天城山
| 天城山 | |
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伊豆市北部から見た天城山 : 解説
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| 標高 | 万三郎岳 1,405[1] m |
| 所在地 | 静岡県伊豆市・伊東市・賀茂郡東伊豆町・賀茂郡河津町 |
| 位置 | 北緯34度51分46秒 東経139度00分06秒[1] |
| 山系 | 伊豆半島 |
| 種類 | 成層火山 |
天城山の位置
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天城山(あまぎさん)は、静岡県の伊豆半島中央部の東西に広がる山。天城山は連山の総称で、天城連山や天城山脈と称されることもある。日本百名山の一つ。
最高峰の万三郎岳(ばんざぶろうだけ 1,405m)、万二郎岳(ばんじろうだけ 1,299m)、遠笠山(とおがさやま 1,197m)等の山々から構成される。東西の山稜部は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。
目次 |
成り立ち[編集]
天城山は第四紀の成層火山。80万〜20万年前の噴火で形成され、火山活動を終え浸食が進み現在の形になった。かつての山頂は浸食が深い南側にあったと考えられている[2]。遠笠山も含めて天城山とすることが多いが、火山学上では伊豆東部火山群に属し、天城山が活動を終えてからできた火山地形である。また、万三郎岳の西に位置する皮子平火口がおよそ3200年前に噴火し、北麓にかけてなだらかな斜面が形成されているが、これも伊豆東部火山群の活動に分類される[3]。
気候[編集]
夏期には太平洋からの湿った風が、天城山にあたることで上昇気流となり、雨雲に発達するため雨が多く、年間降水量が4,000mmを超えることもある[4]。また、冬期には積雪することも珍しくない。
主な地形と峠[編集]
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北より天城山の全景。左の山頂が割れたピークは伊豆東部火山群の矢筈山。右手前の山体は天子火山と呼ばれる第四紀の成層火山[2]。 |
伊豆半島のランドサット衛星写真。右中央部が天城山。スペースシャトル標高データ使用。 |
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天城山南麓の東伊豆町より望む。右は相模灘 |
東から
- 遠笠山(とおがさやま) 1,197m
- 万二郎岳(ばんじろうだけ) 1,299m
- 馬の背(うまのせ)
- 花楠立(はなだて)
- 万三郎岳(ばんざぶろうだけ) 1,405m 三角点名は万城岳
- 片瀬峠(かたせとうげ)
- 小岳(こたけ) 1,360m
- 戸塚峠(とつかとうげ)
- 皮子平(かわごだいら)伊豆東部火山群の火口[5]
- 白田峠(しらたとうげ)
- 八丁池(はっちょういけ) 1,173m
- 天城峠(あまぎとうげ)
歴史[編集]
近世には徳川幕府の天領として天城山を韮山代官が管理してきた。山中のヒノキ・スギ・アカマツ・サワラ・クス・ケヤキ・カシ・モミ・ツガの9種は制木とされ(天城の九制木)、公用以外は伐採が禁じられていた[6]。
静岡県の安倍川上流の有東木地区よりワサビ栽培が伝えられ[7]、茶、シイタケと並ぶ豆駿遠三国の主要な特産物として、江戸でも流通し17世紀後半代には年貢としても納入されていた。明治期には畳石栽培が生まれ[7]、現在では一大産地となり天城のワサビは最高級ブランドとなっている。また、これも明治期に天城湯ヶ島地区にてシイタケの栽培法が確立し、一帯では現在でもシイタケの栽培が盛んである。
- 1907年(明治40年)、天城山の西側には下田街道が通り、天城峠は伊豆半島の交通の難所であったため、天城トンネルが掘られた。後に川端康成などの有名な小説に登場したためにトンネルは観光スポットとなっている。1970年(昭和45年)には自動車時代に適応した新天城トンネルが完成した。
- 1955年(昭和30年)3月15日、富士箱根国立公園に、天城山を含む伊豆半島地域が編入され、現在の富士箱根伊豆国立公園に名称が変更された。
- 1957年(昭和32年)12月10日、学習院大学の男子学生である大久保武道と、同級生女子の愛新覚羅慧生の2名が、大久保の所持していたピストルで頭部を撃ち抜いた状態の死体で発見された。女性が満州国皇帝の親族であることから、当時のマスコミ等で大きく報道された。この事件を天城山心中という。
山名の由来[編集]
