盤谷丸 (特設巡洋艦)

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BangkokMaru1937.JPG
船歴
起工 1936年11月11日[1]
進水 1937年3月30日[1]
竣工 1937年9月20日[1]
その後 1943年5月20日沈没
主要目
総トン数 5,351 トン[2]
載貨重量トン数 6,630 トン[2]
全長 114.70 m[2]
垂線間長
型幅 17.00 m[2]
型深 10.00 m[2]
吃水 2.63 m(空艙平均)[2]
7.04 m(満載平均)[2]
主機 三菱ディーゼル機関 2基1軸(フルカンギア接続)[2][3]
出力 3,000馬力(計画)[3]
3,555馬力(最大)[2]
航海速力 14ノット[2]
最高速力 15.95ノット[2]
船客定員 一等:20名[2]
三等:50名[2]
乗員 66名[2]

盤谷丸(ばんこくまる)とは、かつて大阪商船が所有し運航していた貨客船で、太平洋戦争では特設巡洋艦として運用された。厳密な艦種類別は「特設巡洋艦兼敷設艦」であり[4]、実際の戦歴も敷設艦や運送船としての任務がほとんどだった。

概要[編集]

大阪商船が1926年(大正15年)9月に開設したサイゴンバンコク線は、1935年(昭和10年)の時点では5隻・月5航海の定期航路となっていた[5]1937年(昭和12年)、これとは別に新鋭船を使ったサイゴン・バンコク急航線を開くこととなり、これに使用するために建造されたのが「盤谷丸」と「西貢丸」である[6]。「盤谷丸」は第三次船舶改善助成施設適用船、また三菱神戸造船所初の遠洋航路向け貨客船として[3]1936年(昭和11年)11月11日に起工され、昭和12年3月30日に進水して9月20日に竣工した。

バンコクに直接入港するには水深の浅いチャオプラヤー川を往来する必要があり、しかもバンコク出港の際には載貨状態のまま航行するため、「盤谷丸」と「西貢丸」はこの点を配慮した浅喫水船としたことが大きな特徴であった[3]。平甲板型の船室を持ち、和辻春樹の設計と中村順平のデザインによるその船室は、エントランスにタイの風景と大仏をモチーフにしたエッチングによる装飾が施され、大型の窓を採用して採光にも配慮されていた[7]。ディーゼル機関は2基装備され、それをフルカンギアで推進軸に接続したもので、不均一な機関の回転を均一にして推進効率を高める効果があった[3][7]。「盤谷丸」は竣工してわずか9日後の9月29日に処女航海を行い[7]、遅れて竣工した「西貢丸」とともに40日1航海の定期航海を行った[6]。しかし、開航時期が日中戦争勃発後であり、戦争の拡大に伴う民間船の徴傭や、それに関連する船繰りの都合もあり、サイゴン・バンコク急航線は開航後わずか1年で休航し、以降は従来のサイゴン・バンコク線に転じた[6]。その後、1939年(昭和14年)4月に台湾総督府命令で高雄に寄港するようになったことと[6]、「西貢丸」が一時大阪大連線(大連航路)に転じたこと[8]があったものの、「盤谷丸」は1941年(昭和16年)6月までサイゴン・バンコク線に就航し続けた[7]

「盤谷丸」は昭和16年8月15日付で日本海軍に徴傭されて呉鎮守府籍となり、9月20日付で特設巡洋艦として入籍[9]。8月29日から入籍日をまたいで10月12日まで宇品造船所で特設巡洋艦としての艤装工事が行われた[9]。主だった兵装は12センチ砲4基、機銃のほかに機雷500個であった[7]。特設巡洋艦となった「盤谷丸」は、「西貢丸」や同じく特設巡洋艦兼敷設艦の「金城山丸」(三井物産船舶部、3,263トン)とともに呉警備戦隊に配属される[10]。12月8日の開戦をはさみ、豊後水道で防備機雷の敷設[11]および広島湾での防潜網敷設[12]に従事ののち、12月31日から1942年(昭和17年)1月1日まで紀伊水道での防備機雷の敷設に従事する[13][14]。以後も呉防備戦隊の主隊として宿毛湾を拠点に対潜哨戒や防備作業、母艦任務、通信連絡業務などにたずさわった[15][16]。4月18日のドーリットル空襲に際しては串本に移動し、「空襲の手引きをした」と疑われたソ連輸送船の臨検を行った[10][17]。10月4日から10月25日の間、「盤谷丸」は横須賀鎮守府の指揮下に入って久慈湾宮古湾および金華山沖などで対潜機雷堰の構築を行った[18][19]。12月にはソロモン諸島方面に重砲部隊を持った海軍陸戦隊を輸送する乙一号輸送に加わり、12センチ平射砲などを装備した横須賀第七特別陸戦隊をトラック諸島経由でラバウルに送ることとなった[20]。12月10日、「盤谷丸」は横須賀を出撃して12月22日にラバウルに到着し、1943年(昭和18年)1月7日に佐伯に帰投した[21][22]。次いで2月28日には「西貢丸」とともに佐世保第七特別陸戦隊を乗せて横須賀を出撃し、当初の予定では横須賀第七特別陸戦隊と同様にラバウルに輸送する予定だったが、途中で行き先がタラワに変わり、3月17日に到着[23]。「盤谷丸」と「西貢丸」は無事に輸送任務を終え、4月2日に佐伯に帰投した[24]

