剱岳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
剱岳
Tsurugidake 20100127.jpg
剱岳早月尾根(2010年1月)
標高 2,999[1][2] m
所在地 富山県中新川郡上市町立山町
位置 北緯36度37分24秒
東経137度37分01秒
[2]
山系 飛騨山脈立山連峰
種類 氷食尖峰
テンプレートを表示

剱岳(つるぎだけ)は飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2,999 m[1]富山県上市町立山町にまたがる。中部山岳国立公園内にあり[3]、山域はその特別保護地区になっている。日本百名山[4]および新日本百名山[5]に選定されている。立山とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山である[6]

概要[編集]

日本国内で「一般登山者が登る山のうちでは危険度の最も高い山」とされる[7]。これは、その一般ルートが、一服剱 - 前剱 - 本峰の間で、岩稜伝いの鎖場やハシゴのルートになることによる。難所としてカニのヨコバイ・カニのタテバイと呼ばれる鎖場があるが、実際には、より容易な稜線で滑落事故などが発生している。また、クライマーと呼ばれる一流登山家も、その岩場や雪山で、多くの命を落としている。

最終氷期に発達した氷河に削り取られた氷食尖峰で、その峻険な山容は訪れる者を圧倒し、登山家からは「岩の殿堂」とも「岩と雪の殿堂」とも呼ばれている。からの方角には、大窓をはじめとする「窓」と呼ばれる懸垂氷食谷が発達し、うち、「三ノ窓」と「小窓」の両谷には、日本では数少ない現存氷河である三ノ窓氷河小窓氷河を擁する。南東の方角には日本三大雪渓の1つとして知られる剱沢雪渓があるが、こちらは氷体を伴わず、氷河ではない。飛騨系の閃緑岩斑れい岩の硬い岩から構成され、それを輝緑岩が貫いている[8]。山の上部は森林限界ハイマツ帯で、ライチョウの生息地であり、アオノツガザクラハクサンイチゲなどの高山植物が自生している。

表記[編集]

古くは「劒嶽」と表記されていた。「剱」の字には多くの異体字があり一般には常用漢字表字体を用いて剣岳と表記されることが多いが、地元の上市町は剱岳が正しい表記であるとしている。国土地理院は上市町からの申請を受け、立山町の同意を得た上で2004年発行の地形図から「剱岳」と表記している[9]

信仰[編集]

剱岳は古来、立山修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり雄山神社祭神の一柱である天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の神体として信仰を集めてきた。一方立山信仰では「針山地獄」とされ立山連峰のほかの頂きから参拝する山であって、登ることが許されなかった。

『日本百名山』の著者である深田久弥は『万葉集』に見える「立山(たちやま)」について、これは今の立山ではなく剱岳のことであろうという自説を展開している[4]

歴史[編集]

剱御前小舎方面より

弘法大師草鞋千足(三千足または六千足ともいう)を費やしても登頂できなかった、という伝説がある[4]。近代登山としての歴史は浅いが、古くから不動明王として崇拝され、信仰対象として修験者に登られていた[8]。明確な記録に残る初登頂は、陸軍参謀本部陸地測量部の測量官、柴崎芳太郎麾下の測量隊によるものである。

  • 1907年明治40年)7月13日 - 測量隊の測夫・生田信らが長次郎雪渓ルートから本峰の登頂に成功した。
  • 1907年7月28日 - 柴崎らが登頂した。この登頂日は長らく不明とされていたが、2007年(平成19年)に「四等覘標高程手簿」が発見され、柴崎の登頂日が明らかになった[10]。このときの案内人は、地元在住の宇治長次郎である。もっとも、宇治は信仰上の理由から、山頂は踏まなかったとする説が有力である。これについては一切文書の記録がなく、新田次郎が『劒岳 点の記』を執筆した際の資料などに伝聞記録があるのみである[11]

柴崎隊以前に数例の登山の記録や伝説・口碑が存在する[11]。生田らによる最初の登頂の際、錆び付いた鉄剣製の錫杖が発見された。これらの遺物は当時の鑑定では奈良時代後半から平安時代初期にかけて登頂した修験者のものと考えられた。山頂近くの岩屋には古い焚き火跡もあったという。これらの遺物は立山修験の貴重な証しとして重要文化財に指定され、柴崎の死後、遺族から寄贈されて立山町芦峅寺の立山博物館に展示されている。

柴崎らは、登頂の困難さから重い三角点標石や特にかさばるやぐらを組む丸太を運び上げることができず、山頂には立ったものの三等三角点の設置を断念し、山頂には標石のない四等三角点を置いた。、また三角点の設置場所を記載する「点の記」の作成は三等以上との規定のため、剱岳の点の記は作成されなかった。

