あるぜんちな丸

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あるぜんちな丸(-まる Argentina Maru)は20世紀太平洋で活躍した船舶(貨客船)の名前。

目次

[編集] 概要

初代は西回り世界一周航路(神戸基隆シンガポールケープタウンサントスパナマ運河~神戸)の豪華客船として、1939年(昭和14年)に竣工。その際ブラジル官憲から「なぜ、寄航もしないのにアルゼンチンなのか?」と詰問されたという笑い話が残されている。翌年、第二次世界大戦の勃発のため大連航路へ転配。1942年(昭和17年)に日本海軍に売却されると航空母艦海鷹(かいよう)」へと改造され、第二次世界大戦終戦後にスクラップとされた。

2代目は1958年(昭和33年)に竣工し、南米移民船として活躍する。1972年(昭和47年)に南米定期航路が廃止されるとともに改装され、名前も「にっぽん丸」に変更される。その後、1977年(昭和52年)に引退。

[編集] 初代

大阪商船「あるぜんちな丸」(昭和14年夏)

[編集] 主要諸元

  • 設計者 和辻春樹
  • 船主 大阪商船株式会社
  • 建造 三菱重工業長崎造船所
  • 船型
  • 総トン数 12755トン
  • 全長 166.26メートル
  • 全幅 21.9メートル
  • 喫水 8.6メートル
  • 機関 MSディーゼル機関(11気筒、8250馬力)2基
  • 最大速力 21.4ノット(改造後は23ノット)
  • 同型船 ぶらじる丸
  • その他
  • 1920年代以来大阪商船の船舶設計者として辣腕を振るった和辻春樹が設計を指揮した、彼の代表作と呼ぶべき貨客船である。海軍徴用想定の制約を考慮しつつ、船体構造の合理化と洗練されたデザインを同時に実現した。戦前の大阪商船が保有した船舶の中でも代表的な大型船である。
  • 和辻がそれまでに手がけた多くの在来船舶と同じく、経済性に優れるディーゼル機関を主機に採用した(1930年代は、蒸気タービン機関とディーゼル機関が船舶エンジンのカテゴリーで伯仲していた時期である)。搭載エンジンは三菱自社開発のMSエンジンで、スルザーMANバーマイスター&ウェインなどの欧州メーカー製もしくはそのライセンス生産機関が大型ディーゼルの主流を占めていた当時、独自性を示した。
  • 南米航路の輸送力強化を目的として建造された。就航後はそれまで46日を要していた神戸サントス間を36日に短縮した。
  • 豪華客船として上甲板にはプールも設置されていたが、当時の日本人には馴染が薄かった為、改装して釣堀が装備された
  • 和辻自身は当初南米航路の需要を考え、上等級の定員を少なくし貨物積載能力の向上を図る為に主機は1基で十分と考えたが、海軍からの要請もあり断念した。
  • 建造中は、統制経済の為資材(特に内装材)の調達にも困難をきたしたが、できるだけ国内で手に入れる資材で最高の内装に仕上げようと苦心した。内装設計には建築家村野藤吾らが参加した。

[編集] 歴史

  • 1939年5月31日 世界一周航路の貨客船(第734番船)として竣工する。1等客室101室、特3等103室、3等662室。南米航路(神戸~サントス)に就航。
  • 1940年 大阪~大連航路に転属となる。
  • 1942年12月9日 海軍省に売却される。
  • 1943年11月15日 航空母艦へと改造。「海鷹」と名を変える。(ただし空母としては小型であった為に専ら飛行機輸送艦としての任務となった)
  • 1945年7月24日 別府湾にて機雷に接触し座礁。28日爆撃を受け着底。
  • 1945年11月20日 除籍
  • 1948年1月30日 日産サルベージによりスクラップされる。

[編集] 2代

[編集] 主要諸元

  • 総トン数 10864トン
  • 全長 156.485メートル
  • 全幅 20.4メートル
  • 喫水 8.7メートル

[編集] 歴史

[編集] 関連項目

  • 海鷹
  • 相田洋 - NHKの元ディレクター。1968年に南米移民とともにあるぜんちな丸に乗船して取材したドキュメンタリー「乗船名簿AR29」を制作した。
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