4月27日、「盤谷丸」は陸軍南海第一守備隊のタラワへの輸送任務に起用されることが決まった[25]。特務艦「間宮」とともに船団を構成した「盤谷丸」は5月4日、駆逐艦」の護衛の下に佐伯を出撃し、5月12日にトラックに到着する[26]。トラックで「間宮」と別れたあと、5月16日にトラックを出撃した[27]。この「盤谷丸」の動きに熱い視線を注いでいたユニットがあった。ハワイのアメリカ太平洋艦隊戦闘情報班がそれで、そのうちの無線班が「盤谷丸」の動きに関する暗号を解読していた。それによれば「「盤谷丸」はシンガポールの戦いの末に捕獲したイギリス軍の8インチ砲4門を搭載していた」というものだった[28]。陸軍南海第一守備隊は歩兵4個中隊と野砲1個中隊で構成されていたため事実とは大いに異なっていたが[27]、太平洋艦隊潜水部隊作戦参謀リチャード・G・ヴォージ中佐[29]を介して、当時ジャルート環礁付近を行動していたアメリカ潜水艦「ポラック」 (USS Pollack, SS-180) に対して「盤谷丸」を迎え撃つよう指令が出された[28]。5月20日午後、「盤谷丸」と「雷」はジャルート環礁ジャンボール水道付近を航行していた[30]。一方、「ポラック」は「赤城丸級輸送船と千鳥型水雷艇」を発見し、発見から20分後に魚雷を4本発射[31]。魚雷は3本が「盤谷丸」に命中し、「盤谷丸」は300フィートに及ぶであろう爆煙を吹き上げて沈没した[32]。「雷」が反撃に出て21発もの爆雷を投下し、ポラックはこの爆雷攻撃で電池と潜舵が損傷したが、それ以上の被害はなかった[33]。乗員および陸軍南海第一守備隊隊員のうち496名が戦死し、474名の生存者は救助されてジャルート環礁に上陸した[27][30]。太平洋艦隊戦闘情報班はのちに、「盤谷丸」と件の8インチ砲が無関係だったことを知って失望したが、陸軍南海第一守備隊の移動を阻止したことをよしとした[28]。7月15日付で除籍および解傭[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050073700 『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、35頁。
    • Ref.C08030365600 『自昭和十六年十二月一日至同十二月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030365700 『自昭和十七年一月一日至同一月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030365800 『自昭和十七年二月一日至同二月二十八日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030366000 『自昭和十七年四月一日至同四月三十日 呉防備戦隊戦時日誌』、14-63頁。
    • Ref.C08030366700 『自昭和十七年十一日至昭和十七年十月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030366800 『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030367100 『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030367200 『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030367300 『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030367700 『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 呉防備戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030367800 『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。
  • (issuu) SS-180, USS POLLACK. Historic Naval Ships Association. http://issuu.com/hnsa/docs/ss-180_pollack?mode=a_p. 
  • 新三菱重工業神戸造船所五十年史編さん委員会(編) 『新三菱神戸造船所五十年史』 新三菱重工業株式会社神戸造船所、1957年
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 岡田俊雄(編) 『大阪商船株式会社八十年史』 大阪商船三井船舶、1966年
  • 海軍水雷史刊行会(編纂) 『海軍水雷史』 海軍水雷史刊行会、1979年
  • W.J.ホルムズ 『太平洋暗号戦史』 妹尾作太男(訳)、ダイヤモンド社1980年
  • 山高五郎 『図説 日の丸船隊史話(図説日本海事史話叢書4)』 至誠堂、1981年
  • 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ1989年ISBN 4-257-17218-5
  • 木俣滋郎 『日本軽巡戦史』 図書出版社、1989年
  • 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年
  • 松井邦夫 『日本商船・船名考』 海文堂出版、2006年ISBN 4-303-12330-7

関連項目[編集]