金城山丸

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Kinjosan Maru1936.JPG
船歴
起工 1936年3月10日
進水 1936年8月1日
竣工 1936年9月30日
その後 1942年5月4日戦没
主要目
総トン数 3,263 トン
載貨重量トン数 4,783 トン
全長
垂線間長 100.58 m
型幅 14.33 m
型深 7.62 m
吃水 6.4 m
主機 三連成レシプロ機関 1基
出力 2,324馬力(最大)
1,950馬力(計画)
航海速力 12.5ノット
最高速力 14.52ノット

金城山丸(きんじょうさんまる)は、かつて三井物産船舶部(現:商船三井)が運航していた貨物船。金城山丸級2隻の1番船で、同型船は金峰山丸。

概要[編集]

三井物産船舶部は以前より大連を経由する定期運航を行っていたが、1932年の満州国建国に伴い荷動きが活発化。他船社も多数配船したため、三井物産の大連航路の成果はあまり良いものではなかった。

そこで、同社ではそれまでの航路とは別に横浜~大連間の直航便を計画し、同型2隻の中型貨物船を新造することとした。 なお主機には石炭を有効利用する国策上の立場から新造船としては既に少数派であったレシプロ機関を搭載することとし、効率を高めるためにエータヴェルケン式排気ターボ・コンプレッサーを装備した。

船歴[編集]

1936年三井物産造船部玉工場で建造され、横浜~大連の急航便として就航。毎航海横浜にてほぼ満船となる好成績を収めた。

1937年の日中戦争時には徴用による船腹不足から台湾南洋方面に不定期船として就航した。

1941年2月3日海軍に徴用され、機雷敷設を主目的とする特設巡洋艦となり、12cm単装砲4基、7.7mm単装機銃1基、機雷約400個を搭載した。

1942年4月10日連合艦隊第四艦隊第二海上護衛隊所属となり、4月25日トラックへ向けを出港。同年5月4日トラック島北西沖でアメリカ海軍潜水艦グリーンリング」の雷撃を受け沈没した。

艦長[編集]

  • 藤堂功 予備海軍大佐:1941年8月12日 - 1942年5月4日戦死 ※同日、海軍少将に特進。

参考文献[編集]

  • 船舶技術協会『船の科学』1981年8月号 第34巻第8号
  • 海人社『世界の艦船』1999年4月号 No.550
  • 野間恒『商船三井船隊史 1884-2009』2009年