  • 1909年(明治42年)7月24日 - 民間人による最初の登頂が石崎光瑤、河合良成、吉田孫四郎、野村義重によって成し遂げられた。このときの案内人も宇治であった。
  • 1913年大正2年)8月11日 - 小暮理太郎田部重治が別山尾根から登頂した[8]
  • 1917年(大正6年)- 冠松次郎が西面の早月尾根から登頂した[12]
  • 1924年(大正13年)7月 - 剱沢小屋(現在の剣山荘)が建設された。それ以前に小屋掛けがあったとされる説がある[13]
  • 1926年(大正15年)1月 - 慶應義塾大学のパーティーが冬期の初登頂をした。
  • 1958年昭和33年) - 志鷹新正が仙人池ヒュッテを建設した。
  • 1966年(昭和41年)3月26日 - 富山県は積雪期の剱岳周辺の登山届出に関する富山県登山届出条例を施行した[14]
  • 1971年(昭和45年) - 早月尾根の要所に、佐伯伝蔵が「伝蔵小屋」を開業した。その後「早月小屋」に改名された[15]
  • 2004年平成16年)8月 - ヘリコプターによって資材を輸送し、三等三角点が設置された。
  • 2005年(平成17年) - 翌年にかけての平成18年豪雪により、剣山荘が倒壊した。
  • 2007年(平成19年)7月 - 再建した剣山荘が宿泊営業を再開した。
  • 2012年(平成24年)11月15日 - 三ノ窓雪渓と小窓雪渓が氷河である可能性が高いとする調査結果を、立山カルデラ砂防博物館の飯田肇学芸課長と福井幸太郎学芸員が、東京・国立極地研究所で開催中の極域気水圏シンポジウムで発表した。(富山新聞11月16日)

標高の変遷[編集]

  • 1907年(明治40年) - 測量官の柴崎芳太郎は周辺の山々の三等三角網の測量によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2,998.02 mと計算した。
  • 1930年(昭和5年) - 地上写真測量で3,003 mとされた。
  • 1968年(昭和43年) - 航空写真測量で2,998 mとされた。
  • 2004年(平成16年) - ヘリコプターを使った資材輸送により三等三角点が設置され、GPS測量により三等三角点「剱岳」2,997.07 m[16]が求められた。水平測量による最高点との差を足して「剱岳」の標高は2998.6 mとなり2,999 mと公式に定まった[1]。なお、このとき国土地理院により作成された「三等三角点「剱岳」点の記」では、選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者としては柴崎の名が記載された[17]
  • 2009年(平成21年) - 元国土地理院の山田明によるGPSなどによる測量では、2,998.42 mであった(国土地理院の協力による測量)[18]

登山[編集]

登山ルート[編集]

立山から剱岳へと続く稜線の別山尾根ルート(爺ヶ岳南峰より望む)
仙人池から望む剱岳八ツ峰の岩場(2008年9月)

一般的な登山ルートは2つある。

両ルートとも、途中の山小屋に一泊して翌日山頂を目指すのが一般的。別山尾根ルートは室堂までバスなどの公共交通が利用できるのに対し、早月尾根ルートでは登山口の馬場島までの交通手段はマイカーまたはタクシーに限られる。ただし馬場島には馬場島荘とキャンプ場があり、前日泊も可能。馬場島は毎年末、早月尾根から剱岳山頂を目指す登山者で賑わう。そのため登山基地である馬場島と早月小屋には県警山岳警備隊が常駐する。

バリエーション・ルートとして仙人池・池ノ平から小窓・三ノ窓を経る北方稜線ルート、八ツ峰または源次郎尾根をたどる稜線縦走ルート、雪渓をつめる長次郎谷(宇治長次郎の名に由来)、平蔵谷、武蔵谷、三ノ窓雪渓、池ノ谷左俣・右俣などの各ルートのほか、北アルプス開拓の歴史の一部をなす数々の登攀ルートがあるが、いずれも一般登山者向きではない。

剱岳の岩場[編集]

剱岳の岩場は谷川岳穂高岳とともに日本三大岩場に数えられロッククライミングメッカの1つとなっている。

  • チンネ
  • ジャンダルム
  • 小窓王
  • 八ツ峰VI峰フェース群(Aフェース、Bフェース、Cフェース、Dフェース)
  • 八ツ峰三ノ窓側(函ノ谷、菱ノ谷)
  • 源次郎尾根I峰平蔵谷側側壁、源次郎尾根II峰平蔵谷側側壁
  • 本峰南壁、本峰北壁
  • クレオパトラ・ニードル
  • 東大谷(中尾根、駒草ルンゼ、富高ルンゼ)
  • 池ノ谷
    • 右俣(中央ルンゼ、右俣奥壁)
    • 剱尾根(ドーム北壁、ドーム南壁)
    • デルタフェース
  • 小窓尾根白萩川側フェース群

周辺の山小屋[編集]