葉に多くの糖分が含まれているアマギアマチャ(天城甘茶 学名: Hydrangea macrophylla var.amagiana)という、ヤマアジサイに近い種類の植物があり、日本国内にはこの葉を乾燥して甘茶をつくり薬用や仏事に用いる風習が残る地方がある。そのアマギアマチャが伊豆の山地に多く自生しており、かつて天城山周辺の住民にも同様の風習があったために天城山の名になったのではないかという一説がある[10][リンク切れ]。また、気候の節で述べたように天城山は多雨地帯であり、「雨木」という語が由来であるとする説もある[11]。
植生[編集]
標高約600m以下の地帯 [10][編集]
常緑広葉樹を主とする暖温帯林
標高600m以上の地帯[編集]
落葉広葉樹を主とする冷温帯林
山腹、山麓の巨木[編集]
- 天城山中で最大のスギで、老木には珍しく幼木をそのまま巨大にしたような整った樹型が特徴。
- 推定樹齢400年、幹周約9.6m、静岡県指定の天然記念物、所在地 静岡県伊豆市湯ヶ島(地図)
- 天城山の南麓にあるスギの大木で、太郎杉にぐ大杉として次郎杉とも呼ばれる。
- 幹周約8.6m、東伊豆町指定の天然記念物、所在地 静岡県賀茂郡東伊豆町大字奈良本
- シラヌタの大杉の近くにあり、異様なほどに多くの枝を持つスギの大木。
- 幹周約5.4m、所在地 静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬国有林
登山[編集]
天城山は著名な登山家である深田久弥に日本百名山の一座として選ばれ、登山シーズンには多くの登山客を集める。山稜は森林限界を超えていないため、登山道の大部分が広葉樹に覆われている。そのため、万二郎岳から馬の背に至る鞍部にある2箇所の岩場と、八丁池展望台、山体西部の青スズ台で展望が開ける程度である。最高峰である万三郎岳においてもわずかに北方が望めるほど。
登山道の脇にはブナ、ヒメシャラ、アセビ、シャクナゲなどが特に目立ち、万二郎岳と万三郎岳の間の馬の背と呼ばれる尾根には、登山道がアセビの樹林の中を通るアセビのトンネルがある。万三郎岳の北にはシャクナゲが群生している。
なお、天城山は積雪があるため、冬期登山の場合はアイゼンが必要になることがある。
主な登山路[編集]
天城山の主稜を東西に歩く天城縦走路が山頂へ至る主なルートで、東は天城トンネル付近から入る複数の登山口と、西は天城高原ゴルフ場の横から入る登山口が主に使われている。なお、天城峠の西からは伊豆山稜線歩道に繋がり、達磨山などの伊豆半島の西北部の山稜へ歩くこともできる。
皇族と登山[編集]
昭和天皇は1930年(昭和5年)6月に八丁池までの往復を歩き、この際に使用した登山道を御幸歩道と呼ぶようになった。八丁池にはこの登山を記念して「天蹕留蹤碑 (てんひつりゅうしゅうのひ)」と刻まれた記念碑が残っている。なお、昭和天皇は1981年(昭和56年)6月にも登山している。また、昭和天皇の孫である皇太子徳仁親王も1982年(昭和57年)7月に天城山の縦走を行い、万二郎岳から万三郎岳、八丁池を抜けるコースを歩いた[10]。
関連作品[編集]
脚注[編集]
- ^ a b 出典 : 国土地理院日本の主な山岳標高 静岡県
- ^ a b 出典 : 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室「伊豆の大地の物語(35) 伊豆新聞連載記事(2008年4月27日)
- ^ 出典 : 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室「伊豆の大地の物語(88) 伊豆新聞連載記事(2009年5月3日)
- ^ 出典 : 気象庁 年間降水量 天城山
- ^ 天城火山の活動によって形成されたものではない
- ^ a b 出典 : 現地解説版より
- ^ a b とれたてぴちぴち伊豆育ち。ふるさとの特産品をご紹介 - 伊豆市、2012年11月11日閲覧
- ^ 出典 : 2012年5月3日14時08分 読売新聞
- ^ 出典 : 静岡地方気象台 平成24年4月30日から5月3日にかけての大雨に関する気象速報 (PDF)
- ^ a b c 出典 : 千葉県森林インストラクター会 伊豆・天城山のブナ・ヒメシャラ林を訪ねる八丁池周辺の自然(昭和天皇行幸時の説明要旨)
- ^ 出典 : NHK 新日本風土記『伊豆 天城越え』 2012年11月9日放送
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 『日本の第四紀火山 天城山』 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- 『天城山を歩くmap』 - 伊豆市
- 『ハイキング』 - 天城観光協会
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