリフォルニアマスに因む。

艦歴[編集]

ゴレットは1943年1月27日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工する。1943年8月1日にウィリー夫人(ウィスコンシン州選出上院議員アレクサンダー・ウィリー英語版の妻)によって進水し、艦長ジェームズ・M・クレメント少佐(アナポリス卒業年次不明)の指揮下1943年11月30日に就役する。ゴレットはマニトワックを1943年12月19日に出航し、ミシシッピ川を経由してルイジアナ州ニューオーリンズに12月28日に到着した。パナマで整調訓練を行った後、ハワイ水域で最終の戦闘訓練を行った。なお、この間に艦長がフィリップ・H・ロス中佐(アナポリス1927年組)に代わった[5]

なお、このゴレットからハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) までの4隻は、本来はバラオ級潜水艦として建造される予定だったが、高張力鋼調達に問題が生じたことや設計図の出図の遅れなど諸事情により、ガトー級として建造されたものである[注釈 1]

哨戒[編集]

1944年3月18日、ゴレットは最初の哨戒で千島列島に向かった。哨戒は厳寒の中、霧と激しい風雨に見舞われた。4月18日に北緯39度12分 東経142度13分 / 北緯39.200度 東経142.217度 / 39.200; 142.217の地点で4,000トンから5,000トン級の輸送船に遭遇したものの、攻撃射程に捉えることができなかった[6]。5月3日、ゴレットは46日の哨戒を終えてミッドウェー島へ帰投。艦長がジェームズ・S・クラーク少佐(アナポリス1935年組)に代わった。

5月28日、ゴレットは2回目の哨戒で日本近海北部に向かった。しかし、その後行方不明となる。ゴレットは7月5日に担当海域を離れ、7月12日もしくは13日にミッドウェー島に到着する予定であった。ゴレットは7月9日に送られたメッセージを確認できず、7月26日に喪失したと推定された。

ゴレットの最期[編集]

日本側の記録である『大湊防備隊戦闘詳報』などを参照すると、ゴレットの最期は次のように推測されている。

6月14日15時45分、北緯40度59分 東経141度27分 / 北緯40.983度 東経141.450度 / 40.983; 141.450の白糠灯台(青森県東通村)165度9.2海里の地点を接岸航行中の輸送船相模川丸(東洋海運、6,886トン)は潜水艦からの3度の雷撃を受け、合計9本の魚雷に襲われたが回避した[7]。当時このあたりで活動していた他のアメリカ潜水艦の記録を照合すると、この相模川丸を雷撃した潜水艦がゴレットであると判断されている。相模川丸からの警報を受け、大湊警備府はただちに大湊航空隊の航空機と特設掃海艇、特設駆潜艇などを繰り出して捜索を行った。このあたりは、機雷敷設能力もある特設巡洋艦盤谷丸大阪商船、5,351トン)が1942年以来たびたび対潜機雷を敷設した場所であり、白糠灯台沖や久慈湾宮古湾沖などに敷設されていた[8]。白糠灯台163度9カイリの地点で発見されたと思われるゴレットは、同日15時55分以降、特設駆潜艇など6隻の艦艇に包囲追跡されたのち、次第に白糠灯台沖の機雷原に足を踏み入れたと考えられ、6月17日には潜水艦の物と思われる多くの破片が浮上し、幅100メートル、長さ5,200メートルにもわたる重油が流れているのを確認したとある。『大湊防備隊戦闘詳報』では、触雷地点を白糠灯台125度6カイリの地点としている。もっとも、触雷した割には1944年11月7日に恵山岬灯台沖で触雷沈没したアルバコア (USS Albacore, SS-218) のときのような、触雷の根拠となる具体的な記述に乏しく[注釈 2]、あるいは触雷しても小爆発に留まった可能性もある。

4日後の6月18日、白糠灯台沖には長さ2,000メートルの重油の油帯が依然として残っていた。これが4日前の油帯の残りなのか新たな油帯なのかは判別つかず、ともかくこの油帯を確認した特設監視艇宮丸(大濱漁業、81トン)の報告を受けた大湊航空隊の水上偵察機が8時30分、油帯に爆弾を投下し宮丸も爆雷攻撃を行った。その後、13時と15時50分にも繰り返し攻撃を実施。その結果、気泡や新たな重油の噴出が確認され、後者に関しては6月20日まで確認された。どちらの攻撃がゴレットの最期を示すものかは判然としないが、14日に致命的なダメージを受け18日に止めを刺されたか、あるいは14日に触雷沈没して18日に攻撃したのはゴレットの残骸だった可能性もある。

アメリカ側記録では、ゴレットの沈没位置を北緯41度04分 東経141度30分 / 北緯41.067度 東経141.500度 / 41.067; 141.500としている[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同時期、メア・アイランド海軍造船所で建造予定だったバラオ級潜水艦のテンチ (USS Tench, SS-417) からクィルバック (USS Quillback, SS-424) までの8隻が、同造船所の余裕のなさを理由に新設計艦に改めた上でポーツマス海軍造船所で代替建造されることとなった。これがテンチ級潜水艦の最初の8隻となる(#大塚p.153,155)。
  2. ^ 『大湊防備隊戦闘詳報』では「油紋発見」等の記述はあるが、「爆発した」「水柱が上がった」などという記述はない。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • (issuu) SS-361, USS GOLET. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-361_golet?mode=a_p. 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030451700 『昭和十九年六月三十日 大湊防備隊戦闘詳報 (昭和十九年自六月十四日至六月十八日白糠沖対潜水艦戦闘)』。
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 防衛研究所戦史室編 『戦史叢書46 海上護衛戦』 朝雲新聞社1971年
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1. 
  • 防衛研究所戦史室編 『戦史叢書85 本土方面海軍作戦』 朝雲新聞社1975年
  • 海軍水雷史刊行会(編纂) 『海軍水雷史』 海軍水雷史刊行会、1979年
  • 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ1989年ISBN 4-257-17218-5
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0. 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3. 
  • 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年
  • 大塚好古「米海軍「艦隊型潜水艦」の完成型シリーズ」 『歴史群像 太平洋戦史シリーズ63 徹底比較 日米潜水艦』 学習研究社2010年、149-155頁。ISBN 978-4-05-605004-2

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯41度04分 東経141度30分 / 北緯41.067度 東経141.500度 / 41.067; 141.500