周辺の登山ルート上には、以下の山小屋がある[21]。一部の山小屋では、キャンプ指定地が併設されている。登山シーズン中に営業を行い、期間外は閉鎖される。

登山届出条例(積雪期)[編集]

冬期の剱岳は日本海側気候のために豪雪になり、元来の峻険さと相まって登山条件は一層厳しく、毎年のように遭難者が出ている。富山県は1966年に富山県登山届出条例[14]を定め、剱岳周辺について「危険地区」とした上で12月1日から翌年5月15日までの間に危険地区に立ち入る者に対し「登山届」の提出を義務づけている。登山届の不提出や虚偽記載などの違反行為に対しては罰金が科せられる。

地理[編集]

剱岳山頂から望む飛騨山脈の山々(2001年7月)→解説なし画像
剱岳山頂から望む富士山南アルプス中央アルプスの山々(2001年7月)

飛騨山脈の三俣蓮華岳から分岐する北に長く延びる枝尾根の主稜線上にあり、北には毛勝三山、南には別山、立山へと尾根が伸びる。東側には黒部川を挟んで飛騨山脈の主稜線である後立山連峰と対峙している。

周辺の山[編集]

源流の河川[編集]

源流となる以下の河川日本海へ流れる。

鹿島槍ヶ岳から望む三ノ窓氷河と小窓氷河

氷河[編集]

剱岳東面には雪崩涵養型の小規模な氷河が存在し、黒部川の水源の一つとなっている。

  • 小窓氷河 - 全長約900 m、面積約0.17km2
  • 三ノ窓氷河 - 全長約1,200 m、面積約0.13km2

剱岳の風景[編集]

テレビ番組[編集]

参考文献・関連図書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 剱岳の標高は、2,999 m”. 国土地理院 (2004年10月28日). 2011年4月16日閲覧。
  2. ^ a b 日本の主な山岳標高(富山県の山)”. 国土地理院. 2011年4月16日閲覧。
  3. ^ 中部山岳国立公園区域の概要”. 環境省. 2011年4月16日閲覧。
  4. ^ a b c 深田久弥 『日本百名山』 朝日新聞社、1982年7月、pp.185-188。ISBN 4-02-260871-4
  5. ^ 岩崎元郎 『新日本百名山登山ガイド〈上〉』 山と溪谷社、2006年3月、pp.144-147。ISBN 4635530469
  6. ^ 立山連峰:日本初の「氷河」、学会が認定”. 毎日新聞 (2012年4月4日). 2012年4月4日閲覧。
  7. ^ 新田次郎劒岳 〈点の記〉文藝春秋文春文庫〉、2006年、新装版、367頁。
  8. ^ a b c 『コンサイス日本山名辞典 修訂版』 三省堂、1979年3月、p.326。ISBN 4385154031
  9. ^ 「剱岳」等の表記を修正”. 国土地理院 (2003年12月24日). 2011年4月16日閲覧。
  10. ^ 山田明『剣岳に三角点を!』桂書房、2007年。
  11. ^ a b 五十嶋一晃『山案内人 宇治長次郎』、桂書房、2009年。
  12. ^ 『新日本山岳誌』 日本山岳会ナカニシヤ出版、2005年11月、pp.907-908。ISBN 4779500001
  13. ^ 『北アルプス山小屋物語』 東京新聞出版局、1990年6月、p.153。ISBN 4808303744
  14. ^ a b 富山県登山届出条例”. 富山県 (1966年3月26日). 2011年4月16日閲覧。
  15. ^ 早月小屋”. 早月小屋. 2011年4月16日閲覧。
  16. ^ 基準点成果等閲覧サービス・点名「剱岳」三等三角点”. 国土地理院. 2011年4月16日閲覧。
  17. ^ 三等三角点の記「剱岳」”. 国土地理院. 2011年4月16日閲覧。
  18. ^ a b NHKアーカイブス保存番組詳細(2009年10月17日)”. NHK. 2011年4月16日閲覧。
  19. ^ 室堂平~劔岳・別山尾根~室堂平コース”. 富山市. 2011年4月16日閲覧。
  20. ^ 早月尾根ルート”. 上市町. 2011年4月16日閲覧。
  21. ^ 『山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011)』 山と溪谷社、2010年12月、pp.152-154, ASIN B004DPEH6G。
  22. ^ NHKアーカイブス保存番組詳細(1994年10月2日)”. NHK. 2011年4月16日閲覧。
  23. ^ さわやか自然百景のバックナンバー(2002年11月3日放送)”. NHK. 2011年4月16日閲覧。
  24. ^ おすすめの山(剱岳)”. NHK日本の名峰. 2011年4月16日閲覧。
  25. ^ NHKアーカイブス保存番組詳細(2007年3月4日)”. NHK. 2011年4月16日閲覧。
  26. ^ NHKアーカイブス保存番組詳細(2007年12月3日)”. NHK. 2011年4月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]