玉波 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1942年3月16日
進水 1942年12月26日
就役 1943年4月30日竣工
その後 1944年7月7日戦没
除籍 1944年9月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名/244名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

玉波(たまなみ)は、日本海軍駆逐艦夕雲型の9番艦である。

艦歴[編集]

1939年度(マル4計画)仮称第124号艦として藤永田造船所で建造。1943年(昭和18年)4月30日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(木村進少将(海軍兵学校40期))に編入[1]瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、6月22日に若月とともに横須賀に回航され、6月23日に到着した[2]。到着後間もなく、遠州灘でアメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃で擱座した元特設水上機母艦相良丸日本郵船、7,189トン)の救難作業を若月とともに支援[3]。6月27日に柱島泊地に帰投した[4]

7月1日、第二水雷戦隊伊崎俊二少将(海軍兵学校42期))に編入される。7月9日にを出港し、トラック諸島まで空母冲鷹、水上機母艦日進などを護衛。7月15日にトラックに到着後、軽巡洋艦五十鈴とともにナウル島への輸送作戦に従事し、7月22日にトラックに帰投した[5]。その後はトラックとパラオ間を行き交うタンカーなどの護衛に従事[6]。9月18日、第三艦隊小沢治三郎中将(海軍兵学校37期))と第二艦隊栗田健男中将(海軍兵学校38期))のマーシャル諸島方面への出撃に際して、第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃[7]。9月21日にエニウェトク環礁に到着したものの、2日後にはトラックに向けてエニウェトク環礁を出港した[8]。トラックに帰投後、9月29日に空母隼鷹、軽巡洋艦木曾多摩を護衛してトラックを出港し[9]、10月5日に呉に帰投した[10]。10月1日付で第三十二駆逐隊に編入され[11]、10月14日には空母雲鷹、隼鷹を護衛して呉を出撃し、10月19日にトラックに到着した[10]。11月3日、第三十二駆逐隊は第二艦隊の主力を護衛してトラックを出撃し、ラバウルに進出[12]。しかし、11月5日にラバウルは第38任務部隊フレデリック・シャーマン少将)の空襲を受ける(ラバウル空襲)。ラバウルに進出したばかりの第二艦隊主力は空襲で大損害を蒙り、栗田中将は即座にトラックに退却する事とした。第二艦隊主力とともに11月8日にトラックに帰投し、横須賀に下がる空母翔鶴重巡洋艦愛宕高雄を護衛して11月11日にトラックを出港[13]。11月15日に横須賀に帰投後は整備を行い、島風とともに翔鶴を護衛してトラックに進出[14]。短期間船団護衛に従事の後、12月16日に重巡洋艦最上を護衛してトラックを出港して12月21日に呉に帰投し、修理に入った[15]

1944年(昭和19年)1月17日に修理を終えると横須賀に回航され、高雄、空母千代田瑞鳳を護衛してトラックに進出する[16]。しかし、2月5日のクェゼリンの玉砕によりアメリカ軍の脅威が差し迫り、連合艦隊はトラックからの総引き揚げに決した。2月10日、満潮白露とともに戦艦武蔵を護衛してトラックを出港し、途中で分離の上2月15日に呉に帰投して機銃増備工事とレーダー取り付け工事が行われた[17]。瀬戸内海での訓練の後、5月10日に武蔵、第二航空戦隊などを護衛して佐伯を出撃してタウイタウイに向かい、5月15日に到着した。6月19日のマリアナ沖海戦では丙部隊(第三航空戦隊、第二艦隊。栗田健男中将)に属した。海戦後、6月22日に中城湾に立ち寄った後[18]、翌23日に藤波とともに出港してマニラを経由し、昭南に回航された[19]。7月2日、昭南からマニラ経由で日本に向かうタンカー旭東丸飯野海運、10,051トン)の護衛に藤波とともにあたった[20]

7月7日未明2時ごろ、北緯14度19分 東経117度57分 / 北緯14.317度 東経117.950度 / 14.317; 117.950[21]マニラ湾口西方海域を航行中、アメリカ潜水艦ミンゴ (USS Mingo, SS-261) を探知。ミンゴもレーダーにより4つの目標を探知した[22]。「吹雪型駆逐艦」、すなわち玉波が推定23ノットの速力で向かってきていると判断した後、潜航してさらに観測を続けた[22]。12発に及ぶ爆雷攻撃をやり過ごした後、艦尾発射管から魚雷を4本発射[23]。しかし、これは命中しなかった[23]。1時間後に体勢を立て直し、艦首発射管から魚雷を4本発射[24]。うち3本が命中して玉波は艦首から沈没していった[24]。藤波は、玉波がいるあたりに火炎と爆炎が立ち昇るのを認めて反転し、7月9日まで断続的に捜索を行ったが手がかりはつかめなかった[25]。駆逐艦長千本木十三四 中佐以下276名が戦死した。

歴代艦長[編集]

艤装員長[編集]

  1. 作間英邇 中佐:1943年2月20日 -

艦長[編集]

  1. 作間英邇 中佐:1943年4月30日 -
  2. 青木久治 中佐:1943年7月7日 -
  3. 千本木十三四 中佐:1944年6月15日 - 7月7日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126000, pp.4
  2. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.15
  3. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.16
  4. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030126100, pp.19
  5. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101000, pp.31
  6. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101100, pp.7 、C08030101200, pp.9,10
  7. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.92
  8. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.92,93
  9. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101200, pp.82,96
  10. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.8
  11. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.8,16
  12. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.10
  13. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.11
  14. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101300, pp.11 、C08030101800, pp.14
  15. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101800, pp.14
  16. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102000, pp.11 、C08030102100, pp.9
  17. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102100, pp.9
  18. ^ 木俣『日本戦艦戦史』401ページ
  19. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644600, pp.15,16
  20. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644600, pp.16
  21. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.27
  22. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119
  23. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.119,120
  24. ^ a b 「SS-261, USS MINGO」p.122,123
  25. ^ 『(旭東丸)戦時日誌』C08030644700, pp.10,29

参考文献[編集]

  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日昭和十八年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年五月一日昭和十八年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126000
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和十八年六月一日昭和十八年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十八年七月一日昭和十八年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年4月1日~昭和18年11月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030126100
  • 舞鶴鎮守府『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 戦時日誌』(昭和18年7月1日~昭和18年7月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030356500
  • 呉防備戦隊司令部『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030368300
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年七月二十日昭和十八年七月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101000
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年八月一日昭和十八年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101100
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年九月二十日昭和十八年九月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101200
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十月一日昭和十八年十月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101300
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101400
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030101800
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年一月一日 至昭和十九年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030102000
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十九年二月一日 至昭和十九年二月二十九日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030102100
  • 特設運送艦旭東丸『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030644600
  • 特設運送艦旭東丸『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和19年9月30日 特設運送艦旭東丸戦時日誌(2)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030644700
  • SS-261, USS MINGO(issuuベータ版)
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。

関連項目[編集]