報国丸 (特設巡洋艦)

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報国丸
報国丸1942年
1942年、シンガポール・セレター軍港での報国丸
艦歴
艦種 特設巡洋艦
艦級 報国丸級
起工 1938年8月18日(三井造船玉野事業所)
進水 1939年7月5日
就役 1941年8月29日(海軍籍に編入時、竣工は1940年6月15日)
主な所属 第二十四戦隊
最後の軍役 1942年11月11日
除籍 1942年12月15日
性能諸元
排水量 不明(10,438総トン)
全長 160.8m
全幅 20.2m
吃水 8.8m
機関 三井B&Wディーゼル2基 13,000馬力(2軸)
最大速度 21.1ノット
航続距離 不明
乗員 不明
装甲 なし
兵装 15cm砲8門(後に14センチ50口径砲8門に換装)、13mm対空機銃連装2基4門(後に25mm連装機銃2基を増備)、53cm魚雷発射管連装2基4門
航空兵力 水上機2機(1機は補用)
潜水艦用補給物資を搭載可能、船主は大阪商船
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報国丸(ほうこくまる)は、大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船の内の1船。日本海軍に徴用され、太平洋戦争では特設巡洋艦としてインド洋を中心に通商破壊を行った。

艦歴[編集]

1940年に撮られた貨客船時代の「報国丸」

大阪商船が南アフリカ航路へ投入する初めての新造船として計画、1940年(昭和15年)6月に完成した。優秀船舶建造助成施設の適用を受け、有事の徴用を前提として建造された。完成後、実際に南アフリカ航海を行ったのは1度のみで、あとは専ら大連航路へと投入された。これは優秀船を近海で温存する方針だった政府の指令によるものである(優秀船舶建造助成施設の適用条件の一つとして、政府による運航命令に従うことが定められていた)。

1941年8月29日に海軍に徴用され、三菱長崎造船所で特設巡洋艦としての改装を受ける。10月15日付けで姉妹船の愛国丸とともに連合艦隊隷下に新たに編制された第二十四戦隊に編入された。11月13日、日米開戦に備え呉を出港し、マーシャル諸島ヤルート島に到着。同島から11月26日に出撃する。第二十四戦隊の任務は南太平洋における通商破壊であった。

第二十四戦隊は開戦をツアモツ諸島西方で迎え、その直後の12月13日にはピトケアン諸島北西で初めて獲物となる敵船に出会った。これはアメリカの貨物船セント・ヴィンセント(6,210総トン)で、同船は戦隊に警告を受けたがこれを無視して逃走しようとしたため、撃沈された。翌1942年1月2日、搭載機の偵察によりアメリカの貨物船マラマ(3,275総トン)を発見。搭載機の爆撃および砲雷撃により撃沈している。撃沈前にマラマが救難信号を発したため、第二十四戦隊は作戦を切り上げ、日本への帰投の途についた。なお、帰投途上の2月11日には、日本近海でソ連の貨物船を臨検している。

南太平洋での通商破壊は効率が良くなかったため、第二十四戦隊は3月づけで解隊され、報国丸と愛国丸は一時的に第六艦隊第八潜水戦隊の付属となった。これは同戦隊のインド洋での通商破壊に協力するためである。報国丸、愛国丸の両船とも、この任務のために燃料や魚雷を潜水艦へ補給するための設備を設け、その改装期間中に主砲を3年式14cm単装砲に換装した。

改装なって4月12日、報国丸は愛国丸とともに呉を出発、同30日にペナン島に到着した。ペナン出撃は5月5日で、その4日後の5月9日に早くもこの作戦の最初の戦果となるオランダのタンカー、ヘノタ(約15,000総トン)を拿捕する。ヘノタは後に特設給油艦大瀬となった。およそ一月後の6月5日、モザンビーク海峡南方でイギリスの商船エリシア(6,757総トン)を発見し、撃沈。6月17日には、第八潜水戦隊甲先遣隊に補給を行った。なお、甲先遣隊の内の何隻かは数週間前に特殊潜航艇をもってマダガスカルの戦いに参加したものである。これからまた一月ほど経った7月12日、ニュージーランドの貨物船ハウラキ(7,113総トン)を拿捕(ハウラキは後に伯耆丸と改名され海軍が徴用)、その後に作戦を終了しペナンに帰投した。作戦中、明記した以外にも報国丸と愛国丸の両船は何度か潜水艦に補給を行っている。

ペナンに帰港後、両船は南西方面部隊に所属し、シンガポール-ラバウル間の輸送任務に就いた。この間に、シンガポールのセレター軍港で25mm機銃と搭載機(補用機)の増備を行ったという。

11月1日、報国丸は再びインド洋で通商破壊を行うため、愛国丸とともにシンガポールを出撃した。スンダ海峡を抜けインド洋に出た報国丸は11月11日にオランダのタンカー、オンディナ(6,341総トン)とその護衛にあたっていたイギリス海軍(正確にはインド植民地海軍)の掃海艇ベンガルを発見する。この頃、愛国丸はやや離れた位置にあって索敵にあたっていた。オンディナは以前に拿捕したゼノタと同じくロイヤル・ダッチ・シェル系のラ・コロナ所属のタンカーであった。

報国丸はベンガルとオンディナに停船命令を発しつつ両船に近づく。これに対し、ベンガルは75mm(12ポンド)単装砲1基と機銃若干のみという、報国丸に比べれば遙かに劣勢な武装であったが、オンディナを逃走させるために前面に出て戦闘を開始した。オンディナも逃走を図りつつ唯一の備砲であった4インチ(102 mm)単装砲を発射、報国丸に数発の命中弾を与えた。この命中弾が報国丸にとって致命傷となる。被弾により報国丸の後部船体で火災が発生。火災は瞬く間に延焼し、魚雷発射管の魚雷と搭載機にまで炎が及んで誘爆が始まった。消火作業と魚雷の投棄が命じられたものの火勢は強く、補給用の魚雷庫まで炎上させて、誘爆を拡大させた。正規軍艦に比べ防御力の弱い報国丸は損傷に耐えきれず、やがて沈没する。合流した愛国丸も報国丸を救うことはできず、砲雷撃によってベンガルを逃走させオンディナを炎上・放棄させた以外には、報国丸の生存者を救助することしかできなかった。

なお放棄されたオンディナは、後に漂流中のところを脱出した同船乗組員が発見し、復旧の上フリーマントルに帰還している。

艦長[編集]

  • 藍原有孝 大佐:1941年9月20日 - 1942年8月25日[1]
  • 今里博 大佐:1942年8月25日 - 11月11日戦死[2]

同型艦[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本海軍史』第9巻、595頁。
  2. ^ 『日本海軍史』第9巻、679頁。

参考文献[編集]

  • 小林義秀「報国丸クラスの軌跡」『世界の艦船』535号、1998年。
  • 兵頭喜明「報国丸級の船影を追って その構造と装飾」『世界の艦船』535号、1998年。
  • 「貴重な遺影で綴るOSK報国丸級」『世界の艦船』535号、P135-140、1998年。
  • 木俣滋郎『第二次大戦海戦小史』朝日ソノラマ〈文庫〉、1986年。
  • 福井静夫 『日本補助艦艇物語』光人社、1993年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第一法規出版、1995年。

関連項目[編集]