ぶらじる丸
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ぶらじる丸、ぶら志゛る丸(ぶらじるまる、BRASIL MARU)は、日本の貨客船および貨物船。商船三井および前身・関連会社の歴史上、3隻が存在する。
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[編集] ぶら志゛る丸
大阪商船(現在の商船三井)が運航。設計者は同社の和辻春樹(工学博士)。僚船の「あるぜんちな丸」とともに、優美な外観と豪華な内装が評判になったという[1]。
処女航海でインド洋周りの世界一周航海を行った後、移民の輸送などの目的で南米航路に就航したが、第二次世界大戦の激化を受けてわずか3航海をもって大連航路に配転され、後に日本海軍に徴用された。徴用中の1942年、航空母艦に改装のため日本へ航海中にアメリカ海軍の潜水艦グリーンリングの雷撃に遭い沈没した。
[編集] ぶら志゛る丸の要目
- 総トン数 - 12,752総トン
- 全長 - 166.0m
- 幅 - 21.0m
- 最大速力 - 21.4ノット
[編集] ぶら志゛る丸の沿革
[編集] ぶらじる丸
大阪商船(のち、日本移住船(現在の商船三井客船))が運航。移民の輸送などの目的で南米航路に就航した後、同航路からの撤退とともに引退。三重県鳥羽市に係船され、ブラジル展示館やレストラン、おみやげ店が入居する海上パビリオン「鳥羽ぶらじる丸」となった。
1996年1月に同パビリオンが営業不振で閉館後、解体のため上海(中華人民共和国)へと曳航されたが、現在は広東省湛江市にて海上パビリオン「湛江号海上城市」として利用されており、アミューズメント施設やレストランが入居するが、外装や操舵室はそのまま残されている[2]。
[編集] ぶらじる丸の要目
[編集] ぶらじる丸の沿革
- 1954年7月10日 - 竣工。
- 1963年9月30日 - 日本移住船に移籍。
- 1965年8月30日 - 船内改装が完成。
- 1971年 - 移民船としての運航終了(最後の「移民船」[3]として、移民109名を輸送した)。
- 1974年7月1日 - 三重県鳥羽市に係留され、海上パビリオン「鳥羽ぶらじる丸」として開館。
- 1996年2月 - 同パビリオン閉館後、解体のため中国に曳航。
- 1997年 - 中国の「湛江海上城市旅遊娯楽」が買収し広東省湛江市に係留[4]。海上パビリオン「湛江号海上城市」として開館[5]。
[編集] BRASIL MARU
商船三井が運航。世界最大級の鉄鉱石運搬船である。商船三井が新日本製鐵と22年半にわたる長期契約を締結し、同社の製鉄所向けの鉄鉱石をブラジルなどから運搬している[6][7]。
2007年度のシップオブザイヤー(日本船舶海洋工学会)を受賞[8]。
[編集] BRASIL MARUの要目
- 総トン数 - 160,774総トン
- 全長 - 340.0m
- 長さ - 325.00m
- 幅 - 60.00m
- 深さ - 28.15m
- 喫水 - 21.13m
- 載貨重量トン数 - 327,180トン
- 主機関 - 三井-MAN B&W ディーゼル機関 7S80MC-C 1基
- 連続最大出力 - 23,640kw×66回転/分
- 速力 - 15.0ノット
- 最大搭載人員 - 30人
- 船籍 - パナマ
- 建造 - 三井造船千葉造船所
[編集] BRASIL MARUの沿革
- 2007年12月7日 - 竣工。
[編集] 関連作品
- ぶらじる丸最終航路 - 作詞・作曲・唄:新井英一
[編集] 脚注
- ^ 大阪商船と三井船舶の創立(会社情報>沿革) - 商船三井客船
- ^ 「湛江で余生を送る旧「ぶらじる丸」の現況」『世界の艦船』第696集 海人社 2008年
- ^ 船による南米移民の最後は、1973年ににっぽん丸(あるぜんちな丸を改装)による世界一周クルーズを利用した移民285名である。
- ^ 買収および係留の時期は不明。
- ^ ぶらじる丸、生きてた 解体の予定が…中国で観光施設に - 朝日新聞(2009年1月27日付、2009年3月14日閲覧)
- ^ 鉱石運搬船「BRASIL MARU(ぶらじる丸)」引き渡し(プレスリリース) - 三井造船(2007年12月7日)
- ^ 世界最大級の鉄鉱石専用輸送船「BRASIL MARU」が竣工 - 新日本製鐵(2007年12月11日)
- ^ 当社建造「BRASIL MARU(ぶらじる丸)」「Ship of the Year 2007」受賞(プレスリリース) - 三井造船(2008年7月25日)