鷲羽岳

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鷲羽岳

三俣蓮華岳から見た鷲羽岳 (2006年平成18年)10月撮影)
標高 2,924.2m
位置 北緯36度24分10秒
東経137度36分18秒
所在地 長野県大町市富山県富山市
山系 飛騨山脈
  
鷲羽池火口と火口内の鷲羽池、鷲羽岳山頂より撮影。2000年平成12年)7月

鷲羽岳(わしばだけ)は北アルプスの山である。標高2,924m。日本百名山の一つ。南東斜面に鷲羽池火山という小火山が形成されている。

目次

[編集] 概要

北アルプスのほぼ中央部、黒部川の源流に位置する。「裏銀座」と呼ばれる 縦走路上にあり、山頂からの展望が非常に良いため、登山口からは通常2日はかかる奥地にも関わらず夏期は登山者が多い。山頂南東側に鷲羽池と呼ばれる小さな火口湖がある。

[編集] 登山道

登山道はやや複雑であるが、山頂を通過する尾根筋の縦走路と、黒部川源流の山腹を通る巻き道がある。北西は野口五郎岳方面から(裏銀座縦走路)、北は水晶岳方面から、北西は雲ノ平方面から、西は三俣蓮華岳を経ては黒部五郎岳方面から、南は三俣蓮華岳を経て双六岳方面から(裏銀座縦走路)と、多方面に登山道が通じている。

[編集] 近隣の山小屋

山小屋は、山頂南側約1kmの三俣蓮華岳との鞍部に三俣山荘が、山頂北側約2kmの水晶岳との鞍部に水晶小屋がある。(水晶小屋は収容人数が少ない)

[編集] 鷲羽池火山

鷲羽岳南東斜面に形成された火山で鷲羽池火口は鮮明な火口地形が残る。12万年前以降に活動し、安山岩デイサイト溶岩流を東南に流出している。火口地形が鮮明なため過去1万年内に噴火した可能性があるという説もあるが、気象庁の指定する活火山には指定されてない。 鷲羽池火口東南にある硫黄沢では1990年代中頃まで活発な噴気活動が認められた。

[編集] 歴史

現在鷲羽岳(2924m)と言われる峰は、明治の登山黎明期までは「東鷲羽岳」あるいは「龍池ヶ岳」と呼ばれていた。そして現在三俣蓮華岳 2841mと言われる峰が本来の「鷲羽岳」であった。戦国時代末期以後の加賀藩政時代より、北アルプスの大半は加賀藩の「奥山廻り役」という者達によって調査され、山名や地形は絵図にされていた。特にこの現在の三俣蓮華岳付近は、加賀藩政時代は三国境としての重要地点で、詳細に調査されていた。ところが1910年、日本山岳会小島烏水高頭仁兵衛が、上高地上條嘉門次を案内人として信州方面から登山した。彼らにとってはこの山域は処女地であった。三俣蓮華岳について案内人の嘉門次の説明によると、「飛騨猟師が、この山で熊を射止めた。そうして熊の膽(キモ)のつもりで俗称蓮華膽(肝臓)を腹から引き出して喰ったので信州の猟師達が嘲笑って「蓮華喰みの岳」と言ったのを略して蓮華と呼んでいる」

当時の陸軍陸地測量部の5万分の1の地図には、従来の越中側の山名を踏襲して「鷲羽岳」と記されていた。そこで日本山岳会の面々は、あの嘉門次と日本山岳会の長老が言っていたことは絶対的なものと思い込み、陸地測量部に調査不十分であると地図の訂正を強く求めた。その結果、昭和5年の修正版には改訂(誤記)され、現在に至っている。

さらにこのようなこともあった。1907年(明治40)夏、志村鳥嶺北アルプスの最奥地、黒部源流域の人跡未踏の深山を求め、高瀬渓谷から烏帽子岳に登り、現在のいわゆる裏銀座コースを縦走して鷲羽岳に至った。その時の紀行文「日本アルプス縦走記」が当時の山岳雑誌「山岳」の巻頭を飾った。その中で志村鳥嶺は「これは破天荒の壮挙、未曾有の壮挙、誰かその一部たりとも、日本アルプスの峻嶺を、その山稜に沿ふて、縦走せしものありや」と自慢げに言い放っていた。野口五郎岳では、「自分は黒部川の谷の方向に向かって、一小湖を発見した。自分はこれに五郎ノ池と命名せり」とある。また水晶岳では、「崇高、雄偉、日本アルプス中稀に見る、高さ鷲羽に譲らず、黒部川の水源をなすところの一霊峰を発見、同伴の信州の人夫、類蔵もその名を知らず、地図を探るも、何れも実際に適せるものなし」として、「後日研究の結果、黒岳と命名」した。そしてさらに、「久恋の鷲羽岳」に到達し、「未だかつて、採集家等の、一度も足跡を印せし事なし」として「鷲羽の絶頂より、南方眼下に、又、一湖水を発見す、こは全く一噴火口なり、恐らく何人の耳にも新しき事実なるべし」と書いていた。この他にも、明治後半頃の「山岳」に載せられた紀行文には、随所に人跡未踏の山の初登頂や初縦走の話題で盛り上がっていた。

しかし、これらの峰峰は決して人跡未踏ではなかったのだ。その二百年も以前から、加賀藩の「奥山廻り役」によって毎年それらの山頂は踏まれ、縦走し、これを記録に書きとどめ、詳細な地図まで作成していた。

信州で雇った人夫が知らなかったという無名の山に、勝手に黒岳と命名した山は、実は、その古地図や古記録には、水晶岳、六方石山、中岳剣などの名前が明記されていた。奥山廻り役石黒信由の「三州測量図籍」という1835年の記録には、中岳剣という名で、その位置、方向、山容まで詳細に記録されていた。また五郎ノ池も古図には記録され、池の周辺は「池ノ平」と呼ばれ、古記録には、「池ノ平へ下り、例年の場所に小屋掛けしようとしたが、今年は雪が消え水が少しもなかったので、やむをえず、さらに下って川原までいって小屋掛けした」などとある。鷲羽岳の池についても、1810年の山廻り日記には、「東鷲ノ羽ヶ岳の巳(み)の方向に池がある。この池、はなはだ減水して水は三分ほどある」などと記録されていた。

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[編集] 外部リンク

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