アンリ・マティス

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アンリ・マティス 1933年

アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、フランス画家フォーヴィスム(野獣派)のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。

生涯[編集]

1869年、フランスのル・カトー=カンブレジに生まれる。はじめ法律家を志すが、1890年、盲腸炎の療養中に絵画に興味を持ち、画家に転向する決意をする。ボザールへの入校は許可されなかったが、熱意を評価した教官ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を請ける事ができた。この時、ボザールに入校してモローの指導を受けていたジョルジュ・ルオーとは生涯の友情を結ぶ。

マティスの初期の作風は写実的なものを志していたが、次第にフィンセント・ファン・ゴッホポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、『ダンスI』(1909年)など、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、モーリス・ド・ヴラマンクアンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになる。しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。(そのころのマティスの言葉:『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』)本人は、フォーヴィスムと呼ばれ見なされることをひどく嫌った。

線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。マティスにとってハサミは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している。

晩年、南仏ヴァンスドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当。この礼拝堂は、マティス芸術の集大成とされ、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目される。

また、緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花。身の丈を越す巨大な観葉植物など、まるで植物園のようであった。さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから、マティスは数々の傑作を生み出した。巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。

そして体力がなくなっていったマティスは油絵から切り紙絵へと変更した。アシスタントに色紙を作ってもらい自分は、はさみで切り抜いて作品を作り上げていった。体の都合でマティスの作品にも変化が現れ、自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。形を見るというより、心の目で見るといった花や植物が抱いている安らぎの感じを、はさみを使うことで身体的な動きを通して、機能化して表現し、生命そのものの記号になるように求めていった。

2004年に日本の国立西洋美術館ほかで日本で初めての大規模なアンリ・マティス展が開かれた。初期の絵画から晩年までカバーしていた上、マティスの制作作業を収めたドキュメンタリーフィルムも公開されていた。

代表作[編集]